29.湖の調査4 ~ネーミングセンスは、ない。/姑のいびり/どこまで強くなるんですか…~
翌日、もはや慣れたトリスの神殿からエディスの神殿への移動を行う。
毎回使用料を受け取ってもらえないので喜捨をしている。九尾曰く、金に飽かせた転移を、両神殿の聖教司たちからどのように思われているのか、という考えがふとよぎるが、怖いので知らぬふりをしておくことにした。思惑はどうあれ、非常に恭しく接せられている神殿の中を軽く会釈して通り過ぎる。
街を出てまっすぐに向かうのは湖だ。
精霊たちに力を借りて、湖中へ入る。もはやティオたちも慣れたものだ。
「まずはあの異類を探そう」
ティオの背に跨りながらシアンが告げる。
『呼び名がないと不便ですね。掃除機異類とかどうです? ノズル異類とか』
「きゅうちゃん、協力してもらっているんだから、失礼なことを言っちゃ駄目だよ」
『え~、きゅうちゃんのハイセンスな名づけは気に入りませんか? きゅ、まだ時代が追い付いてないんですね』
逆だ。古い。
『じゃあ、スクイージーで』
掃除から離れられないようだ。次は自由箒とでも言いだしかねない。
『スクイージーってなあに?』
ティオと並走するリムが首を傾げる。すっかり体の調子は良くなった様子で、ぶり返しはなさそうだ。
『スクイージーは掃除道具の一種だよ。こういう形の』
言いながら、九尾が前足でTの字を描く。
『昨日の異類の頭と同じ形だね!』
『そう。元々は柄が長い木製で、漁師が船のデッキ掃除をするのに使っていたようだよ。水繋がりでちょうどいいじゃありませんか。湖の掃除を手伝うスクイージー!』
「きゅうちゃん、やけに掃除に拘るけれど、もしかして天帝宮で罰掃除とかさせられていない?」
『きゅっ!』
図星だったらしい。
それにしても、罰掃除というのはどの時代、どの場所でも行われるようだ。
「お疲れ様です。じゃあ、頑張って掃除できるように、何か美味しいものを作るね」
その天帝宮へ行ってリムの薬を持ってきてくれたのだ。シアンができることといえば料理を作るか音楽を奏でるかくらいだ。
『ありがとうございます。芋栗なんきんが良いです。これで埃チェックされてもくじけず頑張れます!』
やはり、天帝宮には姑のような存在がいるのか。恐ろしい。
そんな愚にもつかぬことを話しているうちに、ティオはT字型異類改めスクイージーを見つけてくれた。口数は多くないが着実に仕事をこなす。
探していた異類は数頭が円を描いて悠々と泳いでいる。
『あっ、命の恩人さん!』
スクイージーの方でもすっかりシアンの呼び名を定着させたようだ。ティオの背中から降りて挨拶する。
「こんにちは。昨日はお世話になりました。改めまして、僕は人間の冒険者でシアンと言います。こちらの大きい方がティオ、中くらいのが九尾のきゅうちゃん、小さいのがリムと言います。できれば名前で呼んでくださいね?」
自己紹介を機に、気恥ずかしい呼び名を訂正しておきたい。
『これはご丁寧に。はい、シアンさんですね』
素直な異類で一安心だ。
『それで、きゅうちゃんたちも貴方がたを呼ぶのに不便なので呼び名が必要だと思いまして。スクイージーというのはいかがでしょう?』
九尾が早速思いついた呼び名を提案する。
『スクイージー!』
リムが嬉し気に呼ぶ。そう呼ばれると何だか良い名前のような気がしてくる。
「あ、種族名や個人名がすでにあるのでしたら、教えてもらえればそちらを呼ばせていただきます」
『いえいえ、特に名前はありません。スクイージー、良い名ですね。命を救ってもらった上に、名前まで頂けるとは』
リムの楽しい気分は他者にうつる。T字型異類もくっと唇の端を吊り上げて、胸鰭の両端を合わせて身もだえした。
『スクイージーというのはシアンちゃんのいる異界での掃除道具の一種です。湖水浄化に貢献したあなた方には相応しい呼び名ですな!』
シアンの世界、というのにぎょっとする。一体、どこからそんな知識を仕入れてくるのか。本当に不可解な狐である。
『シアンの異界?』
リムも興味津々である。
『わあ、すごい名前なんですね! ありがとうございます』
掃除道具と同じ名前でも良いのか。
『『『『『『『スクイージー!』』』』』』』
いつの間にか、群れを構成する数が増えている。全員で嬉しそうに名を呼ぶ。
「気に入ってもらえたから、良かったのかな?」
群れで水中に弧を描きながら、新しい名前を呼ぶ。その光景にリムの気が逸れたので、こちらも良かった。
『はい! 今日は名前をつけにわざわざ来てくれたのですか?』
「あ、いいえ、そうではなくて、僕たちも漏斗姿の魔獣を見つけようと思って」
『それには及びませんよ。他の異類にも協力してもらっていますから!』
十全に手が足りていると言う。
『ちょうど一頭近くにいるみたいです。ほら、あれですよ』
胸鰭で指し示す。
スクイージーたちが用意した助っ人を見て、九尾が騒ぐ。
『おお、狭いところにまで届くノズル装着のハンディクリーナーのようですな! まさしく掃除機! スクイージーに相応しい相棒です。そして、そんな先読みをしたかのごとき呼び名を命名したきゅうちゃん! 己の閃きが恐ろしい!』
全長一メートルほどの胴も尾も長い異類は象の鼻のようなでっぱりが顔先にある。
スクイージーたちとは異なり、胸鰭が角度によっては羽根にも見え、ハチドリにも似ている。鳥の頭に魚の背びれと尾を付けたような姿形をしている。
『特徴的に突き出しているのは下顎だよ。腹の部分に発電機を持っていて、そこで作り出された電流を突起のような下顎で放出し、周囲の探査をするんだ』
風の精霊の説明を聞いていると、荒い気性なのか、リムにその象の鼻のような突起を密着させる。
「リム!」
『平気だよ!』
平然とした様子に、助っ人異類も戸惑ったように、何度も頭を振って突起の角度を変えてリムにこすり付ける。
『光の精霊の加護があるリムには効かない攻撃でしょうなあ』
九尾がのんびり感想を述べる。
シアンは慌ててリムを抱き寄せ、異類から距離を取る。リムはご機嫌で尾を揺らしている。腕の中を覗き込むと、シアンの顔を見上げて「キュア」と鳴く。病み上がりで過保護が酷くなっているシアンの行動に、さして気にした風情はない。
『ああっ、すみません、すみません!』
『こらっ、電流攻撃をしてはいけないぞ!』
スクイージーらが慌ててシアンたちに謝罪したり、象の鼻の異類を諫めたり忙しい。
すったもんだあったが、助っ人異類は、一番小さい幻獣に少しの痂疲も与えられなかったことから、大人しく従うことにしたらしい。こういう力こそ全てというのは実に野生動物らしい。言う事を聞いているということからも、スクイージーたちも穏やかな性質ではあるものの高度な知能とそれなりの力を有していることがわかる。
「電流を流して攻撃する異類って結構多いの?」
『この湖は特にそうだね。だからこその探査能力だよ』
『はい! だから危険がありますし、湖の浄化は我々スクイージーに任せて、シアンは戻った方が良いですよ』
風の精霊の言葉は聞こえないスクイージーが言う。
「でも、任せっぱなしというのは……」
スクイージー曰く、方々の群れに呼びかけ、助っ人の手も借りながら、漏斗の魔獣を探し出し、海綿の魔素除去は徐々に進んでいるとのことだ。
『これから先もゆっくりと時間をかけてやっていきます。自分たちの住む場所ですからね。逆に色々教えてもらって助けてもらったのですよ』
実に謙虚でまっすぐだ。その上、胸鰭を動かしたり、首を傾げてト型になったり、可愛い。
「僕にはお礼できることは何もないのですが、よろしければ、音楽を」
シアンにはそうそうできることは多くない。でも、できることがあるならそれをすればいいと思う。
リムが早速いそいそとマジックバッグからタンバリンを取り出す。
「リム、水深があるからまずは英知に魔法をかけてもらわないと」
『大丈夫、もう施したよ』
素早い。シアンが願うよりも早く事態に即応した対応をしてくれる。
「ねえ、きゅうちゃん、精霊に力を貸してもらう時って口に出さなくても良いものなの? 魔法って詠唱があるよね」
『魔法は無詠唱というスキルがありますが、精霊はどうでしょうねえ』
「きゅうちゃんでも知らないのか」
物知りの九尾が知らないことに、思わず声に出る。
『それはそうですよ。精霊に関することは事例が少ないですから。でも、風の精霊王の場合、シアンちゃんが思わなくても魔力行使してくれるでしょう? 無詠唱以前の問題ですよ』
言われてみれば確かにそうだ。そうやってシアンの思い至らないところにまでフォローしてくれている。
「ありがとう、英知」
『リムが大事にしているタンバリンが破損したら大変だからね。でも、私も全てを先回りして教えたり力を使うことはしないから』
「うん。僕が考えて行動しなくては。僕が進む途だからね」
そこまでしてもらっては自分の意思決定がなくなる。
『シアン!』
リムに呼ばれてシアンはその場を離れる。その姿を見守る風の精霊に九尾が声を掛ける。
『シアンちゃんに城から流れる魔力のことについては詳しく教えないんですか?』
どんな海よりも木々よりも、美しく深く澄んだ碧色の瞳が九尾に向く。シアンは何故森羅万象を見通すこの視線に晒されても平静を保っていられるのか。心の中まで見透かすのではないかと畏怖の念を抱かせる。
『聞かれれば答える』
『シアンちゃんならば、助けに行きますよ』
『シアンの思う通りにすればいい。私はそれを助けるだけだ』
言い置いて、風の精霊はシアンの傍へと向かった。
『やれやれ、巻き込まれると分かっているから黙っていたのでしょうに。まあ、リムの具合が悪かった時の取り乱しぶりは見ていられるものではなかったですがね』
だから、心を痛めることを懸念して、常ならば聞かれなくても教えていたことも口を噤んでいたのだろう。
『でも、これで何かがあるということは確実だと判明しました』
余人にはなし得ない、遍く世界を駆け巡り、彼が庇護する人間が名付けた通り、英知を持って全てを解する存在だ。
天帝宮が長らく知り得なく、九尾が知りたかったことを教えてくれた。これもリムのために骨を折った礼ということなのだろうか。
『随分、感化されたというか、丸くなったというか、いえ、至高の存在である精霊王がそんな筈はないですね。それだけシアンちゃんとその周囲が大切だということでしょうか』
九尾も楽曲を楽しむ輪に加わる。
いつの間にか、以前スクイージーたちが綺麗だと言って見せてくれた鮮やかな赤や黄色の斑点を持ち、青白く発光する楕円形の魔獣や、青紫色のレース状の花のような生物も集まって、彩を添えている。
シアンたちの音楽に合わせて、初めはT字の頭や胸鰭を左右に振っていた。弾むリズムに乗せられ、大きく列をなして旋回を始める。楕円形の魔獣やレースの花も音に合わせてひらひらと舞う。
『おお、正しく舞い踊り! 水中パフォーマンス!』
思うところのある九尾は内心を押し隠して、いつもの通り、賑やかしを担当する。彼もまた、シアンと出会ったことによって、音楽の楽しさを教えられた一頭なのだ。
人の王が贅を凝らした生活の中での楽の音には心惹かれることはなかった。けれど、幻獣たちと心の底から楽しそうに奏でる音楽は九尾の気持ちを掴んで離さなかった。




