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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
74/630

27.湖の調査3 ~きゅぷっ/リムのいたずら~

 精霊たちにもリムが元気になったことを告げるとみな一様に喜んだ。

『ほらな、耐えられただろう?』

『強い仔じゃの』

 光の精霊が腕組みしながら我がことのごとく自慢げに言い、大地の精霊が莞爾として笑う。

『よく頑張ったね、よく頑張った……』

 闇の精霊が感極まって言葉を途切らせる。

 風の精霊は闇の精霊に頭を撫でられてご満悦のリムをじっと眺めていたが、それをシアンが不安げに見やるのに気づくと、ふと笑みを漏らす。爽やかな風薫る笑顔になったが、何も言わなかった。

 九尾が手に入れてくれた霊薬に頼ったことを何か言われるかもしれないとも思っていたが、特に言及されなかった。


 リムはもうどこも痛くないし、元気になったと告げる。それでもまだ心配するシアンに、九尾がもう少し続けようと言うので半ば諦めかけていた湖の調査を再開する。

 依頼の期限があることだし、もう大丈夫と話すリムの言葉に背中を押された。

 再び風の精霊による力添えを得て、湖の内部へと進んだ。

 今回は初めからティオの背に乗って進む。

「リム、大丈夫そう?」

『うん! 元気いっぱい!』

「はは、良かった」

 ティオの傍らを結構な速度で飛んでいる。シアンの前には九尾が鎮座する。空を行くのと何ら変わらない。こうでなくては。


『シアン、この間会った異類と同じ姿のが困っているみたい』

「困っている?」

 ティオが嘴の先で指し示す方向へと目を凝らす。うっすらと鈍色の細長いものが点々と浮かんでいる。水面は遠く、光の精霊の光源が届かないので見えづらい。

 それにしても、ティオは異類がいるだけでなく、様子すらわかるのだろうか。

「ゆっくり近づいてみようか」

『分かった』

 徐々に、群れがその周辺で一斉に弧を描いて泳いでいる様が分かる。T字型の顔は両端に目がぎょろりとついている。細長い体はティオの体長よりも長い。

 しかし、以前会った異類はどこか遠慮がちで大人しい印象だった。個体としての性質なのか、種族としての性質なのか、はたまた群れになれば変化するのか。

 ティオの姿に気づいた群れの泳ぎがぎこちなくなる。滑らかに泳いで描いていた円が崩れる。

「こんにちは、あの、何かお困りのことでもおありですか?」

 まだ少し遠いので声を張る。水中で聞こえるだろうか。

 果たして、戸惑った様子だが、ティオやリムに敵意がないことを察知したのか、群れから一頭が近寄ってくる。まだ遠いが、おそらくそこはティオの間合いだ。一跳躍で届く。

 進み出た異類は、胸鰭の両端を突き合わせるもじもじとした仕草を見せる。

『あの、どうして、人間がこんなところまで?』

「ちょっと湖の水質調査でやって来たんです。先日も貴方と同じ種族の方とお会いしました。こんなに多くの群れで行動されるんですね」

『そうなんですか!』

 既に同族と会っていると聞き、恐る恐るこちらを窺っていた異類の警戒が緩む。

「それで、何かお困りの様子だったので声をかけてしまいました。邪魔をしていないと良いのですが」

『いえいえ、お気遣いありがとうございます。ええ、その、ちょっと仲間が岩場に挟まってしまいまして』

『きゅぷっ』

 九尾が変な声を上げる。噴き出したのだろう。

「それは大変ですね。何かお手伝いしましょうか?」

『お願いできますか? 実は我らでは何ともしがたくて困っていたところなのです。一応、前後から押してみたのですが、痛い痛いと言われてしまって』

『体の構造上、引っこ抜くのはできなさそうですものねえ』

 果たして、案内されたすぐ近くの岩場では岩場に頭をめり込ませて逆立ちする形でじたばたともがく異類の姿があった。

「ああ、ちょうど頭の形が隙間に入ってしまったのですね」

 シアンはティオの背から降りて近寄る。

『獲物を追っていて、つるっと勢い余って滑ってしまったようで』

『きゅぷっ、つるっと!』

 九尾が再び笑う。腹を片前足で押さえ、もう片方の前足でティオの背を叩く。ティオが背を揺すり、九尾を振り落とす。九尾は今度は予測していたのか、すた、と身軽に着地する。ティオがその脇をすり抜け様、九尾の後頭部を獅子の尾ではたく。着地のポーズを取っていた九尾が顔から湖底へダイブする。

 リムが真似してうつ伏せにスライディングするのを、真似しちゃ駄目だよ、とティオが諭す。差し伸べられたティオの首に乗り上げ、鷲の頭の上にうつ伏せで乗る。ティオは頭にリムを乗せたまま、少し離れた場所でシアンを見守る。


「一応、人間の僕が体に触れて上へ抜き出すということを貴方から話していただけますか? 今は混乱して動揺しているでしょうし」

『ご配慮ありがとうございます。そうですね、急に何かに触れられて引っ張られては暴れるかもしれませんし』

 理解の速い異類に、やはり知能の高さがうかがえる。

 同族の者に救助説明をしてもらった後、目をしっかり閉じるよう言ってから、シアンはそっと異類の体に触れる。ぬるぬるしているかと思いきや、滑らかだ。引っ掛かりがなく、滑りそうで、なるべく体を傷つけないよう気を付けながら上へと引き上げる。

「痛かったら言ってくださいね」

『痛いです!』

 即、返答がある。

『シアン、ぼくも手伝う?』

「ありがとう。じゃあ、リム、爪を立てないように、そっと上に引き上げてくれる? 僕はなるべく頭を岩に当たらないようにしてみるから」

『分かった!』

 リムが弾んだ返事をしてティオの頭の上からシアンの傍にやって来る。

『お手数をおかけします』

 岩に挟まってもなお、丁寧だ。

 シアンは顔に触る旨を断ってから、T字型の顔が岩に擦れないよう、押さえる。

「もっと力を入れても大丈夫そうですか?」

『はい~』

 流石に面目なさげに言う。

「リム、引き上げてくれる?」

『はーい』

 リムの協力の元、無事、岩に挟まった異類を助け出すことに成功する。


『っはー、笑った笑った。いやあ、無事助かって良かったですな!』

 失礼極まりない九尾が出てもいない笑いすぎの涙を拭う。踏まれてもはたかれてもめげない狐だ。

『君も、しっぽを岩に挟まれてみる?』

『申し訳ございません、きゅうちゃんもお手伝いすれば良かったです』

 ティオがフラッシュに代わり、九尾のストッパーとして活躍している。


『本当に助かりました』

『『『『『『『ありがとうございます!』』』』』』』

 異類全員が口をそろえて礼を言う。

『お礼に綺麗なものをお見せしましょう!』

『ぜひぜひ!』

『湖の水質調査をされているのでしたら、美しい湖の生き物を見ていってください』

 T字型異類に囲まれるようにして移動すると、岩場に楕円形の両手に乗るほどの大きさの厚みのある体の動物がいた。体中に突起があり、鮮やかな赤や黄色の斑点を持つ。

『この動物の背中の突起のいくつかが発光器で刺激を受けると青白く光る。頭部背面から伸びる一対の触角は体内に引っ込めることができるよ』

 リムが突いてみると、風の精霊の言う通り光る。

『わあ、光った!』

『綺麗でしょう?』

 歓声を上げるリムに、T字型異類も満足気だ。

「本当ですね」

『そうでしょう、そうでしょう』

『あちらもご覧ください』

 一斉に異類がちんまりした胸鰭を一方向に向ける。その仕草が可愛くてシアンは思わず口元が緩む。それをごまかす様に示された方を見やる。

 違う岩場に鮮やかな青紫色の花が咲いている。よく見ると、扇を広げた網状の姿をしている。明るい青緑色や紫色がかった色が波に揺れる。

『あれは非常に脆く、水中から出すとすぐに形が崩れ、光も発しなくなってしまう。水中で光合成を行っている時でしか、蛍光色を発することができない』

「あんなに繊細なレース状だったら、ちょっとしたことで崩れてしまいそうだものね」

『大丈夫ですよ』

 風の精霊の言葉は伝わらないものの、シアンの言葉を拾ってT字型異類が首を振る。大きい目がくるくると位置を変え、リムが面白がる。

『たまに我らが背に乗せて移動していますから』

『育ちすぎて互いの身で崩れ落ちてしまうのですよ』

『だから、間引きして違う場所に移してやるのです』

 T字型異類が次々に言う。中々に世話好きのようだ。

『光合成をする光源が足りるようにしているんだろうね』

「そうなんだ。優しいんですね」

 風の精霊の補足にシアンがT字型異類たちに微笑む。

 T字型異類は一様に照れた様子でいえいえ、と胸鰭を振る。

 そしてやはり、別れる際には胸鰭を振る可愛い仕草で見送ってくれた。



 T字型の顔を持つ異類たちと別れて、岩に張り付く海綿やヨコエビ、タニシなどの水質を向上させる動植物の様子を見ながら、異変がないか探す。

 一口に異変と言っても、緑色の海綿が一部白くなっている以外は特に見当たらない。

 時に、島にぶつかり迂回しながら、延々と続く湖の中を進む。

 水深が深くなるにつれ、動物は流線型の形から平たく水圧に耐える形態へと変じる。魔獣に襲われることなく、また、狩りではないので積極的に戦闘をすることなく移動を優先する。

 ティオと並行して飛んだり上になったり下になったりしていたリムが、ひと声鳴き声を上げた。何か見つけたらしい。

 減速するのに合わせてティオもスピードを緩める。

「リム、どうしたの?」

『何かいるよ。変な形をしたの!』

 つい、と滑らかに旋回して地面にたゆたうそれに近づく。

 半円の漏斗に小さい細長い体が続き、そこに短い帯がいくつもついた姿をした生物だった。迫るリムから逃れようと懸命に泳ぐが、あっさり捉えられる。

 リムが細長い胴体に後ろ足を乗せて固定する。びちびちともがくが、逃れられない。

 しげしげと風変わりな生き物を眺めたリムが、おもむろに湖底の土を両前足で掬い取り、丸く大きく開いた漏斗の中へ入れる。

「リム、駄目だよ、それは漏斗じゃないから。土を入れたら苦しがるよ」

 シアンはティオの背から降りてリムに近づく。

「キュア?」

「形は似ているけどね。それに、漏斗にも土を入れたら詰まっちゃうでしょう?」

 リムは大人しく後ろ足を魔獣の背から下して解放した。

 半円状の部分をすぼめたり広げたりしながら土を吐き出す。人間でいうと、せき込むような仕草をしている。

「ごめんね」

 シアンは傍らに屈んで謝罪した。魔獣は半円を縁を浅くして大きく広げた。次の瞬間、漏斗部分をしぼませることによって、水の噴射で勢いよく飛び出した。

『逃げていったね』

 流石に食べる部分が少ないからか、あれを狩ろうとは言わないティオだった。

『面白ーい!』

「リム……狩る以外では傷つけたら駄目だよ。皆、一生懸命生きているんだから」

『うん!』

 元気な返事だが、本当に分かっているのだろうか。

 不調から回復したばかりで気持ちが高ぶっているのだろうか、それならばそうきつくは言わない方が良いのだろうか、と頭を悩ませていたシアンはふと湖底に視線をやる。

 足元に、海綿が落ちているのを見つけた。魔素が抜けている。

『シアン、どうしたの?』

『それはさっきの魔獣が土と一緒に飲み込んだ海綿だね』

 リムが首を傾げ、ティオが吟味するように眺める。

 白っぽくなっている部分に触れるとさらさらと崩れ落ちる。その下からは青々した海綿が姿を出す。

『魔素が抜けているね』

 風の精霊が言う。

「魔素を分解して水草だけ排出する機能を持っているのかもしれない」

 水草の魔素分解の目途が立ったかもしれない。リムの悪戯を叱れないが、それは別のこととして教え諭すしかない。しかし、シアンの杞憂は簡単に解消された。例えで、シアンが他の強い魔獣に食べられるどころか、自分と違って変な形をしているから、と腕や足を無理やり引っ張られたら、という話をしたら、震えあがって自分の行いを悔いたのだ。シアンの肩の上で巻き付くようにして身を寄せてくるリムに、少し脅かしすぎたかと心配する。

「英知、これは魔素をさっきの魔獣が吸い取ったということかな?」

『そうだね。壊死した部分はもはや死んでしまっているが、あの魔獣が魔素を吸収したら、後から新しい海綿が育っていくだろうね』

 果たして、風の精霊の台詞はシアンの期待通りのものだった。

『じゃあ、さっきの魔獣をいっぱい捕まえてきて吸い取ってもらおう!』

「リム、ちゃんとお願いしてやってもらおうね」

 リムが浮き浮きと言うが、ここはきちんと釘を刺しておく。

「キュア!」

『これで目途が立ちそうですな!』

『いっぱい集めなくちゃね』

 九尾も弾んだ声を上げ、ティオが今後の方針を話す。

「ティオ、もう少し頑張ってくれる?」

『もちろん』

 水中をも速く翔けるティオが短く力強く請け合ってくれた。



 湖底近くを飛ぶティオが不意に速度を落とす。

「ティオ、見つかったの?」

『ううん、違うよ。あの岩に挟まっていた異類たちだよ』

『きゅぷっ』

 ティオの言葉に九尾が再び噴き出す。

 九尾にも釘を刺しておくべきか迷ううちに、T字型異類がシアンたちに気づいて近寄ってくる。今回は先ほどよりも大きい群れだ。

『命の恩人さんじゃないですか! まだこの辺にいらしたんですね』

「命の恩人……そんな大げさな。ええ、ちょっと探し物をしていて。目途は立ったんですけれどね」

『いえいえ、本当に助かりましたから! 探しものでしたら、私たちは得意ですよ。よろしければお手伝いしましょうか?』

 胸鰭を左右に揺らす仕草が全く人間じみている。

『シアン、この種族は生物の微弱な生体電気を高精度で探知する。砂泥や岩場の陰に隠れたり擬態しても、心拍数でさえ探し当てる』

 暗に手伝ってもらうと良いと風の精霊が話す。

 流石に、人間や幻獣の言葉を聞き取り理解しても、精霊の言葉まではそうはいかないらしく、T字型の異類は遠慮なく、ぜひお役に立たさせてください、などと言っている。

 風の精霊の言う通り、群れで一斉に探査してくれれば相当な領域を巡ることができるだろう。人海戦術だ。

「わかりました。それでは、お手伝いしていただけますか?」

『はい! それでどんな生物をお探しですか?』

「こんな姿の生き物を探しているんです」

 シアンは湖底に指で漏斗のような形を描いた。

『ああ、分かります、分かります』

『じゃあ、皆、こいつらを連れてきてくれ!』

『やろう!』

『連れてきてもらうより、見つけ次第、海綿浄化の依頼をしてもらった方が良いのでは?』

 盛り上がるT字型の異類に九尾が待ったをかける。

「それはそうだけど、僕たちがちゃんとお願いした方が良いんじゃないかな?」

『どうかされましたか?』

「はい、この探している魔獣に海綿に付着した魔素を吸い取ってもらいたいんです。そうすれば、海綿は壊死した部分を離れて新たな細胞を作り出すことができるようなんです」

 そうすることによって、湖水の浄化が行われるのだと説明すると、それならば自分たちに取っても重要な事だから、と魔獣への説得をも引き受けてくれた。

「何だか済みません」

『いえいえ、本当に自分たちのためでもありますから。逆に、人間の方にそうまでして湖の浄化に尽力していただけるなんて嬉しいですよ。なあ、皆』

 群れで大きく弧を描きながら泳ぐT字型の異類たちが異口同音で是と答える。

 そして、また胸鰭を左右に振り振り、散開していく。今度はシアンたちが見送る番だ。

『シアンちゃんはそろそろ一旦異界の眠りについた方が良いのでは?』

 九尾に促され、任せっぱなしということに後ろ髪を引かれる思いで、エディスに向かうことにした。

「そういえば、英知、魔素ってどこから来ているのかわかる?」

 それは何気ない問いだっただろう。

 しかし、風の精霊はしかとシアンの問いを受け止めた。

『エディスの王城の地下からだね』

「城の地下?!」

 思いがけない言葉に驚くシアンは九尾が身じろぎしたことに注意を払わなかった。

 どんなに水草を浄化しても、元を断たなければ、と思うが、さすがに城の中へは入れない。

「手が出せないな」

 とりあえず、分かったことまでを冒険者ギルドへ報告することにする。それに、九尾の言う通り、一旦ログアウトしたい。

『王城云々は触れない方が良いでしょうねえ』

「そうだよね」

 九尾の言葉に頷く。アダレード国の二の舞、という言葉が脳裏をよぎり気を取られ、慨嘆する響きの声音に気づくことができなかった。



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