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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
73/630

26.天の宮 ~ガブガブ/可愛いドラゴン/身が!~

 外に飛び出す衝撃に身構える。

 言うなれば、勢いよくガラスを割り通り抜けるのと同じだ。硬い繊維の塊のごとく細く細かく編まれた雲の上に出る。

 途端に勁烈な陽の光に全身を晒される。連綿と続く雲海がそれを乱反射させている。

 光は生物にとってはなくてはならぬものだが、酷烈だ。

 シアンはよくこの酷烈の粋である光の精霊と親しく接することができるものだ。ドラゴンであるリムならばまだ分かるものを。

 埒もない考えを振り払い、九尾は先を急いだ。

 幻影を操る者として、いたるところに施された魔法に惑わされることなく、進む。

 惑わすのも彼の領分だ。それこそ、光の精霊や闇の精霊が行ったのならいざ知らず、この程度の目眩ましは陽炎が揺らぐほどにも姿を胡麻化せない。

 九尾がその九本の尾を震わせると、横長の三角形の屋根を十の柱で支える石造りの天帝宮が正面入り口の姿を見せる。疎柱式の通し柱は太く、それだけに、広大な建物である。柱間寸法が石造には広すぎるので木造に用いられる様式で、そこは膨大な魔力で補っている。巨大な幻獣でも柱の間をすり抜けられるように、という配慮からではあるものの、果たしてドラゴンは通れるものだろうか。

『翼のないタイプの細長い龍ならば、あるいは?』

 フェンリルは無理だろう。

 入り口に立つ列柱を見上げれば、小さな渦巻きや茎や花の彫刻がなされた壮麗な柱頭の上部に様々な幻獣のレリーフが施され、その上に帯状に幾つもの層が乗り、平らな天井となっている。


『おや、九尾ではないか。先日も来たばかりなのに、また宮に参ったか、珍しいこともあるものだ』

 雄鶏に似た姿の幻獣が目ざとく九尾を見つけて声を掛けてくる。

『口を閉じよ。ここは天帝宮の正面だ。こんな入り口で何をやっている』

 上を向いていたので自然と口が開いていたらしく、つけつけと苦情を言われる。

『この様式の建物になってから、大分経つな、と思いましてね』

 つい今しがたは雄鶏に似ていると思っていたことなどおくびにも出さない。そんなことが知られればそれこそ鶏冠から湯けむりを出して怒るだろう。からかうには面白いが、今はそんなことをしている暇はない。

『そうだな。宮もそろそろその建築様式を変化させる頃合いかもしれない』

『風の神の宮殿は頻繁に変わるそうですけどね』

 風の神の気持ち一つで気ままに変化する。

『長期的周期的でなく頻繁に建築様式を変えるなど、風の性質とはいえ、なんと節操のない』

 生真面目な性格からか、上位神であっても自由奔放な風の神とは合わないのだ。しかし、風の粋とも言うべき存在は一方で非常に頑固な一面もある。そんなことを知る者は一握りではある。

 雄鶏よりも首や体つき、脚が細長く立派な鶏冠と尾羽を持つ青っぽい姿の幻獣に九尾が尋ねる。

『ところで(らん)、麒麟はどこにいますか?』

『麒麟ならば三の宮にいるのを先ほど見かけたが、九尾が何の用なのだ?』

『ちょっとお願いしたいことがありましてね』

 言いながら、すぐさま鸞が教えてくれた三番目の宮へと急ぐ。

『麒麟への願いとはなんなのだ?』

 九尾の後を追ってくる。

 生真面目な鸞を九尾はそれほど厭うてはいなかった。からかうと反応が面白いからだ。あちこちにネタがあって実に充実している。

 三の宮には書物や薬草などが保管されている。ちょうどいい場所だ。


『あれ、きゅうちゃん、どうしたの?』

 天帝宮で九尾の愛称を呼ぶ希少な存在である麒麟は、鹿に似たティオの大きさと同じほどの巨大な獣だ。牛の尾と馬の蹄をもち、額の中央に一本の鋭い角を持つ。

『また呼び出されたの?』

 大変だねえ、とおっとり話す。三の宮は木造平屋で、軒端が反り上がった瓦屋根が特徴的だ。正面の石造りの総合出入り口とは全く異なる様式である。

 格子状の窓から差し込む光りが穏やかに室内を照らす。

 テーブルも棚も全て木造だ。

『呼び出されたのではないのです。きゅうちゃんは麒麟にお願いがあってきました』

『我にできることならば』

『聖獣でも第一位の麒麟にするお願いとは何なのだ?』

 しっかり三の宮の中までついて来た鸞が怪訝そうな顔をする。

『以前、話しましたよね、グリフォンとドラゴンと人間のことを』

『うん! すごい子たちだよねえ』

 スタンピードを食い止めた、それも人の牧場や農場を守るために少人数で立ち向かった話を、麒麟はもちろん、鸞も興味深く聞いていた。

『そのドラゴンが体中が痛むと言いまして』

『ええっ?!』

『何らかの病か、怪我でもしたのか?』

 麒麟が驚きの声を上げ、鸞が顔を顰めて問う。

『成長痛のようなのです』

『成長痛? そうは言っても生まれたばかりだろう? 早すぎやしないか?』

 そこで、九尾は怪訝そうにする鸞を見つめた。

『この先は麒麟だけに話します』

『何故だ?』

『他言されては困るからです』

『吾は口は堅いぞ!』

『あなたのためでもあるのですよ、鸞。聞いてしまっては巻き込まれると言っているのです。きゅうちゃんのように宮から目を付けられますよ』

 こういうことははっきりと言っておく。


『麒麟はいいのか?』

『麒麟は力を貸してくれます』

『その性質を知っていて巻き込むというのだな?』

 麒麟はその慈愛深さから、地上に足をつける時には決して生き物を踏みつぶさず、生きた草ではなく枯れ草を食べる。まさしく、聖獣の中で最も情け深いとされている。

『はい。そして、力を貸してくれた分だけは返してくれると思いますよ、彼らは』

『どういうこと?』

 麒麟が不思議そうに首を傾げる。

『麒麟は気にしていましたよね、フェルナン湖の一角獣のことを』

『見つかったの?!』

 おっとりした麒麟にしては常にはない勢いで問うた。思わず蹄で木の床をかき、軋ませる。

『いいえ。でも、彼らならあるいは。さあ、この先を聞くなら、あなたも巻き込まれるということで宜しいですね?』

 鸞に視線をやると、決然と頷いた。

『もちろんだとも。吾もかの一角獣のことは気にしていた。それ故に、力を貸せるのならば、喜んで貸そう』

 九尾は念のため、盗み聞きしている者がいないか周囲を確認し、空間を遮断する。

『物々しいな』

『事は精霊王に関わります』

 それも、光の精霊と闇の精霊だという。

 麒麟と鸞が揃って息を飲んで絶句する。

 四大属性の上位存在とされる二つの属性の精霊の加護を得るなど絶後である。

 そして、麒麟はその一つである闇の属性だ。聖獣で最も慈悲深いと言われる麒麟でさえも、闇の精霊の加護を持たないのだ。

 九尾は簡単に、光の精霊王と闇の精霊王の加護を得てしまったがために、早い成長によってもたらされたかと思われる体の痛みに耐えるドラゴンのことを語った。


『魔力調整がうまくいかないのでは、という意見もありました。直前までは力加減がうまくいかないということもありましたね』

『そうか。それにしても、九尾がこれほど心を砕くとは、それほど大物のドラゴンなのか? いや、精霊王二柱もの加護を得るのだからそうなのだろうな』

 鸞が自分の言葉に納得するかのごとく、二度三度頷く。

『いいえ、可愛いドラゴンですよ』

 貴方のようにからかうと面白いんです、とは心の中でつぶやくに留めておく。

『そのドラゴンが、彼を心配する人間が泣くのに驚いて、心配しなくなるように早く元気になると言うのです。その人間と一緒にいるために自分が変わってしまうのは怖くないかと聞くと、怖いのはその人間やグリフォンと一緒にいれないことだと』

 麒麟と鸞は何とも言えない気持ちになる。

 九尾は凶獣の一面をも併せ持つ聖獣として多様に活躍していたが、ある時を境に、人界に降りた。随分心配したものの、時折宮へやって来ては下界の話をしてくれることから、元気にやっていることが窺い知れる。その話の端々に、召喚獣として主を慕うことが何となく受け取れた。

 そのことを想起したのだ。九尾もまたその在り様を大きく変えたたが、その変容を受け入れて誰かと共に在るのだ。

 そして、いつからか、九尾の話に他の人間とグリフォンとドラゴンが新たに加わり、頻繁に出てきては面白おかしい出来事を語っている。彼らをとても好いていることがよく分かる。

 麒麟は心から嬉しく思っていたし、鸞は少しだけ面白くないと思いつつも、良い終着点を迎えたのではないかと思っていた。


『あと、不気味な姿に変わるのは嫌だと言っていましたね』

『ああ、可愛い子だって言っていたものねえ』

『まあ、そうなんですが、当人はそれよりも、非人型異類のような奇妙な恰好になって、彼のお気に入りの人間に嫌そうな顔をされたりその肩に乗れなくなるのが嫌らしいですよ』

『あは、中身も可愛いねえ』

『実に。九尾も見習うと良い』

 鸞が余計なことを言う。真面目な顔で言わないでほしい。繊細な九尾の心が傷つく。

『そうだなあ、聞くところ、体の方が成長しきっていないのに、急成長を促されている、というところかな』

 おっとりしていても流石は麒麟、見なくても症状の把握はできる。

『じゃあ、我の角を上げるから、それを煎じて飲ましてあげると良いよ』

 言いながら、根元から折ろうとする。

『止せ! そんなに要らないだろう。少し削るだけで十分だ!』

『鸞の言う通りだと思いますよ!』

 膨大な魔力の塊である角を折ろうというのを、慌てて止める。

『吾が煎じてやろう』

 鸞も協力してくれるという。生真面目なだけあって、諸書に通じ、症状に合った煎じ方をしてくれるだろう。

『ありがとうございます』

『また、彼らの話を聞かせてねえ』

『必ず。一角獣の話をできると思いますよ』

『うん、うん……』

 ゼナイドの一角獣は白馬に一本の角を持つ形態だ。更に、麒麟とは性質も大きく異なる。あれは乱暴者の女好きだ。でも、慈愛深い麒麟は同じ種族の者の行く末に心痛めていた。

『しっかりな、九尾』

『任せてください』

 麒麟と鸞に見送られ、聖獣でも高位の二人の力によって作られた霊薬を手に入れた九尾は急いで戻った。



 九尾が天帝宮の聖獣に煎じてもらったという薬によって、リムの体調は回復した。泣きながら礼を言ったが、我ながら涙もろすぎると思うシアンだった。

 薬を飲んだ後、しばらくしたら穏やかな息遣いになり、眠ってしまったリムをずっと眺めていたかったが、ティオと九尾に強く言われてログアウトした。確かに、現実世界のことを放り出していた。

 食事や睡眠を済ませ、現実世界のスケジュールを調整するとすぐさまログインする。

 居間へ入る前からリムの元気な声が聞こえてきて、また涙腺が弱くなってこっそり深呼吸した。

 リムが嬉し気に飛びついて来たのを抱きしめる。

 九尾がにやにやと見つめていたが気にならなかった。

 長い間ろくに食べられなかったのに急に重いものを食べては体に障るだろう、と果物や野菜を買った。

 ひとしきり好物のリンゴやトマトを食べたリムがオレンジを見て歓声を上げる。

『あっ、ガブガブだ!』

『あれはオレンジだよ。そのガブガブというのは何?』

 九尾が怪訝そうに尋ねる。

『シアンがね、オレンジの皮をギザギザに切ってくれて、ぱくぱく動かしたの。噛んじゃうぞー、ガブガブって』

 リムが得意げに説明する。

 風の精霊の為に果物を飾り切りした際、そういったことをしたな、と思い返す。

『なるほど、それでガブガブ』

 言いながら九尾がにや~っと笑う。リムはそれに気づかず、オレンジを嬉し気に齧る。満腹になったのか、シアンに顔や前足を拭いてもらうと、元気に庭を飛び回る。


『いやあ、シアンちゃんのリムへの愛は身につまされますなあ』

 身につまされるというのは他人の不幸が身に染みるという意味合いだ。

「きゅうちゃん……僕の好意って迷惑かな?」

 苦笑して首を傾げる。

『い、いえいえ、冗談ですよ。……すみません、言いすぎました』

 からかったつもりがまともに受け止められ、九尾は慌てて否定して謝罪した。

「ううん、でも、僕もたまにリムに甘いかなって思う。もっとしっかりした人がリムについていたら、ドラゴンらしい重々しい性格になったのかなって」

 そうしたらもっと早く成長したのではないか、苦しまずに済んだのではないか、という気持ちが拭えない。

『リムは一般的なドラゴンらしからぬ性質ですからな』

 シアンは以前から思っていたのだ。姿かたちが可愛いだけでなく、性質もそうなのは、実は接し方に問題があるのではないかと。

『でも、それでいいではないですか。可愛いドラゴン! この世は無数の可能性があってしかるべきです。今までなかったことが今後あり得るのですよ。考えても見てください。リムの姿で重々しい性格というのは……いや、それもアリ?! 将来そうなるかも? ともあれ、力のあるドラゴンなのです。可愛いドラゴンという世にも珍しい我が道をまい進するがいい!』

 今現在のリムを容認する言が途中で迷走しかけるのを、九尾が軌道修正する。

「いいのかなあ、可愛いドラゴン」

『いいに決まっている。ぼくの可愛い弟だもの』

 ティオがぬっとシアンと九尾の間から姿を現す。巨躯に九尾が遠く押し退けられる。

『痛い痛いっ、きゅうちゃんのしっぽを踏んでいます!』

 押し退けたついでに尾を踏まれた九尾の悲鳴に、ティオはどこ吹く風でシアンに頬を寄せる。

「ティオ」

 視線で促されて、その首筋を撫でる。

『リムが元気で楽しく過ごすのが一番。そうでしょう?』

「うん、そうだよね」

『シアーン! ティオ!』

 少し離れた所で、後ろ足を下にして中空で滞空しながら前脚を振る。

 シアンも腕を振り返す。

 元気な様子に思わず笑みがこぼれる。

『ティオ様、すみませんでした、調子に乗りましたっ。シアンちゃんにいけずを言いました! ごめんなさい、だから、しっぽを解放してください。身が身がっ!』

 がっちり身を踏まれているらしい。

『あとリムをからかいすぎ』

『可愛くて、つい』

『つい?』

 す、と鋭い静かな視線を九尾に向ける。

『すみませんでした!』

 今回の功労者はそのいつものふざけた性質で自業自得の結末となった。


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