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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
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25.不調

 ログインし、トリスのフラッシュ宅の居間へ顔を出す。

「どうしたものかなあ」

 考えるのは湖の調査に関してだ。良い案は浮かばない。


『シアン!』

 珍しく鋭い声のティオに驚く。

 庭先の地面に、リムが丸くなっている。翼がひくひくと細かく震えている。時折、突っ張るかのごとくぴんと張ったり、気弱にふるふると動く。合わせて、長い尾も力が入ってまっすぐになったり、弱々しく小さく動いたりする。

「リム?!」

 駆け寄ると、傍についているティオと九尾が口々に訴えてくる。

『さっきからずっとこの調子で、痛い痛いって言うんだ』

『今朝からちょっと具合が悪そうではありましたが、先刻より痛みの所為でうずくまったり、転げまわったりしています』

 ぜいぜいと荒い息を漏らす当人は聞いておらず、目を固く閉じ、時折息を止めて痛みをこらえている。

「リム、どこがどんなふうに痛むの?」

『中がっ、骨が痛い。ぎしぎしいうの。お腹も心臓もびくびくしている。痛いよ……』

 最後の言葉は常になく弱々しいものだった。


「英知、深遠、稀輝、雄大!」

 シアンは立ち上がって精霊たちを呼ぶ。

 呼びかけに応じてすぐに姿を現す精霊たちに、逸る心のままに訴えかける。

「リムが! リムが痛いって! 助けて!」

 金の髪を豪奢に輝かせた光の精霊が腕組みをする。

『大丈夫だ』

 返ってきたのは意外な言葉だった。泰然として自信たっぷりに言うが、小さい体で懸命に痛みを堪えているのだ。

「あんなに苦しがっているんだよ? お願い、お願いします。助けてあげて」

 リムはドラゴンだ。人間用の薬とは薬効が異なるのではないか。そうすると、自分にできることはない。すがる思いで言い募る。

『俺や深遠の加護を得ているんだ。耐えられるさ』

「でもっ!」

『せめて、少し痛みを和らげようか?』

 闇の精霊が湿った声を上げるシアンを宥めるように微笑む。

『成長するに当たって必ず起こる、一種の成長痛だよ』

 風の精霊がそう言うことで闇の精霊を押し止める。

『この痛みを耐えることができるものだけが大きくなる』

「必要な痛みって……こんなに苦しむものなの?」

 自分にも起こったことではあるものの、果たして成長痛はこんなに勁烈なものだったろうか。

『二柱もの精霊王の加護を得て、早まったんだよ。通常、苦痛に耐えられるようにまで成長してから起きるものだからね』

 風の精霊の説明に、シアンは愕然とする。そんな副作用めいたことがあるとは盲点だった。

『これは本人が耐えてしかるべきことだ』

 光の精霊が冷厳と告げる。銀の髪の方と対を成すことに納得がいく厳格さだ。

 散々、九尾にもフラッシュにも精霊の加護など滅多にない事だと言われた。なのに、精霊王二柱もの加護を生まれて間もないリムが受けたのだ。


「ごめんね、リム。僕が成長するどころか生まれたばかりのリムを連れて精霊にお礼を言いに行ったのが始まりだものね」

『違うもん! ぼくは稀輝と深遠の加護を貰って良かったもの! ぼく、ちゃんと耐えられるよ。すっごく痛いけれど、我慢できるもの!』

 リムが飛び上がって抗議する。が、また力なく地面に横たわる。だらん、と細長い体が伸びる。こんな風に地面に弛緩しきって体を伸ばすことなどついぞ見たことはない。

 涙がこぼれた。

 その姿に慌てて再び起き上がろうとするリムをティオに任せて厨房でこっそり泣いた。痛みに堪えている当人を差し置いて、泣くことを我慢することすらできない役立たずの自分が悔しかった。

 そういえば、力加減ができていないと言っていた。気楽に構えずにもっと真剣に考えるべきだったのだ。


 リムは食事をするどころではなく、何とか水を嘗めるのが精いっぱいだ。

 こういう時、頼りになるフラッシュは離れすぎていて、遠話はできない。

 トリスの図書館で書物を探したり、ディーノに尋ねたが、芳しい答えは返ってこなかった。

 精霊たちはリムの力を信じて静観の構えだが、シアンは少しでも何らかの糸口を掴みたい。精霊たちとシアンの観点が大きく異なるのは、現実世界で体の不調があれば、医者にかかり、薬を飲むことが当たり前だからだろうか。それとも、精霊たちは人と全く異なる価値観を持つからだろうか。

 シアンは意を決して、リムを九尾に任せて、ティオと共に人型の異類の村ゾエへ行くことにした。リムの同族を見たというアシルならば、世界のあちこちを旅してきたのだ。何かしら解決策をもたらしてくれるのではないか、とそれこそ藁をも掴む心持ちだった。



『シアン、リムは大丈夫だよ』

 エディスからゾエに向かう空の上、ティオが言う。

「うん、でも、僕はいつも役立たずで、せめて何かしたいんだよ。無駄かもしれないのに、付き合わせてごめんね。ティオもリムのことを心配しているのに、傍についていたかったよね」

 感情に任せてティオの気持ちを考えずに飛び出してしまったことにようやく気付く。

『それは構わないよ。シアンが一生懸命にリムのためにしていることだもの。それに、シアンは役立たずなんかじゃないよ。どちらかというとぼくの方かな』

「えっ?! ティオが?」

 思いもかけない言葉にシアンは驚く。強い上に飛行もできるこの上なく活躍するティオが役立たずであれば、この世のほとんどが無為に過ごしていることになる。

『だってね、この前の魔獣の群れに襲われた時、雄大の君の力を貰っていたんだから、もっとやりようはあったと思うんだ。ぼくは元々それなりに力があったから、それに引きずられて新しい力を使っているつもりでも、全然使いこなせていなかったんだ』

 元が強かったので、新たに得た力に頼らずとも十分に戦える。それは当然のことではないだろうか。

 ティオが言う魔獣の群れに襲われたというのはトリスで起きたスタンピードのことだ。向かって来る殆どをティオが片付けた。だからこそ、防衛に参加した少ないプレイヤーが無事に生き残ることができた。

 しかし、九尾の言う通り、ティオが上位神よりも高位の存在であるのならば、もっと簡単に一掃できた、と言われればそうかもしれないとも思う。

 ティオもまた自分の力の大きさを理解していなかったし、使いこなせてはいないと言える。魔獣の群れの下に地割れを作り、呑み込ませてしまえば仕舞いだったのだ。それは上位神ほどの力のある者しかできないことだ。だからこそ、ティオは自分がそんなことをするという発想ができなかった。実際にやろうと思えば、できる。上位神よりも広範囲での影響を与えられる。

 しかし、シアンからしてみれば、ティオは十分にすごい存在で、急いでもっと多くを欲しなくても良いと思える。 

『でも、リムは生まれて間もない頃に光の精霊と闇の精霊の力を得た。そして、それを当たり前のように使っている。そこがリムのすごいところだよね』

「そうだね。それに、加護を貰っていない英知や雄大にもそれほど物怖じしないものね」

『そうなんだよ。リムはきっとすごいドラゴンになるよ』

 だから心配はいらないと言う。

「うん、うん、そうだよね。きっと器用で格好良くて、音楽が好きなドラゴンになるね」

『リムの成長が楽しみだね』

 先の希望を告げられて、またシアンの瞳から雫が滑り落ちた。



 シアンはいつも優しく笑って、穏やかでリムやティオ、九尾、そして精霊たちのことに心を砕いてくれる。異界の眠りについている時は狩った肉をそのまま食べているけれど、シアンと料理したらびっくりするくらい色んな味になって美味しいし、面白い。

 そう、異界の眠りという長かったり短かったりする眠りをこまめに取る必要がある。その間は近寄ることすらできない。

 もっとずっと一緒にいたいのに。

 でもでも、音楽、シアンが教えてくれた音楽は楽しくて嬉しくて体が跳ねる。奥から暖かくてきらきらしたものが溢れ出てくるのに堪えきれなくて尾も脚も体中が楽しい!でいっぱいになる。

 リムが楽しく音楽をしていると、シアンが嬉しそうに笑ってくれる。ティオも笑う。一緒に太鼓を叩いて、ピアノやバイオリンを弾く。九尾も楽し気に頭や尾を振る。

 優しい指先や暖かい掌で撫でてもらうのも大好きだ。

 精霊たちもすっごい力をいっぱいいっぱい持っていて気後れする気持ちもちょっぴりあるけれど、優しくて強くて大好きだ。

 世界はきらきらしていて、楽しくて面白い。

 なのに、シアンは不安そうに泣いていた。


『シアン、泣いていた。大丈夫かなあ』

 苦しい息の下、他の人のことを気にするリムの頭を九尾が撫でる。

『あれは心配しているだけだよ。リムが元気になれば元に戻るよ』

 リムが痛がるのを、見たことのない顔をして心配した。リムの方が泣きそうだった。心配は物凄く大事なんだと思い知らされる。

『そっか、心配はすっごく大ごとなんだね。ぼく、シアンが心配しなくなるように、早く元気になる!』

 この時、切実にリムは力を欲した。シアンがあんなに不安そうにしていたのはリムに力がなかったせいだ。

 だから、光の精霊や闇の精霊の加護をもらう原因を作ったことを謝らせてしまった。加護を貰えて嬉しかったのに。弱くてその力を使いこなせない不甲斐ないリムを責めることなんて考えもしないで、シアン本人を責める言葉を言わせてしまった。

 だから、痛くても我慢できる。

 きっと、この痛みを取り込んで、逆に力にしてしまえる。

『リム、君はシアンちゃんと一緒にいるために、自分が変わってしまうのは怖くない?』

 痛みを堪えて横になりながら気合を入れる。そんな自分を見つめる赤い瞳が静かな力を湛える。

 リムはこの眼を見るのが好きだった。面白いことを思いついた時には悪戯気に輝き、たまに今みたいに深く深く、吸い込まれそうな色合いを見せる。

『ううん。だって、ぼくが怖いのはシアンやティオと一緒にいれないことだもの』

 でも、リムは九尾の深淵に呑み込まれることはなかった。怖い事なんてない。気負いなく答える。

『そうですか』

『あっ、でも、人間の村で見た異類みたいな姿に変わるのはダメかなあ』

『どうして? 確かに、不気味な姿だったね』

『だって、シアンが嫌そうな顔をしていたもの! シアンの肩に乗れなくなったら大変!』

『リムはブレないですねえ』

 九尾がきゅっきゅっきゅと笑う。リムも一緒に笑いたかったが、肺が痛むから止して置いた。


 そうこうするうち、シアンが戻ってくる。

 ゾエへ行ったものの、何も分からなかったと消沈する姿に胸が痛む。

「魔力の調整ができないせいかもしれないと言っていたけれど」

『シアンちゃん、少し休んだらどうですか? 起きてからずっと動き回りっぱなしですよ。それに少しは眠らないと』

「ううん、僕は大して疲れていないよ。でも、ゾエで何もできなくて済まないって謝られちゃって、励まされたよ。君が不安だとリムが心配するとも言われた」

 彼らの言う通りだね、と少し落ち着いたシアンが口にするが、まだ笑顔を取り戻すに至っていない。無意識だろうが、笑うことなどできないのだろう。

 その姿しばらく眺めていた九尾が、シアンとティオと交代で出かけて行った。



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