表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
71/630

24.湖の調査2-2 ~食パン咥えてからにして!~

 傷心の九尾を宥めすかして移動を再開する。

 九尾は決意にまなじりを吊り上げて、ティオの背から降りて四つ足で駆けた。そのすぐ近くをリムが飛び進む。彼らが起こす軌跡が水にくっきりと筋となって描かれていく。軽快で疾走感のある旋律が脳裏に浮かぶ。何となく、シアンも前傾姿勢になって、ティオが進むのに協力する。胸に昂揚感が湧く。

 はるか遠くに水面を頂く、水中にいるのだ。

 水の中をグリフォンに乗って駆け、傍をドラゴンが翼をはためかせ、白狐が並走する。岩場をものともせずに水流を生み出していく。

 まさしくファンタジーらしい光景だ。


 シアンの楽しい空想はほどなくして終わる。

『きゅっ?!』

 九尾が岩陰から出てきた生き物と衝突寸前となった。

『危ない! 気を付けてよね! 今、食パン咥えていないんだから!』

 リムは危なげなく水中に弧を描いて避けている。シアンはあれ、と思う間もなくティオが減速しつつ、岩場から距離を取っていたので、負荷がかからない停止をしていた。

『ご、ごめんなさい』

「僕にも声が聞こえる」

 九尾に言われるがままに謝る生物の声が聞こえ、シアンは思わずつぶやいた。

『異類ですからな』

「きゅうちゃん、異類だと言葉がわかるの?」

 以前、山や村で見た異類の言葉は分かりそうにもない。

『高知能を持つ異類で、意思疎通をしようと思い、その能力があればわかりますよ。特にこの異類は伝達能力に優れているようですね。ほら、ドラゴンの声が聞こえるといった伝承があるじゃないですか。あんな感じです』

「ティオよりも知能が高いのかな?」

 ティオの言葉はすぐには聞き取ることができなかった。

『能力によりけりです。意思疎通がすぐにできる幻獣よりもティオの方が強いケースもあるでしょう』


 話す間も、湖の異類はもじもじとその体を居心地悪そうに動かしている。

 ティオよりも長い体長をしているが、大人しい性質なのだろう。身体も長いが細いのでティオよりも大柄という印象はない。

「あ、すみません。こちらこそ、突然走ってきて。お怪我はありませんか?」

 ともあれ、敵意がなく意思疎通ができるのであれば、礼は尽くしておく。どこまで同じ価値観で接して良いものか不明だが。

『いえいえ、こちらが確認せずに出て来たので』

 頭はT字型をしており、その両端に目がついている。頭には細いイルカのような体が続く。ぴんとはった背びれと胸鰭が水中生物だと思わせる。

 珍しい姿ではあるが、左右に広がって泳ぐ筈の胸鰭の両端を突き合わせるおずおずした仕草がどこか可愛い。


『シアン、これ、狩らないの?』

「ティオ!」

 自分よりも長いが細い分、小さく見える異類に向かってティオが首を差し向ける。

 ひゃっと悲鳴を上げて、文字通り飛び上がる。水圧を無視した動きに、確かに特殊能力がありそうだと内心納得する。

『駄目だよ、ティオ。敵意がないし、意思疎通もできるんだよ』

『ふーん』

 そんなものなの、という風情のティオである。心の内では、シアンがこの異類の方が自分より優れているのかと言ったことが面白くなかったのだ。

「すみません、変なことを言ってしまって」

『い、いいえ』

 謝罪するシアンに対する様子は気の良さそうな風情で、湖のことを質問してみることにした。

「この辺を縄張りにされているんですか?」

『はい。といっても、わりと範囲は広いと思います』

 異類も一番話しやすいと思ったのか、シアンには落ち着いて対峙してくれる。

「そうですか。お尋ねしたいのですが、最近、湖の水質が悪くなっているようなんですが、何か心当たりはありませんか?」

『そうですねえ、人間が増えたせいでしょうか』

 異類も首をひねったり考え事をするときに上を向いたりするのだろうか。首を傾げるとT字がト字になるくらい、くにゃりと曲がる。顔の角度を変えると、下にあるアーチ型の口が良く見える。大きく開く口にびっしり並んだ牙があるのに、こんなに穏やかな性質をしているのは不思議な感がある。

「他にはありませんか? 水質とは関わりがなくとも、何か最近変わったこととか」

『変わったこと。そうだなあ、最近、どこからか魔素が流れてきているのを感じます。弱い者はその悪い魔素に負けちゃうんですね。岩に付着した緑のが白っぽくなっていましたよ』

「悪い魔素? すみません、魔素というのは何でしょうか?」

 考え考え丁寧に答えてくれる異類の説明に、気になる個所があって聞き返す。

『はい。魔素というのは、魔力から発生する成分の一種です。その何だかとっても憎くて恨めしくて、哀しい、という感じが籠っていたんです』

 その魔素を感知した際、身につまされる思いをしたのか、T字型異類がしょげる。


「貴方は優しいんですね」

『えっ?!』

「だって、魔素に籠った感情を受け取って読み取ることができるのだから」

 自分の説明にも一生懸命応えてくれるし、と付け加える。

『そ、そんなことは、……はは』

 恥ずかしそうに笑い、くねくねと身体を揺らす。

『きゅっきゅっきゅ、流石はシアンちゃん、意思疎通ができれば非人型異類をも転がす。もはやこれは特殊能力と言っても良いのでは?!』

「色々教えてくださって、ありがとうございます。まずは、その岩の緑色のものを探してみます」

 混ぜっ返す九尾の言葉は聞かぬふりで異類に礼を伝える。

『頑張ってくださいね。あ、緑のは小さい小さい穴がいっぱい開いているのですぐにわかると思いますよ』

 胸鰭を振りながら見送ってくれた。実に気持ちの良い異類である。仕草が人間じみているせいか、親しみを覚える。

「あんな穏やかで優しい感じの非人型異類もいるんだね」

 ティオの背に乗り、水中を高速移動しながらシアンは誰ともなしに呟いた。

 今まで見た異類が異様な姿かつ好戦的すぎた。


『穏やかな非人型異類ならば、あれもそうだよ』

 シアンの呟きを拾い上げた風の精霊が指し示す先には魚がある。ピンクがかった身を白い半透明な鱗で覆い、白い背びれと尾びれを持つ美しい姿だ。一見普通の魚にしか見えない。

「あれが? 綺麗だけれど、普通の魚だよね?」

『あれも異類の一種だ』

「異類?」

 今まで遭遇した非人型異類の気味の悪い姿が脳裏をよぎる。この魚も異能を持っているというのだろうか。

『魚は通常、自分が産んだのではない卵や稚魚を進んで育てることはしない。親が卵を産むと、それまでに孵化した稚魚が成魚になっていないのに新しい稚魚の世話をするんだ。そうして、子らは成長しても親元を離れずに親が新たに産卵すると子育てを手伝う』

 風の精霊の説明に、シアンはふとエディとシリルのことを思い出した。シリルは体の弱い弟の面倒をよく見ていた。リムを可愛がるティオに自分を重ねている様子を見せてもいた。

「そっかあ、お兄ちゃんお姉ちゃんが弟妹の面倒をみるんだね」

『外敵が多いからそうやって連綿と血脈の身を守って生きているんだね』

 しみじみと言うシアンに風の精霊が別の方を指し示す。

『あのコイに近い魚は二枚貝の中に卵を産む』

「え? 貝の中に?」

 驚くシアンに風の精霊が頷く。

『そう。非常に長い産卵管を用いて貝殻の隙間から貝の鰓に卵を産み付けるんだ。産み付けられた卵が孵化した後も、稚魚はそのまま貝の中で三週間から一か月かけて成長する。そうすることで外敵に見つからないようにしているんだ。長じた後に、貝の外に出る』

 シアンは絶句した。押し付けられた乳幼児が成人するまで居候するなどとは。

『この魚に卵を産み付けられる貝もまた繁殖のために他の魚を利用しているよ』

 自然界はかくも世知辛いのか。いや、助け合いというべきか。皆、生き残るために汲々としているのだ。



『シアン、さっきのが言っていたのは、これじゃない?』

 しばらく水中を駆けたティオが減速しつつ、大きな岩場に近寄る。

 岩に緑の苔のようなものが張り付いている。藻のようなものが屹立している。

『スポンジだ!』

 リムが近づいて鼻を動かし、シアンを振り返った。

「本当だね、小さな穴が沢山開いている。あの異類が言っていた通りだね」

 シアンも覗き込む。

『これで食器を洗う?』

『本当に使っていたみたいだよ』

 リムの言葉に風の精霊が頷いた。

「そうなんだ?」

『この生物は海綿のような体で水を取り込んで水を汚す有機物などを浄化するんだ。でも、白くなっている部分は魔素による壊死が起こっているね』

 言われてみると、ところどころ白っぽくなっている。

『この生物は少量で大量の水を浄化する。だからこれだけの水量を浄化することができたんだ』

 附着した魔素を消化しきれなくて徐々に壊死部分が広がっているという。


『シアンも魔素や魔力を感知できるよ』

「本当?」

 もらった加護を使いこなせていない自覚はある。意識を凝らして海綿を見つめる。ふと陽炎が立ち上る。透明な湯気に似たものがゆらゆらと見える。

「これが魔素?」

 少なくない感動を覚える。

『おめでとう、感知能力を実感できたね』

 風の精霊の寿ぎに礼を言いつつも、こんなにあっさりできるものなのだろうかと疑問に思う。

「僕、もしかしてやろうと思えばもっと色々なことができるのかな?」

『何を今更』

 九尾の呆れ声にそれが真実なのだと知る。

 そこに在るのに見ようと思わなければ見えない。そういうことなのだろう。

『シアンは他の誰にも感知し得ない私たち精霊王の姿を見て、その声を聞き、その存在を感じ取ることができた。それで十分だよ』

 思えば、簡単な事よりも難解なことをまずやってのけてしまったのかもしれない。今更自覚するシアンだった。

 そう、今更だ。起きてしまったことは仕方がない。それよりも湖の水質調査だ。

「湖の水はこの生物だけが浄化しているの?」

『いや、まだ他にいるよ。タニシとかエビとか』

「じゃあ、その生物の様子も確認してみようか」



 風の精霊は魔素がどこからくるのか調べられなくはなかった。彼が庇護する人間は自分に全て頼る考えはなく、そういった発想には繋がらないようだ。意識して力を巡らせば、判明する。しかし、いつものようにすぐに彼に知らせることはしなかった。

 彼は囚われの幻獣を放ってはおけないだろう。そうなれば必ず巻き込まれる。そして、心を痛める。

 本人が自分から近づくのなら、止めない。彼の考えで行動し、見聞きし、感じてほしい。そして、その彼とともに在ることで、自分も英知を深めていく。

 だから、この先どんな悲劇や惨劇が起こるか予測できようとも、自分からは告げることはない。

 ただ、彼の安全と安寧とを願うのみだ。



 水中を歩き回り、風の精霊の言うタニシやエビを探す。その姿は数が少なく弱っていた。

 ヨコエビは普通体長数ミリから一センチほどだが、フェルナン湖に棲むヨコエビの仲間には体長が十センチ近くにもなる巨大なものに成長する。

 体は左右に平たく、横から見ると半円の帯状にいくつも連なった装甲で顔から尾まで覆い、背の中央付近に大きなトゲが左右に一つずつついている。短く太い四対の脚の後ろに細長い三対のクモのような脚があり、外側へ弧を描く一対の長い触角がある。

 泳ぎが得意でない為、水底を歩き回りながら、魚の死骸などを食べる。

 他にも同じく水底の掃除屋として、他の魚の食べ残しの餌などを処理する魚がいる。

 大きな鎧状の二列の鱗板で体を覆われ、頭部はヘルメットのような頭骨で形成されている。口元には髭のように長く何本かの触手が垂れ下がっている。


 そして、巻き貝を背負ったタニシだ。

『タニシはこの歯で藻などを掻き取って食べている』

 風の精霊の説明に興味を持ったリムがタニシの体の上下をひっくり返してみると、口の中から何かを出し入れしている。

 歯のついた舌、歯舌しぜつだ。中から白い三列のものを出す時に左右に開き、引っ込むときに合わさる。合わさった状態の歯舌は三列に規則正しく並んでいる。一つ一つの歯はスプーンのように反り返っている。先端は上の方、口の奥に向かって曲がっている。歯の先には鋭いぎざぎざがついている。

『殻の内側に子供を育てる部屋がある。この丸い半透明の膜の中にわずか十分の二ミリほどの小さな子供はしっかり渦巻型の殻をつけている。次第に大きくなり、膜に収まりきらなくなると出てくる。それでも、しばらくは子供は親の体の中で育ち、大人と同じ姿で生まれてくる。生まれてきてすぐ藻やフン、死骸を食べる』

「だから、水底の掃除屋なんだね」

 シアンはそう返しながら、リムがひっくり返したタニシの体をそっと戻してやる。

 フェルナン湖は多くの動植物によって水の浄化を行っている。では、何が水の透明度を下げているのだろうか。やはり、T字型の異類が言っていた魔素流入が鍵なのだろうか。

 水中調査をするうち、水の中で食事を摂るという不思議な体験もできた。流石に火を熾すことはせずに、持参したホットドッグやサンドイッチといった作り置きの料理を食べる。

 水中でもセーフティエリアはあった。ゆらゆらと水底に魔法陣の文様が浮かんでいる。

 短いログアウトを挟み調べたものの、それ以上の情報を得ることはできなかった。

 そうこうするうちに、本格的にログアウトする時間が迫ってくる。帰路につきながら、シアンは海綿の魔力による壊死が広がるのを食い止めることを考えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ