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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
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23.湖の調査2-1 ~脂肪フラグ2/ひとの所為にしちゃダメなんだよ~

 

 シアンはトリスの様にティオとリムを寛大に受け入れてくれているエディスを気に入っていた。短時間で様々な人と出会い、懸命に生きる姿に感じるところがあった。

 だから、彼らの生活が悪いものにならないために少しくらい応援はしたい。

「英知、調査をするので湖の中に入りたいんだけれど、力を貸してくれないかな?」

『承った。空気の膜を張る。水圧の影響も防ぐから、水の中を歩いて行けばいい』

 具体的に何をどうしてほしいとは言わなかったにもかかわらず、シアンがしたいことを成すために何をどうするかを提案して叶えてくれる。水中に入って探索をするのに必要なことを漠然としか理解していないシアンにしてみれば、有難い限りである。

「そんなことできるの? 水の中だよ? 力が及ばないんじゃないの?」

『水の中にも少量だが、空気はあるよ。それに、何千年も何万年もずっと水の中にいるのではない限り、私の力は尽きない』

「なんぜん、なんまん……」

 思わぬスケールの大きさに絶句する。

『きゅっ、シアンちゃんはまだまだ精霊王の力が分かっていないようですなあ。きゅうちゃんも驚きましたが』

『光のに光源と熱源を確保してもらうと良い』

 九尾の発言を聞いてない風情で風の精霊が続ける。

「そうだね。あと、念のため、深遠に隠ぺいを頼んでおくね」

『それがいいだろうね』

 風の精霊も同意した。



 頭上を青い水面がゆらゆらと揺れる。

 水質が綺麗だと太陽光の青い光を遮ることがないのだという。さざ波が立つたびに藍色の襞ができる。

 青い天井と緩やかに傾斜する湖底が延々と続く。

 水中に入っても濡れることはなかった。

 風の精霊が言う空気の膜とはシャボン玉のような形状の空気に覆われるのだと思っていた。その空気が呼吸するにつれて、二酸化炭素が増えて息苦しくならないかな、と思っていた。

 全く違った。

 水の中でも、地上と同じようなものだった。

 体中をうっすらと空気の膜が覆う。それこそ指の股から耳などのでっぱりも覆う、まさしく空気のクリームを全身に塗ったような感じだった。

 違うのは周囲の風景と、歩く度にふう、と舞い上がる湖底の泥砂くらいだ。

 徐々に水深が深まっていっても水圧に押しつぶされることなく、また、冷たさを感じることもない。光の精霊が照らす煌々とした明かりの元、水中世界の散歩を楽しんだ。これほど明るいのだ。闇の精霊の助力をも請うて正解だった。


「水の中って動きにくい筈なんだけれど、全く抵抗を感じないな。みんなは大丈夫?」

『普通に動けるよ』

 ティオは翼と魔力と類まれな身体能力で、空陸いずれにせよ君臨するまさしく王者たる幻獣だ。しかし、水中では活動できないのではないか。

 水に入る前にシアンはそう危惧していた。それが全くの杞憂となった。

 ティオは水中でも陸や空と変わりなく動くことができた。

 風の精霊が最上位の存在であることを実感する。


『飛べるー!』

 リムがするりと中空を旋回する。翼のはためきは滑らかだ。

「リムはもともと水の中でも翼を動かしていたみたいだけれど」

 ゼナイドに入ってすぐの頃、露天風呂に入った際のことを想起する。

『でも、こんな深いところでこんなに抵抗なく動かせないもの』

「そうなんだ。それも英知のお陰かな? ありがとう、英知」

『ありがとう』

『ありがとう、英知の王!』

 シアンにティオとリムも続いて礼を言う。

『水中でも問題なさそうだね』

 風の精霊がいつもの通り、水中のシアンの視線のやや上方を漂っている。

「うん、でも、力を使いにくいとかはない? 大丈夫?」

『大丈夫』

 いかな精霊といえども、属性が異なる場所にいてはその力を奮うのに制限があるのではないかと危惧すると、何てことないといわんばかりの淡々とした答えが返ってくる。

「良かった」


『シアンちゃんは心配性ですなあ』

「きゅうちゃんは自分の足で歩かないの?」

 九尾はティオの背中に乗っている。

『だって、水の中の生き物って気持ち悪いんですよ』

 言って、九尾が指し示す方を見やると、水草がある。

 岩の隙間からふわふわと緑色に漂っている。穏やかな黄緑色から緑色をしているが、砂地に生えたそれは結構な勢力範囲を保っている。

「三メートルくらいあるね」

『ええ、それで魚も食べてしまうんですよ、ほら』

 九尾の声に目を凝らしてみると、袋状になっているところへ魚が迷い込む。と、袋の口が開いて魚を呑み込んだ。

「魚が吸い込まれた……」

『あれは「補虫のう」と呼ばれる袋状の器官だよ。細い毛にプランクトンなどの小さな生き物が触れると、袋の口が開いて捕食する。袋の中で消化液によって消化吸収されるんだ。根と茎、葉の区別がはっきりしないのが特徴だね。水上に浮遊するものと水底に地下茎を伸ばすものと別れるがどちらも食虫植物だ』

「食虫って魚を食べたよね? それに随分大きいよね」

 九尾が捕獲された食獣植物を思い出す。異世界では全てが規格が大きくなるのか。

『この湖は水深が深いですし、体が大きくなりやすいのでは? それより、シアンちゃんこそ、何故ずっと歩いているんですか?』

 水深で片付くものなのか。あっさり言う九尾の続く言葉にシアンは戸惑った。

「え? だって移動しないと」

『それならば、いつもの通り、ティオの背に乗せてもらって飛んでもらった方が早いですよ。きゅうちゃんはてっきり調査のためにゆっくり歩いているのかと思っていました。この湖は広いですから、歩いていてはものすごく時間が掛かりますよ』

 それもそうか、と九尾の助言に従い、ティオの背に跨った。

 ティオが力強く羽ばたくと、ぐんぐん進む。空で感じる風の流れの代わりに、水の流れを感じた。直接水に触れていなくとも、水流は感じられる。


「きゅうちゃんがいてくれるお陰で、僕が思い至らないことを教えてもらえるね」

『リムは生まれたばかり、ティオは人間のすることに関心はなかったから、習慣には疎いでしょうからね』

 では九尾はどうなのか。聖獣でもあり凶獣でもあるという。

 シアンの疑問を顔を見ずとも察知した風に答える。

『きゅうちゃんは人の世の王を祝福し、あるいは断罪するもの。ならばこそ、人の営みに詳しくなくてはいけませんからね』

「聖獣はみんなそうなの? 鳳凰とか麒麟とかみたいな感じ?」

『いわゆる瑞獣と言われる聖獣ですね。ええ、いますよ』

「いるんだ! 鳳凰や麒麟」

 自分で言っておきながら実在することにシアンは驚く。

 九尾のような性質なのか。天帝宮とはかくもすごい場所なのか。

『何を今さら。グリフォンやドラゴンが身近にいるというのに』

 九尾の言う通りかもしれないが、もはやティオもリムも種族に関係なく親しく付き合う存在だ。


 ティオの翼のお陰で青い水面は頭上に遠くなり、大きな岩が増える。暗い湖底の世界が姿を現してきた。

 流線型の姿をした湖の生き物が、光の精霊の煌々とした灯りに、遠目にも驚いてぴゃっと細長い身体をくねらせて逃げていく。素早い動作、迅速な判断力はやはり敵や見慣れないものを見たら逃げるが一番、といった野生の鉄則なのだろう。

 一際大きな岩の陰からぬるりと太く長いものが出てきた。

 泥の色、黒に近い褐色で蛇にも似た姿で、体は円形よりも縦長、顔は平べったい。ティオの体長とシアンの身長の中間位の長さがある。

『顔部分に内臓が集中していて、その後ろ、長い部分は全て発電器だね。ほら、光るよ』

『きゅっ! 八百ボルトの電圧攻撃キター!』

 風の精霊の警告に九尾が騒ぐ。

『リム、下がって。びりびりするよ』

『びりびり?』

 ティオの言葉に逆に興味をそそられたように長い体を伸ばし、鼻を動かす。

『筋肉が変化してできた数千個の発電板を使って発電するんだ。多くの発電板が集まることによって、大きな電圧を生み出す』

 ティオの言葉を風の精霊が緻密に補足する。

「ティオ、発電するって良く知っているね」

 風の精霊や九尾が物知りなのはいざ知らず、ティオが水中生物の生態に詳しいとは思いもよらなかった。

『知らなかったけど、何となく危ないな、と思ったの。あと、光ったのがそうじゃないかな、と』

 流石の危険察知能力である。

『にょろにょろは自分にびりびりしないの?』

 あの細長い生き物は自分で感電しないのか、と言いたかったらしい。

『発電板のまわりの細胞が電気を通しにくいので感電しないという説があるね。君たちも感電しないよ』

「どうして?」

『光のがさせない』


 話している間にも、強い発光に驚かない敵に痺れを切らし、その長い体をくねらせて素早く泳ぎ寄ってくる。なかなかに好戦的だ。その強い電圧で湖底では敵なしなのだろう。しかし、ティオ程の危険察知能力はなかった様子だ。

 まずは最大の敵、とばかりにティオの足元を掻い潜ろうとするのを、ティオが前脚をふるった。その際、翼を高く持ち上げ、シアンの体を支えて固定する。シアンの前にいた九尾はティオの背中から転がり落ちる。細長い魔獣はティオの一蹴りで吹っ飛んでいった。

「きゅうちゃん! 大丈夫?」

『大丈夫です。ちょっぴり足を打っただけです』

『そのくらい着地できないなんて、減量した方が良いと思う』

 ティオがつんとそっぽを向く。

『きゅっ!』

 先日も街の女性に太めだと言われた九尾が胸を押さえてうずくまる。

『たしかに、狐にしては身のこなしが悪いね』

 風の精霊がティオの言葉を補強する。

「でも、きゅうちゃんは狐にしては二足歩行ができるし、色々ポーズを取っているし」

『きゅっ……最近、ふぉーえばーポーズのキレが悪いと思っていたんです』

 太った、いやでも、とぶつぶつ呟く。湖底で座り込みながら、砂地に「の」の字を書き始めそうな風情である。

 フォローするつもりが止めを刺してしまったシアンはあたふたする。

『これもシアンちゃんの料理が美味しいからです。ティオやリムが狩ってくる肉が上質だからです。だから、きゅうちゃん、ここのところ、食べすぎちゃうんです』

『きゅうちゃん、ひとの所為にしちゃ、ダメなんだよ』

 いや、止めはリムが刺した。


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