20.魔族の商人
その後、翌日、翌々日と湖面を見回ったが、何も見つけることはできなかった。
九尾に促され、念のため、その旨を冒険者ギルドに報告する。途中経過報告も重要なもので、その上で調査を続けるかどうか、もっと別な調査に切り替えるかを確認した方が良いと言われた。
人間社会にも詳しい九尾は時折リムに変なことを教えて困らされることもあるが、アドバイスを受けることも多い。
「水中の調査をできればいいのですが、流石にこの時期の水温では命の危険があります」
できればもう少し調査をお願いしたいと言われた。
ここが汚染されると大勢の街の人たちが困る、と水中に入れないかと試案する。ティオたちを狩りに送り出し、図書館で調べたりもしたが、特に目ぼしいことは判明しない。
「最近、ずっと湖の上ばかり飛んでいたから、今日はのんびりしようか? 街で何か買って食べるのでも良いね」
シリルとエディ兄弟の様子も見ておきたい。
国都であるエディスはあちこちから商人が集まり、市が立つ他、様々な工房や店がある。毛織物工業、金属加工業、建築業など、作業工程によって細分化した専門職たちの工房が並ぶ。
羊皮紙の工房、服地の店、細工師の工房、指物師の工房、実に様々だ。客を呼び込むためと明り取りのために、窓も扉も大きく開かれ、勢い、賑やかな音が通りに響き渡る。
「あれ? ディーノさん?」
通りを行き交う人の中に見知った顔を見つけて思わず声を上げる。
「こんにちは。今日は買い物ですか?」
まさかトリスでよろず屋を営んでいる筈のディーノに、他国の国都で会うとは思いもしなかった。
「エディスでもご活躍のようですね。噂は聞き及んでいますよ」
にっこり笑って言われる。
「噂? どうしてディーノさんがここに?」
「冒険者不足のこの時期に現れて一気呵成に魔獣討伐を片付けられたと、街の者たちが喜んでいました。俺は、いえ、私はこの街に知り合いの店があって、そちらに用事を済ませに来たんです」
転移陣登録をしているので行き来は容易だと話す。
多額の金銭と魔力を必要とされるが、危険もなく短時間で訪ねられるのは得難いことだ。ただし、彼のような商人は商品を持ち運びする際にはその分の金銭と魔力も必要とされるので、旅をする遠隔地商人の方が多い。
「あの、そんなに丁寧に話されなくてもいいんですよ?」
「いえいえ、そんなわけにはいきませんので。それより、どうです、お時間があるようでしたら、一緒に知り合いの店に行ってみませんか? そこはトリスの私の店なんかよりもずっと大きくて品揃えが良いですよ。今後エディスで活動されるのなら、顔なじみの店があると何かと便利です」
確かに、ディーノの言う意通り、ただでさえ一見客はぼったくられやすい。冒険者の様にあちこちをふらふらしている者はその地に根差して生活する者より騙しやすいのだろう。
「ティオ、リム、きゅうちゃん、ちょっと寄り道してもいいかな?」
「ピィ!」
「キュア!」
「きゅ!」
即座に是の答えが返ってくる。
「では、お言葉に甘えて連れて行っていただけますか」
幻獣たちの了承を得て、ディーノに向き直る。
「ご案内します。なに、すぐ近くです」
連れ立って歩きながら、ディーノは以前シアンが発注したスリングショットの材料が揃ったと告げる。
「もしよろしければ、職人に作らせましょうか? そういったことを得意とする者に心当たりがあります。シアンがご自身で作りたいのなら、材料だけお渡ししますよ」
「いいんですか? 僕としては作ってもらえればありがたいですが」
「もちろん。それでは手配しておきますね」
「よろしくお願いします」
エディスは湖から取り込んだ二本の川が流れ込んでいる。この流れがそれぞれ街を出て川に合流する。その為、街中から船で物資を運ぶこともできる。
透明度の高い水はろ過され飲料水や生活水となっている他、流通にも貢献している。
この湖が汚染されれば、エディスの街が立ち行かなくなる。
ディーノと川沿いを歩きながら、調査に進展がないことがのしかかってくる気がした。
「何か気がかりでも?」
口が重くなったせいか表情に出ていたか、ディーノが問うてくる。
「いえ、冒険者ギルドで受けた依頼のことを考えていただけですよ」
「お困りのことがあればお気軽に言ってくださいね。私でもいいですし、ここの店主にでも構いませんから」
足を止めたディーノが握った拳ひねるようにして、親指で大きな建物を指す。
「立派な店ですね」
「そうでしょう。こっちはトリスのような異類規制がなかったものだから、長いこと商いをしているんですよ。ここも俺と同じ魔族の店でね」
アダレードは長らく異類の入国を禁じていて、最近になってようやくそれが解禁された。その為、異類に分類される魔族も姿が少ない。商人であるディーノは商機を逃さず新しい販路を目指して早々とアダレードに入り、商業都市トリスで店を構えたのだそうだ。
「ディーノか? 今しがた出ていったばかりなのに、また戻ってきたのか?」
声を聞きつけて、大きく開いた扉から十代後半の青年が現れる。
黒い縮れ髪を後ろで纏め、小さな尾を作っている。斜めに流した前髪から覗く太めの眉や大きい目、通った鼻筋に太めの唇、なかなかの男ぶりだ。身長もディーノとそう変わらなく、シアンよりも高い。ウェーブ加減はディーノよりも強いが、肌は同じくらいの色合いの褐色だ。
「店主の息子のルドルフォです。おやっさんを呼んでくれ」
前者はシアンに、後者は青年に向けて言う。
ディーノの言葉が聞こえていないかのごとく、ルドルフォはティオの姿をまじまじと見つめた後、シアンの肩に乗ったリムを凝視する。ディーノに促されてあたふたと店内に戻っていく。
「すみません。あいつ、私よりよほどしっかりした奴なんですけどね。親父さんを手伝って店を切り盛りしているんです」
言いながら、勝手知ったる風でシアンたちを店の中へと招き入れる。
「ああ、中は広いから、グリフォンも構いませんよ」
「いえ、でも、商品を棚から落としたりしたら大変ですから」
「馬鹿か、ディーノ、店先になんか留めておくんじゃねえ、奥にお通ししろ」
シアンが遠慮していると、転がるようにして大柄な男が出てくる。身長はディーノたちと同じくらいであるものの、体の厚みが違う。黒い縮れ髪や太い眉、大きい目に厚い唇はルドルフォによく似ている。
「これが店主のジャンです」
「初めまして、冒険者のシアンです。この仔がリム、グリフォンがティオで白い狐が九尾です」
流れで幻獣三頭を紹介したが、そういえばディーノには九尾の名を告げていなかったな、と今更ながらに思う。
九尾はきゅうちゃんと名乗っているが、子供たちに紹介するならともかく、大の大人に紹介するにはハードルが高い。
ジャンは後を追ってきた息子ともどもその場に跪いた。
「あー、こちらの方はそういうのは苦手とされているから。それに、あんたがさっき言った通り、ここ、店先だからね?」
顧客の性質を掴み記憶するのは商人のお手のもので、しっかりシアンの性格を把握しているディーノが二人を止める。そのディーノですら丁寧な言葉遣いをするのは、もはや諦めるしかないのかもしれない。
「ささ、むさくるしいところではありますが、ぜひ入ってください。ルドルフォ、お茶をお持ちしろ」
「分かった」
親子は素早く立ち上がり、息子の方は身を翻して姿を消す。
「グリフォン様には手狭かもしれませんが、どうぞご一緒に中へ」
店主にも勧められて、ティオを伴って扉を潜る。
広々とした空間で、天井も高い。入って右手と正面にカウンターがあり、左手に設置された応接スペースに誘導される。
勧められるままに椅子に腰を下ろす。その傍らにティオがうずくまる。九尾はシアンの隣の椅子の上に、前脚を揃えて立てて、尻を下ろす。
「きゅうちゃん、椅子の上は……」
九尾は常日頃から人間と同じく行動する。二足歩行する狐なのでシアンも違和感なくそうしていたが、初対面の人間の所有する家具でそれを許容していいのかどうか迷う。ペットの犬が家の椅子に座るのとは違うのだ。
「いいえ、構いませんよ。どうぞ、楽になさってください」
向かいにディーノと隣り合わせて座るジャンが心配る。
「きゅ!」
これはご丁寧に、と九尾がひと声鳴く。
「ありがとうございます。立派なお店ですね」
カウンター奥には壁一面に棚が設えられている。店内中央には円状の台があり、ぐるりから眺められるように商品が展示されている。円は段差をつけて幾つも重ねられていて、商品で円錐を描いている。
床は綺麗に掃き清められ、大きく取られた窓から光が差し込み、商品を見やすくしている。
ルドルフォが盆に乗せた茶菓を運んでくる。幻獣三頭の分もあり、ティオの茶はボウルサイズだ。至れり尽くせりである。
「全員お茶で良かったでしょうか?」
不安げにルドルフォがシアンを見る。
「はい。みんな、人間の食べ物を口にします。ありがとうございます」
シアンの言葉にほっと胸をなでおろす姿に唇を綻ばせる。
「あの、こんなに歓待していただくのは恐縮です」
そっと言うと、ジャンが分厚い手を振る。
「何をおっしゃいますやら。我々魔族が花帯の君を粗略に扱うなど!」
『シアンちゃん、魔族からしてみれば、闇の精霊の関係者と接するのは嬉しいものなのですよ。下にも置かないのも当然のこと』
気にする必要はないと九尾が言うが、シアンとしては据わりが悪い。
「おやっさん、こういう慎み深い方なんで。それより、今日はシアンが今後エディスで冒険者として活動するそうだから、店の紹介にお連れしたんだ。エディスにも馴染みの店があるといいだろうと思ってさ」
「お噂は耳にしておりますよ。お陰様でうちの仕入れも品揃えが良くなっております。こちらから接触するのは禁止されておりましてね。ディーノ、お前にしちゃあ、上出来だ! しかし、名前を呼び捨てにするのはいただけねえな。ちゃんと花帯の君とお呼びしろ!」
ディーノが出した助け舟をジャンがぐらぐら揺さぶる。
「いえ、僕がそう呼んでほしいと言ったんです。できれば皆さんもその呼び名はできれば避けていただければ」
「ほら、こういう方なんだって!」
自分で出した助け舟を逆に支えられたディーノが弁明する。
「そうですか? お嫌だってんならしょうがない」
「おやじ、いいじゃないか。花帯の君は俺らの符丁みたいなものでさ。象徴たる呼び名ってことで」
盆を持ったまま、ジャンの傍らに控えるルドルフォが告げる。
仲間内の秘密の呼び名、というのはいくつになっても男心をくすぐるのか、息子の言葉にジャンは満足気に頷いた。
それにしても、魔族の闇の精霊への敬意が恐ろしい。
初対面の時は軽い口調で、どうかするとシアンをからかうくらいだったディーノが丁寧な言葉遣いになったほどだ。
こっそりため息をつくと、リムが顔を覗き込んでくる。
『シアン、どうしたの?』
「うん、魔族はみんな深遠が好きなんだなあって思って」
『深遠、優しいものね!』
嬉し気に鳴くリムに、魔族三人の視線が釘付けになる。
「素晴らしい毛並みの幻獣様ですな!」
「お可愛らしい」
親子がリムを褒める。ティオがいるのにそっちのけでリムが称賛されることも珍しい。
「あの、リムのことまでご存知ですか?」
「はい、闇の君が心を分けた尊き幻獣様だと」
『さすがは魔族! ブレないですね』
九尾の合いの手に、これはもうこういうものだと思うしかないと腹を括る。
「そうだ、ディーノさん、ブラシ、良い品を売ってくださってありがとうございます。リムもティオも気に入っています」
「お気に召されて良かったです」
ディーノが嬉し気に答える。
「リム様の体にかけるブラシ、ですか?」
ジャンがあからさまに羨ましそうな顔をする。
「そうだよ。こういうこともあろうかと、あの方に預けられていたんだ」
「何だと?! じゃあ、品は確かだな」
「ああ。おやっさんもちゃんと話を通して置けよ」
「自分で目利きをした品を勧めたいところだけどなあ」
「あの方のお眼鏡に適えば大丈夫じゃないか?」
「うちは微妙にあの方の勢力圏から外れそうなんだがなあ」
何だか大ごとになっていそうで、聞いてはいけない気がして、シアンは黙って供された茶を飲んだ。ティオやリムは自分たちで狩ったものかシアンから渡されたものしか口にしない。例外はカラムの農場くらいで、それも何度かシアンと共に赴き、慣れたからだ。ワイバーンの肉を分け合って食べたことも大きい。
シアンが美味しいから飲んでみて、と勧めてようやく二頭は口をつける。
『これは上位存在が関わっていそうですな!』
考えないようにしていたのに、九尾が止めを刺してくる。
「すみません、魔族にとっては闇の君を第一に思うものなのです」
二人で話し込んでいたディーノがシアンにこればかりは譲れない、と頭を下げる。
「それはとても伝わってきます」
闇の精霊のことを好きでいることに共感を抱くが、魔族が向ける感情と自分とのそれとは乖離している。風の精霊が以前、特殊な宗教観を持っていると言っていたことと関連するような気がして聞けなかった。シアンはまだこの世界に疎い。不用意に触れてはいけないことは沢山ある。
「このお茶を二人も気に入ったので、もしよければ譲っていただけますか?」
「もちろんですとも。ディーノが言う通り、ぜひ、エディスにおいでの際にはこの店をご利用ください。ご入用のものが店頭になくても、すぐに手に入れますので」
「おやっさんは顔が広いから、自分で探すよりも簡単で素早く見つかりますよ」
品揃えは良さそうだ。
「そういえば、よろず屋というのはあまり見かけませんね」
「そうですな。大体、何がしらかに特化した専門のものを取り扱うことになりますからな」
ジャンが頷く。
「小売りもやっている商店みたいなものですね。だからこそ、こんなに大きな店構えなんですよ。俺のトリスの店みたいな小さいのがよろず屋をやっているのが珍しいんです」
食料品もあるというディーノに勧められて、乳製品や食肉加工食品を買い込み、魔族三人に丁重に見送られながら店を後にする。
「ここはトリスよりも魔族が多い。その分、貴光教も過激です。また、この国は異類の出入りを禁じてはいませんが、彼らに犠牲を強いることも少なくないのです。くれぐれも、お気を付けを」
ゼナイド独自の注意をしてくれる。
自分たちの諍いに巻き込まれてくれるなというジャンの言葉が印象的だった。




