19.湖の調査1 ~ぼくはマフラーになる!~
冬の雪解け、新芽の芽吹きに伴い、城内もゆっくりと目を覚ます。
フェルナン湖の畔に立つ城を挟むようにして国都エディスは広がっている。
城は湖に沿って鳥が翼を広げ、帳壁が這う。城壁の円塔が区画を区切る。両端には城門塔とはね橋があり、この堀の水は湖の水を引いており、エディスの街へと流れている。
円柱の頂上はおうとつのある武骨な狭間胸壁だ。ゼナイド国王室にふさわしく尖塔にした方がよほど優美で威容が保たれるというものだが、財政を前面に出されて改装はついぞなされていない。
その代わり、王侯貴族が住まう中央の建造物にはいくつもの尖塔を有している。白亜の城にふさわしく歴代の王のうち、覇気ある者が一基ずつ増設させた。
ただ、始まりの塔は王族にあるまじき飾り気のなさだ。この塔は名称のわりには中興の祖が建てたといわれている。狭間胸壁の中央に一基建つ塔だ。構造が変わっている上、王族直系の限られた者のみが訪れることができる。
その始まりの塔ができてから随分経つ。そして、国も変遷を遂げてきた。増築した絢爛豪華な塔の中で謁見を始め政治的なことと衣食住の生活を行う。
「吟遊詩人が城を出て行ったそうですな、ギデオン殿下」
廊下を歩いていると、前方からやって来たバルニエール伯爵が冬の間の美食で更に肥えた腹を苦しそうに曲げて礼をする。しばし、その場で世間話に興じる。みな、退屈して噂話をするのが好きなのだ。
「ああ、もうそんな時期か。そろそろタカ狩りや舞踏会、湖遊びなどの準備をさせるのも良いかもしれないな」
雪に閉ざされた間はカードゲームやボードゲーム、ダイスをする他、吟遊詩人の楽曲か放浪する彼らが見聞きした話くらいしか楽しみはなかった。彼らもまた、旅をするには過酷な季節なので城への滞在はありがたいことだろうが、所詮、一所に留まることができない者たちだ。
「ベフロワ子爵が新しい船を造るのだとはりきっていると耳にしましたぞ。金に飽かせたさぞかし立派なものになるんでしょうなあ」
バルニエール伯爵が敵視している金満家の子爵だ。気になるのか、頻繁に情報を入手しては嫌味を言っている。誰が誰と親しいか、その力関係は、などといったことは宮廷を生き抜く為には必要不可欠な情報だ。
「そうか」
こういう時は興味を示してはならない。一緒に嫌味を言っていたという言質を取られては足元を掬われかねないからだ。宮廷の処世術である。
「闘鶏や戦熊ももうじきですな」
必ず血の雨が降る残酷な催しで、福々しい人当たりの良い男に見えるこのバルニエール伯爵は殊の外これらを好んだ。
「伯爵は昨年ひと財産作ったそうだな」
「いえいえ、そのようなことは」
満面の笑みで否定されても説得力はない。視界の隅、柱の陰にちらりと見えたものに、話を切り上げる。
「今年はお手柔らかに頼むよ。負けが越して領地に重税を課す方々を極力減らしてほしいものだな」
「はっはっは、殿下はお優しい」
互いに軽く一礼してすれ違う。
数歩歩いてから、窓の外を眺めているような風を装ってしばらく足を止める。
「何かあったか」
呟くと、柱の陰から答えが返って来る。
「はい、春先の魔獣討伐が異例の速さで行われている、と」
「ふむ、もう北上してきた冒険者がおるのか」
春先の討伐を冒険者任せにしているのは、彼らの仕事を奪わないよう、という配慮だ。今までそれで何とかなってきたので大丈夫だろう。
そんなことより、先ほどバルニエール伯爵と話していたせいか、湖畔の別荘地のことが気に掛かる。昨年手に入れたばかりの建物で、異なる角度の違うフェルナン湖の景色を楽しみたいものだ。
「それが、市井の者たちがグリフォンを連れた冒険者のことを噂しておりまして」
「ほう、グリフォンか。まさしく幻とも言われる希少な幻獣よな」
「はい、その幻獣の活躍で粗方の魔獣討伐が片付いた様子」
「それほど強いのか?」
やや不安を覚えた。
ゼナイド国の貴族たちは雅な楽しみを好む。湖遊びや夜会などだ。地位にふさわしく美食にも興じる。その穏やかな風潮のせいか、兵士たちも弛緩しきっている。嘆かわしいことだ。魔力あふれる国なのだから、それも仕方のないことだ。自分たちはそんなにあくせく頑張らなくても人生を楽しむだけでいい。
今までも、そう大きな被害は出なく、問題なくやってこれた。
中指の腹で額の端、眉の上辺りをかく。別段、痒いわけではないが、最近できた癖だ。
「そのグリフォンと冒険者をよくよく監視せよ」
「はっ」
しかし、いつの世も陰りが訪れるもの。無尽蔵だと思っていた力の源が尽きようとしていた。王族として、次代を担う者として、人知れず、頭を悩ませていた。自分がやるしかないのだ。この穏やかで美しい案穏とした生活を守るために。
窓の向こうに武骨な塔が見える。
中興の祖が建てたにもかかわらず、「始まり」の塔と称される。そこにはゼナイドが富める国になった秘密が隠されている。強国ゼナイド。北方に位置し、広大な湖が凍るほどに過酷な環境にあって豊かなのである。
これから先も強い国であらねばならぬのだ。
「湖の調査?」
「はい、ここ近年、湖の透明度が下がってきているのです。今年の氷もじきに全て溶け、これから透明度が最も高くなっていくのです。氷が割れ始める姿は幻想的で何か怖いくらいです」
どこか夢見る表情で話す冒険者ギルドの受付は、機会があれば、来年に見てほしい、と続けた。きっと、その後の魔獣増加による討伐込みでのことだろう。
『湖の表面を覆う氷は急激な温度変化による膨張熱で亀裂が生じるんだ』
風の精霊が付け加える。
「湖の透明度が下がることは致命的です。生態系にも影響が出ますし、観光としても打撃を受けます。何より、ゼナイドのシンボルとも言える場所です。シアンさんならば、きっと他の人にはない視点で何らかの原因を見つけてくれるのでは、とエディスの冒険者ギルドでは期待しています」
一方的に期待を寄せられる途方もない話にシアンは困惑する。
『氷が融けたことで直射日光で温められた水は四℃の水温になると最も密度が高く重くなる。その重みで湖面の水が下に潜り、一緒に植物プランクトンも沈んでいく。下層部の透明な水がそれらに押し上げられる』
では、氷が解けたばかりの今が調査のチャンスということか。
「ええと、調べてみるだけならやってみます。グリフォンに乗って上空から確認してみるくらいで、目ぼしい情報は得られないかもしれませんが」
「ええ、もちろん、それで十分です。湖にはケルピーが棲むという伝説があります」
注意してくださいね、という受付に、シアンが首を傾げる。
「フェルナン湖の伝説は一角獣ではないのですか?」
「大昔の伝説ではそうみたいですね」
受付嬢がころころと笑う。
何でも、ここのところ言い伝えとして浸透しているのはケルピーという幻獣の逸話だという。
噂する人によって黒色だったり灰色だったりするが、ともかく暗い色合いの美しい毛並みの馬で水辺に佇んでいるのだそうだ。うっかりその背に乗ってしまうと、そのままフェルナン湖めがけて走り、水の中に潜ってしまうのだとか。溺れて弱ったところを食べられてしまうが、うまく操ることができれば、最高級馬にも劣らぬ働きをするという。
何代か前の国王がこのケルピーに塔を造らせることに成功したものの、その呪いを受け、以来、湖の透明度が下がったのだと言われていると締めくくった。
「伝承が正しいかどうか、ぜひ見極めて来てくださいね」
楽しみにしています、と仕事を請け負わせるのがなかなか上手い受付に見送られて冒険者ギルドを出る。
シアンは思い至らなかったが、湖はエディスだけでなく周辺の生態系に影響を及ぼす重要なものだ。政治に関わらない冒険者ギルドも自腹を切ってまで行おうという重要な案件である。それほど、ギルドでも事態を重く捉えているということもあるが、本来、国が行うべきだ。国家事業を一介の冒険者に請け負わせる体たらくだ。
「あまり時間はなさそうだね」
『そうだね。氷が解けきるまでの間には水の循環は終了し、湖の水は透明度を取り戻す』
風の精霊の言葉に促されて、シアンはティオの背に乗って湖上を飛行する。
延々と湖水が続く中、時折島が姿を現す。
『広いねえ。水が陽の光を映しているよ』
リムの言う通り、日の光が湖面に帯を作っている。
「綺麗だね。そうだ、前に英知が日の出の時には、水面に太陽の黄金色の道筋ができるって言っていたね」
『見てみたいねえ』
「じゃあ、一度早起きしてみようか」
『うん!』
リムが楽しそうに歌を歌いだす。それに時折合いの手を入れたり、音階を上下させて和音を作ったりする。
しっかり湖を目視し続けたが、特に変わった様子は見られない。
「うーん、人為的なものも何かの自然現象的なものも特に見当たらないね」
『これだけ広いと一概に何とも言えないところがまた』
九尾は既に大きすぎる湖に辟易といった態だ。
『シアンちゃん、寒くありませんか?』
「うん、英知たちが温度を保ってくれているせいか、ちょっと涼しい程度だよ」
『ありがたいものですなあ。今時分の湖面を吹き上げる風など、小一時間も浴びていると風邪を引いてしまいそうなものなのに。寒くなったら、きゅうちゃんを抱えてみますか? 生温石ですぞ!』
生ってなんだ。生き物ではなく、ナマモノ、か。せめて生物にしてほしい。
「はは、ありがとう」
「キュア!」
ティオと並走して上になったり下になったり、ぐるりとティオの周りを一周したり、獅子の尾を両前脚で掴んで飛んだりと、様々に楽しんでいたリムが会話を聞きつけて飛んでくる。
『ぼくがシアンの襟巻になる!』
どうやったら高速で移動するティオについて飛びながら、後ろ脚立ちして胸を張れるのか。一応翼は羽ばたいているが、やはり魔力を使用しているのだろう。とても器用で可愛いが、驚きの光景だ。
への字口を急角度にして決意新たな表情だが、言っている内容に脱力する。
『おお、まさしく天然物の襟巻! しかも最高級!』
「きゅうちゃん……リムはオコジョじゃないよ。ドラゴンだよ」
最高級品の毛皮の幾つかはイタチ科だ。オコジョと同じく。
『世にもまれなドラゴン襟巻! 怒らせると首が絞まっちゃう?! 機嫌が良いと歌を歌ってくれます! 頭を撫でるとキュアと鳴くかも! いらんかね、いらんかね、可愛いドラゴン襟巻!』
押してはいけないスイッチを押してしまったようだ。九尾が嬉々として喋りまくるのを他所に、リムに尋ねる。
「リム、襟巻って誰に聞いたの?」
『きゅうちゃんが狐は高級襟巻だって! ぼくも襟巻! する!』
襟巻はするものではない、巻くものだ。自ら襟巻になりたいとは。リムに取っては肩縄張りを陣取っているのと変わりはないだろう。
「襟巻になってくれなくても、肩に乗ってくれているだけで、十分暖かいよ」
『シアンの肩はぼくのだものね!』
目を輝かせながらへの字口を緩める。
「じゃあ、飛ぶのに疲れたら、僕の肩に乗って休んでね」
『分かった!』
機嫌よく元気な応えが返ってきた。




