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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
65/630

18.黒ローブの犯行

 

 それは狩りの帰りに見つけた。

 春先の農家は忙しい。家畜を森につれていき、たっぷり木の実や草を食べさせ、畑を耕す。鉄器は高価なので、共同で用い、協力して農地を耕す。湖のお陰で周辺の大地は肥沃で、農業が盛んに行われている。

 大地の精霊によって通年野菜が取れると言っても、それは精霊に愛された恵み豊かな場所に限られる。この地方では雪に覆われるので、冬の間は農作物を作らない。

 これからが本番だ。

 そんな風にして忙しくする農家が集まる村に、森からするすると抜け出た二人が近づく。頭からすっぽりと黒いローブをかぶる異様な風体だ。ご丁寧に手袋まで黒い。うまく死角を選んで移動しており、村人には気づかれないが、上空からはよく見えた。

「何だろう、あれ」

 ティオもリムももしかしたら九尾も、シアンよりもよほど早い段階で気づいていたかもしれない。シアンが声を上げると、興味なさそうな声が返って来る。

 一人は外に立ち、周囲を警戒し、一人は中へ入っていく。足元まである長い裾を物ともしない素早い身のこなしで石垣を乗り越え村の中に入り込み、迷いのない足取りで小屋に近づく。

 相当怪しいので、声を掛けるべきかと思った矢先、すぐに黒ローブが出てきた。そのまま何事もなかったかのごとくに、来た道をたどって村を出ていく。

『シアン、もう行こう』

「うん、でも、一応、村の人には今見た出来事を話しておいた方がいいんじゃないかな?」

『でもあれは家畜小屋だよ。別に牛も羊も盗られていない』

 確かに羊を担いでいたらすぐにわかるが、そもそも、牛を持ち上げられるのはシアンの知る限り、ティオとリムくらいしかいない。

 煙が消えたかのように黒ローブの二人組は森の中へ姿を消した。


 と、急に下で騒ぎが起こる。先ほど黒ローブが出て行った小屋から牛や羊が激しく鳴き、駆け回り、小屋に身体をぶつける音がする。もうもうと藁が舞っているのが、時折明り取りの窓から出てくることからも分かる。

 小屋といっても中で犬が走り回れる広さがある。家よりも大きい場合もある。

「やっぱり、何かしたのかな?」

 介入すべきかどうか悩む。シアン自身に力がないこと、どんな危険があるか不明であること、何かの犯罪に巻き込まれる可能性があること、などを鑑みて躊躇する。

 これが分かりやすく刃物を持った強盗に無手の人が目前で行われていたら、ティオやリムに頼んで止めてもらう。しかし、一見で異様な風体の者たちが何の目的で何をしたのか分からないのに、ただ助けろとティオとリムに言うのは憚られる。

 シアンは正義の味方ではないし、そういった類には興味はない。

 第一、何が正しいか判じることは難しく、困っている人間をすべからく助けようとは思わない。ましてや、ティオやリムの力を借りなければならない。言い換えれば、彼らを危険に晒すこともあり得るのだ。それは避けたい。

 ティオが極力揉め事からシアンを遠ざけようとするのと同じことだった。


 騒ぎを聞きつけて、村人たちが集まって来る。

 小屋の扉を開け、飛び込んだ男の悲鳴が轟く。

 小屋から転がり出てくる男の背に、巨大なオタマジャクシに似た黒っぽい何かが大口を開けて飛びかかった。辛うじて顎から逃れる。

 カエルになる直前のオタマジャクシと言えなくもないが、短い脚が左右に三列、計六本ある。褐色の体に黒い斑点があり、それで全体的に黒っぽく見えた。

 通常、オタマジャクシの先端外側にある口は大きく開かないが、眼下にいる何らかの生物は楕円の大きな口を百二十度もの角度で開いている。びっしりと鋭い赤い牙が生えている。赤く見えたのは血で、悲鳴を上げた家畜のものだろう。

 不気味な姿に甲高い悲鳴が上がり、村人たちは逃げ惑う。動揺が激しいせいか、後から集まってきた人とぶつかり、入り混じり、騒ぎは大きくなる。

「ティオ、リム、あれを倒せる?」

『うん、いいよ。じゃあ、シアンを降ろすね』

 姿を見てしまっては放置もできない。シアンの問いかけに、気負わずティオが答える。

 ティオは村の外にシアンを降ろし、翼を使わず一蹴りで石垣を越えた。リムもすぐさま後を追う。


「気味の悪い魔獣だったね。大丈夫かな、ティオとリム」

『あれは異類ですね。妙な気配がしました』

「分かるの?」

『ええ。風の精霊に聞いてみては?』

 異類と聞いて、ボニフェス山脈を越えた際に起きた一幕を思い出す。不安げなシアンに九尾が提案した。

 勧めに従って聞いてみたところ、戦うには厄介な特殊能力はないという答えが返ってきて安堵の息をつく。

『大した異能はないが、全てものが寝静まった夜半、家畜小屋に入り込み、家畜とその卵を殻ごと食べつくす。そして、腹がくちくなった異類は自分の卵を産み、去っていく。人間は卵だけは無事だったと喜ぶ。しかし、卵が孵ると、異類の仔が生まれ出てきて、今度は家畜の主人たちを食い殺したという事例がある。ニワトリやガチョウと同じ大きさの卵から孵った後、好き勝手に食べつくしてすぐに人間が一抱えするほどの大きさの成体になる』

 思わぬ惨劇にシアンの背筋は震えた。

「夜行性なのに昼日中の今? もしかして、あの異類はあの黒いローブを着た人たちが放り込んだのかな?」

『そうだね。あの異類の活動を著しく低下させる草の香りが微かに残っている。それを使って運んだのだろう』

 ティオもリムも何らかの匂いがするとは言っていなかったが、知らなかったか、他の臭気と混じって気づかなかっただけかもしれない。大して気にしなかっただけか、もしくは、風の精霊にしか感知し得ないような微かなものなのかもしれない。

 何にせよ、村の騒動は故意に起こされたものだ。

『あからさまに怪しい輩たちでしたからねえ』

 九尾も異存はない様子だ。


『ああ、倒したようだよ』

 つい、と首を村の方へ向けた風の精霊が言う。

「じゃあ、すぐに行こう。今度はティオやリムが怖がられて騒ぎになってはいけないからね」

『では、先導しよう』

 上から見ていた騒ぎの起こり始めでも大変な混乱だったにも関わらず、風の精霊に導かれるまま、スムーズにティオとリムの傍にたどり着く。

「大丈夫だった?」

『うん、すぐに終わったよ』

『ぼく、何もしなかった!』

 あっけらかんとした二頭にシアンが思わず笑う。

「あ、あんた、そのでっかいのに近寄っても平気なのか?」

 遠巻きにして注目している村人のうちの一人が声を掛けてくる。

「はい、僕は最近エディスに来た冒険者のシアンです。彼らは僕の友人です。この周辺の魔獣討伐を行っています」

「聞いたことがある。グリフォンが魔獣退治をしてくれているから、今年は早くから街道を使えるようになったって」

 シアンの言葉に、声を掛けてきたのとは他の村人が目を見開いた。

「じゃあ、その大きいのがグリフォンか!」

「すげえ、高位幻獣だ!」

 自分たちを襲うのではなく、助ける存在と知り、恐怖のどん底にあった村人たちの顔色がよくなる。

 件の異類はといえば、地面で縮んでいる。

『大食漢で、冬眠から覚めて一定量の栄養摂取ができないと干からびるんだよ』

 風の精霊がシアンの視線から察して説明してくれる。


「何事ですか? 我らが手助けいたしましょう!」

 人の囲みの外から声が上がる。村人は戸惑いながら道を開けると、白い袖のある貫頭衣を着た男が二人、長い裾を捌いて歩いて来る。中央に銀色の筋が入った服に長い金色の帯状の布を首から前へ垂らしている。

『貴光教の聖教司だね』

 風の精霊が告げる。シアンは口の中で貴光教、と呟いた。以前、トリスで買い物をしている際に風の精霊に説明を受けたことがある。あまり良い印象を持たなかった。

「私は神の教えを伝えるために他の村へ赴いていたのですが、近くを通りかかったら、何やら騒がしい様子。お手伝いできることがあれば、遠慮なく言ってください!」

 善意に充ち溢れた熱心な姿に、村人たちは戸惑いながら答える。

「いや、その、異類が出て……」

「異類!」

 大きな声で繰り返す聖教司に答えた村人が飛び上がる。

「それは神をも恐れぬ異形の輩! わたくしがこの身を以って対処しましょう!」

「いや、その、もう退治してくれたので」

 大きな身振りで嘆かわしいという表現をした聖教司に、しどろもどろに村人は答える。

「へ? もう? 退治してくれた? 誰が?」

 意表を突かれた態で、芝居じみた雰囲気が霧散する。間の抜けた返答に空気が弛緩する。


「いやあ、あんた、本当に助かったよ」

 気を取り直して、村人の一人がシアンに声を掛ける。

「怪我をされた方はおられませんか?」

「ああ、家畜が数匹やられたのが痛いが、あいつは小屋の家畜を食い殺して卵を産み付けるんだ。卵に化ける能力はちょっとやそこらじゃわからないって。ばあちゃんから聞いたことがある。危うく大惨事になるところだったよ」

 壮年の男が言うのに、あちこちで小さく悲鳴が上がる。確かにとんだホラーだ。

「僕も聞いたことがあります。おかしいですね、夜行性なのに、昼の今時分に出るなんて」

 シアンの言葉に男がさっと顔色を変える。

「本当かね? 何でまた……」


「おお、なんという非情なる行い! それこそ、魔族の仕業でしょう!」

 聖教司が口を挟む。随分乱暴な話の持って行き方に、村人は唖然とする。中には怪訝から不審の視線に変わりつつある。

「聞けば、その家畜小屋の家主は魔族に便宜を図っていたとか。そんな輩との付き合いがあったからこそ、今回の悲劇を招いたのです!」

「なんで聖教司様がそんなことを知っていなさるんですか?」

 シアンに礼を言った壮年の男が問う。

「魔族のことに関しては、我らはよくよく見ておるのですよ」

 つまり、見張られているということか。村人たちは不安げに目線を交わし合う。

「いや、でも、俺、なんか黒づくめの奴が小屋に入ったのを見たぞ」

「何ですって! それこそが魔族。闇の一族だからこそ、闇に紛れるよう黒いローブを着ているのでしょう」

 相変わらず芝居かかった物言いで、自分の説に持ち込む。軌道修正が急カーブすぎてついて行けない。

「僕も見ました。でも、どうして貴方は黒いローブを着ていたと知っているんですか?」

 シアンも口を挟む。魔族を一方的に排除しようとする姿勢は聞いていたが、実際に目にするのとでは全く違う。

「何ですって?」

「先ほどの方は黒づくめとおっしゃいました。なのに、なぜ黒いローブを着ていたと知っているんですか?」

 村人たちの視線が一気に猜疑心の籠ったものになる。

「魔族は好んでそういう格好をするからですよ」

「僕は魔族の商人を知っていますが、彼は特にそういった格好をしませんよ。黒い服装を好むこともないです」

「それは人間世界に紛れ込み、何らかの企みを持っているからこそ、そう装っているのです」

 ああ言えばこう言う。何としてでも持論に結びつかせる。無辜の魔族に被害が及ぶ気がして、ここで引いてはいけない気がする。嘘を感知する音楽家の脳が、この聖教司が言うことは出鱈目だと知らせる。言いがかりをつけて、どうしたいのか、聞くのが怖い。

「でしたら、わざわざそんな目立つ格好をして村に入り込みますか? 迷い込んだ旅人のふりをした方がよほど気づかれないでしょう」

「貴方のような、冒険者とか?」

 聖教司の顔に粘着質な笑いが張り付く。

「あんた、何を言っとるんだね? 彼の連れが助けてくれたんだぞ」

 シアンの代わりに壮年の男が言い返した。

「そうやって自作自演をして、助けてやって恩に着せようということも考えられます」

「でも、この人はグリフォンという目立つ幻獣を連れている。この人こそ、目立つことをするかね」

「目立つグリフォンとは別行動したのでは?」

「あんた、自分の言っとることが分かっているかね? 目立つ格好をした輩が入り込んだっちゅう目撃者がおるのに、目立んこの人が犯人などと、訳の分からんことを言うでないっ!」

 ねっとりした口調で言い募る聖教司に腹を据えかねたのか、壮年の男が怒鳴る。

「彼自身が言いだしたんですよ。目立たない格好をした者が犯人ではないかとね」

「いいえ、違います。僕もそちらの方も黒づくめが小屋に入ったのを見たと言いました。魔族が黒づくめの格好を好むことは聞いたことはないし、そうだとしても、わざわざそんな恰好をするのはおかしいと言ったまでです」

 どうしても冤罪をでっち上げたいらしい聖教司が徐々に逸らそうとする話を元に戻す。

「さて、私にはなぜ魔族が黒ローブなどを着ているかはとんとわかりませんなあ」

 わかりたいとも思わない、と肩を竦める聖教司にシアンは静かに切り返す。

「僕が言っているのは魔族が黒ローブを着ているかどうかではなく、黒ローブの姿を見たということだけです。それだけで魔族のしたことと断定するのは間違っているのではありませんか? それに、黒ローブを着ていることが魔族の証だというのなら、それこそ、魔族に罪を擦り付けたい者の仕業としか思えません」

「そんなこと、根拠があっての発言ですか?」

「いや、俺もその冒険者さんの言う通りだと思う!」

 やり取りを眺めていた村人から声が上がり、そうだそうだ、と追随する。

「あんた、何を言いたいのか知らんがね、やたらに引っ掻き回すのはやめてくれんか!」

「そうだ! 邪魔しに来たのか!」

「こちとら忙しいって時に、騒ぎを大きくして何の得があるのさね!」

 壮年の男の言葉を、村人たちが援護する。

「ふん、折角、我ら貴光教が魔族の企みを早々に阻止して差し上げようとしたのに! 後でほえ面かいても知りませんからね」

 捨て台詞を残して踵を返して去っていく。


『おお、見事な負け犬の台詞ですな!』

 それまで静かに事の成り行きを眺めていた九尾が感想を述べる。

『あいつら、なんでシアンを責めていたの?』

 ティオの問いに、その頬に顔を寄せて撫でる仕草でごまかしながら囁く。

「魔族を陥れようとしていたから、それを止めたんだよ」

 そうしたら矛先が回ってきた。

『随分、一方的でしたねえ』

『シアン、いじめられたの?』

 何だかわからないことを延々と喋っていた、という感覚でしかないリムがへの字口を急角度にする。

「大丈夫だよ。もう行っちゃったから」

 リムの頬から顎にかけて指で撫でる。

 それを聞いた壮年の男が頭をかく。

「いやあ、何だか済まんかったな。あんたらには助けてもらったのに、変なのが出てきちまって」

「あれは何の聖教司様なんですか?」

 わかっていたものの、一応、知らぬ振りをしておくことにする。

「貴光教だよ」

 壮年の男が吐き捨てて眉間に皺を寄せる。

「わしら農民の多くは大地の精霊を祀っているんだ。時には風や水の精霊をな。しかし、あいつら、しつこく来よるんだ。光の神を祀れとな。全く、こっちは生活がかかっとるんだぞ!」

「農作物には陽の光も必要だから、時には光の精霊も祀っていそうなのに」

 土に育つものは風や水や陽の光を必要とする。壮年の男が深々と頷く。

「そうじゃ、あんたの言う通り。しかし、やつらは光の神だけを崇めよと言うんだ。土台、無理な話だよ」

「それにしても、魔族を目の敵にしているとは聞いていましたが、あんなに無理やり罪をかぶせようとするんですね」

「ああ、俺もあんなのは初めて見たよ」

 壮年の男が呆れた顔をする。

 魔法陣を使用する際には風か大地の神殿を訪れることにしていた。貴光教の神殿へは今後とも足が遠のくだろう気がする。


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