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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
627/630

87.新しい世界へ2

 

 麒麟は樹の精霊の元にやって来て、魔族の国の祭りの様子を語った。

 音楽隊出陣の号令でみなで一列になって練り歩いたこと、上がった花火、美味しい料理、街に溢れた物資、思いつくままにつらつらと語った。

 樹の精霊は楽し気に耳を傾け、時に質問し、相槌を打った。

 一角獣とわんわん三兄弟が小遣いをはたいて子供たちに腹いっぱい食べさせたことや、ユルクとネーソス、リリピピが孤児院の屋台を手伝ったことなどを聞いて、麒麟を見つめる。

『食は生の中で重要だ。特に、人間のように食に工夫を凝らし楽しむ者にとってはね。快楽となり得る』

『うん。楽しむために他者の命を奪う。業の深いことだね』

 それでも、慈悲の獣は自分の性を否定し、定められた枠組みを超えたことを後悔していなかった。自分がしていることは正しいことなのか、これで良いのかと思い悩むことは今でも時折ある。

 しかし、幻獣たちと共に歩んできた道のりが、麒麟の視界を広げていた。

『生を精いっぱい楽しんでいる。生命はどうしたって、他の生命を取り込むんだ。そして、その生命も他の者の糧となる。でもね、界。我は高度知能があるのなら、他者の生命をいたずらに奪うのではなくて、他の方法を見出せるのではないのかと思うんだよ』

『他の方法?』

『うん。どんなものなのか、我には全く見当もつかない。シェンシだって分からないよ。もしかすると、風の精霊王でさえ』

 麒麟は今は分からなくとも、研鑽を積むうち、その方策が見つかるのではないかと言った。

『それが善いものかどうかすら分からない。みんなにとって、良いものだといいなあって思うんだよ』

 ふんわりと笑う笑顔には、幻獣たちが慕う人間の面影があった。そして、彼らが目指すその向こう側に眩い途が続いているように思えた。



 わんわん三兄弟が焼き菓子を咥えて転がるようにやって来た墓の前に、四人目の弟が座っていた。

「お、わんわん三兄弟も来たんか」

「「「わん!」」」

 お座りして答えてみれば、その口からぽろりと菓子が落ちる。

 慌てて咥えなおして、墓の前に供える。

 墓の周りには花が咲き乱れているので、菓子にしたのだが、ちょっと歯形がついたり、先が齧ってあったりして、弟の手前、恥ずかしい気持ちになる。

 赤面を押し隠しつつ澄まし顔を装う。

「インカンデラの祭り、賑やかで楽しかったな。演奏もすっごく良かったよ」

『お主も参っていたのか』

『闇の君の誕生を寿ぐ祭り』

『それはそれは盛大であった』

「うん。それに、あの国は今、勢いがあるな。頭やカークもあんなに衛生管理されているのに、雑多な物が溢れていて、貧民街がないのは珍しいって言っていた」

 半分くらいしか言っていることは分からなかった、と頭を掻く。

「でも、活き活きとしているな」

『そうであろう!』

 彼らは五番目の兄弟の墓前で様々に話し合った。そうすることで、一番下の弟に楽しい話が届くと良いと願いながら。そして、光を慕う民に無残に殺められていった闇の民の安寧を祈りながら。彼らは双方、意識を変じ、立ち上がり、それぞれの途を進み出していた。願わくば、その途行きに幸あらんことを。

 冥府の番人は生者が精いっぱい生きることを望んだ。冥府へはそれから訪れても遅くはない。



 びょうと風が吹いた。

 鳥は空を飛ぶときに、風を利用する。リリピピもまた誰に教わったのでもなく、そうしていた。

 鳥は風がなければならない。

 炎の属性としてだけでなく、リリピピは風を必要としていた。

 時に、風に向かって羽ばたき、浮力を大きくする。時に、風に乗り、滑空する。

 翼を後方に曲げた形で完全に伸ばしきり、速く滑空する。先端の羽が開いて、失速を防ぐ。

 上昇気流があるかどうかで空の旅は全く異なって来る。その他、低温や雨、強い日差しなども体力を奪うが、リリピピの道行きではそれらは全て和らいでいた。

 ティオのように大翼を大きく上から下に打ち下ろすひと羽ばたきごとに強力な浮力を作り出せる存在など稀である。

 消耗烈しく大変困難な旅ではあったが、多くの力に助けられ、たどり着いた先で風の君に歌を捧げることができるという非常に光栄な出来事が待ち受けている。

 だから、今日も飛ぶ。

 何ものにも捉われない風の粋に自分の歌を届けるために。

 孤独や疲労をものともせず、勇気の小鳥は大空を行った。



 湖底に長い身を沈め、ぼんやり上を眺める。ゆらゆらと空が揺らいでいるのを眺める、この何も考えない時間がユルクは好きだった。

 大分、疲れている。

 正直なところ、ティオやリム、一角獣についていくのに精いっぱいで、無理をしていたのだ。ネーソスはのんびりしているように見えて、あれで必要に応じて素早く動くことが出来るし、いくらでも凶暴になることができる。

 狩りは日々の糧を得るために行うものだ。

 食べて生きるため以外で、他者を傷つけるには相当な意志が必要だ。自分にはそれが少なめなのだと思う。足りないとは感じないけれど、島の幻獣たちについていくには、時にもっと必要とされる。

 とりとめのないことを考えたり、何も考えなかったりしていると、傍らにセバスチャンが控えていた。

 驚いて跳び上がった。

 水中でもいつもの静かな佇まいである。

『セ、セバスチャン、いつの間に』

『驚かせてしまったようで、申し訳ございません』

 家令は恭しく頭を下げる。

『ううん。そんなことは構わないよ』

『お疲れの様子でしたので、滋養強壮のあるものをお持ちしました。よろしければ、召し上がってください』

『ありがとう』

 有能なアイランドキーパーは島で起こる諸々のことを把握している。

 色んなことが出来るし、相当に強い。

 でも、彼のようになりたいかといえば、そうは思わない。

 ならば、ティオや一角獣のような強さが必要か。

 違う。

 祖父の言う通り、武者修行して強くなろうと思った時もあった。どうすれば良いのか分からず、様々に試すもしっくりこなくて確固たる支柱を持つことができないでいた。

 けれど、今は、自分ができることをすれば良いと知っていた。

 ああ、でも、リムのような愛らしさは可愛い研究会の一員として必要かなと思う。

『みんなはどうしているの?』

 疲れた時は休めば良い。

 そして、元気を取り戻したら、また仲間たちと付き合えば良いのだ。

 流れるように島で思い思いに過ごす幻獣たちの様子を語るセバスチャンに、ユルクはきょろりとした目を更に丸くしたり不思議に思って鎌首をたわめたり、終いには笑い声を上げた。

 幻獣たちの様子に心が大いに慰められたと実感したのは、セバスチャンが湖を辞した後のことだった。有能なアイランドキーパーは時に幻獣たちの心身を整えることにも着手するのだった。



 ユエはカノーヴァの工房で人間の職人たちとあれこれ話し合ったのが楽しくて仕方なく、島に戻っても時折思い出した。

 工房で同族たちに話すも、彼らは祭りの様子の方を聞きたがった。

 それで、自分だけ転移陣を踏んで易々と行き来できることにばつの悪さを感じた。

 そんなことは露知らず、ユエの持ち帰った土産を物珍し気に囲み、ああでもないこうでもないとやっている。

『そんなに発展しているのか!』

『俺たちが作った道具もきっとどこかで役に立っているな』

『今度は何を作ろうか?』

『腹減った~』

 自分たちが作った物によって、街の暮らしが便利になっていることを喜んでいた。彼らもまた、人間の職人たちと同じだと、はっとする。

 何かを作り出そうという情熱はどこにでもある。

 いつだって、少しでも違うもの、僅かでも良いものを目指してじりじりと登って行くのだ。

『ご飯を食べよう!』

『な、何だ急に』

『美味しいものを食べて、ゆっくり休息を取って、心身を整えよう。それから、何を作るかみんなで考えよう』

 何なら、鸞やカラン、九尾を巻き込んでも良い。

『そうだな。疲れているとろくなことにはならないからな』

『一旦、作業から離れて頭を切り替えるのも良いな』

『美味いもの食べたい!』

 独りぼっちで種族さえ偽って、懸命にしがみついていた時には思いもよらない僥倖がそこにあった。食事の心配をすることなく、物づくりに没頭することが出来るのだ。しかも、共にするものがいる。知恵をくれるものがいる。器材も素材もふんだんにある。

 ユエは自分の幸運を噛みしめ、だからこそ、他者のためになるものを作りたいと思った。



 カノーヴァ西方、以前は荒地だった土地は浜辺にも強力な非人型異類や魔獣が跋扈し、それらが排出するものによって浜辺は汚されていた。

 だから、ネーソスがその報せを受けた際、ぎゅっと目をつぶって湧き上がる感情を堪えた。

 水の眷属がもたらしたのは、元荒地の清らかに蘇った浜辺でネーソスの同族の姿が目撃されたという情報だ。

 ネーソスは気持ちを落ち着かせると、まずシアンに話し、インカンデラ国王と水の精霊に保護を願って欲しいと伝えた。

 浜辺へは産卵のためにやって来たのだろう。だから、他者に邪魔されることなく行えるように周知徹底してほしい。一種族を贔屓するのは国としても、精霊としても、よろしくないのかもしれない。けれど、ようやく現れた同族なのだ。絶滅寸前なのだとネーソスは懸命に語った。

『……』

「うん、もちろんだよ」

 シアンはいつになく真剣な表情で請け合ってくれた。

 すぐに精霊たちを喚んで、ネーソスの同族の保護を願った。その後、セバスチャンにリベルトに手紙を届けてほしいと依頼する。

 ネーソスの同族は船が出入りする港とは離れた浜に現れたのが幸いした。リベルトはすぐさま兵をやって、その浜を立ち入り禁止とし、歩哨を置いた。

 精霊たちのお陰で海、陸地、空のどこからも卵を狙う者は現れず、孵化することができた。

 ユルクがシアンと共に非常に喜んだ。

『良かったね、ネーソス!』

「この島にも来てくれるかな」

『……』

「ああ、そうか。水の精霊が海流を操作して近寄れなくしているんだっけね」

『じゃあ、インカンデラ西方へ行って会いに行こうよ』

「そうだね」

『……』

 こんな日がやって来るとは思いもしなかった。

 けれど、振り返ってみれば、人間の子供らと親交を持ち、巨大な姿に変じても怯えられることがなくなった。

 亀さん、亀さんと親しんでくれる。人の手が優しく触れてくることがあろうなどとは、ついぞあり得ないと思っていた。こちらを狩ろうとする手ばかりではなかったのだ。

 シアンが闇の精霊に何がどう変じるかは分からないと言ったのは、全くその通りなのだなとしみじみ思う。

 きっと、シアンや幻獣たちと一緒なら、もっと沢山の初めてや想像だにしなかったことに出会うのだろう。

 楽しみでならなかった。



 終わってみれば、寄生虫異類の存在が自身の体内に確かに感じられたという。

『ぼくねえ、リンゴやトマトとかを食べたらね、シアンやみんなのことを考えたの。そうしたらね、嫌な気持ちがふわっとなって、優しくて温かくて柔らかい気持ちになったんだよ!』

 そうして寄生虫異類は消滅したのだという。

 負の感情を糧にしていたものが、リムの言う優しさや温かさや柔らかさで滅せられたのだ。

「リムは大事なことを間違わないものね。頑張ったね。リムの中にいるみんなが助けてくれたんだね。力を与えてくれた」

 言いつつ、シアンはこみあげてくるものを感じた。

 本当に、リムを失わないで済んで良かった。

『うん! きっとね、ぼくだけじゃなくて、みんなの中にもシアンやその他のみんながいるんだよ。何かあったら、ぼくにしてくれたみたいに、力をくれるの。それはね、シアンが教えてくれたんだよ。シアンが教えてくれた音楽は心の底から楽しい!が湧き出て来るの。それと同じ!』

 リムが懸命に言葉を尽くす。

 表現者として、これほどの称賛はない。

「ありがとう、リム。僕もリムが大好きだよ。ティオとリムとみんなと、この世界で出会えて、嬉しいよ」

『ぼくも!』

 うふふと笑い合う。

 そうしていれば、怖いことなどなく、何にでも立ち向かっていける気がした。

 君たちと一緒なら。

 この世界には眩い途が続いて行く。



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