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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
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64.助けを呼ぶ声

 

 幻獣たちが作成した薬を受け取った幻獣のしもべ団の頭は感激した。その効能の凄まじさは驚嘆すべきものだ。そして、素晴らしい知能でもって見出した気の遠くなる作業を成功せしめた幻獣たちの驚異的な能力に舌を巻く。

 マウロは彼らの以前のやり取りを知らぬまでも、これほどまでにシアンに心を砕き、互いを思いやる幻獣たちに、そうすることを教えた者の偉大さを感じずにはいられなかった。言葉でそうしろと指示したのではなく、自然とそうなるように振る舞い、様々なことを分かち合ってきたのだ。彼らが歩んできた奇跡のような眩い途を見て来た。これほどまでに仕えるに甲斐のある者があろうか。

 知能や力で遠く及ばないが、彼らの行き届かぬ部分を手伝えることが誇らしい。

 しみじみ思いつつ、マウロは貴光教の教徒がリムの親しくするドラゴンたちの住処でうろついていることを伝えた。

「しもべ団団員に探らせている。俺もこれから向かう予定だ」

 シアンにも話しておいてくれるように頼んでおいた。

『リムは会ったことがあるんだにゃ。どんなやつだったのにゃ?』

『うーん、覚えていない!』

 カランの問いかけに、リムは思い返してみる素振りを見せるも、あっけらかんと答えた。

「はっはっは。まあ、そうだろうな。アーウェルが聞いたところじゃあ、仔ドラゴンたちに威嚇されてろくに接触する隙はなかったそうだからな。だが、気をつけてくれ。その貴光教教徒を寄生虫異類が操っている可能性がある」

 闇夜が轟音と共に稲光で切り裂かれたような心地になり、幻獣たちは各々、驚きを隠せなかった。

『なんと……』

 シアンから依頼されて以来、寄生虫異類について研究を続けて来た鸞が息を呑む。脳裏にキヴィハルユで捕らえられた薬師の姿がよぎる。

『それは確かな事か』

 ティオが目に炯々とした光を宿し尋ねる。

 流石のマウロも気圧されつつ、幻獣のしもべ団が調べ上げた寄生虫異類が取りついた者の癖が見られたことを語った。

『となれば、リムに接触してきたのはおかしいな』

「ああ。高位幻獣においそれと手出しができないってのにな」

 鸞が考え込みながら言い、マウロが首肯する。

『仔ドラゴンたちにも薬草を飲んで貰う?』

 リムが小首を傾げる。

「いや、ドラゴンほどの高位幻獣に影響を及ぼせるのなんてそうそういやしない」

 それは一般常識であった。けれど、それが必ずしも正しいとは限らない。

 とにもかくにも、リムはマウロから寄生虫異類がインカンデラ西方のドラゴンたちに近づいていることを知り、注意を払っていた。

 だから、その時の助けを呼ぶ声を拾い上げた。

 離れた場所であっても、二柱の精霊の加護を持つドラゴンは親しくする者の悲痛の叫びを聞き逃さなかった。それは、シアンが理想とした家族が既に失われていたと知り、非常に落ち込んだことを覚えていたからでもあった。取り返しのつかないことはままあるのだ。

『リムお兄さん、助けて!』

 恐慌状態で上がる助けの声に、リムは応えた。



 岩山のように大きく硬い体は変則的な緩急付いた素早い動きを見せた。

 丸太ほども太い尾がしなって空を切り、鈍い音を発する。岩をも砕く鋭い鉤爪がついた四肢は柔軟に動く。

 硬く凹凸のある鱗で覆われた体、長い首を巡らせ、大きく開く口から氷柱のような牙が覗き、ブレスが噴出される。

 巨体をものともせずに空を自由に行き来する様は圧巻だ。

 ドラゴンと対峙するのは、死に直面すると同義だ。

 そんなドラゴンが今、恐慌状態に陥っていた。

 成体よりも二回り小さい子供たちがひと塊になっていた。

 生態系の頂点に立つがゆえに、群れに危険が及ぶことはついぞなく、慌てふためく大人たちに怯えていた。

 その向こうで暴れまわっているドラゴンに関してはあまり恐れを抱いてはいない。

 仔ドラゴンたちはあれよりもよほど怖い存在を複数見知っている。

 彼らは相談して住処の山脈を下り、いつもの場所で待った方が良いのではないかという結論を得た。一族の厄介ごとに巻き込むのは申し訳ないが、大人たちは役に立たなさそうだ。

 仔ドラゴンたちは頼りになる存在に心の中で助けを求めた。

 そうしながら、馴染みのある場所へ向かおうとした。

 けれど、そこへ到着する前に、向こうからやって来た。

 彼らの待ち望んでいたドラゴンは長い体に比して短い四肢に、たし、たし、と力を籠め、ピンク色の指でしっかと大地を踏みしめる。短い四肢も細長い体も尾の先までも、ふんわりした白い毛で覆われている。黒い皮膜の翼が闇色に輝く。丸い顔に黒々とした両目が理知的な輝きを灯している。

 仔ドラゴンたちはぱっと笑顔を浮かべる。

『リムお兄さん!』

「キュア!」



 眠りから覚めるのに時間を要したのは、セバスチャンが寄生虫異類に与えた打撃が強く深かったからだ。

 同族が宿主にした者は地下の研究室に籠り、人と接触しない生活を送っていたために居場所を発見するのが遅れた。積極的に活動はしていたものの、自分のように人間のことを良く知ろうとしなかったのが一因である。捕食者としての最低限の行動様式しか興味がなかった。

 同族の産み付けた卵から孵化した子たちやその孫らが引き起こした事態に、ようやく気づいた。

 人間が同じ人間を排除しようとする。

 傑作ではないか。

 しかし、居所の特定が遅れたため、結局同族とは接触するも、ろくに連携を取ることができないまま、捕らえられて別処へ送られてしまった。その場所はしかとは分からない。

 仕方がないので、合流は諦め、独自で動くことにした。

 同族と落ち合ったのがもっと早ければ、貴光教の騒乱は加速度的に事を運んだだろう。翼の冒険者が思い悩みつつも介入した、その隙を与えなかったほどに。

 シアンは間に合った。

 幾つかの要素が絡み合って、翼の冒険者は貴光教と魔族やその他勢力との決定的な衝突を食い止めることに成功した。そして、貴光教の関係者らに自分たちの間違いを知らしめたのだ。

 同族の引き起こした非人型異類の暴動も例の翼の冒険者によって治められてしまった。少しばかり心を乱すことはできたようだが、すぐに安定した。

 もはや、事が終息したと思って油断しているところを突くしかない。

 そう思って貴光教の信者を操って翼の冒険者に近づこうとした。幻獣たちは魔力も知力も耐性も高く、取りつくことは難航すると考えていた。

 しかし、間近で見たその者が横溢する力の影で鬱屈する心を持っていることを感知した。

 これだと思った。

 脆弱な宿主を叱咤しながら、ドラゴンの住処へ向かう。翼の冒険者と親交のあるドラゴンたちの親は頑強に抗った。ならば、と彼らの同種でありながら粗野で凶暴なドラゴンを操り、暴れさせることに成功した。

 縄張りを犯した者に強固に対抗して力に訴えてくるという予想に反して、ドラゴンたちは困惑していた。騒ぎを起こせば約定に反するという感情が伝わってきた。

 この手は失敗か、ならば次を考えねばと思っていた矢先のことだった。

『リムお兄さん、助けて!』

 圧倒的な暴力の前に、しかし、仔ドラゴンたちにはある程度、耐性があった。

『怖いけれど、でも、ティオ様に比べたら!』

『比べ物にならないよ! こっちの方が断然まし!』

『セバスチャンも!』

 何故か、最後に出た名称に言い知れぬおぞけを感じた。

 ともあれ、仔ドラゴンたちの呼ぶ助けを、遠く離れた島で感知した小さな幻獣がやって来た。

 意外なことが意外な事態へと繋がるものだ。

 驚いたものの、すぐにほくそ笑み、宿主を差し向ける。



 貴光教教徒が近づいて来るも、ドラゴンの群れの住処にやって来る人間などいないという常識を、リムは持ち得ない。だから、その不自然さを知り、警戒することはなかった。

 そこで毒を吹きこまれる。

 あれこれ話しかけられる殆どはリムには興味がないものだったが、一部に引っ掛かりを覚えた。

 シアンはいつかリムを不要だとして、この世界へ帰って来なくなるのではないか。そうだ。シアンは常に向こうの世界へ戻らなければならない。そうしなければ、体に変調をきたすと言っていた。———誰が?

 もし、向こうの世界で何かあっても、リムは助けに行けない。ティオもそうだし、精霊たちすら手出しができない。そう思うと不安が膨らんでくる。———そうだ、そのことをもっとよく考えろ。怖くてたまらないだろう。

 もうこちらの世界に帰って来なかったら?

 ペクチンも溶けてしまうことがあると風の精霊が言っていた。リムがどれだけ必死にくっ付いていようとしても、離れてしまうこともあり得るのだ。

 リムに同族たちの里に残りたいかと聞いたのはシアンがリムから離れようとしていたのかもしれない。———そうに違いない。

 寂しい。ずっと傍にいたいのに。———力を得れば良い。

 振り払えばなお一層絡みついてくる粘着質ないやな感じのする考えに、リムは焦りを感じた。焦燥は焦燥を呼ぶ。

 リムは寄生虫に抗った。———おかしい。操ることができない。

 それは精霊の加護を持つが所以だ。光の精霊と闇の精霊は精神を司る。そして、常にシアンから優しさを向けられてきた。様々に教えられてきた。どれほど寂しくても、シアンとティオを始めとする幻獣たちと過ごしてきた時間はかけがえのないものだった。

 心の奥から沸き上がり泡沫が弾けるような楽しい音楽、体中に迫って来る圧倒的な美しい光景、一緒にああだこうだして作り上げた複雑な味わいのある美味しいもの、温かさが失われた心もとなさ、必ず眠ってしまう切なさ、種が異なるがゆえに起きるもどかしさ。皆みんな、この世界で分かち合ってきたものだ。よいものもわるいものも、混然一体となって、分かちがたく、だからこそ、ひっくるめて大事なものだ。



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