63.寄生虫異類についての研究 ~君が言う?3/きゅうちゃんのための/満足のブレス/いつだって心の有り様を変えて~
中心部のピンク色を覆う白毛の丸い耳と、うっすら金色の輝きが縁取るぴんと尖った白毛の耳が横並びになっている。高低差がある後ろ脚立ちした白頭二頭は両前足を交互にまっすぐ前に突き出す仕草をする。
『きゅうちゃん、リム、何をやっているの?』
庭を散歩する麒麟に声を掛けられて、リムが元気よく言う。
『シャドウボクシング!』
『エクササイズにちょうど良いかと思って』
『ギャグだけじゃなくて、腹も親父のようになってきたのかにゃ』
樹の枝で寝そべるカランが揶揄ってくる。
『きゅっ、今のは親父に掛けたんですか? うわあ……』
『お主もよく言っているではないか』
麒麟の隣を歩いていた鸞が顔をしかめる。
『一緒にしないで!』
『『同じようなものだろう』』
カランと鸞の声が重なる。前者はうっかり語尾を付けるのを忘れていたため、ぴったりと合わさっていた。
『きゅうちゃんの、きゅうちゃんによる、きゅうちゃんのための! ギャグですから!』
『うん、意味が分からん』
鸞が顔をしかめ、カランは呆れて言葉もない。
『あは。きゅうちゃんはギャグを良く言っているからねえ』
『きゅうちゃん、面白いよね』
麒麟とリムが顔を見合わせてうふふと笑い合う。
幻獣たちは概ね、そうやって和気あいあい、ほのぼのしたやり取りで過ごしている。
中には、茶化す者もいるが。
『リム、想像してみて。木で鼻を括ったようなシアンちゃんを』
『木で鼻を括るの? 痛くない?』
『本当に括るのじゃなくてね、優しくなくて冷淡な態度、っていう意味だよ』
『シアンが優しくなくて冷たくなるの?』
リムが眦を下げ、への字口を急角度にする。
『はっ! 寒心が。なにとぞ、ご海恕を!』
音もなく近づいてきたティオを見て、九尾が命乞いをする。
『リム、狐の冗談だ。気にしちゃ駄目だよ』
ティオの言葉に、こっくりと頷いたリムは九尾へ目を怒らせる。そこに、新たな仕草が加わった。
『シアンは違うもの!』
言って、ぷく、と頬を膨らませる。
丸い顔がさらにぽこんと丸く突き出る。
「オコジョって頬に空気を溜める、っていうことができるのかなあ。あ、違う、リムはドラゴンだった」
ティオと共にやって来たシアンに、いつもなら飛びついているリムであったが、今は九尾への怒りで忙しい。
頬を膨らませたままじっとシアンを見上げるリムに、我慢できなくなって、つい指を伸ばす。ちょんちょん、と指先で頬を突き、そっと撫でてみる。
ぷふ、とへの字口から息が零れ、気持ちよさそうに目が細められ、口が横長に伸びる。
「そうだよね、違うものね」
『うん!』
顔を見合わせてうふふ、と笑い合う。
リムの拗ね顔はとても可愛い。けれど、長く見ていることはできなかった。
ついつい頬を突いてしまうシアンに、リムが笑み崩れるからだ。
そうやって揶揄われて怒っても、リムはやはり良く九尾の真似をした。
後ろ脚立ちし、腰に片前足を当て、逆の前足でカップを持って中身を喉を鳴らして飲む。
干した後、ぷっはーと息を吐く。
ドラゴンブレスである。実に満足げである。
勢いがありすぎて口の周りが濡れている。シアンは苦笑してリムの顔を拭ってやる。
シアンに世話して貰うのは好きだが、リムはリムで仔ドラゴンたちの面倒を見た。
それを見た九尾は戯言を口にする。
『兄貴風ですね。ぴゅー』
仔ドラゴンたちがふざけたのを諫めるのに、爪を振るうことによって衝撃波を繰り出して見せた。仔ドラゴンたちの驚きに見開かれた目は、憧れの眼差しに変化する。
『もう、ダメだよ! 危ない!』
リムが放った衝撃波の方がよほど危険だ。
『おう、ワイルド』
まさしく、荒々しく力強い。
九尾はリムはまだ自分の冗談口に怒って見せても手加減してくれていたのだなと実感する。
寄生する蜂は同じ昆虫、例えば揚羽蝶の幼虫に産卵する。この時、ある種の蜂は寄主の状態が変化するのを待つ。寄主が蛹化するまでじっと待ち、脱皮して成長し、蛹の殻だけを残して中身を食い尽くす。つまり、寄主の発育段階に自分の発育を調整することができるのだ。こうすることで、寄主を得る能率を上げることができる。
また、他の種の蜂は同じ揚羽蝶に寄生するが、蛹に産卵する。産卵した時点で寄主を摂食する。そうすれば防御反応を受けたり寄主の発育に合わせて自身の発育を調整する必要はない。
寄主の大きさによって産卵数を変えることができる能力を持つ者もいる。
寄主の発育を調節する能力がない者はタイミングを逃すと寄生率は著しく下がる。産卵管を挿入してもすぐ抜いてしまい、産卵を抑制する。
『これが自然界の寄生生物の一例だな』
鸞がそう説明を締めくくる。
幻獣たちで集まって寄生虫異類について意見交換をした。鸞一羽だけに任せておかず、素材や情報を集めることを手分けして行い、時に各々の考えを述べ合う。
『寄生するために特化しているの』
『それだけ、寄生するということは難易度が高いということなのにゃね』
両前脚を組むユエにカランが頷く。
『そうなのだ。しかし、寄生虫異類は自在に行動する。おかしいのだよ。これほど自由度が高いのは』
不自然だという。
彼らのような高度知能と力や技能を持つ幻獣と匹敵するほどの知能や技能を持つ。
『何らかの力が働いていると?』
『あるいは』
九尾が目を眇め、鸞が躊躇いつつも首肯する。
寄生虫異類は負の感情を好んだ。寄生されるとより一層負の感情を集めやすくなる。
『世に混乱を招きたい者がいるのか』
ティオが重々しく言う。
コオロギに寄生するハリガネムシはコオロギ内部で分泌される神経化学物質と似た物質を生産することができる。相手と同調し宿主の構造を知り尽くしているからこそ、操ることを可能にする。
偏桃体を損傷すると恐怖を感じることなく、普段、脅威とみなしている者へも気軽に近づき、自分の寿命を縮めてしまうことになる。
寄生虫は複雑な構造を持つ人体でも免疫を上手くすり抜ける。
異物が人体に侵入すると白血球が貪食し、免疫グロブリンという抗体の一種の物質が作られる。これが異物である抗原と結合することで体内にて作用するのを抑える。
なお、この時、本来抗原になり得ないものに抗体が過剰反応することがあり、これによってアレルギー反応を引き起こす。
寄生虫異類も人にとっては異物だが、免疫機能を狡猾にも潜り抜ける。そして、血液循環に乗って体内を巡るのだ。
抗原である寄生虫異類は体内の物質に「擬態」することで免疫システムをすり抜ける。
非人型異類はこれらの免疫システムに対して侵入と同時にそれらの蛋白質や時に細胞に擬態する。免疫システムが寄生虫異類を「異物」とみなせなくする。
瞬時に行われるこの高度な擬態は咄嗟に行うものだけあって、全てを真似ることはできない。目の前の抗体を欺くことができれば良いのだ。
そうしておいて、宿主の脳に達した寄生虫異類はそこから自分は無害であるという物体を流させ、体の隅々にまで行き渡らせる。これで、免疫システムに非人型異類は無害だというデータを上書きさせることができた。そして、その後は自由に振舞う。自分の思う振る舞いをさせるために宿主を操るのだ。
さて、鸞はこの寄生虫異類の「擬態」を見抜ける方法を見出した。とある薬草に含まれる成分が寄生虫異類に付着する。何に擬態していても、その成分は変わらず付着する。これは鸞が非人型異類の培養に成功し、その体に様々な薬草を投与することによって、見つけた性質である。気の遠くなる数の実験を繰り返して見出した。
そして、その薬草の成分を結合させることによって、甚大な効力を発揮した。
抗体はその成分を異物とみなし、苛烈に排除しようとするのだ。
つまり、その成分とともに寄生虫異類ごと免疫システムは攻撃するようになる。
ジョチュウギクという寄生虫異類が嫌う成分を持つ薬草と合わせて服用すれば効果は倍増である。
鸞は更にカランの助言によって、免疫システムを助け、寄生虫異類をさらに弱体化させる成分を付け加えることを考えている。
異物と免疫抗体を結合させることによって人体に悪影響を及ぼすことを阻止している。
『笑う門に福来る。寄生虫異類は人間の悪感情を好みます。では、逆の楽しい嬉しいという感情を嫌うのでは? 嫌わなくとも、悪感情という餌が少なくなれば、その宿主に居座る旨みも減る。その感情が出る際に脳内成分を増加させてやることができたら良いのですがねえ』
九尾のアドバイスも受け入れる。
『……』
『えっ、笑いながら寄生虫異類を包囲するの?』
ネーソスの提案にユルクが戸惑う。
『寄生虫異類が宿主に居座っているとしても、変な集団ですね』
リリピピが小首を傾げるが、変というよりもそら恐ろしい。
『心を強く持つことは安定に繋がりまする』
『心が不安定であれば、悪感情の連鎖が起き、負の感情を増幅してしまうもの』
『敵を追い詰める時は必死の形相よりも穏やかな面持ちの方が不測の事態にも臨機に対応できまする』
『流石はわんわん三兄弟。精神を司る闇の属性だけある』
一角獣が感心して蹄で地面を掻く。
『その薬を手下に飲んで貰おう!』
『そうだね。シアンを狙うなら、自由な翼を操ろうとするだろうからね』
リムがぴっと片前脚を上げ、その言わんとすることを察した麒麟が頷いた。
セバスチャンを通して説明して貰い、薬草はマウロの手に渡った。幻獣のしもべ団の頭の差配によって、団員の他、カラムたちとジョン一家、エディスのエクトルやリュカ、ニカのナウム、アルムフェルトのフィロワ一家とハールラ一家、インカンデラ西方のスルヤといった者たちに配った。
その話を聞いた鸞は樹の精霊に手伝って貰い、薬草を株分けして育てて定期的に各地の者たちに接種して貰うようにした。
「そりゃあ、良い。ゾエやロイクの村にも配ろう」
館に呼び出されたマウロは気軽に請け合った。
『黄色いリンゴのおばあちゃんは?』
「そうだな」
リムの提案にマウロが頷く。彼もまた、先だっての一件を聞いていた。リムがニーナに懐いていたことも知っている。だからこそ、追及することなく短く返答しておいた。しかし、更に踏み込んだ者がいた。
『ニーナとその村の人間にも』
はっと幻獣たちとマウロがティオを見る。
ティオは静かで厳かにも見える佇まいで彼らの視線を受けた。それでいてなお、そうする方が良いという意志を湛えていた。
『ティオ、トマトのおばちゃんはシアンを』
リムの言葉はそこで途切れた。続きを考えあぐねるリムに、ティオは静かな視線をやる。
『そう。シアンを黒いのに売った。でも、だからって、寄生虫異類には関係のないことだよ』
『そうですねえ。というよりも、より一層の混乱を招くことが出来る人材かもしれません』
その混乱というのはシアンへのものだ。シアンの心をかき乱すことが出来ると見なされることは大いに考えられる。
『九尾の言う通りだにゃ』
カランも同意する。
『それもあるけれど、ニーナにも薬草を渡して飲ませるということ事体がシアンを喜ばせると思う』
沈黙が下りた。
各々、ティオの言を吟味する。
『うん。そうだね。きっと、シアンはほっとすると思うよ』
俯いて考えていた一角獣が顔を上げると角が銀色の清明な軌跡を描く。
『それで良い?』
ティオが窺うようにリムを覗き込む。彼が気持ちを気にする数少ない者のうちの独りだ。
『うん!』
言うや否や、跳び上がってティオの嘴に抱き着いた。感激した様子の弟にティオは目を細める。
『素晴らしい考えにござりまする!』
『きっと主様も気持ちが軽くなられましょう』
『ご主人より、かの者を思って差し伸べた手があるということは、ご主人とかの者、双方の御心を晴らしましょう』
わんわん三兄弟は和解や歩み寄りといった表現はしなかった。
所謂被害者からの気づかいがあったことで、双方の気持ちが多少なりとも軽くなるだろうと言った。
慈悲の獣のとして長らく天帝宮で保護されていた麒麟とは違い、人の身から神に上り詰めた者の眷属として、精神を司り、人の感情の機微に詳しかった。
『そうですね。起きたことは覆せない。けれど、その在り様を少し変じるだけで、心の負担を減らすことができるでしょう。リム、みんなに薬草を配ったら、トマトをいっぱい食べよう』
『うん! きゅうちゃんは芋栗なんきんね!』
リムはティオの嘴の上に腹ばいになったまま顔を上げ、九尾に破顔して見せた。
あの件の後、トマトを食べなくても良いと言ったらシアンを泣かせてしまい、余計なことだったかと消沈したことがある。それはリムの気持ちを受け取ったシアンがその心遣いに涙したのだと九尾は言った。今また、九尾はシアンの心を軽くすることが出来れば、リムもトマトを美味しく食べられると伝えてくれたのだ。
きっと、九尾と共に食べる好物はこの上なく美味であろう。




