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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
593/630

53.誕生日会(準備編2)  ~我慢できなかったのの巻~

 

 カカオは熱帯に生える常緑樹で湿潤な気候を必要とされる。年間を通じての降雨が必要となる。

 この植物についていち早く情報を得たフィロワ家が南の大陸から密かに買い入れて加工し、菓子や飲み物として世に送り出している。南の大陸はさほど文明が発達しておらず、流通が困難で、贅沢にも、大陸西の港に運び込まれてからは転移陣を用いる。そういった事情によって作られたチョコレートは希少で高額となり、それがまた王侯貴族の心をくすぐる菓子となった。

 非常に美味で栄養価が高いこの菓子の商品化はフィロワ家に莫大な財をもたらした。

 翼の冒険者も料理をし、フィロワ家の特産品製造の中心人物であるフィロワ家当主夫人じきじきにその製法を伝えたことやその場に次席のハールラ家当主夫人がいたことからも、強い繋がりを持つに至った。自分たちも様々なレシピを教わったのである。

 驚いたことに、翼の冒険者はチョコレートの製造方法を知っていた。

 アレンジの仕方などはフィロワ一族の方が手札が多かったが、処理の仕方に関しては翼の冒険者に教授して貰った手順に変えると、雑味が少なくなり、より深い味わいを出すことができた。

 チョコレートとオレンジの相性の良いことを教えられ、着想を得て作られた新商品は、大陸西のあちこちに試食として配布された。流行り病と凶作から立ち直りつつある大陸西の人々に天上の食べ物だと驚き有り難がられた。一貴族がすることだからと遠巻きにする者もいたが、翼の冒険者と共同開発したという触れ込みに、心理的垣根は低くなる。

 こうやって、王侯貴族よりもまず庶民の口に入った。

 後に、翼の冒険者から調理器具が届けられた。二つの異なる翼が交差する後ろに二重丸という刻印がされたそれは非常に使い勝手が良く、フィロワ家当主夫人とハールラ家当主夫人を狂喜乱舞させた。

 チョコレートは大陸西に徐々に受け入れられるに従って、シアンの下に高額のロイヤリティも転がり込んできた。

 何もしていないのに受け取る謂れはないと断るも、インカンデラ、ゼナイド、サルマンといった国を始めとする大陸西の各地で存在感を強める翼の冒険者と共同開発した菓子ならばこそ売れているのだ。

『翼の冒険者の名を借りているのだから、当然なのではないのかにゃ』

『そうなの。きちんと報酬をやり取りしなければ、関係もおかしくなるの』

 人間社会に詳しいカランとユエの言葉で受け取っておくことにした。

「自由な翼のみなさんやカラムさんやジョンさんたちに分配すれば良いか」



 チョコレート菓子は幻獣たちも好んだ。

『チョコレート食べたの! チョコ!』

 シアンが不在時に何をしていたかを尋ねると、リムが弾む調子で教えてくれた。

「そうなんだ。美味しかった?」

『うん! シアンのもあるよ』

 浮き浮きと差し出し、さあ、食べろと示されるが、じっと見つめられていると食べにくい。

『リム、ぼくのを分けてあげるよ』

 だから、シアンと共に味わうと良いとティオが差し出す。

『良いの?』

 リムが小首を傾げながらチョコレートとティオを見比べる。

「あれ、ティオ、チョコレートはそんなに好きじゃない?」

『美味しいと思うけれど、物すごく好きというのではないよ。だから、とても好きなリムが食べると良い』

『ありがとう、ティオ!』

 小さな頬をもぐもぐと動かす。リムと一緒に味を分かち合いながら食べるとより一層美味しく感じられた。ティオが満足げに二人を眺める。

「今度、生クリームの配分を多めにしてみようね。濃厚な味わいのものができると思うよ」

『ぼくも手伝う! ティオにいっぱい作ってあげるの』

 シアンがティオの好物だからと言うのをいち早く理解したリムがぴっと片前脚を上げて宣言する。

『ありがとう。銀の方の光の精霊王にも分けてあげて』

「うん。それと深遠のお姉さんにもね」

 光の精霊は甘いチョコレートを、闇の精霊はビターなチョコレートを好む。

 甘いもの好きな銀色の光の精霊と珍しいものを好む闇の精霊もチョコレートを気に入った。

 それで、二柱の誕生日会にはそのチョコレートを用いた菓子を作ることにし、蛙の王が喚ばれた。

『大地の精霊にお願いして、島でも栽培しようよ』

 リムが美味しそうに食べるのを目を細めて見ながらティオが言う。

「多分、雨量や温度の高さとか色々な条件があると思うんだよ」

『英知にお願いする?』

『うん、そうしよう』

 後に、蛙の王が携えたカカオの苗が植樹され、精霊たちの助力によって順調に栽培された。

 カカオを種から育てると、実を収穫できるのは早くて三年目くらいからと言われている。しかし、精霊たちがこぞって力を貸したのだ。産地が異なる植物が隣り合わせに育つ土壌だ。

「蛙の王にもチョコレートのお菓子を贈ろうよ」

『その場合、十柱の魔神に送った方が無難なのでは?』

 食べ物が腐るのは微生物の増殖による。その微生物は水分がなければ増殖できない。チョコレートには水分は殆ど含まれていないので腐食しにくい。なお、生チョコレートなど生クリームを含んでいるものは傷みやすく、長期間の保存に適さない。

 チョコレートも長く放っておけば、油脂が酸化して味が劣化する。脂の酸化は、揚げ菓子にも言える。

『作ってから時間が経ったドーナツは岩石のように固くなりますからなあ』

『できたてはあんなに美味しいのにね』

『……揚げたては熱すぎて食べられないにゃよ』

『……』

『ネーソス、熱々のドーナツが好きなんだ?』

『……』

『なるほど、あの輪っかがどんどん消えていくのが面白いんですね』

 シアンの脳裏に自分の甲羅の半分ほどもの大きさのあるドーナツを、もそもそ食べ進める亀、という光景がよぎる。

「魔神にチョコレート菓子を贈る場合は必ず早めに食べて貰わないとね」

 リムが作ったものは有り難がっていつまでも取り置きしそうである。

『英知か水明に頼むの!』

「あ、その手があったか」

 鸞もカランもその手法を思いつかないではなかったが、リムやシアンほどに気軽に頼める存在ではない。

『魔神たちにもね、カラムの畑を見て貰おうよ!』

『あは、良いねえ。界の樹も見て貰おう』

 次のお茶会でそうしようと話し合った。



「カカオはマメ科の植物じゃないんだね」

 果実は分厚く硬い果皮で覆われている。中のタネを切らないように包丁で少しずつ果皮を切るシアンの傍ら、ティオやリム、九尾がすいすいと爪で切り開いて行く。

 中には三十から五十粒ほどの青臭くて渋いタネが、白い果肉に包まれている。

『この果肉は甘いが、タネは渋い』

 茶会でカカオを貰った当初、シアンはチョコレートを一から作るほどには知識も経験もなかった。そのため、風の精霊を頼った。現在も優秀なナビゲーションは健在だ。

「この段階ではチョコレートみたいな香りはしないんだよね」

『タネを収穫してすぐに発酵させ、天日干しして炒ると味と香りが変わる』

 外皮からタネを取り出す際、半数の幻獣が面白がって白い果肉を味わっていた。

『甘酸っぱい!』

『うえ、青臭い!』

『タネのが移ったんじゃないかにゃ』

 みなでわいわいやると大量のカカオ豆の処理もすぐに終わる。

『これを発酵させる』

 発酵用の木箱に白い果肉がついたままのタネを入れ、二、三日の間空気に触れずに発酵させる。三十度以上に保温する。光の精霊が請け合ってくれた。

 三、四日目からは空気に触れるように、毎日かき混ぜる。

『うまく発酵させておく』

『宜しくね、英知!』

 リムは何とも気軽だが、その他の幻獣たちは恭しく頭を下げる。

 五十度くらいに達し、発酵が最終段階になればタネを割って状態を調べるのだが、風の精霊が具合を見てくれるので、その言に従う。なお、割った中身が瑞々しい子葉から茶色に変色していたら発酵が完了しているとみて良い。

『やっぱり、白いのがなくなっている』

『果肉は溶けてしまうんだね』

『発酵が終わったら数日間、天日干しする。良く乾燥させることによって渋みや青臭さが減ってチョコレートの香りの元が生まれる』

 さて、乾燥は瞬時に風の精霊が終わらせた。

『これで水分が七パーセント以下になった』

 その次に、熱を加えて炒る。

『強火で炒ると苦くなるから弱火でじっくりと時間をかける』

 苦いものが苦手なアインスが真剣な表情で頷く。

 ユエが炎の精霊に火加減を依頼する。ものづくりで火を良く使うので、依頼し慣れているのだ。炎の属性のリリピピがユエに呆れと感心と畏れのない混ざった顔を向ける。

『焙炒によって香ばしい香りに変化する』

『本当だ』

『わあ、良い匂いだね!』

『あ、こら、ウノ、食べようとするでない』

『もご、ちと酸っぱいでする』

「はは。みんなで味見してみようか」

 カカオ豆がややふっくらとし、中がパリっと割れたら殻を取り、砕く。

『これがカカオニブだ。すり潰してペーストにしたものがカカオマスだ』

 よく乾燥ハーブなどを粉末にするので、ユエが擂り器を作ってくれていた。それを用いる。こちらも踏み台や把手がつけられている。砕いたカカオ豆を、熱を加えながらひたすら擂っていると、ふいに、液状に変化する。脂肪分が固形分と混ざり合い、ペーストに変化した瞬間である。

 そして、このカカオマスに圧力をかけ絞ることで、脂肪分と固形分に分かれる。

『脂肪分がココアバターで固形分がココアケーキだ』

 一般家庭ではカカオマスからココアバターを取り出すことは困難であるが、難しい部分は精霊が受け持ってくれる。

「ココアケーキを粉にしたものがココアパウダーだね」

『知っている! シアンがこの間ココアっていう飲み物を作ってくれたもの!』

『リムが顔を夏毛にしていましたなあ』

 カカオマス、ココアバター、乳製品、砂糖を混ぜ合わせて、滑らかになるまですり潰してきめ細かくする。長時間練ることで更に滑らかになる。これを型に入れ、闇の精霊に冷やして貰い、固める。

 ココアバターを安定した結晶になるようにするために、テンパリングという温度調整をする。これをしないと、二十八度くらいの温度で溶けやすくなったり、表面に斑点状の白い染みができるようになる。

『調温することで、三十三度くらいまでは固形を維持することができる』

『微調整か……』

 光の精霊が繊細な表情を曇らせる。

 決まった温度に上げ、下げ、再び上げる必要があるのだ。

『私が協力する』

『風の。頼んだ』

『精霊王四柱もの力を借りる菓子』

『贅沢の極みにゃね』

 チョコレートにはナッツを混ぜたり、飾りを乗せる。

『チョコレートだ!』

『リム、味見したい』

 光の精霊が真っ先に名乗りを上げる。

『あら、冷やしたのは私よ』

 リムの陰からするりと闇の精霊が姿を現す。

『温めたのは僕だ』

「じゃあ、はい、二人とも」

 シアンが匙で掬って差し出し、光の精霊と闇の精霊とに食べさせた。

「どうかな? 本来は出来立てよりも、作ってから一週間くらい冷蔵庫で熟成させた方が美味しいんだけれど」

『美味しい。とても甘くて香ばしい』

『ええ、深くて濃厚な味わいね』

『良かったね』

 リムと顔を見合わせてうふふと笑い合うシアンに、精霊たちの争いを戦々恐々と見守っていた幻獣たちが尊敬のまなざしを向ける。

『チョコレートはワインと合うと言われていますが、米から造った酒とも合えば良いんですがねえ』

 九尾は天狐たちに願って酒を造って貰ってきたが、折角なのだから、水の精霊や大地の精霊だけでなく、主役である闇の精霊にも楽しんで貰いたいと思ったのだろう。

「そうだねえ。ウイスキーもチョコレートと合うんだから、熟成された古酒なら、米の酒とも合うんじゃないかな」

『ならば、とろみのある酒ならば合いそうですな!』

「あとは、ナッツ入のチョコレートなら、端麗辛口のすっきりとした感じが合うかも。深遠はどう思う?」

『楽しそうなお話ね。チョコレートはワインの酸味に合うわよ』

『なるほど。では、酸味のある酒でも合うということですな』

 天狐に伝えておくと請け合った。

 天帝宮へ赴く際にはお稲荷さんや野菜や果物を沢山用意しておくことにした。



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