44.成獣の祝い(招待編) ~ぷぷいっ/困ったきゅうちゃん~
麒麟はアベラルドを救出した後に何度か闇の神殿へ赴いた。
鸞も同行し、その場で症状に見合う薬を煎じてくれ、見違えるほど回復している。
麒麟は心底、諸書に通じる相棒と、彼に様々な器具と素材、それらを大量に持ち運べるマジックバッグを渡してくれたシアンに感謝した。
他の幻獣たちは弱った体でも食べやすそうな果物や野菜を持たせてくれた。自分が育てたモモを、アベラルドが美味しいと言いながら食べる姿に思わず涙ぐみそうになった。
良かった。
本当に良かった。
この友人を失わずに済んで、良かった。
転移陣を踏んでの移動も慣れたもので、麒麟は聖教司たちと挨拶を交わし合う。闇の聖教司の方は仮面をつけたリムとシアンの姿を認めて、茫然とし、ぎこちない動作でアベラルドの下へ案内してくれる。
「聖教司さまー、また麒麟さんの話をして!」
「きりんしゃん!」
子供の声が聞こえてくる。
『え、我の話?』
「ええ、小さい子らはレンツ様や島の幻獣様たちの話を聞くのがとても好きなんですよ」
『会ったことがある子かな?』
アベラルドの話を子供らと並んで聞いたこともある。
中庭に案内されていることに途中で気づき、アベラルドが再びそこで子供らと過ごすことができるほどに回復したことがとても嬉しかった。
「レンツ様」
座って子供らに囲まれていたアベラルドが立ち上がる。
『ああ、アベラルド。随分良くなったんだね。今日は仮面の君とシアンも一緒だよ』
アベラルドは急いでやって来、シアンの足下に跪こうとした。慌てて止める。
闇の神殿の中でも最も尊く、それでいて気さくで優しい聖教司が額づくのを見て、子供ら困惑を隠せない。そして、いつにない様子の聖教司の傍らに立つ大きく美しい獣に視線が釘付けになる。
「きりんしゃん!」
物心ついた子らは硬直した。話に聞く麒麟であると気づいたからだ。
麒麟やリムから神殿で子供らと遊んだと聞いていたシアンはその様子に不思議に思うも、集まった子供たちの風体に納得する。褐色の肌、黒い髪をしている。魔族の子らだ。恐らく、麒麟もまた敬う存在と周囲の大人から聞いているのだろう。
しかし、頑是ない幼子は話に聞く麒麟に会えた喜びでいっぱいになり、覚束ない足取りで近づいてくる。
「あ、だ、駄目だよ!」
「聖獣様だ!」
「戻って来い!」
口々に言うのに、驚いて振り向こうとしたが、足は止まらない。まだ頭が大きくてバランスの悪い体つきは途端に均衡を崩して転びそうになる。
それを、麒麟が鼻づらで支える。
「わあ! あったかい!」
子供はそのまま麒麟の顔に抱き着く。見ていた子供らがすくみ上る。
「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。レンツ、麒麟は優しいからね。僕はシアンというんだよ。今日は聖教司様にお会いしに来たんだ。僕たちも仲間に入れてくれる?」
「いいよ!」
何の特徴もなさそうな男性だが、穏やかで落ち着いた雰囲気に、子供たちは安心した。
「キュア!」
「あっ! 黒白の獣の君だ!」
リムの鳴き声を聞きつけ、子供がシアンの肩に目線を移す。仮面をつけていても、正体が分かったようだ。子供には何ら忖度はない。
「えっ、じゃあ、こっちの人は翼の冒険者?!」
「花帯の君?」
「うん、そうだよ。僕はシアン。肩の仔はリム、麒麟はレンツだよ」
憧れの翼の冒険者との出会いに子供たちが沸き立つ。
『アベラルド、ぼくね、リムというんだよ。名乗らないでいてごめんなさい!』
リムがアベラルドの眼前に飛んで行き、仮面を取った。そこでシアンはうっかりリムが謝罪する前に紹介してしまったことに気づいた。
「そうだったんですね。名を隠されたのは我ら魔族の騒然たる振る舞い所以でしょう。こちらこそ、お詫びいたします。そして、こうして既知と相成りましたことを嬉しく思います」
深く頭を下げるアベラルドの身を起こさせ、先程までいた場所へ座らせる。
子供らは幻獣の登場に興奮しきりで、勢いよく喋り出し、アベラルドに諫められている。
薬は良く効いた。今後はあまり薬に頼りすぎず、人間の持つ自然治癒で治せるものはそうした方が良いという鸞の言葉を麒麟が告げると、リムが代わりに祈りを捧げるという。
『ちちんぷぃぷいっ! 早く良くなりますように!』
「ぷいぷいっ」を素早く弾んで言う。満面の笑顔である。
以前、シアンにしてほしいとせがみ、九尾に正式な文句を教わったリムは、アベラルドに良くなってほしいという一心から唱えた。
「可愛いー!」
「ぷいぷい!」
「ぷぷいっ」
幼い子供は口が回らない。それがまた愛らしかった。
「おお、何とお可愛いらしい」
アベラルドも思わずといった態で漏らす。その顔に赤みが差す。
『あは。すごい効果だねえ。顔色が良くなったよ』
麒麟の言葉にリムが聖教司を覗き込んだ。麒麟を振り返ってうふふと笑い合う。
見舞いの品の果物をみなで分けて食べながら様々に話した。大地の精霊の恵みを受け、カラムたちが丹精する果物に、子供たちがむしゃぶりつく。顔じゅうを汁まみれにするのに、子供たちをアベラルドが、リムと麒麟をシアンが拭う。
小さい子が上の兄弟の横暴を訴えれば、リムも愚痴を漏らす。
「そうなんですか。九尾様がそうおっしゃったんですね」
『そうなの! もう、きゅうちゃんは困ったきゅうちゃんなんだから!』
への字口を急角度にするリムをアベラルドが微笑まし気に見やる。
『きゅうちゃんがね、言ったの。『リム、リムの姿はすぐにリムだと分かってしまうから、仮面をつけても魔族の街へ行ったらすぐにわかってしまうよ』って。『だから、魔族の街へは一人でお使いに行けないよ』って! そんなことないもの。だって、アベラルドもぼくだって分からなかったもの!』
それはアベラルドが気を回した仕儀であり、子供らには初見で見破られた。
『仮面の君という呼び名もくれたものねえ』
『そうなの!』
麒麟がおっとりと言うと、リムが嬉しそうな表情を浮かべる。
「仮面の君?」
「わあ、格好良い!」
「えぇー! 変だよ!」
『変じゃないもの!』
茶化す子供も中にはおり、リムがきゅっとへの字口に力を入れる。
アベラルドからしてみれば、喜んで貰って何よりである。
子供らが帰った後、改めて招待状を渡す。
『アベラルドの知らない人ばかり招待するんだけれど』
『でもね、美味しい物もいっぱい作るからね。来てほしいの!』
「ぜひ、他の幻獣たちからもご挨拶をさせてください。レンツやリムからこちらの話を聞くのをとても楽しみにしているんです。以前、頂いた近隣の村の品もとても喜んでいました。彼らにもその村のことを話してやって下さい」
差し出した封筒を受け取る手が微かに震えていた。
「心から、お祝い申し上げます。もちろん、伺わせて頂きます。私もレンツ様やリム様たちが他の幻獣様たちと過ごされている島を見てみたいです」
麒麟とリムが顔を見合わせて、良かった、と笑い合う。
自分をあの暴力から救うために尽力してくれた彼らのそんな姿を見て、涙がこぼれそうになった。
突如として振るわれた圧倒的な暴力の前で歯を食いしばって耐えるしかなかった。いつ終わりがくるか分からない、時間感覚も失われた中で、痛覚の回復を待って繰り返し施された拷問はじりじりとアベラルドの神経を削っていった。鼻につく臭いが蔓延する空気の淀んだ暗く狭い空間で、凝った悪意にまみれて、自分を失わずにいることは難しかった。
心の中には常に闇の君への気持ちがあった。そこに麒麟やリムが加わった。彼らが話す他の幻獣たちも。
もう駄目だと思った時に何度となく、彼らの鳴き声、息遣いがすぐ傍にあるように感じられた。その記憶を意識してみれば、特徴的な話し方を、姿を、仕草を、表情をするすると思い出した。優しく勁く弾力に富んだ、見えない温かさに包まれて、アベラルドはアベラルド足り得た。体も心もすりつぶされそうになりながらも、静かに真っすぐに姿勢を伸ばして前を見据える力が腹の底から湧いてきた。その力は四肢の隅々にまで行き渡った。
しかし、同時に、串刺しという刑の詳細を語られ、怯えもした。その仔細のおぞましさ、そんなことをすることができる相手の精神、向けられる悪意におののいた。
勇気と恐怖がせめぎ合った。
翼の冒険者が稀な光と優しい闇とを纏って、高濃度の魔力に包まれて空から下りて来、もう大丈夫だと言ってくれて感無量だった。ようやく耐えなくても良いのだ、これで終わりなのだ、楽になるといった様々な感情が大きなうねりとなって去来した。
助かって体も精神も落ち着いた後、思い至ることができた。翼の冒険者は前へ出ることを忌避することはないが、殊更、功を示すことはない。各地での幻獣たちの活躍を聞いたが、アベラルドと彼を助けるために集った魔族たちを救うために、大勢の人間の前でその力を見せたことに感謝を表しきれない。
彼のこの謝意は後日、違った形で示される。




