42.同族の里4 ~全ては傍らに/卵の殻~
沢山食べて遊んで転寝した後、暇乞いをするシアンたちにまたいつでも遊びに来てほしいとドラゴンたちは口々に言った。
初めは同じ種でありながら途轍もない力を有するリムに畏怖を覚えていたが、最終的には偶像化するに至った。リムも楽しそうに接していた。
同族にしきりに引き止められるリムに、別れる時がきたのかとシアンは不意に胸が引き絞られる心地になった。全てから切り離されたような心もとなさに歯を食いしばる。いつも傍らにいた。可愛くて明るくて元気で、大切なことは間違わない。九尾に妙なことを教わるも、面白い気持ちになるだけで嫌だと思うことはなかった。シアンに失った音楽を取り戻させてくれた。音楽が楽しいのだと改めて教えてくれた。
けれど、自分の寂しいという感情を優先してはならない。リムにとっての一番を考えたい。
子離れしないと!と自分を奮い立たせる。
「リム、もしかして同族たちと一緒に暮らした方が良い?」
ドラゴンたちに囲まれるリムにそっと屈みこんで尋ねる。
リムははっとシアンを見上げ、そのままよろりと倒れ込み横寝する。柔軟に首を上に向けながらもぺたんと体が横長に地面に着く。
どんぐり眼を見開き、うっすらとへの字口を開ける。愕然の表情にシアンは戸惑った。
『シアン、幻獣たちは同族から分かれて島で暮らしているんだよ』
ティオがするりと近寄って来て、言外にリムとてそうしても何ら不思議はないと告げる。
「うん、そうなんだけれどね。リムは卵から孵る前に親から引き離されたでしょう? 同族と一緒にいる期間はなかったから、そうしたいのなら、と思って」
意気込みを余所に、当のリムはシアンと別れることなど毛先ほども思っていなかった。
先ほど、風の精霊はペクチンは溶け出してしまうこともあると言っていた。大丈夫だよと返したものの、シアンが別離を口にした。では、リムは何を支柱にすれば良いのか。自分の中の確固たる何かがぶれた。
シアンは自分が早合点していたと気づき、急いで前言撤回する。
「ごめんね、リム。変なことを言っちゃったね。気にしないで。いつまでもずっと一緒だよ」
少し慌てた様子で抱き上げられ、リムはシアンにぎゅっとしがみついた。
『胸と胸がひっついた!』
『お腹と背中の逆バージョンかにゃ?』
幻獣たちはこの件はそれで終了したと思っていた。
シアンはリムの後頭部から背筋をずっと撫でてくれた。
けれど、違うのだ。
一緒にいられないかもしれないという事柄を、シアン本人から言われて、リムの心に隙ができる。悲しみ、焦燥、落胆、虚ろ、負の感情が強まる。そしてそれは餌になる。
リムを引き留めたがる同族たちを諫めて鎮静させた長が進み出た。
『来駕の祝宴でもと思いましたが、すっかりこちらがもてなされてしまいました。その上、結構なお品まで頂き、恐縮しきりです。礼に贈り物をいたしましょう。我らとてドラゴン。その宝は価値あるものです』
『おお! ドラゴンの財宝キター!』
『何だろうね?』
『……』
『あは。確かに、彼ら自身が何物にも代えがたい宝だね』
『特定の神様たちにとってもそうだね』
シアンの後ろで幻獣たちが賑やかに話し合う。
ドラゴンの長は希少な知識が記された神秘書や、黄金、ずっと水が湧き出る盃などをやろうと言った。いずれが欲しいかとも尋ねられた。
『人知を超えた知識か』
『眩いばかりに輝く黄金か』
『心を癒す石か』
『飲んでも飲んでも枯れない盃か』
『家畜や植物が良く育つ恵まれた土地か』
『尽きることのない炎を放つ燭台か』
それらはいずれも得難い宝物であろう。
シアンはふと笑った。
「何も」
『何も?』
無欲なのかと小首を傾げる。しかし、違うのだ。
シアンは全て持っていた。全て傍らにいた。
万物を知る英知、黄金より眩い稀輝、安寧をもたらす深遠、食べられなかった麒麟のためということから端を発していつでも美味しい水を飲めるようにしてくれた水明、幻獣たちの好物である農作物を育ててくれる雄大、幻獣たちと食べる料理の火加減をしてくれる廻炎。
でも、彼らはそれらの力で助けてくれるものの、それが宝なのではなかった。
個性豊かな彼らと親交を交えることこそが、何にも代えがたい宝物だったのだ。
そして、それらの力は他者に力を誇示するために無遠慮に振る舞い無慈悲に奪い壊す代物ではなかった。シアンの世界との付き合い方がそうさせた。
だから、ドラゴンに料理や音楽に関するものが欲しいと言った。次に来る時に教えてほしいと。
「その時にはまたマヨネーズや他の調味料を持ってきますね。みんなで宴会しましょう」
幻獣たちからもドラゴンたちからもわっと歓声が上がる。
欲のないことだと長に感心された。
全てを持っているのに更に手に入れようとするシアンは欲張りなのだと、自分が一番よく知っていた。
親を知らぬリムに会わせてやりたかった。残念ながら、リムの親はこの里には戻っていないけれど、多くの同族と引き合わせることはできた。
とても愛らしい姿をしていた。
リムとの共通点と相違点を知ることができた。
共に料理を楽しみ、様々に話を聞くことができた。
またお出でと言われて嬉しかった。
島に帰ったリムはシアンが自分の同族のドラゴンを見て可愛いと何度も言っていたことを気にしていた。自分はもう大きくなったから、幼くはない。ならば、可愛いとは言われないかもしれない。では、どうすれば良いか、と思案した。
何かないかと島を当てどなく飛び回った折、巨大な卵を見つける。
雛が孵る。観察するリムに気づいた親が慌てて雛を連れて逃げた。
危害を加えないのに、とへの字口を急角度にするも、残った殻の方に注意が逸れる。
これだ!
閃いていそいそと殻を持ち帰り、シアンに見せる。
「それをどうするの?」
『生まれた時、卵から出たぼくをシアンが可愛いと言ってくれたから、また殻から出たらそう言ってくれるかもしれないと思ったの!』
浮き浮きと言いながら、丸い頭に殻を乗せる。
卵から孵った時、初めて受けた言葉が「可愛い」だった。とても好ましいという感情と共に向けられたものだ。
その時から、生まれた時から、「可愛い」は心の支柱だった。
『いつも言われているじゃないですか』
九尾が呆れる。
『本人に期待満面で言われたら、そう言わない訳にはいかないもんにゃあ』
カランの言葉に、それもそうだとリムが息を飲む。
「ふふ。リムは卵の殻がなくても十分可愛いよ」
「キュア……」
リムが上目遣いになる。
「リム、どうかした?」
『ぼく……、シアンに無理やり可愛いって言わせちゃったの?』
「ううん。そんなことはないよ。例え、可愛いって思ってほしいという気持ちがあったとしても、卵の殻を被ってわくわくしていたリムは本当に可愛かったもの」
「キュア!」
リムは面はゆげに、満足げに笑う。への字口が横にゆるゆると伸びる。
でも、せっかくだから、殻を頭にかぶったり持ち上げてみたりしてみる。後ろ脚立ちで足踏みして、尾をふりふり、尻をふりふり、踊る。
「物すごく可愛い」
シアンの言葉に一時リムの心が収まる。




