36.料理は大変 ~払い飛ばされるの巻/ぼくにもして!/ぷいぷい~
シアンはこの世界でワイバーンやヒュドラといったドラゴンの亜種と出会ったことがあったが、魔族の国西方で初めて原種のドラゴンと出会った。
幸い、幻獣たちの言葉に耳を傾け、人間との棲み分けを受け入れてくれた。豊かで恵まれた環境であるから、子育ての場にしたいのだと言っていた。
「ドラゴンの子育て、かあ」
「キュア?」
リムは卵から孵る前に親から引き離された。状況からして、プレイヤーが卵を奪い、親に追いかけられた。卵は川に落ち、あわや魔獣の餌になるところだった。それをティオに願って助けて貰った。シアンがまだ精霊の加護を持つ前のことだ。
思えば、生まれた直後からシアンとティオとともに過ごし、この世界を分かち合ってきた。
シアンは「ドラゴンの子育て」に関心を持ったのではなく、「親に子育てされなかったリム」のことに思いを馳せた。しかし、リムはそうは受け取らなかった。
「ドラゴンの子育て」、引いては「子育てされる仔ドラゴン」のことに興味を持ったと受け取った。だから、時折魔族の国西方に赴いて様子を見た。人間と諍いを起こさぬようにという心遣いもあった。
そういった経緯で、仔ドラゴンたちと接することになる。生態系の頂点に位置するだけあって他者の尊重やルール順守などの価値観を持たなかった仔ドラゴンたちがブラシをかけて貰うのに順番を待つようになったのだ。無論、ブラシをかけて貰うという事象に興味を示したのも、リムが影響している。
さて、シアンは流行り病が終息した後、異類排除令や天変地異の影響が色濃い大陸西を巡った。
魔族の国西方を見舞ったのと同じ調子で、幻獣たちがこれに付き添った。
鸞やユエが現地で即席で薬や物品を作成し、あるいは調整しようというのだ。
翼の冒険者の行動に喜び有り難がる人々の声を聞いて、「ああ、じゃあ、もっとした方が良いのかな」くらいの気軽さで乗り出す幻獣がいた。もちろん、無辜の人間が苦しむのを和らげようという気持ちを持つ幻獣もいる。その他はそういった幻獣を守ったり、面白そうだからついて行こうということで、全員で遠出することになった。
ユエの魔道具によって、長時間飛行が可能になったので、麒麟は自前で移動する。海では他の幻獣や人間を乗せるネーソスは、空を蛇行するユルクの頭の上に陣取る。
カランは一角獣が背に乗せてくれると言うのに迷ったが、時折飛んで疲れたら乗れば良いというユエの言葉に頷いた。言った方は端から一角獣の背に乗せて貰うつもりである。
「ユルクはずっと飛んでいても大丈夫かな?」
『うん。ただ、ティオやベヘルツトが長い時間速く飛ぶのにはついて行けないと思う』
『そんなに速くは飛ばないよ』
ティオが麒麟をちらりと見て言う。
『それに、シアンちゃんはこまめに休憩を取る必要がありますからね。眠っている間、ユルクやりんりんは十分に体力魔力を回復することができるでしょう』
『その間にシェンシ様は写生を行うことができまする』
『我らも周辺の景色を間近に楽しめることができまする』
『休憩中におやつを頂けるとありがたく思いまする』
「ふふ。そうだね。綺麗な景色を見ながら食べるおやつは格別だものね。沢山作って持って行こうね」
わっと歓声が上がる。
館の厨房は広いが流石に幻獣全員が自由に動き回れるほどではない。そこで、扉をあけ放って厨房と庭とを使って調理した。
おやつと言っても軽食、場合によっては食べ応えのある料理である。
卵白、マスタード、酢、塩、コショウを混ぜ合わせ、油を細く垂らして加えながら泡だて器で混ぜていく。
「一度に入れると分離するからね」
「キュィ!」
「キュア!」
「きゅ!」
分量が多いため、手分けして行う。
『マヨネーズは油を少しずつ加えるのが基本だが、それでは手間も時間も掛かるだろう』
風の精霊のアドバイスに従って、三分の一までは少しずつ加え、残りは一気に入れた。マヨネーズと油が接している所から少しずつ混ぜていく。
『泡だて器は小さく速く動かす。全体に混ぜずに境界から馴染ませていく。これは水と油が反発し合う性質を持つが、卵黄が乳化剤となって分離を防ぎ混ざり合う性質ゆえに、そうした方が良いとされている』
「少しずつ油を混ぜるのはどうしてなの?」
『乳化剤は油を包み込み、水分の中に油を粒状にして分散させて安定した形をとる。この分散が重要で、突然大量に油が加わるとひとところで固まってしまう』
「だから、よく混ぜないといけないんだね」
ふと質問してみれば、詳しい仕組みを説明してくれる。
『何だか、硬くなっちゃった』
『本当だね』
九尾が不安げに眦を下げ、リムがボウルを覗き込む。
『その場合はマヨネーズの領域だけを混ぜて均一にすると良い。それからまた油を少しずつ取り込むようにして混ぜる』
『おお、少しずつ柔らかくなってきました』
『こっちは柔らかくなりすぎちゃった』
九尾の声が明るくなるも、今度はリムだ。
『その場合は激しくかき回す。そうすることで小さい油の粒が増えて乳化剤がしっかり包み込め、安定性が良くなって硬くなる。それでもまだ柔らかい場合は油を足す。ただし、入れすぎると味のバランスが崩れる』
風の精霊の助言に従って、リムが素早く泡だて器を操る。
『あっ、混ぜたら硬くなってきたよ!』
『仕上げにしっかり混ぜる』
リムの明るい声に頷きつつ、風の精霊が言う。
『きゅうちゃん、前脚が疲れてきちゃった』
『代わるにゃよ』
『リムは代わらなくても大丈夫か?』
『大丈夫!』
『それよりも、ティオが混ぜるボウルを支える方を代わってあげようよ』
『きゃあっ』
『いやあっ』
『あぁれぇー』
『……』
『わあ、わんわん三兄弟が払い飛ばされた!』
マヨネーズ手作りとはこれほどまでに大変なものなのか。
ちょっと作りすぎたかな、と思いつつ救助に向かうシアンであった。
「痛いの痛いの、飛んでいけ」
気安めだが、わんわん三兄弟の頭を撫でながら言うと、リムが何それ!という驚愕の表情を浮かべる。
そして、きゅっとへの字口を引き締め、シアンを見つめる。
「リム? どうしたの?」
『シアン、ぼくにもそれ、して!』
そういえば、リムにはしたことがなかったと顧みる。リムは生まれて間もないころから上位属性の精霊二柱の加護を得ていたので傷つくことはなかったからである。また、成長痛で苦しんでいた時は、シアンが慌てていてそんなことをする発想すらなかった。
「え? どこか痛い?」
『ううん。でも、やってほしいの!』
まあ、良いかと思いつつ、リムの後頭部から背中にかけて撫でながら言う。
「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、飛んでいけ」
『ぷいぷい?』
『正式には「ちちんぷいぷい御代の御宝」、ですよ。まじない語ですね』
「そうなんだね」
九尾は実に妙なことに詳しい。
マヨネーズは冷やし過ぎない温度で保存する。
『氷点下で乳化が崩れ分離する』
また、過熱調理に用いると分離して溶け出すことがある。
『高速で混ぜて作られれば安定性がよく、熱を加えても分離しない』
「オーブンで焼き色をつけるのは難しそうだなあ」
『ユエ、次に作る料理道具にどうかにゃ』
『良いね!』
職人魂に火が付いた様子だ。頼もしい限りだ。
ティオの攪拌で払い飛ばされたわんわん三兄弟も尾を振り賛成の意を表する。
遠出は準備も心躍る。みなであれこれと用意するのだ。ねだれば好みの料理を作ってくれるし、味見をさせて貰える。
自分には難しいことも他の者ならば容易にできる。役割分担でできることをできる者が行うのを楽しんだ。




