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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
575/630

35.密偵たちのその後9(剛腕家・気配り屋・兄弟) ~兄弟で特訓の巻/譲れない順番~

 

 フィオンは最近、幻獣のしもべ団の拠点と幻獣たちの住む館とを往復している。

 主に、わんわん三兄弟の水克服の特訓に付き合わされている。

 フィオンはわんわん三兄弟にひみつの特訓を持ちかけられて一も二もなく頷いた。だが、これがなかなかの難問だった。

 まずは大きな盥に水を張って、そこにわんわん三兄弟を一匹ずつ入れて水浴び形式から始めて見た。見事に固まった。盥で四肢を踏ん張り、ぴんと尾を伸ばす。顔はまっすぐ前を向き、微動だにしない。必死の形相に、その日はそこまで、としか言いようがなかった。なお、他の二匹も同じだった。

 まずはその状態から会話を、足踏みを、伏せを、と段階を踏んで出来ることを増やしていった。

「なあ、ティオ様やリム様以外の幻獣たちも楽器を演奏しているって本当?」

 他の幻獣のしもべ団団員が気になっていることを質問してみる。

『あ、ああ、そうだ』

 ぎこちないながらも、水に足をつけつつ答えるのはアインスだ。三兄弟の中では最も責任感が強い。

『界様が下賜された素材とこの島で採れる貴重な鉱石から作られたものだ』

『我らも特訓に励んでおる』

 盥の中で水に浸かっていないわんわんたちは饒舌である。

「へえ。一度聴いてみたいなあ」

『そ、そうだな』

 まだ硬い。

「うーん、そろそろ足踏みをしてみる?」

「きゅうん……」

「そんな可愛い顔をしても駄目だぞ。はい、足踏み」

 情けなく鼻を鳴らすも、フィオンは心を鬼にして催促する。

 盥の中のアインスは懸命に四肢を動かそうとした。しかし、緊張のあまりばらばらに動き、ばしゃんと腹から水に浸かってしまう。そのままあたふたと四本の脚を動かす。中々起き上がれず、暴れまわるので水面が大きく波打ち、顔に水が掛かってしまう。

 すかさずフィオンが腹に手を入れ掬い上げる。

「きゃうんきゃうん」

 怯えて濡れた体のままフィオンにしがみつく。涙や涎、鼻水も手伝って、フィオンの服は濡れそぼった。当の本人はそんなことに構わず頑張ったアインスを宥める。

「よーし、よーし、もう大丈夫だからな。よく頑張った!」

 差し出されたタオルで子犬の体を拭ってやる。

「まあ、伏せまでできたしな。ちょっと休憩するか!」

 期せずして、当初の予定を消化した。

 そこでようやくどこからこのタオルは出て来たのかと、傍らを見上げると、家令が姿勢正しく控えていた。

「ひっ」

 悲鳴を上げるのと息を飲むのとを同時にやって、フィオンは喉を詰まらせる。

 暫く動けず見上げていたが、端正な表情からは何も読み取ることが出来ない。

 ぎぎぎ、と軋む音がたちそうなほど角ばった動きで盥の脇で一連の出来事を見守っていたわんわんたちに顔を向け、フィオンが重々しく宣う。

「つ、次は君たちの番だからね」

「「わん!」」

 セバスチャンがいるのだから、意気軒高なものである。

 結果がついて来るかは別として。

 ウノ、エークも順番に同じ特訓をした。結果は似たり寄ったりではあるものの、少しは慣れたのではないだろうか。そうだと良い。

 フィオンもまた、セバスチャンの存在に緊張を強いられることになった。

 家令は特訓が済んだと見て取ると、盥とタオルを回収して踵を返した。

 わんわん三兄弟はセバスチャンについて行きたそうにしたから地面に下してやった。

「「「わん!」」」

「おう、またな」

 三匹並んでお座りして一声鳴いて挨拶してくるのに、フィオンも手を上げて答える。

 せっせと駆けてセバスチャンの後を追う。その姿を何となく見送っていたら、ふと視線を感じ、そちらへ目を向けると、ユエが下生えの影から顔を出していた。

 近寄って行ってしゃがみ込む。

「どうした? 何か用か?」

『う、うん。ちょっと手伝って欲しいことがあるの』

 ユエに連れて行かれたのは工房で、フィオンは何度か入って手伝ったことがある。またそれと同じかと納得する。

『あの棚のやつを取って欲しいの』

「これ?」

『ううん、もっと黒くてごつごつしているやつ』

「これかな?」

『そう!』

「こんくらい?」

『もっと!』

 台の上に並べてやると礼を言われた。

『いつもはベヘルツトに頼むんだけれど、今、出かけていて』

「ふうん。あ、でも、ユエさんもちょっとの間だったら飛べるって言ってなかったけ?」

『あ』

「はっはっは、忘れてたんか?」

 思わず頭を撫でるとユエが照れ笑いを浮かべる。

 台に出した鉱石はユエの同族が早速生産に用いている。

 その台の端に食事が置いてあった。

「あれ、食べないのか?」

『ちょっと今たてこんでいて』

 言いながら、ユエも既に作業に取り掛かっている。急を要し、必要に迫られて自分に声を掛けたのかと納得する。ユエはこの島に来るまでに色々あったらしく、あまり人に馴染まない。

 フィオンはひょいとスティック状の野菜をつまみ上げ、作業するユエの口元に持て言ってやる。すると軽い振動をたててかりかりと口の中に吸い込まれていく。

 頬を膨らませながら咀嚼するユエは無意識でやっているのだろう。

 フィオンは悪戯心を出してユエの同族にも同じことを試してみた。

 元々家事妖精が島主であるシアンが好む姿を、と兎の姿を取った彼らである。幻獣を恐れはするが人間には慣れている。

「そら、手を止めないでいいから、食べな」

 ユエにしたのと同じように野菜を口に持って行ってやると、一瞬戸惑いながらもおずおずと食べた。

『うまい』

『腹減った!』

『こっちも~』

『もっと!』

 最後には催促される始末である。

 にやけながら餌付けしているとふと視線を感じ、窓の方を見やると一角獣が顔を覗かせていた。

 フィオンがユエたちの世話を焼いているのを見て、こっくりと頷く。その動きに、鋭くも美しい粒子を弾く角の切っ先が同調する。

 それはティオが幻獣のしもべ団に良くやったと認める仕草に似ていた。

 わんわん三兄弟の四番目の兄弟であるのだから、怖くないだろうと言い出したのはフィオンだ。ユエはそれもそうかと頷き、以来、便利遣いされている。そして、最近では、グラエムの義手を改良しようとあれこれと指示される。グラエムが不自由なく動くことができるのが嬉しくて、フィオンはせっせと手伝うのだった。



 グラエムはエメリナを人気のない所に呼び出し、愛情を告白した。

「ごめんなさい」

 受け入れられなくて残念に思ったものの、丁寧に頭を下げられ、逆に恐縮した。

 エメリナは献身的に片腕を失ったグラエムの世話をしてくれた。それと同時に、マウロの世話をも率先して焼いていることを見て取っていた。注意を払っていれば、分かることだった。

「エメリナは頭には言わないのか?」

「えっ、なっ、そっ」

 え、何故、それを、辺りかと単語の最初の音しか発することが出来ないエメリナに、珍しくグラエムが察した。しかし、当の本人が隠していることを殊更口にする、デリカシーのなさには考えが及ばなかった。

「俺たちは、いや、こんな世の中じゃあ誰だって、いつどうなるか分からないんだ。伝えられる時に言っておいた方が良いんじゃないか?」

 グラエムが片腕を失った時、彼らは大事な仲間と永遠の離別を迎えた。そして、大陸西で多くの者が亡くなったのを目の当たりにした。

「うん。でも、悔いは残らない。頭を傍で支えることができたら、いつ死んだって、ああ、やり切ったんだなあって思えるの」

 グラエムは目を見開いた。

 惚れたと思っていたのに、案外、まだ分かっていない一面があったのだ。

「まあ、この先、俺にもまだチャンスが転がって来るかもしれんしな」

 言ってにやりと笑って見せると、今度はエメリナが目を丸くする番だ。

「俺は諦めたなんて言っていない」

 グラエムは恵まれた体格を持ち、力もあった。だから、気に食わないことがあれば拳でねじ伏せて来た。それを身体の大きさで劣るマウロはいとも簡単にいなした。

 敵わないと思ったが、同時にこの男の進む先を見てみたいと興味を持った。共に戦ってみたいとも。

 大雑把に見えて、物事が良く見えており、自分の力の限界を知る分、部下の自由裁量に任せる懐の深い男だった。だからこそ、個性豊かな者が集まった。そして、彼らはその能力を存分に発揮した。

 将の器としても負けている。

 だが、恋愛でも負けるかどうかはまだ分からない。

 好敵手であり、力を貸すに相応しい人間に出会えたことを、感謝した。



 新しい主のために可愛い姿に変じていたわんわん三兄弟は四番目の兄弟が逝去した時、ケルベロスへと姿を戻した。

 四番目の魂を、冥府への道行きを案内した。そして、彼の兄の元へと誘った。

『さあ、この先だ。忘れるな。お前は我ら三兄弟の弟でもある。お前の片割れは五番目の兄弟だ』

 どんなおどろおどろしい場所かと戦々恐々としていたが、案外、大陸西の長閑な草原と変わらぬ風景が広がっていた。

「なんだ、フィオン、もうこっちに来ちゃったのか」

 そんな風に言うフィンレイは亡くなった時と同じ姿をしていた。話し方も呑気なままだ。

「もうって結構経っているだろう」

「こっちは時間の感覚がなくってさあ。それにしても、お前、わんわん三兄弟の弟にして貰ったんだって?」

「そう! そうなんだよ! それでさ、お前は五番目の兄弟だって!」

 あまりにも普通に会話するものだから、離れていたブランクを感じなかった。親を失ってそれぞれ里親に引き取られ、再会した時と同じだった。

「え、俺、お前の兄ちゃんじゃなくなったのかよ!」

「ははは。四番目の座は譲らねえ!」

 そうは言うも、フィンレイはフィオンの兄だった。永遠にそうだった。

「くっ、俺が死んでいるうちに!」

「呑気に死んでいるからだ!」

 心底悔しそうにするフィンレイにフィオンは高らかに言ってやる。そうだ。フィオンを残して逝くからだ。このくらいの意地悪は許されるだろう。

 二人はそうやって他愛のない会話を繰り返した。

 それはもっと後のお話。



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