34.密偵たちのその後8(内偵者・凄腕・変装者)
「ここが幻獣のしもべ団の拠点かあ。綺麗な所だな。何だか、空気まで美味しく感じる」
レジスは初めてやって来た島の光景に感激した。
何より、ここには世にも稀な高位幻獣が数多住むという。
おいそれと会えないのは分かっていても、そわそわしてしまう。
「どんなのかな。やっぱり、こう、気高くて美しいんだろうな。グリフォンは遠目でもとても綺麗な毛並みで威圧感があったし」
エディスの英雄である翼の冒険者に憧れて幻獣のしもべ団に入団した。良い記憶のない生まれ故郷ではあったが、それでも、そのエディスを守ってくれたことには感謝している。
レジスは居住地に未練はなく、よって、他の街に長く住み、馴染むことによって情報を得てくる役割を担った。特に、ナタは手ごわかった。金勘定に厳しく、旅人がやってくれば何でもかんでも売りつけようとする。情報ですら売り物で、旅人が何を買ったか、どういう行動をしたかということすらも、全て出回る。その反面、余所者を鷹揚に受け入れることはない。
そんなナタはマティアスや黒ローブが関与したこともあって、幻獣のしもべ団としても、注目する場所となった。
工房で働きながら、街に溶け込み、情報を集め、報告をする。レジスでは察知することができない事柄も、マウロやカーク、ディランなどならば分かることもあろう。そう信じて、周囲に注意を払い、せっせと伝えた。
それが実を結んだ。マティアスの薬草研究や貴族がどう貴光教と繋がっていくのか。不透明に、もしくはまだらに隠れていた事実は、覆っていた布をさっと取り払うように白日の下にさらされた。
更には、密偵として訓練を受けたレジスは異類審問官に対抗しようとする者たちから頼りにされた。そうやって抗議の声を上げていくことが異類審問官を排除しようという大きなうねりに繋がった。レジスは後からマウロにそう聞き、よくやったと労われて誇らしかった。
そんなレジスはようやく本拠地に訪れ、目を丸くした。
「フィオンさん、子犬を飼っているんですか? 撫でても良いですか?」
「いや、こいつらはわんわん三兄弟と言って、幻獣だ。可愛い姿をしているが、元はケルベロスという獰猛なやつなんだって」
しゃがみこんで伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。
「すごく、懐いていますね」
「うん。俺のことを四番目の兄弟にしてくれるって」
それで、レジスはフィオンの双子の兄フィンレイが亡くなったことを想起する。わんわん三兄弟はフィオンの悲しみを受けて、そう言ったのだろう。
何て優しい。
レジスは思わず、傍らに同じくしゃがみ込んだフィオンの頭を撫でた。幻獣にはおいそれと触れない不文律がある。
「うん、俺は子犬じゃないからな?」
「す、すみません!」
「まあ、うっかり幻獣を撫でなかった点は評価する」
フィオンが言うも、レジスは途中から聞いていなかった。
「可愛い! おりこう!」
わんわん三兄弟が揃ってお座りをしてフィオンとレジスを見上げたからだ。しきりに尾を振っている。
「「「わん!」」」
ちょっと得意げにレジスを見やる。
レジスはいっぺんに拠点を好きになった。楽園そのものではないか。ここが穏やかなままであり続けるために、でき得る限りのことをしようと心に決めた。
アーウェルは新たに密偵が育っていることが単純に嬉しかった。
このことを伝えに、時折オージアスに会いに行く。
「お前、こんなに頻繁に転移陣を使うなんて。良く金が続くな?」
「こっちの方で仕事があるんだよ。そのついで」
職務にかこつけて移動し、休みを取ってオージアスと呑む。
「奥さんへの土産、これで良いかなあ」
「ああ、喜ぶだろう」
あまり頻々と新婚家庭に邪魔するのは気が引けるが、オージアスが外で呑むより気楽だと言うし、彼の妻も歓待してくれる。
「奥さん、料理上手だからな」
「酒のつまみだけはな」
「またそんなことを言って!」
特有の身内を下げる発言はだが、本人には感謝の言葉を惜しんでいない様子なので安心している。
「家族も良いなあ」
「俺はカークがいつの間にか結婚していたってのに驚いた」
「それな。みんなたまげていた」
能天気に笑えば、オージアスも肩を竦めるようにして喉を鳴らす。
その灰汁が抜けた雰囲気にアーウェルはこれで良かったのだと噛みしめる。
オージアスは冒険者として密偵を務めた後、マウロの下についた。幻獣のしもべ団へと変じた後も、冒険者の活動を思いきれないところがあったのだろう。心の底に鬱屈をこびりつかせたまま何かを成そうとすると、中途半端になってしまうことがままある。
オージアスは一流の密偵だ。仕事の完遂に於いては疑う余地もない。けれど、行動指針がぶれながら一流の仕事をなすには骨が折れただろう。
ああ、そう言えば、オージアスは元勇者と会ったことがないのだな。会ってみれば驚くだろう。
そう思いつつ、ディランがしごかれていることを話すと、顎が外れるのではないかという反応を見せた。
「あのディランが?」
「うん。ああ、でも、本人がやる気を見せているな。全く歯が立たないけれどな」
「あのリベカもなあ」
「オージアスがいるころからリベカは励んでいただろう?」
「それとイレルミ、か。すごい人間が入ったんだな」
うんと答えるには葛藤があった。オージアスが俺が抜けても全く心配ないな、と言ったからだ。少し寂し気に見えたのはアーウェルの期待がそう認知を歪ませたのか。
オージアスが悔しがってくれると良い。そのくらい、すごい結社にしたい。
自分がそうするのだとアーウェルは唇を引き結んだ。
フィオンとフィンレイは両親を亡くし、別々の里親の下で暮らし、虐待を受けた。こんなところまで一緒ではなくても良いのに。同じでなかったのは、フィンレイがより激しい暴力を振るわれていたということだ。フィオンは気の長い方ではない。街で偶然出会ったフィンレイの怯えた暗い顔が半分崩れていたのを思い出すと、今でもはらわたが煮えくり返りそうになる。
二人で里親の下を飛び出した後は掏りをして糊口をしのいでいた。マウロの懐に入れた手を掴みだされて諭され、双子は懐いた。本能でこの人間は信用できると感じた。自分たちの命を預けても悪いようにはしないと。
そして、それは間違っていなかった。マウロは自分を掏ろうとした者を仲間とし、強盗騎士から旅人を助けてやる暮らしをすることになった。
マウロは双子に言った。
「良いか。お前たちは養い親よりも上等な人間になったんだよ。ほら、感謝されている。赤の他人から感謝されるような人間になったんだよ。だから、養い親に言われていたろくでなしなんかじゃない。もっと上等な人間になったんだ」
あの時の双子の本能を褒めてやりたい。マウロにしがみついて離れなかったからこそ、フィンレイは死ぬ間際まで充実した生活を送ることができたのだ。非人型異類と戦って逝ってしまったけれど、ほんの僅かな間だけでも、必要とされ、十全に能力を発揮し、認められていたのだ。何より、幻獣と出会い、身近に接することができた。こんなこと、そうそう経験できるものではない。
フィオンとフィンレイは変装を得意とした。密偵技術の細かい手作業や針の穴を穿つ精密なことはそれほど伸びなかったから、自分たち独自の技を身に着けようとした結果だ。
変装するに、自身よりも大柄に見せることは簡単にできる。
口の中に綿を入れ、顔を膨らませたりかつらをかぶる。服を着こんで着ぶくれする。底の厚い靴を履く。行動でも肩を開いて大振りな動作をすることで大きく思わせることが出来る。
逆に、自分よりも小柄な印象を持たせることも可能にした。
歩幅を小さくして身振りを少なくし、なで肩や猫背の姿勢を取る。もしくはなよやかな力のない様子を装うことで、ほっそりした印象を与えることが出来る。
双子の下で変装を学ぶ幻獣のしもべ団たちはしきりに感心した。
「喋り方もおっとりしたものと間延びしたものは受ける印象が違うからな」
「それ、どう違うんっすか?」
「え、マジで分からねえ」
翼の冒険者の支援団体として、次々に入団してくる団員に様々に手ほどきした。
多くの者たちからろくでなしと言われたが、賞賛され感心されるようになったのだ。
フィオンは異類排除令が撤回された後、クリエンサーリに出向いて、マイレにフィンレイの貯めていた金を渡した。
大金に驚き、貰う謂れはないと一度は突っぱねられた。良い女だと思う。フィンレイはそんな彼女だからこそ貰って欲しいと願うだろうと説得にかかった。
「フィンレイはさ、女が苦手だったんだ。ガキのころに虐待されてあまり大きな形にならなくて、それで自信を持てなくて、女にも積極的になれなかった。でもさ、あんたのことは気に入っていた。だから、あんたがこの金で幸せになってくれたら嬉しいと思うんだ」
「……娼婦を辞めろってこと?」
「いいや。好きにすれば良い」
マイレは驚いてまじまじとフィオンを見た。フィオンだって、掏りをしていた時、事情をろくに知らない者が大上段に悪いことだから止せと言われたって鼻で笑っただろう。
「フィンレイは辞めろなんて言わないよ。ただ、好きに使って欲しいと思うんじゃないかな。あんたなら、きっとこの金を活かすことができるだろうよ」
少し話しただけでも頭の良い女性だと分かる。
フィオンの予想は当たった。
マイレはその後、小さな店を出して懸命に働いた。ちょっと気弱な旦那の尻を叩いて子供の世話をしながら。そして、金を貯めてフィオンが教えてくれたレシピの材料を贖うことを目標にした。その飲み物を飲んだら、きっとフィンレイのことを昨日会ったことのように思い出せるだろう。
いつだって逞しく前を向いて歩いていく女性がいる。胸の痛みに蓋をして。
彼女は翼の冒険者の支援団体の噂話を聞くのを殊の外好んだ。




