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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
572/630

32.密偵たちのその後6(元勇者と剣聖と弟子ふたり)  ~生前は~

 

『ハッハー、まだまだ! クハハ、どうしたどうした!』

 実に楽し気に軽やかに笑いながら、ひらりひらりと身軽に迅速に動くアンデッドの声が届いて来る。

 スケルトンが白昼堂々活動している。

 更に言えば、彼女(無論、生前の性別である)は武術を極めた元勇者であり、イレルミ、ディラン、リベカといった幻獣のしもべ団でも腕に覚えのある者たちがしごかれている。

 もはや慣れた光景だった。

 当初は陽光の下、自由に動き回る骨に度肝を抜かれた。ユエが作った魔道具のお陰だというので、誰も文句をつけることはできなかった。島にいる者たちはユエが作った物品で助けられている。腕を失ったグラエムは義手を作って貰って戦闘訓練に参加するほどにまでなった。その様子を一角獣の影に隠れながら観察する兎の姿をこっそり眺めるのが楽しみの一つでもあった。

 とんでもないものまで作ってくれたなあ、でも、ユエさんだしなあ、で済んだ。ちなみに、ちんまりした兎に平身低頭なスケルトンこと師の姿を見て、ディランやリベカが何とも言えない顔つきになった。

 剣聖とは剣技に優れその道を究めた者のことを指す。

 しかし、勇者は剣技だけに秀でているのではなかった。得物はそれこそ戦斧や短槍、弓、棒ですら扱った。

 骨の体のどこからそんな力が出るのかと驚くほどの一撃が襲い掛かって来る。それも四方八方からだ。受けて流すうち、少しでも角度を過てば得物を巻きとられる。

『ハッハー。そら! また左が下がった!』

「くっ……!」

 ディランは柄を握る手に力を籠める。普段使う長剣よりも短い剣を両手に持っていた。どうしても、利き腕とは逆の方が弱くなる。

『クハハ。首ががら空きさ!』

「このっ!」

 脇を守ろうとすると首の守りが疎かになったリベカが破れかぶれで撃って出る。が、あっさりと首筋を強打されてたたらを踏む。

『二人とも、体重移動を見直しな!』

 ディランとリベカを同時に相手取って弱点を突き、改善点を述べるミシェレは流石である。

「強いですね」

「本当に。それに、実に楽しそうです」

 休憩中のイレルミに近寄って声を掛けると、シアンが近づいて来るのをとうに感知していたのだろう。驚いた風も見せずに振り向いた。

 シアンはユエにせがまれてミシェレの体内にある魔道具の様子を見にやって来ていた。肩にリムを乗せ、腕にユエを抱えている。珍しく、傍らにはティオではなく一角獣を連れている。

「実は俺、生前の勇者の肖像画を見たことがあるんです」

 ミシェレたちに視線を戻したイレルミが言うのにシアンも驚いたが、それ以上に顕著な反応を見せた者がいた。

『えっ⁈ どんなだったの?』

 ユエがイレルミの方に鼻先を向けて蠢かせる。

 イレルミはちらりとそれを見やったが、殊更大仰な反応をしなかった。だから、ユエも怯えずに済んだ。

「白髪の左横側を少し長めにしたボブの美女でした。生気に富んだ様子がありありと描かれていましたよ」

 イレルミは幻獣の声を拾うことはできないが、ユエが興味を持ったことには容易に気づいた様子だ。

『美女だって!』

 見上げてくるユエの顔が得意げだ。

 その美女が歩いて来た。背中の向こうにはへたり込むディランとリベカがいる。

『ユエ殿、メンテナンスか?』

 ミシェレはシアンを呼び捨てるがユエには敬称をつける。セバスチャンの眉を顰めさせたが、当の本人は何らの感情を抱いていない。

『ううん。人間と闘っている時の様子を見てみたいと思っただけなの』

『不具合は感じないな』

 幻獣たちと穏やかに接する彼女も、楽し気に武器を振るう彼女も、どちらもミシェレだ。

 白髪を揺らして魔神に向かって行った勇猛な有り様もまた、彼女らしいことなのだろう。

 そんな彼女が漏らしたことがある。

『俺は彼の方のことを何にも分かってやれなかった』

 もしかすると、光の精霊と闇の精霊の加護を持つ自分と接することで、アンデッドたちにも変化があったのかもしれない。記憶や意志が曖昧だった彼らが明確な自己を持ち始め、音楽をするに至った。ミシェレなどはユエに頼み込んで魔道具を改良して貰い、島の中でならば昼日中でも自由に動けるにまでなった。

 記憶を取り戻し、意志を持ったことが良いことかどうか分からない。何故ならば、彼らの中には非業の死を遂げた者もいるだろう。志半ばで倒れたことを悔しく思うこともあろう。

 そして、ミシェレも弱音を吐いた。

「分からなくても良いんだよ。それよりも、見守ったり寄り添ったりする方が良いんじゃないかな」

 ミシェレにシアンは笑った。

「きっと、誰にもセバスチャンの気持ちは完全には分からない。でも、どう感じるかを知ろうとして、彼の気持ちに寄り添おうとする姿勢を汲んでくれる人だと思う」

『シアンは俺よりもよほど彼の方のことを分かっている』

「そうかな」

『ああ。ありがとう、シアン。彼の方を救ってくれて。彼の方の心に触れる音楽を届けてくれて』

 大層なことはしていないと思いつつ、シアンの脳裏に元気な声が響く。

「セバスチャンの音楽、か」

『かの方の音楽?』

「うん。リムがね、セバスチャンにぴったりの音楽だって言うんだよ」

『へえ。今度聴かせてくれよ』

 ミシェレは他のアンデッドとは異なり、楽器を演奏しない。武骨な自分の手には馴染まないと固辞したのだ。

 その手に多種多様の武器を扱ってきたが、楽器を手にすることはなかった。それでも、シアンと出会ってから音楽を楽しむことは好んだ。

 アンデッドになってから新しい楽しみを知った。奇縁に巡り合った。そしてそれが、魔族を救う手立てとなった。死してなお、他者の役に立つ機会を得たのだ。

 世の中、何がどう繋がっていくか分からない。それは以前、シアンが闇の精霊に話した事柄でもある。



 荒い息を吐きながら、ディランが顎を伝う汗を手の甲で拭う。

「全く、化け物め!」

「一般的に、スケルトンは化け物だと言われているがな」

「普通のスケルトンにはない能力という意味だ」

「お前、スケルトンと戦ったことがあるのか?」

「ない」

 リベカと顔を見合わせて短く言うと、ディランはその場で仰向けに寝転んだ。

 その姿を見て、リベカは表情を取り繕いながらも安堵していた。

 もはや、拷問の影響は皆無と見ても良さそうだ。緩む頬を引き締める。

 床上げしてすぐに厳しい訓練を自ら望み、驚くほどの動きを見せた。元々、剣技に優れた男ではあったが、ここへ来て、更に強くなった。

 ディランは昔、無能な上官のせいで多くの部下を失った過去を持つ。それ故か元々の気質かは分からないが、ふてぶてしい。幻獣のしもべ団として活動するようになってからは、唯一、シアンにはそのふてぶてしさが鳴りを潜める。苦汁を舐めさせられた上司とは真逆のシアンだからこそ、一層傾倒したのだろう。

 シアンのためならば、異類排除令を発令した魑魅魍魎が跋扈する貴光教総本山の神殿にも潜入するくらいだ。情報を掴んではきたが、無傷では済まなかった。異類審問官によるものほどではないが、拷問の跡が生々しいディランを負ぶって神殿内部を歩いた。あれくらい神経を尖らせたことは記憶にない。

 リベカとて、異性と同衾した経験くらいはある。

 しかし、あの時の熱量、重み、汗と血によって濃く匂う体臭はいつだって思い出すことができる。半ば気を失った心もとなさと共に、微かに混じるこの男の全てを自分が背負っているのだという仄甘さは、それまでに覚えたことのない感情をもたらした。そこいらにいる少々頭が良かったり、腕に自信がある者には抱くことはなかっただろう。当代随一に成長した結社幻獣のしもべ団の中枢を支える頭脳、武力、度胸を持つ男だからこそ、抱いた一種の独占欲だった。

 普段のふてぶてしさからは想像もつかない弱った様子、そして自分の不足部分を受け止め、より一層の力を得ようと遮二無二努力する姿勢に痺れた。何なら、唯一、ふてぶてしさがシアンにだけ鳴りを潜めるというのも良い。高嶺の花を常に心に持ち、完全に誰の者にもならないというところが良い。

 自分でも捻くれているとは思う。

 だが、リベカとて上等な女になりつつある自覚がある。

 安く見積もってつまらない男と添おうとは到底思えない。

「なあ、今度また、インカンデラへ行ってみないか?」

「そんな任務があったか?」

「いや、休みの日に」

「そうだな。美味いものでも食ってくるか」

 ディランは傍らに座るリベカを眩しそう見上げた。ちょうど陽の光が逆光になる位置なのだろう。

 それでいい。今は、まだ。



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