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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
571/630

31.密偵たちのその後5(異能を持つ少女と赤毛の少女)


 マウロに任された仕事、ミルスィニとカランタの訓練に付き合うために、アメデは拠点の館から少し離れた空地へとやって来ていた。

「ロイクの体調はどう?」

「この島へ来てからは格段に良くなっているよ」

「あら、じゃあ、どうして団長はロイクを休ませるように仕向けたのかしら」

「感知能力を同調させるのは神経を使うんだ。他にも色々考えることがあるから、気晴らしをさせようってのもあるんだろう」

「いつも明るく笑っている様子しか想像つかないわ」

「ロイクはあれで真面目だからな」

 長年追い求めていた精霊、恐らくその複数から加護を得ているシアンにロイクは忠誠を誓った。自然な成り行きだと思う。アメデもまた膝を折ったのは、シアンを認めているからだ。従者としてロイクが頭を下げる対象がシアンのような者で良かったとすら思う。これが例えばどこかの傲慢な王侯貴族や偏狭な聖職者だったら、襟首掴んで止めただろう。

 シアンは穏やかそうに見えて豪胆で、財力もあり太っ腹、下の者に鷹揚で自由にさせてくれる。仕えるにこの上ない存在だった。それに面白い事態を引き起こしてくれるので退屈しない。同じように感じる者は大勢いる。だから、シアンの下には人が集まって来る。イレルミなど、その最たる者だ。

 ロイクもまた、やりがいを感じているものの、村長の長子として生まれて来たにも関わらず、家を出て好き勝手やって村のことを後回しにしていることに罪悪感を持っている様子だ。

「そんなもの、領主がやっていることと同じじゃないか」

 国王と契約を結び、その配下となって働きつつ、領土を統治する。

 今や飛ぶ鳥を落とす勢いの幻獣のしもべ団、こぞって既知となりたい翼の冒険者に仕えることができているのだ。

 良くぞやってのけたと称賛されるべきだろう。

 貴族は家令に領地のことを任せる。ロイクはロイクにしかできないこと、精霊の加護を得る翼の冒者に尽くせば良い。

 そのうちそう言ってやろうと思う。

 袋小路に行き当たった主に的確に助言することも従者の役割だと心得ていた。

「ねえ、街で遊んだ女の人に、ロイクとの仲を疑われたんですって? 実は事実じゃないの? やけに気に掛けるのね」

 カランタが疑わしそうに見上げてくる。ミルスィニがそっとその背をつつく。アメデは二人に殊更苦笑して見せた。

「俺はロイクの従者だからな。やつを支えるのも仕事だ。さて、無駄話はこのくらいにしておこうか」

 アメデが言うと、ミルスィニが伸びた背筋に力を籠めた。隣に立つカランタがその気配を感じてこちらも両足に力を入れる。

「異能のアレンジを考えているそうだな」

「そうよ。ベルナルダンとアシルが抜けるのなら、異能保持者が少なくなるわ」

「だが、貴光教や黒ローブの件が片付いたから、そうそう戦力を増強しなくても良いんだぞ」

 それはマウロたち首脳陣の見解でもある。むしろ、武力よりも密偵技術を持つことに比重が傾くだろう。幻獣のしもべ団団員は今のところ強いて増やす予定はない。

 流行り病、天変地異、凶作、そして、異類排除令といった未曽有の事態にあった大陸西は落ち着きを取り戻しつつある。団員たちにも新しく家族を持つ者が出て来た。レジスのようにひと所に留まってその集落で何らかの職に就きつつ準団員として活動するやり方も提案されている。幻獣のしもべ団団員の報酬は魅力的で、何らかの事情で働くことができなくなった時のための蓄えもできるだろう。

 どこからそんな潤沢な資金がと疑問視されるが、シアンは幻獣たちが狩る獲物の素材を魔族に売却することで巨額の財を得ている。この島の動植物は貴重かつ価値あるものが多い。魔族を通じてそれらを手に入れたいという各国の商人たちと、今や活発に取引している。経済が飛躍的に伸びていた。

 シアンは鷹揚に必要経費だ、軍資金だ、危険手当だと言っては幻獣のしもべ団に資金を渡す。それによって装備を整え、ある程度の危険を回避できるのだから有り難いばかりである。

 とは言え、高度知能を持つ幻獣たち、特に翼の冒険者の二つ名を持つ者たちは多くの耳目を集める。いつ何時も動くことができるように鍛えておくに越したことはあるまいとアメデは少女たちに付き合った。

 ミルスィニもカランタも成人を迎えたばかりで体もこの先成長するだろう。

「体に負担を掛けないようにしないとな」

「多少の負荷を与えた方が鍛えられるんじゃないの?」

「程度による」

 カランタは観測者で、せいぜい隣に立ってミルスィニへの補佐の仕方をアドバイスするくらいだ。ミルスィニは射手だから、時にその手を取り、腕や肩に触れることもある。

 訓練なのでミルスィニも気にすることはなかったが、ふとした拍子にやや屈み込んだアメデの顔が間近にあったことに気づき、慌てて視線を逸らすことがあった。平静を装っているが、耳が色づいている。

「休憩するか」

「ま、まだ大丈夫」

 身を引いて言えば、ミルスィニが焦る風情を見せる。

「与える負荷は見極めが肝心だとさっきも言っただろう?」

 言い募ることなく、大人しく従った。

 カランタにもミルスィニにも、アメデがどちらかにするアドバイスを良く聞いておくように言ってある。自分には関係ないのではなく、何故そう言われているのか考え、それによって相手の動きが変わるのであれば、自分はどう振る舞うべきか、頭を使えと話している。

 少女二人が木を背に座り込んで水を飲んでいるのを見るともなしに見やる。

 並べば対照的なようでいて、同年代の少女特有の似た雰囲気を持つ。

 女性がすぐ傍にいるのに手と肩、指と腕、といった風に一部分しか触れない、というのはアメデにとっても新鮮だった。ミルスィニがアメデの体温、質感、体臭を間近に感じたのと同じくアメデもまた知覚していた。だからこそ、すぐに体を後退させた。

 今まで、女性に本心から好かれ縋られたことは数知れずある。なのに、何故年端もいかない少女に及び腰になるのかと言われれば、自分でも分からない。

 ただ、少年めいた少女が女性らしく変化しつつあることに戸惑いつつも、その先を見てみたいという気持ちはあった。



 カランタは何となしに、アメデのミルスィニへの感情が変化しつつあることを察知した。

 具体的に説明することはできない。ただ何となく、というやつだ。

 幻獣のしもべ団は実にきめ細かく気づかってくれる。

 成人したばかりのカランタとミルスィニのことを心配しているだろうと、異類排除令が終息した後、一時二人を故郷に戻るよう差配してくれた。その際、潤沢な物資を持たせてくれた。

 帰ってみれば、叔父夫婦は歓迎してくれ、カランタの無事を喜んでくれた。背が伸びた、娘らしくなったとも褒めてくれた。

 路地裏、そこに隙間なく建つ家、常に聞こえてくる騒音、走り回る子供たち、全てが懐かしく、なのに、遠い世界のことのようだった。もはやここは遠い世界となっていたのだ。

 新人ながらも、武力を持つミルスィニの補佐として任務に就くカランタは、島の拠点に戻ったら浮かぶ、ああ、帰って来たなという実感が、叔父夫婦の家に来て持つことができなかった。

 どこか余所余所しい他人の家でしかなかった。慣れ親しんだはずなのに、初めて嗅ぐ家の中の臭い、と思った瞬間悟った。

もうここは帰るべき場所ではないと唐突に感じた。とても寂しい。ただ、自分が帰る場所は別にある。

 いつもああ言えばこう言うで返していたカランタがそうしないのに、真っ先に叔母が気づいた。

「まあまあ、本当に大人になったのね!」

 喜色満面の様子に、自分が実に傲慢だったことを思い知らされる。叔母にとっては血の繋がらない自分を育ててくれたのだ。他所でも同じ事例は多くあれど、実際自分に降りかかってみれば、面白くないことだらけだっただろう。

「うん。少しは外の世界を知ることができたかな。あのね、叔母さん。今まで本当にありがとうございました。あ、シアンから預かって来た食料や日用品しかないわ。そうだ。私ね、お給金を貰っているのよ。これから、買い物に行きましょうよ。生活に関係のない、叔母さん自身の物を買いましょう」

 赤の他人であるシアンですら土産を用意したというのに、自分は何一つ贖っていない。まあ、叔母自身が欲しいものを選べば良いか、と思っていると、従兄弟たちがうるさく騒ぎ出す。叔母本人はぽかんと驚いた表情をした後、くしゃりと顔を歪ませた。

「まあ、何てこと! 本当に成長して! ひとかどの人間になったのね!」

 褒められれば褒められるほど、それまでの自分の至らなさを言及されている気持ちになる。賞賛すべきはカランタではなく周囲の者、シアンやマウロ、クロティルドたちだと思う。

 今日はお母さんのための買い物だから、と喚く従兄弟たちを叔父に押し付けて、叔母とそそくさと家を出た。涙ぐんでいた叔母はちゃっかりと手早く身支度をした。浮き浮きした様子にカランタも嬉しくなる。

「カランタ、髪に艶が出て来たんじゃない?」

「そうでしょう? ブラシを買って貰って使っているのよ。そばかすも、色々手入れをしているのよ」

「良いわねえ」

 シアンから贈られたブラシやクロティルドにアドバイスを貰った肌の対策に感心され、ちょっと、いや、大分嬉しい。

「叔母さんもそういった物を買いましょうよ」

「まあ、待って。まずは市場をひと巡りしてから吟味しましょう」

 こんな日が来るとは思わなかった。

 あの日、幻獣のしもべ団と出会って変わろうと思ったミルスィニの手を離さなくて良かった。自身も変わろうと思い、一歩踏み出して良かった。



 ミルスィニが戻ると、シプラは早々に店じまいをした。

 商才はあるものの、家事は得意ではない母に連れられて、近所の料理店で食事を摂った。

「ああ、久しぶりの味だわ。美味しい」

 ミルスィニが健啖ぶりを示すのを、母は莞爾と眺める。

 と、腕を伸ばして髪を撫でる。咀嚼しながら、母のやや荒れた指がミルスィニの肩につく髪の先を触れていくのを眺めた。

「髪も身長も伸びたわね」

「まだ背は高くなりそう」

 肩を竦めて見せる。

 ミルスィニとしては、歓迎するところだ。アメデは背が高い。隣に並んでそん色ないくらい、例えばロラくらいの身長が欲しい。

「ふふん」

「何よ」

「身長だけじゃあ、駄目よ。いくらすらりとしていても、女性らしい体つきってのは重要だからね」

「……何の話よ」

 ミルスィニは母に想い人のことなど話していない。

「安心したわ! あんたはそういうことには疎いというか、興味がないかもしれないと思っていたからね」

 反射的に口を開き掛け、意思を動員してその中に料理を放り込むことで文句を呑みこんだ。

「母さんには心配を沢山掛けていると思うけれど、元気でやっているから」

 クロティルドの助言に従って、オルティア宜しく、手紙を送ることにしている。だから、殊更言う必要はないと思ったが、やはり実際会ってみると違うのだろう。母からの返信には女性ならではの必要な物品が添えられていた。母の心づくしに、どれだけ子供がしっかりしていても、母親という存在は心配せずにはおられないものなのだとクロティルドがしたり顔をしていた。

「うん」

 短い返事は、感慨深く温かい眼差しがより多くのことを語っていた。

「でもね、私はそれほどには心配していないのよ」

 ミルスィニは水を飲みつつ、視線でそうなのかと尋ねた。

「だってね、シアンの下で働くんですもの」

「みんな、シアンのことを評価しているわ」

 だが、母も同じくだったとはやや意外であった。

「そうよ。流行り病や凶作で大陸西が疲弊していた時、彼は立派だった。多くの者の力を借りて、彼らに負担を強いず、自分の財を惜しみなく出して数多の者を救ったのよ。ミルスィニ、あんたにはまだぴんとこないかもしれないけれど、彼はね、どんな者よりも直截に的確に動いたわ。そして、思惑通り、自分はあまり前へ出ない。これがどれだけすごいことか分かる?」

 珍しく、興奮している様子だ。

「私なりに」

「そうね。でも、まだまだ足りていないわ。目を見開いて良く見なさい。折角外の世界へ出る機会を得たのだから、吸収できるだけのことを手に入れなさいな」

 母はそうして来たのだろう。

 うら若い女性が遍歴商人をするなど、どれほどの危険があっただろうか。周囲からも無謀だと言われただろう。

 翻って、自分は恵まれた環境でそれを行うことができる。

「しっかりやんなさいよ」

発破をかける母は若々しく、自分もこういう歳の取り方をしたいなと密かに思いつつ、頷いた。



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