30.密偵たちのその後4(統治者・伊達男)
アメデは自他ともに認める色男だ。
色ごとを好み、多くの女性と浮名を流している。幻獣のしもべ団の活動で大陸西のあちこちに赴いては楽しんでいる。ある意味、従者として付き従うも、主であるロイクよりも充実した日々を送っていると言えよう。
その日も任地で待ち合わせまでの短い時間に逢瀬を行った様子だ。ただ、珍しく縋られていたらしく、集合場所に姿を現さないアメデを探して覗き込んだ路地先で愁嘆場が繰り広げられていた。
「済まん。待たせたな」
悪びれなく乱れた髪を手櫛で直している。
「従者のくせに主に能力を使わせて探させるなんて、良い度胸だな」
ロイクが大して気分を害していないことを知っているからか、鼻息交じりの笑いを返された。情事の残りが漂うあだっぽいものだった。
それを涙ながらに見送っていた女性がしかと目にしていた。
「その子が原因なの⁈ その子がいるから、私じゃ駄目なの?」
「はあ?」
突然上がった甲高い声にロイクが振り向く。
「馬鹿、振り向くな。行くぞ」
アメデに腕を取られ、引っ張られる。
「お前、珍しく下手を打ったな」
「待ちなさいよ! そんな子より、私の方がずっと柔らかい体をしているじゃない! 男じゃあ子供だって産めないのに!」
どんどん支離滅裂なことを言い募っていく女性の声から逃れるようにして二人は足を速めた。
「完全に俺たちの仲を疑っていたな」
顔をしかめて睨み上げてやれば、甘く苦笑する。
「まあ、たまにはこんなこともあるさ」
「そうそうあってたまるか!」
ロイクはこれで終わったと思っていた。
この一連の出来事を幻獣のしもべ団団員が見聞きしていた。団員の中で広まった。大方はアメデの放蕩ぶりを面白おかしく話した。色男へのやっかみである。ロイクとしてはとばっちりである。
マウロに泣きついてしばらくアメデと別行動にして貰った。オルティアも婚儀や領地の異類排除令や天変地異の影響の確認で忙しい。イレルミは元勇者に気に入られてしごかれている。しばらくは諜報隊の活動は休止にして、異能を磨くことに専念する。
「お前さんたちには長く緊張を強いたからな。少し休め」
マウロの言葉は有り難い。だが、しかし。
「アメデを野放しにするのはなあ」
つい先だってもやらかしたばかりだ。
「ああ、やっこさんには別の仕事を割り振ろう」
顔をしかめるロイクに、マウロがにやりと笑った。
ロイクがオルティアと同調することで、高まった感知能力によって彼女の追捕の矢が不可視の敵を捉えた。広範囲で遮蔽物があっても矢が追ってくる。非常に強力な攻撃だ。しかし、それには欠点もあって、ロイクとオルティア、双方への負担が大きいことである。また、集中を要するので隙を生みやすく、二人の護衛が必要となる。狙われるのは必然で、安心して各々の任務に集中できるようにするのがアメデの役割である。
ロイクは感知能力が高く、精霊の息吹を捉えることができるほどであった。そのせいか、体調を崩しやすく、心配した両親や執事にアメデを従者につけられた。幼馴染みであり、気心知れているのでロイクにも否やはなかった。
ロイクやアメデの一族は異能を持つ。
他の者の異能を取り込み、射出することができる。
今まで何故それができるか考えたこともなかった。
アメデはマウロの指示により、ミルスィニとカランタの訓練に付き合うのだそうだ。ミルスィニはロイクたちとは違う、ゾエ村異類と同じ異能を持つ。
「異能は違えども、訓練くらいには付き合うさ」
消極的に受け入れたアメデはロイクにちょうど良い機会だからしっかり休めと言い置いて出かけて行った。
良く晴れた日で、こんなに心地よいのに部屋に籠るのは勿体ないと散歩に出ることにした。
あてどなく歩いていると、島のどこからでも見えるのではないかという巨木が視界に入る。何となくそちらに足を向ける。
「ああ、やっぱり綺麗だなあ」
大の大人が何人も両腕を広げなくては一周することができない太い幹とそれに見合う高さを誇る。青々と葉を茂らせ、威風堂々と梢を広げている。
遠目にも美しくも威厳のある佇まいだったが、近寄ってみると、周辺に清涼な空気が取り巻くのを感じた。
ある日、いつの間にか島に巨大な樹が立っていた。
シアンが神秘の森という所で貰った種を植えたところ、成長したのだという。幻獣たちが精霊たちに願い、大きく成長したのだという。
「それにしたって、こんなに大きな樹が瞬時に育つなんてなあ」
古参の幻獣のしもべ団はもはやシアンや幻獣たちがすることだから、と何があってもそういうものだと受け入れている節がある。
「カラムの農場だって、収穫しても次の日にはまたぞろ実っているだろうがよ」
「ジョンのところの牧場だって毎月のように仔を生んでいるじゃないか」
「人手不足だって言いつつも俺たちの手を借りるだけで回せているんだ。そりゃあ、精霊の力が働いているんだろうさ」
幻獣のしもべ団たちは精霊がどんな存在か殆ど知らない。知らないまでも、真実にたどり着いている。
「この樹にも精霊が宿っていそうだなあ」
「うん。そうなんだよ」
「シアン」
太い幹の向こうからシアンが顔を出した。その肩にはリムが陣取っている。
「ロイクは散歩に来たの?」
「ああ。島のどこからでも見えそうな樹だよな。やっぱりそうかあ。精霊が宿っているんだな」
「うん。この島の植物の成長を管理してくれているから、とても助かっているんだ」
「この島の……」
下級の精霊にそれほどまでのことはできないだろう。
ならば、中級、もしかすると上級ですらあり得るかもしれない。
ロイクは村人たちと同じ異能を持つ他、高い感知能力を有していた。それでもって精霊の存在を感じることができたので、彼らの声を拾い、森の伐採に関して将来を見据えたものにし、植生が死滅しないように村人たちに話した。そうしたことに精霊は喜んだ。精霊は世界の各属性の粋であり、魔力の源でもある。枯渇すれば神でさえ存在することが危ぶまれる。その精霊ですらも、自分の属性に関するもの、例えば、水の精霊なら湖や海といった場所が汚染されては、その性質を歪める。湖が埋め立てられれば、時には消滅することもあり得る。
世界の根源として多くの者に力を与えている精霊が滅せられるなど、あってはならない。
人の価値観の範疇から大きく外れる行動をする精霊を見ながら、ロイクはそう思った。
だから、精霊のために何か力になりたいと思った。
他の者に力を与える者に尽くしたいと願った。
それは人として真っ当なことではあるが、次期村長としてはそぐわなかった。村と村人のことを第一に考えなければならないのに、世界のことを優先する村長など無用の長物だ。
ロイクは次期村長の座を弟に譲るべきかと考え始めていた。
シアンはロイクたちの村に折に触れて物資を送ってくれた。それが流行り病や凶作に喘ぐ最中、どれほどありがたいものか。これもロイクらが翼の冒険者の支援団体で功績を挙げているからだと受け取られている。
けれど、実質は精霊の加護を得たシアンに仕えているのだ。村のことは二の次になっている。
「俺も村の近くの森で精霊を感知したから、無計画な伐採をやめて動植物を狩りすぎないようにして貰ったなあ。後は湖や川の埋め立てを避けるとか」
「ふふ。ロイクは本当に精霊が好きだね」
「うん。消滅しちゃったら悲しいもんな」
シアンがふと明後日の方向を向いた。
ロイクははっと息を呑む。
すぐにシアンがロイクには感知できない存在に意思を向けたのだと察した。だから、シアンが人知を超えた存在との対話をするのを邪魔しないように、話しかけるどころか、身じろぎもせず、まさしく固唾を飲んで見守った。
シアンはひとつ頷くと戸惑った風情でロイクを見た。身を硬くして見つめていたのに気づくとふと微笑んだ。
「この樹の精霊がねロイクの異能について教えてくれたんだ。ごめんね、勝手に聞いて」
「いや、樹の精霊が自ら語ったんだろう。そうか。俺の異能を感知したのか」
自分に興味を向けたのかと落ち着かない気持ちになるも、どんな風に言っていたのか聞いて良いものかと迷う。
それを察したシアンが言う。
「樹の精霊は植物についても詳しいんだよ」
「ああ。島の植物を管理しているって言っていたな」
「うん。それでね、植物は毒を持っているものもいるでしょう? どうして自分が作る毒に耐えられるかと言うと、毒を隔離してしまうんだって」
「そういう風に体の組織が作られるということか?」
「そうなのかな? ええと、僕も詳しくはないんだ。……ああ、そうなんだ」
後半部分はシアンの視線が横に逸れる。ロイクからやや離れた位置だ。
そこに、坐すのか。
「植物の細胞内———体内にある「液胞」という器官に自分が作った毒の成分を蓄えておくそうなんだ。ロイクたちが他の異能を取り込んで体内に留め置けるのも同じような役割を果たす器官を体に持っているからなんだって」
「そうだったのか」
ロイクは心底驚いて目を見開いた。
村では異能を持って狩りをする者は短命だ。それは大きな力を持つ者の宿命だと考えられていた。他の異能を持つ者たちも同じようなものだと聞く。異能を獲り込み、己が武器としてきたがその仕組みについては無知だった。思考が止まっていたのだと思い知らされる。
「人体には毒となる成分を取り込むと、すぐにある成分を分泌して結合させ、無害な構造にして液胞に格納するんだ。自分を害する者、敵に向けて放出する時は液胞の外にある酵素という成分によって「毒性」が戻って射出されるから、効果があるんだそうだよ」
「精霊ってそんなことまで分かるものなのか」
感心するとともに、腹の奥底から沸き立つ感情に押し出されるようにして高揚感がせりあがって来る。
「うん。樹の精霊は植物について詳しくて、風の精霊は万物を知るから」
各地を巡る際、風の属性の上位存在は知識欲が高く、博識であることが多いと聞いた。しかし、万物を知るとは途轍もない。
「それでね、液胞や酵素を酷使するのはやはりロイクたちの体に負担が掛かるそうなんだよ」
「なるほど。いや、一族でも、個人差はあるものの、異能使用はインターバルを置いたり、欲張って大量にストックしないように言われているんだよ」
「経験則による知恵なんだね」
短命だからこその知恵だ。
「健康を害したり、時によっては命に関わるからな」
「それでね、樹の精霊が言うには、少しずつ毒性のある植物を摂取することで耐性を強化していくことができるんだそうなんだよ」
ロイクは息を呑んでシアンを見つめた。
ふと幻獣たちが魔族に周期的に流行る病の特効薬を作ったことが想起される。同じように、ロイクたちをも救おうとしてくれるのか。
「本当に少しずつね。そうすることで、体調不良を起こすことも少なくなるだろうって」
「どうして、俺にそんなことを教えてくれるんだ」
ロイクは唾を飲み込み、ようよう尋ねた。みっともなく声が震える。
憧れた存在が、異なる価値観から人やその営みに興味を示さない精霊が、その力をもってして、知識を授けてくれる。
耐性を強くすることができると知ったら、ここぞという時の切り札としてこの上ない安心感をもたらす。この世界には魔獣や非人型異類という脅威が間近にあるからだ。
「ふふ。樹の精霊や風の精霊はね、ロイクが精霊のためにって色々してくれたことが嬉しいんだと思うよ。植生のことも考えてくれていたみたいだしね」
その言葉に、不意に目頭が熱くなった。
ロイクが精霊を慕うのは自分が好きでやっていることだ。だが、その気持ちを受け取って貰った気がした。更には喜び、一族の健康を向上させてくれようとした。
「ありがとう。嬉しいよ」
その言葉に集約される。ありきたりなものだが、心底そう思う。
だから、村を管理する側にいる者として誓おう。
強い異能を自分たちの生活を成り立たせるためだけに使おうと。他者を支配したり故なく他害したりすることには使うまいと。
シアンが苦笑気味なのが気になって聞いてみると、風の精霊はもっと詳細に専門用語を用いて語ってくれているのだそうだ。
「精霊の言葉は幻獣たちには全員に声が届くものの、殆ど分からない事柄が多いんだよ。シェンシでさえも全てを理解できるのではないと言っていたよ」
あの諸書に通じるといわれている鸞でさえも理解が及ばないというのだ。改めて、万物を知るという精霊の凄みを実感する。
シアンはそれをロイクに分かるように相当かみ砕いて話してくれたらしい。
「ごめんね。僕がもっと知識があったら良かったんだけれど。え、そんなことないよ。英知はきちんと説明してくれている。いつも助かっているよ」
後半部は風の精霊に向けて言っているらしい。内容からしてみれば、難解な解説をしたことへの謝罪をしたのだろうか。
精霊が謝るのか。
関心を向ける対象が不明なとらえどころのない精霊が、シアンにその知恵を授け、理解できないのは自分に原因があるというのか。
「シアン、すごいな」
しみじみと言うとシアンが眉尻を下げる。
「僕がすごいんじゃないよ。英知———風の精霊や樹の精霊だよ」
シアンは精霊に教えられて大樹にほど近い場所に生えていた植物を土ごと採取し、これを村で根付かせて少しずつ摂取すると良いと教えてくれた。
ロイクは早速その足で転移陣を踏んで村へ向かった。
突然やって来た村長の息子の話に、村人は仰天したが、以前からその感知能力の高さには一目置いていた。精霊狂いが高じたことからであるものの、植樹と並行した森林伐採やろ過装置など自然と共存しながら村の運営をとの主張は受け入れられてきた。何より、流行り病や天変地異の際、薬や食料、物資を大量に送ってくれた翼の冒険者の信任厚いロイクの言は受け入れやすい素地が出来上がっていた。ロイク自身、体調を崩しやすかったのが今では丈夫になっている。
だったら、試してみるかとなった。
シアンを通じて精霊が教えてくれた通り、少量ずつ毒性のあるとある植物を摂取した村人たちは非常に健康的になった。長寿にも恵まれるという余禄の他に、田畑の周囲に植えておくことによって、害獣が寄り付かなくなるという利点をももたらした。
村人たちは流石は次期村長だと、各地を飛び回って滅多に帰って来ない者を好ましく支えた。そのロイクの言葉を重く受け止め、異能は主に身をも守ることに使うよう戒めた。
精霊たちはそうやってシアンを支える者が、後顧の憂いなく任に当たれるようにしたのだった。




