10.黒ローブ/エディスへ
一面黒い壁紙に覆われた部屋だった。
四隅に松明が明かりを灯す他、中央奥に脚一本で支える小さい丸テーブルに黒い布をかけ、その上に燭台が置かれている他は何もない。異様な空間だった。
その黒の間と呼ばれる部屋には、十数人もの黒いローブを頭からかぶった者たちがいた。扉が開き、同じく黒い布を纏った者が入室する。居並ぶ者たちの中央をするすると歩いて最奥に向かう。
やや手狭な部屋の奥に置かれた丸テーブルの後ろに回り込み、黒ローブたちと対峙する。
黒ローブたちが拳を握り、逆側の肩に当てる。甲を見せるその手には黒い手袋が嵌められていた。中には数人、白い手袋の者もいる。
す、と前に立つ黒ローブが腕を上げ、掌を下に向け、礼を止めるよう仕草で指示する。その手にも白い手袋が嵌っている。
一斉に腕を下すと、再び部屋は黒一色に染まる。
「それでは、かの者、佞悪たちは何か動きはあったか?」
「北、確認できませんでした」
「南、同じく」
「西、何も在りませんでした」
「東、他と同じ」
「ふむ。特に際立った動きは見せていない、と?」
静かに淀みなく報告がされるのに、奥に立つ黒ローブがゆるゆると言う。語調に合わせて蝋燭の灯火も揺れる。
「しかし、佞悪どもは確実に浮足立っている。これは何らかの予兆だとしか思えぬ」
「いささか追及が手ぬるいのでは? 一人二人捕縛して、鞠問してみれば良かろうものを」
最前列に陣取った黒ローブがつけつけと言及する。
「しかし、それでは御託宣に反することになるのでは?」
集団の中から細い声が反論する。
「痴れ者がっ! 啓示は佞悪どもに関するわけがあろうかっ!」
最前列の黒ローブが振り返りもせずにその場で怒鳴る。
その後、しばらく静寂が訪れる。
「さよう。幾久しく下されることのなかった天声が佞悪に手出しするなというものである筈がない。佞悪どもを排除し、清浄な世界を創り上げることこそが御心に適うものであるのだから」
集団と対峙する黒ローブの言葉に、室内の張りつめていた糸が緩む。
「我らは我らの責務を全うすれば良い。佞悪どもの罪を暴き、白日の下に晒すことで、彼の者たちの捩じれた心根を広く知らしめるのだ」
黒ローブたちは再び一斉に拳を握り、逆側の肩に当てる。
ひび割れたように痛む。痛むのは体か、心か、あるいはその両方か。
散会して次々に部屋を出ていく仲間たちを眺めながら、最後尾について行こうとする。
不意に自分に気づいた者が、不快なものが視界に入ったとばかりに小さく舌打ちし、吐き捨てる。
「出来損ないが」
途端に体が硬直する。呼吸がうまくできなくなる。
誰もいなくなった部屋でただ、うずくまっていることで何かをやり過ごした。黒いローブ姿の仲間たちがいなくなった部屋はだが、真っ暗なままで、ただ、松明の灯りがちりちりと揺れていた。
きらきらと音がしそうな程、遠目にも太陽の光を反射する輝きが見える。徐々に光はすそ野を広げていく。満々と水を湛える鏡面のような湖が見えてくる。湖面から吹く清涼な風が額から髪をさらっていく。きっと、精霊の力なくば、むき出しの額も頬も冷たく感じていたことだろう。
やがて、眼前いっぱいに水が広がる。ところどころ、氷が残って浮いているが、それもじきに溶けるだろう。
『わあ! これが海?』
リムがシアンの肩から身を乗り出して歓声を上げる
「ううん、これは湖。陸地の中にある水たまりで淡水、塩辛くない水だよ。でも、ここの湖は大きくて水深が深いそうだね。海もこんな風にずっと水が続いているんだよ」
以前、海について話したことがある。リムは記憶力が良いのかよく覚えている。
『正確には湖は塩類濃度が低い淡水湖の他、塩類濃度が高い鹹湖や淡水と海水が入り混じった汽水湖などがある。このフェルナン湖は淡水湖だね』
シアンの説明を風の精霊が補足する。
「あ、そっか。塩湖って言うものね」
昼下がりの麗らかな日差しの中、シアンたちはゼナイドの国都エディスの全貌を上空から視認した。
円形の高い壁に囲まれた街はいくつかの円を内包している。三つの円形の大きな道が走り、それとは別に中央から放射状に街門に向けてまっすぐ伸びた道にさらに区切られている。その仕切りの中にぎっしりと赤い屋根の家が密集している。中央には尖塔を持つ大きな建物とその前に広場がある。街の外は平らな田園と森が広がっている。その間を街道が伸びている。
エディスは横長の赤い三角屋根がある二階建て、三階建ての集合住宅である広い建物がいくつも建つ大都市だ。大きな通りが複数伸び、中央には尖塔を持つ高い建物がある。公共建造物だろうか。
三角屋根には出窓が瞼を押し上げる風情で均等に並んでいる。中には三角屋根の側面に小さな三角屋根を持つ窓が並んでいる建物もある。
また、単なる横長ではなく、直角に曲がっているL字型の建物や、中庭のある口型の建物もあり、様々だ。
どれも赤茶色の屋根を持っているということに統一感がある。
そして、諸外国にまで知れ渡っている大きな湖だ。
街の北側にある湖は、大量の水量を湛え、南北に長く伸び、端から端までティオが飛行しても朝から夕方近くまでかかるだろう。
風の精霊の話では、水深も深く、冬には全面凍結するそうだ。特筆すべきは透明度が高いことだ。
獲れる魚を燻製にしたものが冬場でもよく市場に並ぶという。
湖とエディスとに挟まれた形でゼナイドの王族が住まう城が立つ。
光が横手から指し込んで、王城を照らし、陰影をつけ、水面にくっきりとその姿を映し出している。
寒いが豊かな魔力による恩恵のある国だ。
『湖の日の出の時には赤く染まった湖が、太陽が姿を現すと水面を起点に太陽の幅分の黄金色の道筋ができるそうだよ』
「そうなんだ。一度見てみたいな」
百科事典であり、ガイドブックの役割も果たす風の精霊の言葉に、シアンは興味をそそられる。
『湖畔沿いにセーフティエリアがいくつかあるよ』
『シアン、この近くでテントで泊まるの?』
まっすぐ国都に向かわず、すこし遠回りをして湖の景観を見せてくれるティオが尋ねる。
「それも楽しそうだよね」
『うん!』
ティオの代わりにリムが頷く。
『その場合、夕飯は魚を焙ることになりそうですね』
九尾も乗り気だ。どちらかというと、景観よりも食い気が勝っているようだ。
ティオの背から降り、街道を歩いてエディスの門を潜る。
街の門番に冒険者ギルドで登録すれば、ティオ単体でも街に出入りすることはできるが、なるべく言葉が通じる者が傍にいて行動してほしいと告げられる。破格の計らいだ。コラの冒険者ギルドからエディスの冒険者ギルドへ連絡が通り、そこから門番にまで話をしていてくれたようだ。
まずは冒険者ギルドへ行き、昨晩の戦利品を、一部の肉を残して売り払う。
高額となったので、ギルドに半分預けておくことにした。
冒険者ギルドや商人ギルドに金銭を預けておくと、他国のギルドでも引き出すことができる。
一定の手数料を取られるが、これは預入金額や貢献度によって異なって来る。
あちこちの国を移動する者にとってはありがたいシステムだ。なぜならば、交易がさかんで同じ貨幣を扱う国同士でなければ、その国の貨幣に換える必要がある。その際、手数料を取られる。
ギルドでならば、この両替手数料は取られない。貨幣価値が国によって異なるが、それもきちんと時価で行ってくれる。
両替も場所によってはぼったくられることもあるし、きちんとした場所ならば手数料が高いこともある。
全ては自己責任なのだ。
旅慣れた者であれば、この国ではどの国の貨幣が強い、その国ではどこそこの国の貨幣を欲しがるので商人と交渉しやすい、と刻々と変化する貨幣ごとの価値を知り尽くしている。
国によっては米ドルの通用度が高くレートが良い、といったような事象だ。
また、村や小さな地方都市などでは両替を行う場所がなかったりするのも現実世界と同じだ。
シアンはそこまで貨幣価値に関して詳しくなかったので、大きく損をすることがなければいい、と漠然と考えていた。また、その時狩りの獲物の素材を売却することによってその国の貨幣を手に入れることができるので、まさしく現地調達で賄えたと言える。
冒険者ギルドの買い取りをするカウンターを離れ、受付カウンターでティオたち幻獣の街の出入りをするための登録を行う。
「トリスからいらしたシアンさんですね?」
アダレード語で話しかけられた。コラの宿泊施設でもそうだったが、大都市のそれなりの施設の窓口担当者は数か国語を話すことができるのだろう。コラは国境を隣にしているし、エディスは国都だ。あちこちの国から訪れる者がいるのだろう。
「トリスの冒険者ギルドから連絡を受けています。エディスのギルドとしても配慮します。ですので、ぜひ、こちらでも依頼を受けてくださいね」
朗らかな笑顔で中々押しが強い。
ティオが一緒に泊まれる宿泊施設があるかどうか、最低でも大型の幻獣を預かる厩舎を併設している場所、という条件で尋ねる。大型の幻獣を預かる場所はあるが、グリフォンほどの高位幻獣を引き受けるかどうか不明なので、調べておくと請け合ってくれた。
要請はするものの、その分便宜を図ってくれるので、頼みやすいし引き受けやすい。
「当分はトリスから転移陣を使って通うことになるかな?」
『金の力は偉大ですな』
「皆が狩りを頑張ってくれているお陰だよ。居心地の良い場所で休んでほしいからね」
九尾が身も蓋もない事を言うが事実である。そしてその金銭は幻獣三頭が狩ってきた獲物を売却して手に入れたものだ。その彼らが快適に過ごすことに使用するのは当然のことだ。
『しばらくはこの周辺を見て回る?』
「そうだね。ティオはもっと他の場所へ行ってみたい?」
『ぼくは湖をもっと見てみたい』
『周りに小さな村がいくつかあったよ!』
ティオが珍しく興味を示し、リムがシアンには見えていない場所まで見通していたようだ。
「じゃあ、当面、この辺りを見回って、ギルドの人が言っていた通り、魔獣討伐をしようか」
方針を定め、街中を見物がてら歩き回り、ゆっくり神殿を目指す。
道行く人の視線がティオに集まる。集中砲火にあっても当人は平然と進む。
冒険者ギルドは街の外側の円に位置している。中の円に向かって大通りを歩く。飲食店、食料品店、清潔な宿、衣料品店、道具屋、土産物屋、色んなものが揃う大通りの店には買い物客が多い。
なだらかな傾斜がついた道を歩く。コラと同じく赤茶系統の屋根で統一されているが、エディスの建物の壁は白やクリーム色、オレンジ色など様々で、そこにリム曰くぎざぎざの木軸で模様づけられていて、非常に華やかな印象の強い街並みだ。人の出入りが激しく、壁の色までは統一しきれていないのかもしれない。
緩やかなカーブを描く道に沿って、四階建ての建物を過ぎると、鋭く尖った尖頂を持つ塔を左右に従えた建物がその威容を見せる。
尖頂が高く鋭く天を突き刺すその先に、真円の輝光石が収まっている。いと高き場所に陽の光を浴びて美しく輝くように設計されているのだそうだ。
切妻屋根のある開口部や垂直に伸びる大小さまざまな小尖塔、何連にも弧を描き、交差する桟、曲線を描く透かし彫りといった手の込んだ意匠が数多施されている。正面入り口は、連続するアーチのかかった窪みの下、大きなアーチ曲線を描く三つの口を開いている。ひと際目を引くのが円形のステンドグラスで作られた窓であり、おそらく、光を効果的に建物の中に取り込み、神々しさに彩を添えるのだろう。
『わあ、丸い大きな窓!』
『あの塔は大分先から見えていたよ』
『貴光教の神殿らしい派手な建物ですな』
幻獣たちがきゅあきゅあきゅいきゅいきゅっきゅ鳴き始めたので、道行く人が驚いて足を止めたり、肩を大きく揺らしたりしている。
「あまり往来ではしゃぐと迷惑になるからね。ほら、四属性の神殿へ行こう」
貴光教は光の神を祀る神殿だ。以前、闇の属性を持つ者を排除する姿勢だと風の精霊から聞いたことから、忌避する気持ちになっていた。ここの転移陣を利用する気にはならなかった。
神殿前の広場を抜け、大きな通りをしばらく歩いて風の神を祀る神殿にたどり着いた。
貴光教ほどではないが、コラの神殿よりも大きく、威風堂々とした佇まいだ。
正面玄関には見事な透かし彫りがあり、その下に大きくアーチ型に切り取られた入り口が三連ある。翼棟の奥に尖塔があり、こちらも鋭く高く空に突き出している。
中へ入ると、複数の柱身で構成される円柱である束ね柱が高く円形天井を支えている。天井は二つの半円筒天井が交差し奥行きを与え、じっと見上げると吸い込まれそうになる。
側廊の脇に聖教司が立ち、来訪者の問い合わせに答えている。シアンも声を掛け、転移陣の登録したい旨を告げる。
教えられた通り、側廊をまっすぐ進み、右に伸びる翼廊へと入る。列柱廊が長く続く奥の手前に小部屋があり、そこが転移陣の登録場所だ。
半ば予想した通り、ここでもコラと同じような現象が起きた。どこの転移陣登録でも魔力感知の魔道具は白く濁った丸い石に掌をかざすようだ。
石が虹色に輝き、太陽のコロナのごとく輝き、鞭のしなりを見せる。
ティオたちも同様だった。
そして、やはりここでも恭しく接せられ、転移陣の使用料の受け取りを断られた。そこで、喜捨という形で転移陣料を支払った。喜捨であれば受け取らざるを得ない聖教司はますます畏まった。
そのままトリスへ戻り、夕方前にはログアウトした。