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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
566/630

26.生きていてこそ

 

 子供は両親と共に異類審問官から逃げ、海を渡った先でようやく落ち着いたころ、またいじめっ子に虐められるようになった。元居た村でも子供に何かと意地悪をしてきた。異類排除令によって逃げ込んだ街で、密告するのではと疑われて石を投げつけられ、追いかけられたこともある。

 いじめっ子がちょっと動くだけで肩が跳ねた。最後には体が石みたいに硬くなって、何かされるのではない、自分には関係のない動きをしていても、近くにいたら身動きすることができなかった。なのに、心臓は激しく動いていた。息が上手く吸えなかった。

 他の時みたいにちゃんと自分の言いたいことが口から出なくなった。そうすると、余計に相手を苛立たせていじめられた。

 それでも、異類審問官にいつ捕らえられるかと怯えていた時よりも格段にましだった。

 何より両親が生きている。共に暮らしていけるのだ。

 再び失いたくないという自分の気持ちでいっぱいになっていたが、両親は両親で、追いつめられていたのだと思う。きっと、不安な気持ちでいっぱいになって膨れ上がってしまって、いつかばちんと弾けてしまう前に、子供だけでも助けようとしていたのだろう。

 そんな状態なのに、拙い言葉に耳を貸してくれた。きちんと伝えられたかどうかわからないけれど、両親はしっかりと聞いてくれたのだ。きっとそれは自分のことを好きだからだ。それが嬉しい。

 あの時、勇気を出して良かった。みっともなく声が震えても、一生懸命話して良かった。

 いじめっ子を避ける毎日は綱渡りの冷や冷やするものだが、両親を再び失うのではないかという心配がなくなった。大きな石に押しつぶされる心のつかえはなくなった。

 実り豊かな大地で、頑張ったらその分報われる。あんな経験をして、両親ともう一度生きようとした。

 生きてさえいれば。

 そんな子供の気持ちを察してくれたのか、両親はいじめっ子とは別の集落で暮らせるように希望を出してくれた。そこで友達もできた。

 他の街へ移動する前に、いじめっ子は異能がない子供がこの地に住むのはおかしいと言った。その言に一理あるのかと惑った。その間隙をつかれてあれこれ罵倒され、やはりまた石を投げられた。同年代の子供たちはいじめられる方をも遠巻きにした。そんな折、どこの異類の村出身でもない、普通の人間の男の人と話す機会があった。子供と話すうち齟齬があり、ひとつずつ勘違いを解きほぐしていくと、彼はどうやら異類の村で暮らす一族は全て異能を持つのだと思っていたそうだ。村人が良くある思い違いだと笑っていた。男の人はしきりに感心していた。彼は異能は珍しい能力というだけで、ちょっとすごい職能くらいに思っているようだった。

 子供は驚いた。

 そして、みながその程度に考えていれば、異類排除令なんていうものは起きなかったのではないかと思う。

 新天地で中心人物となった穏やかな風貌の女性聖教司が、嫌悪を感じている人は、無害な行為にも悪意を読み取りやすくなると言っていた。何でもかんでも悪く取るというのは、まさしくいじめっ子がしていたことだった。

「だったら、好きな人のことは何でもかんでも良く思えるということかな。でもね、聖教司様。好きな人でも間違っていると思ったことや、譲れないことは、きちんと言った方が良いよね」

 子供はそうやって、辛くも二度目に両親を失う憂き目を逃れたのだ。

「その通りですよ。貴方は賢くて強い。自分で感じて考えて出した答えは大事になさい。それに固執するのはいけないことだけれど、心の支えにすることはとても大切なことなのですよ」

 子供はいっぺんにこの聖教司を好きになった。翼の冒険者にも会ったことがあるらしく、せがんだら色々話してくれた。グリフォンの威容に驚き、ドラゴンの化身だという小さい幻獣の可愛らしさに微笑ましく思い、心躍らせて話に聞き入った。そうしていると、いつの間にか他の者たちも集まって来て一緒に聞いた。何度聞いても楽しかった。そのうち、集まって来た子供たちと自分たちを運んでくれた大きな亀とその護衛をする蛇の話になった。そうして子供は多くの友人を作っていった。

 両親のような異能がないのを気に病んでいた時、いじめっ子に指摘されて落ち込んだ。異類排除令の密告の危機に押しつぶされそうな時、疲れ果てた両親に自分たちを売って生きろと言われた時、絶望に目の前が暗く塗りつぶされた。

 今こうやって、世にも稀な幻獣の話をし合い、次の日を楽しみにするなんて思いもよらなかった。この先に訪れる朝に何があるだろうかと、未来に期待を寄せるなど、考えてもみなかった。

 子供はおずおずと希望を持ち始めた。

 色んな場所で暮らしていたからか、様々な考え方をする者がいて、それを知ることで、子供は初めての視点を知り、世界を広げていった。

 生きていてこそ。

 眩しい途へ一歩踏み出すことが出来た。



 夫との間には子供に恵まれなかった。子宝に恵まれるという薬草を食べ、神に祈った。村には神殿がなかったから、近くの街にまで足を向け、神殿で祈った。それでもできなかった。夫はそんな自分を静かに支えてくれた。薬草を贖うのには金銭が掛かる。仕事を抜けて街に行く時間分、労働力を失うことになる。それでも、夫が率先して薬草を買い求め、街から戻ったら労わって休ませてくれた。

 でも、できなかった。

 だから、甥っ子を可愛がった。

 子宝とは良く言ったもので、本当に宝だった。

 繋いだ手小さく柔い手指できゅっとを握られると、心臓まできゅっと掴まれた気がした。

 その甥っ子に異能がなくても、可愛らしい笑顔をみせておじちゃん、おばちゃんと言ってくれるだけで十分だった。夫の姉夫婦が亡くなった後、父さん母さんと呼んでくれただけで、命を懸けてこの子を守ろうと思った。だから、移り住んだ街での密告が強制された時、そうした。隠れて住むことの息苦しさ、閉塞感。どこへ逃げても同じで次第に疲れていた。楽になりたいという気持ちもあった。しかし、自分の子供だけでも助けようという必死の気持ちもあった。

 夫婦は子供が新天地で次第に明るく伸び伸びと同年代の子供たちと遊ぶ姿に安堵した。

 中心人物とみなされる聖教司に賢く強い子だと褒められ、涙が出るほど嬉しかった。

 そうだ。

 自分たちは負うた子に教えられた。

 生きてこそなのだと。

 簡単に生を手放すことは子をも突き放すことになる。

 楽になることを厭うな、しかし、安易に飛びつくな、考えろと。

 そうして得た先には苦難と苦労と共に確かな幸せがあった。どこにも完全な楽しいことだけがあるのではない。けれど、確かにそこには幸せがあった。

 子を思う気持ちに人も異類もない。

 人は他者のために何かできる存在なのだと、AIが認めたのだ。だから、そういう行動した。

 AIがそう導き出した答えの先には稀な輝きを放つ途が遠くに伸びていた。




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