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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
563/630

23.変化を恐れることなく

 

 所変われば、どんな食べ物にあたるかわからないものだ。旅先では生水は飲まない方が良いとされる。できれば、生野菜も。

 乏しい物資しかない中での移動である。贅沢は言っていられない。しかし、体調を崩しては元も子もない。板挟みで苦労が絶えない。

 ゆとりのある日程で遊山するのとは異なる、追捕の手を逃れての旅だった。精神的にも圧迫され、抵抗力が落ちて病気にかかりやすい。水も貴重で潤沢に飲めることもない。

 新天地へ向かう最中、腹痛や下痢、嘔吐、発熱といった症状に、常に誰かが陥っていた。すわ、流行り病かと怯えつつ、たどり着いた先には、殆ど何もなかった。

 スルヤたちが到着したころには既に先着した者たちがいて、開拓は始まっていた。

 子供たちに翼の冒険者の活躍を話してやると喜ばれた。代わりに、翼の冒険者の新たな仲間であるという亀や蛇の話をしてくれ、大いに驚き、自分も会ってみたいと言う聖教司に子供たちは自慢げだった。子供たちと親しく接してくれる姿に、異なる属性を有する大人たちも次第に心を開く。

 新天地では既に開拓を始めていた者、スルヤが伴った者の他、後から後からやって来た。

 早くから来ていた者たちは自分たちの尽力があったからこそ、生活基盤が整っていたのだという思いがあった。後から来て整った環境でのうのうと暮らしていると面白くないのは当然のことである。

 後から来た者がきちんと認識し、感謝の気持ちを忘れず率先して働くことが重要だとスルヤは考えた。そして、時にはみなで宴会するのだ。労働は尊いが楽しみがなければ。美味い肉や野菜を食べながら酒を飲み、甘い果実を味わい、翼の冒険者の話をする。

 幻獣たちの話は盛り上がった。どんな幻獣がいるかという話に、大きな鶏の姿をした幻獣など初めて聞く者も多く、口火を切った者もさほど詳しくは知らないが、みなで想像を膨らませるのも楽しかった。中でも人気なのはやはりグリフォンとドラゴンであり、次に亀と蛇だった。後者二頭は子供たちに人気だった。

 地に足をつけて暮らす人々が大きな力によって、日々の生活を壊されようとする。

 それを、易々と翼の冒険者が助けてくれた。

 巨大な力を持つ幻獣たちが助けてくれた。

 誰の命をも受けない孤高の幻獣たちが、翼の冒険者の要望に応じて、助けてくれたのだ。

 自分たちが一方的に保護され、享受する者ではないというジレンマは一から街づくりをするということで解消された。人間の尊厳を忘れなかったので、義務と責任を忘れなかった。

 同時に、到着した後安心したのか、床に臥す者も複数現れた。

 インカンデラから派遣されてきた学者たちは不衛生な環境では伝染病が流行ることが多いと唱えたので、まず真っ先に排泄場所が決められた。

 狩猟採集民と農耕民族は掛かる病が異なり、耐性のない生活様式によって罹病することもあるのだという。この土地固有の病もあるだろうと予測を立てた。加えて、栄養不足と疲労も体を弱らせ、病に打ち勝つことができないとも。

 幸い、大陸西を席巻する流行り病はこの地にまでは届いていなかった。

 有り難いことに、インカンデラやニカから船が着き、幻獣のしもべ団が物資を運び入れてくれる。

「幻獣たちは食べることが好きだから、ここの人間が折角生き延びて移動した先でひもじい思いをしては可哀想だと色々送ってくれたんだ」

 中には薬や新鮮な野菜もあった。真っ赤なリンゴやトマト、大ぶりのジャガイモや瑞々しいモモ、芋栗なんきんまであった。異なる季節に収穫されるはずの食べ物は幻獣の好みの食材で、美味しいものを食べて欲しいという気持ちなのだという。

 好きなもの、美味しいものを独り占めするのではなく、新天地での活動の糧にしてほしいというのだ。共に味わい、気に入って貰えると良いと言っていたというのだ。

 病の危険に冒された人は宗教に頼りやすくなるという。弱った心が何かに縋りたくなるのだろう。病は放っておくと、体が動かなくなり、皮膚が剥け、筋肉が落ち、内臓が腐って来る。生きながらにして死んでいく。

 幻獣が調合したという薬は病の症状によって様々あり、良く効いた。

 幻獣たちは薬と栄養、心を強く持つことをもたらした。

 それは病に打ち勝つに必要なもので、一種、信仰に近い尊崇の念を抱くにいたった。

 環境の持つ圧力というのは凄まじいものがある。不慣れな状況、不穏な空気に呑まれると、とんでもない行動を取ったりするものだ。おぞましいことも、環境に影響されれば、そうとは思わずに行ってしまう。

 それは罪の正当化ではなく、責任は周囲にもあるということだ。

 まさしく、異類排除令がそうであるように。

 そして、それから逃れて来た人々もまた、新天地で慣れない環境、異なる文化を持つ者たちが集まれば、軋轢も生じる。彼らもまた、疲弊によって理性の箍が緩んでいたところだった。

 そこへ幻獣たちがもたらした物品に籠められた温かい気持ちは彼らを正気に戻した。飢えやストレスによる獣闇から理性ある存在に引き返すことができた。

 そんな翼の冒険者と直接言葉を交わしたことがあるスルヤは一目置かれた。

 異類審問の手を逃れる旅で、一行をけん引し、到着した新天地では統率を取る者たちの支柱の一つとなった。

 スルヤは神からの託宣を得たことを神殿にも沈黙していた。その内容が翼の冒険者にいたずらに注目を集め、当人はそれを好ましく思わないだろうと考えたからだ。他の者と共有する必要もない内容だ。

 ここへ来る前、大聖教司から後任を打診されたものの断った。神託があったこと自体を黙っていることに罪悪感を持たないでもなかった。ただ、自分がその気持ちを抱えている程度で済むのならば飲み込んでおこうと思う。

 何でもかんでも話してしまうのではなく、自分の胸ひとつに収めて置ける度量がある人間だった。

 次期大聖教司の座を蹴って、異類たちを逃すことを選んだスルヤは、開拓地に現大聖教司がやって来たことに仰天した。

 老年に近い女性は未だ若々しく、各地を巡って異類審問官の非道を妨げているというのだ。

「神殿を挙げての衝突は避けますが、私のする行動は私のもの」

 行動の自由を言うものの、風の神殿の頂点に立つ立場にあっては、その言は通用しないだろう。しかし、大聖教司は風の性質を強く持つ。束縛を嫌う。

「こうやって一から人の営みを作り上げるのも、風の性質に見合うものかもしれませんね」

 そう言って、数日滞在した。

 人々と同じく粗末なテントに寝起きし、体の不調に気づかない者に注意喚起して、土地に生える薬草で薬を煎じた。

「ここは本当に恵み豊かな場所ですね。薬効を持つ植物がすぐに手に入るのですから」

 嬉々としてあれこれと薬を作った。スルヤは言われるままに薬作成を手伝った。

「スルヤ。私は元々貴女の人柄を見込んでいました。ここへ来て、見て、更に底知れなさを感じます」

 驚いて大聖教司の横顔を見つめたが、当の本人は採取してきた薬草の葉と茎、根を分離させる手を止めない。

「貴女に私の後を任せたかった」

「それは……」

「やはり駄目ですか。では、この地が落ち着いて運営が軌道に乗ってからで良い。大聖教司の補佐官になってください」

 大聖教司は薬草を掴んだまま、スルヤを見据えた。

「補佐官。わたくしがですか」

「そうです。私も人間だから、寄る年波には勝てません。そう遠くないうちに次代に席を譲ります。その少し前くらいには補佐官になってほしいですね」

 そして、次代を補佐して欲しいという。

 気軽に言うが、風の神殿を纏める頂点の者の補佐だ。

 スルヤにとって、風の粋を感じる場所で修行に励むことこそが喜びではあった。けれど、今、崖の下に降りて来て、風の神の息吹に無関心な者たちのために働いている。

「分かりました。必ずや、神殿へ戻ります」

「待っていますよ」

 大聖教司が満足げに頬笑んだ。スルヤの覚悟を知った大聖教司は翌日には神殿へと戻って行った。

 この時代、流行り病や天変地異を乗り越えた者たちは、新たな視点、価値観を築き上げようとしていた。

 貴光教が発令した異類排除令によって人の悪意、嫉妬、偏見、保身、慢侮といった負の感情がむき出しになった。それを手に手を取り合って乗り越えようとする者たちがいた。自分が助かるために、他者を平然と傷つけ切り捨てる者たちがいた。

 それは大陸西が大きな変化を迎えつつあることへの最後の抵抗のようなものだった。そこに魔族の変容と相まって、貴光教が過敏に反応したのだ。

 技術の発達とそれに伴う価値観や生活様式の転換、商取引の活発化、国境を越えた交流、貴光教の権威への固執、そこへ天変地異が止めを刺した。

 昔からの習慣に信頼を抱くのは、実証済みのやり方がより安全な策に思えるからだ。新しいことへの未知のリスクよりも、現状維持、予測可能な未来が好ましいと感じるからだ。

 でも、スルヤは輝かしい途を見せて貰った。

 初めての視点、新しい世界への可能性を示唆された。

 風の神殿も大きな変遷を要求されるだろう。

 その時に、風の性を失うことなく大聖教司が任を全うできるように、微力を尽くそうと思う。



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