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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
561/630

21.様変わり    ~ネーソス、発進/口笛は無理がある/~

 

『ネーソス、発進!』

 リムがネーソスの頭の上で四肢で踏ん張ったかと思うと、ぴっと片前脚を上げて宣言する。いつもよりも斜め前に突き出している。その小さな爪が、夏の盛りを過ぎてなお強い日差しを浴びてきらりと輝く。

 ネーソスは付き合い良くリムの号令に合わせて出発した。

 命令されているという感はなかった。高揚感がいや勝る。

 後ろで、麒麟や一角獣、わんわん三兄弟、ユエ、リリピピといった仲間たちから上がるわくわくした歓声に力を得て、ぐんぐん進む。ユルクも傍らをすいすい泳ぐ。

 その他の幻獣、鸞やカランは胡乱な視線を九尾へやるも、明後日の方向を見ながら口笛を吹いている。後ろからティオが無言の圧力をかけたから、冷や汗をだくだくとかいている。

 狐が口笛、である。

 二足歩行し、人間のような仕草をよくする狐ならでは、である。

 本来細く前へ突き出た鼻面、その下の口をすぼめて音を出す。

「口笛は「きゅ」じゃないんだ」

 シアンなどはその程度の感想だった。

 しかし、それをリムが見ていた。

 ティオは誤魔化そうと口笛を吹く九尾を熱心に見るリムに、不安げな表情になり、すかさず元凶の後頭部を軽くはたいておいた。九尾にとってはそこまでは予定調和だろう。その後に起きる騒動に関しては、どう転がるかにやつきながら高みの見物を決め込む腹積もりだ。だから、ティオに睨まれる結果となるのだが。

『ひー。ふー。きゅあー……上手くいかない』

 何度挑戦しても呼気を吐くだけの結果になるリムが首を垂れる。

 ティオがす、と視線を九尾に向ける。九尾が飛び上がる。

『リ、リム。きゅうちゃん先生が教えてあげますよ!』

『本当? ありがとう、きゅうちゃん先生!』

『きゅっ! 先生はつけないでいいですよ!』

 じり、とティオの前足が僅かに動いたのに九尾が慌てる。

『こう、口を前に突き出して、おちょぼ口みたいにするんだよ』

『おちょぼ口?』

『ほら、こう前へ出して』

「口をすぼめるのって、リムには無理じゃないかなあ……」

 二頭のやり取りを見ていたシアンが小首を傾げる。

『本当に余計なことを教える狐だね』

 ティオが舌打ちせんばかりだ。

『つ、次は、舌使いです! 下の前歯に舌を置いて』

 結論から言うと、リムは口笛を吹けるようになった。

「まあ、狐が口笛を吹けるんだから、オコジョも吹ける、かな?」

 とんでもない仕儀にシアンが苦笑する。今まで何度となく考えてもみなかった出来事を目の当たりにしている。

『シアン、リムはドラゴンだよ?』

「あ、そうでした」

 そして、九尾は一応、単なる狐ではない。

 白頭二匹、並んで頭を振り振り尾をゆらゆらさせながら、口笛を吹く。

 その後ろ姿を眺めていると、知らずシアンの唇に笑みが浮かぶ。

 やれやれという風情のティオの首筋を撫でる。喉を鳴らしながら頬を寄せてくる。

 麒麟と一角獣が顔を見合わせて微笑む。

 リリピピが口笛に合わせて歌い、わんわん三兄弟がくるくると駆けまわり、鸞とカラン、ユエが満足げに眺める。ユルクはネーソスに甲羅の上の出来事を話してやる。

 彼ららしい光景だった。

 そうして、島から転移陣を踏んで移動したインカンデラから、海を渡って荒地へ向かった。



 以前はその地は強い風が吹き、十分もじっとしていれば頭痛がしてくるほどだった。広茫たる茶色の大地が広がり、草木の姿は少なかった。

 今、眼下では緑の中に大河が蛇行し、遠くに湖が水面に陽光を弾き、草を揺らして小動物や鳥が行き交い、微かに花の香りがする。

 青々と葉を茂らせた低木が続く先に集落が見える。

 屋根の色は陽の光の加減によってこっくり濃い色に変ずる。密集した家々の周辺を緑と黄色の縞模様を描く畑が取り巻いている。整然と並ぶ緑と黄色の筋は向こう側にうっすら霞んで続いている。

 ティオのひと羽ばたきごとに街の様子が大きく見えてくる。

 小道が交差する広場には噴水があり、その縁に花が植えられている。陽の光で波紋を描いている。

 こぶし大よりやや大きい程度の小石を敷き詰めた路地に家の壁、街路樹がアーチを成し、陰影を作り、掃き清められた道端には緑や色とりどりの花が飾られている。壁も道も敷き詰めた石ででこぼこしていたが、直線ではないそれが素朴な暖かみを感じられる。

「すごいな、街ができている」

『何もなかったのにね』

『周りにしましま!』

『『『これが、かの地でござりまするか。なんと美しい!』』』

『これもシアンのお陰にゃね』

 カランは人の集落を彷徨い、日々の営みの大変さを知っていた。それを一から作り上げる労力はどれほどのものであろうか。しかし、異類排除令は元々暮らしていた生活を取り上げるものだった。別天地を用意して貰えただけ、有り難いことなのだ。

『さようさよう』

『ご主人のお陰でござりまする』

『何とお礼申し上げれば』

「ううん、そんなことはないよ」

 翼の冒険者は英雄視されているが、それは幻獣たちのことだと思う。そして、その英雄たちが存在しただけではこれほどのことは為し得なかったのだと思う。

 日々一つひとつを積み上げるようにして働く農場の農夫たち、工房の職人たち、鉱山の鉱夫たち、世界の真理を追究して生活に便利さをもたらす学者たち、その先に何が待ち受けているか分からないことを恐れず、前へ進む商人たち、世の安寧と神への敬愛に努める聖職者たち、様々なしがらみに絡めとられながらも懸命に自分の道を進もうとする者、そして、英雄を支えようと尽力する者たち。全ての者の力があってこその変革だった。

「だから、僕の力なんて、みんなの力のうちのほんの僅かでしかないんだよ」

『そうやもしれぬな。だが、それらの力が集まったのはシアンがいたからだ』

『そうですよ。誰だって負け戦をしようなんて思わない。分の悪い賭けなんて乗りません』「ふふ、僕に賭けてくれてありがたいね。少しでも賭け金が返って来ると良いんだけれど」

『俺は賭ける前からもう貰っていたようなものだしにゃあ』

『賭けたら大きく返って来ると分かっているのに、そうしない馬鹿はいません』

「でも、掛けるものが命だからね。それに、やって貰って当然という方々だったら、僕だって何かしようと思わないよ」

 幻獣たちが口々にそんなことはないと言う。

 九尾やカランなどは六柱もの精霊の加護を得ていて何を言うのだ、と胡乱気な表情になる。

『そんなことないもの! シアンはぼくの一番だよ!』

 リムが中空に後ろ足で仁王立ちし、への字口を急角度にする。

「ふふ、ありがとう。僕もリムを一番好きだという気持ちは、誰よりも、魔神たちにだって負けないよ」

 途端にリムの力んだ顔が笑み崩れる。

 ティオにしろ、セバスチャンにしろ、魔神たちにしろ、リムを愛する者たちは唯一、その愛情の一番の座を譲るのはシアンである。

 よって、シアンが誰にも負けないという言葉にどこからも異論が出ようはずもなかった。




つまり、インカンデラの浜辺から出発したということですね。

魔族が大勢見送りに来ていたような気がします。

リムがぴっと片前脚を上げてネーソスが発進したら歓声が上がったんだろうな、とか妄想していました。

リム船長(妄想中)。


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