19.移住者1
彼が住んでいたのは何の変哲もない村だった。少々街から離れているものの、その分長閑で刺激には乏しく、それが退屈に思えていた。
やることは多くある。
それでも、毎日、毎月、毎年、似たようなことを繰り返す日々だった。
寡黙だがどこか癖があって癇に障ったら激昂する父、口うるさく常に忙しない母、偉ぶるのにいざという時は腰が引ける兄、面倒な仕事を押し付けてくる上から目線の妹、馴染み深いものの、欠点が目につかない日はない家族との暮らしは、得難いものだったのだと失ってから思い知らされた。
あの日、貴光教の神殿から遠い所にあるとばかり思っていた村に、異類審問官がやって来た。神のための清浄な世界を汚す異類をあぶり出し罪を贖わせるのだという審問官に反発する村人たちも、その傍らに進み出た黒い布を頭からすっぽりかぶった異様な風体の者に怯み勢いを失った。一方的な宣言に、鍬や鎌を持ち出した気の短い村人たちが、黒い布の輩にあっさりと気絶させられた。
審問官は魔道具だという木箱を掲げて見せた。
木箱は丸くくり抜かれてガラスがはめられており、そこに太陽の光が吸い込まれていく仕組みになっていた。
集まった村人に対してその道具をひと巡らし向けた後、木箱の上蓋を開いて何やら行った。村人に向き直ったかと思いきや、一人ひとり指さして、異能がある疑いがあるから前へ出て来いと言う。
息子を指さされた母親が泣きわめいた。それを見ていた村人たちが素早く目くばせをして、指名された息子の背を押し出す。
異能を読み取る魔道具だというが、後から聞けば、有能な審問官は感知能力でもって異能を読み取るそうだ。道具に頼らざるを得ない人材不足を物語っていたのだが、当時の自分には知る術もない。
異類審問官の前へ押し出された者は成人間近なのにろくに働きもせず、始終村をうろつきまわっては年頃の娘を揶揄っている鼻つまみ者だった。そのうち、ろくでもないことをやりかねないと苦い顔をされていた者だったから、これ幸いと生贄に差し出されたのだ。
指名された中には兄の婚約者もいた。
この時ばかりは兄が義憤で飛び出して庇うと思っていた。いつまで経っても姿を現さない。少し前まで一緒にいたのに、と周囲を見渡している間に、異様な風体の審問官が指名者を強引に前に連れ出した。
「しかと己が身の不浄の罪を贖うのだ。そうして、神の御慈悲を賜ることこそが、人の道というものだ」
したり顔をする審問官の向こう側に、妹と村の若者がしっかと身を寄せ合っているのが見えた。
兄の結婚が先だと言われてそういうものかと思っていた。自分は何かと後回しにされているが、妹はしっかり相手を見つけていたのだ。その時、ああ、ならば家族のことは自分が心配する必要もないなあと漠然と考えた。
異類審問官が行ってしまった後、何も悪いことをしていないのだから、身の潔白が証明されればすぐに戻って来られるだろうと村人は考えていた。
しかし、これは序の口で、同じ村に異類審問官が再び訪れることもあるのだという。家族を連行された者が近くの街へ行って聞いてきたのだ。転がるようにして慌てて帰って来た村人を、他の村人たちが仕事を放り出して取り囲んだ。みなが話を聞きたがったので、急遽集会場を解放し、そこで訥々と語ったところによるとこうだ。
連行された者は殆ど帰ってくることはないという。
「どういうことなんだ!」
「分からない。分からないんだ……」
ほぼ何も分からなかったという。
何故、連れて行かれたのか。審問官が異能ありとみなしたからだ。
何故、異能があれば連行されるのか。神の清浄な世界を汚すからだ。
何故、異能は清浄な世界を汚すのか。罪深いからだ。
「異能ったってなあ」
「俺たち、今まで普通に暮らしてきただけだぜ?」
「この村は異類の村じゃないし」
異能と言われてもぴんとこない。人型異類を見たこともないのだ。
突然現れて、異能がある故に世界を汚す罪を犯していると言われて連行され、それっきりなのだ。自分たちも気づいていない異能を察知したと言われても、寝耳に水である。
「それで、連れて行かれたやつらはどうなるんだ?」
それも分からないという。
「分からないって……。どこかで強制労働でもさせられているのか?」
労働力が必要な所で安く働かされているのだろうかと考えた。
時に、権力者は無茶な理論を吹っかけて搾取してきたのだ。それに慣れ切っていた彼らは、またそういう類のものかと思っていた。
畢竟、彼らはいつかは家族は戻って来ると思っていたのだ。今、大変な思いをしているかもしれない。だが、きっと帰って来て、また元の暮らしが戻ると思っていた。
彼らは青い顔をした行商人が泡を食ってやって来たのに驚いた。涙混じりの悲鳴じみた入村を願う声にほだされて入れてやる。
「魔獣か? まさか、非人型異類が出たのか?」
「村へ向かってきているのか?」
殺気立って行商人を取り囲んで聞くも、弱々しく首を振るばかりで、ついには嗚咽を漏らし、声を上げて泣き出した。大の男のそんな様子に顔を見合わせる村人たちは、言い知れぬ不安を抱いた。
水を飲ませたり、なだめすかせたりして、行商人を何とか落ち着かせ、話を聞き出して愕然とした。
「この先、ずっと西にある岬に、多くの死体が飾られている。木に掛けられている。それがどうも、異類審問官に連れて行かれて拷問された者たちで、流れ着いた亡骸なんだそうだ。心を壊した者が流れ着く死体を木に掛けて供養の代わりとしているらしい」
行商人は地獄を見たという。
岬に沿う木立一面に死体がひっかけられている。死肉を漁りに鳥が飛来し、啄んでいく。辺りには濃い死臭が立ち込めている凄惨な光景が広がっているのだそうだ。
行商人は異様な臭いに気になってそちらへ行って、見てしまったのだそうだ。そして、その場には他の商人もいて、噂を聞いて足を延ばしたら真実だったとその者から事情を漏れ聞いたのだそうだ。
余りの出来事に、現実味乏しく這う這うの体でここまで逃れて来たのだという。あそこにそのまま留まっては、自分の心も正常性を失っていただろうと。
その時になって、ようやく村人たちは連行された家族がもう戻って来ないということを悟った。
近くの神殿へ行って、取り返してこようという者がいた。残念ながら、その一派の中には兄は入っていなかった。婚約者を連れて行かれた傷心を盾に、労働から逃げるようになって、彼の家族の中には険悪な雰囲気が漂っていた。
また異類審問官が来る前に、逃げようという者がいた。しかし、どこへどうやって、という現実にそぐわない案だった。
異類審問官の入村を拒否し、この村には異能を持つ者はいない、異能があると言うのならばその証拠を示して見せろと主張しようという意見が主流だった。
それには濃い不安を伴った。
村に現実を知らしめた行商人が異類審問官は二度三度やって来ると言ったからだ。一方的だった彼らを思い返す。
喉を圧迫する焦慮が纏わりついた。
そんな折、幻獣のしもべ団という秘密結社の者がやって来た。
翼の冒険者という世にも稀な高位幻獣と彼らを伴う冒険者の支援団体だという。翼の冒険者の噂はこの村にも届いていた。
よくある少年少女が憧れる身近な英雄譚の対象で、話で聞く存在でしかなかったが、幻獣のしもべ団が村周辺に出没する非人型異類を退治してくれ、物資をくれたことから、村は歓迎する向きだった。
その幻獣のしもべ団の者は異類審問官の手がこの村へ及んだから訪ねて来たのだという。かれらは異類たちを逃す活動も行っており、もし、迫害されて逃れて来た異類がいたら、匿わなくても良いが、幻獣のしもべ団がその手伝いをするから、そう伝えて欲しいと言われた。
「避難先はあるのかね」
「ああ。一から自分たちで開拓しなくてはならないが、恵み豊かな土地がある。海を渡って行かなければならないんだ」
逆に、そのくらい手間が掛かる方が、異類審問官の追跡を逃れることができるのだという。
「そんな土地が手つかずであるのか?」
開拓しなければならないということは、統治者がいないということだろうか。
「詳しくは言えないがね。統治者はいるが、話はついている。暮らしを成り立たせることを優先させてくれるから、できた作物全てを税で取られることもない」
声を潜めて言うことには、翼の冒険者である幻獣たちがその地に跋扈していた強力な非人型異類や魔獣たちを掃討してくれたから、人が住めるようになったのだという。
村人たちは感心しきりだった。
国が手を出せなかった場所を幻獣たちが住みやすくしてくれたのだと。
「俺も行く」
彼はついそう声にしていた。
「え?」
「何を言っているんだ、お前」
「だって、人手がいるだろう? 一から村を作るんだ」
「いや、まあ、そうだろうが」
「だったら、またここでいつ異類審問官が来ていちゃもんをつけられないかと怯えて暮らすよりも、そこで、豊かな土地で一から始めてみたい」
言いながら、自分の心が定まって行くのを感じる。
「異能があるだのないだの、良く分からない。そんなものがあったら便利なだけで、職能を持つのと何が違うって言うんだ? 多才な者たちと、村づくりができるじゃないか」
幻獣のしもべ団団員は困惑して何も言わなかった。
彼は真剣だった。
何なら、幻獣のしもべ団に入団しても良いとまで思った。厳しい入団審査があるのだと言われてそちらは諦めた。
どうにかして、異類審問官から逃げる異類たちの一行に加われないかと頭を捻った。
家族も呆れ果てた。腹立たしいことに、兄が出来るはずがないと嘲笑した。妹は夢見がちだと鼻を鳴らした。
そんな彼に、幻獣のしもべ団団員は村を出る前に密かに告げた。もし、本当にやる気があって、異能保持者たちともうまく付き合っていくつもりがあるのであれば、とある港町を訪ねるように、と。そこで示して見せるジェスチャーも教えてくれた。幻獣が考案したのだという仕草を、幻獣のしもべ団団員は誇らしげにしてみせた。その表情を見て、自分は間違っていないと確信することができた。




