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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
557/630

17.それぞれの途を

 

 子供たちが呼ぶ声に腰を上げた。

 そうしてみれば、凝った筋肉が悲鳴を上げる。ゆっくりと労わるように動く。もう何年も前からだましだまし付き合ってきた自分の肉体だ。扱い方は心得ている。

 クレールは既に実を付けているリンゴを眺める。

 ゼナイドは豊かな国だった。特に国都エディス周辺はフェルナン湖の恩恵を色濃く受ける。クレールの村も大地の恵みのお陰で一年に何度もリンゴを収穫することができた。エディスのついでにやってくる商人が他の土地では考えられないことだと言うが、この土地で生まれ育ったクレールからしてみれば、当たり前のことだった。

 そのクレールをして、ここ数年のリンゴの良果の生育ぶりは驚くほどだ。特に黄色のリンゴは常に梢に実をつけている。

 クレールがリンゴの木を眺めていると、子供が近くにやって来た。

「これからどんどん寒くなるんだろうなあ」

 ゼナイドは大陸西でも北側に位置している。夏は短く、冬には広大なフェルナン湖が凍る厳しい寒さが訪れる。

「翼の冒険者たちはタペストリーを使ってくれているかな」

 一時、翼の冒険者たちはこの村の小屋を借りて暮らしていたことがあるのだ。

 寒かろうと村人で壁掛けにと織ったものの、小屋で使うことなく出ていくことになった。だから、別れる際、選別として渡したのだ。

「私もちょこっと織りに参加したんだよ!」

 翼の冒険者が使う物を作成するのに携わった。それがどれほど嬉しく誇らしいことか、クレールには分かる。

 自分が丹精したリンゴを嬉しそうに頬張る幻獣の姿を何度となく見て来たのだ。ドラゴンの屍を退けたエディスとその周辺の大恩ある翼の冒険者が好むリンゴを作る。クレールは生涯でこれほど誇らしいことはないと思っていた。

「どうだろうね。私らが作ったようなものじゃあ、翼の冒険者の豪邸には似合わないかもしれないさね」

「ばあちゃんのいじわる!」

 膨れた子供が駆けて行く。

 確かに意地の悪いことを言った。

 翼の冒険者はクレールたちが渡したタペストリーを嬉しそうに幻獣たちと眺めていたのだ。

「わあ、見事な図柄だね。ほら、リンゴやトマト、オレンジもあるよ」

 農家ののんびりした風景を、幻獣たちと頭を突き合わせて覗き込んでいた。

 けれど。

「ここいらは寒いからね。こういった織物を隙間風除けにするんだよ」

「あたしらみんな、交代で織ったんだよ」

「なに、農作業や家畜の世話の休憩がてらだから、気にしなさんな」

「ティオちゃんやリムちゃんは頑丈でも、シアンちゃんはそうはいかないだろうからねえ」

「あの小屋は冬は寒いと思っていたんだ」

「まあ、あそこで冬は越さなかったとはいえ、引っ越しに間に合って良かったよ!」

「引っ越してもこの村のことをたまには思い出してほしいと思ってね」

 人間は自分に都合の良い矛盾の中で生きている。

 口々に言う村人の中にはニーナの姿もあった。彼女が率先してタペストリーの作成に携わったのだ。

 翼の冒険者は既にその時、エディスの英雄と言われていた。

 そのエディスの守護者を、ニーナは裏切ったのだ。自分の息子を救うために、黒い布をすっぽり被った見るからに怪しい者たちの言う事を聞いて、売り渡したのだ。

 このことは、村人は知らない。

 クレールはニーナから直接聞いた。

 もう翼の冒険者はこの村に来ないと。

 他の村人たちにも話すというのを止めた。

 ニーナはこの村だけでなく、エディスでも多くの者たちと関わり合いがあり、それなりに影響力を持つ。そして、何より、翼の冒険者の支援者の第一人者だったのだ。翼の冒険者がエディスにやって来るのに行き会った一番最初の人間でもあることを、ニーナ自身が誇らしく思っていた。クレールと同じく、自分が作った農作物を幻獣が喜んで食べるのを、嬉しく思っていた。

 それでも、究極の選択に立たされた時、翼の冒険者なら強いからちょっとくらい大丈夫だろうと考えたのだ。どれほどの恩恵を受けていても、自分の息子を取った。

 人間として当たり前のことかもしれない。

 ただ、それまでの関係性ではいられない。

 だから、クレールはもう来ないかもしれない翼の冒険者への村人たちの期待を、膨らむうちに萎ませるように仕向けていた。

 元々、偏屈ばあさんと言われていたことを知っている。今さら、自分の評価などどうでも良い。

「なのに、どうしてこのリンゴは豊作なんだろうねえ。どんなに美味しくできても、食べて貰えるか分からないのに。健気なもんだ」

 クレールの述懐は事実と異なる仕儀となる。

 大量に収穫した果物をエディスで売っていると、小さい白い幻獣が小銭を握っていそいそとやって来たのだ。

『黄色いリンゴ!』

 長く生きてはみるものだ。

 こんなに嬉しいことがあるのだから。

 その後、村はいつしかリンゴ村と称された。



 リベルトの従兄弟は大陸西を巡り、光の神を崇める者たちに光の素晴らしさを伝えて回ることにした。

 彼は闇の君を信奉している。だが、闇の君と光の君は分かちがたく存在する者だ。闇の君と親交もある。だから、光への信仰を失いつつある者たちに、今一度光の素晴らしさを、そして、光だけが素晴らしいのではないことをも伝えたいと思った。

 一部の者によって光の神を崇める思想は悪い印象を持たれるようになった。様々なことがあったが、それは所詮、人が思い込みで勝手に招いたことだ。一心に、光の神を信じれば良い。ただ、世界には光だけがあるのではなく、闇もあり、大地も風も水も炎も存在し、多様な要素が複雑に絡み合っているのだ。その中で一心に光を愛せば良いだけだ。

 離れた地で、友人が新たな大聖教司の位に就くと聞き、心の中で寿ぐ。彼は過不足なくその任を全うしよう。

 ならば、自分も自分が行うことをするのみだ。



 恐怖や無力感に打ちのめされた人は、無性に故郷が恋しくなる。

 彼らは故郷で大切な仲間を失った。

 仲間を取り戻せるかもしれないと言われて、動物の首を切断するというおぞましい研究にも付き合った。

 仲間のためならば、どれほどのことも厭わない。

 そんな心意気を持っていたのに、全てのことが上手くいかなかった。

 それも全てあの忌々しい翼の冒険者の所為だ。こちらが頭を下げて譲ってくれと言っているのに、グリフォンの翼を渡すことを拒否したことから全ては始まったのだ。

 人の命と動物の片翼が比べることができるはずがない。人命に勝るものはない。

 そう言ってやると、翼の冒険者は自分の器の小ささを刺激されていたたまれなくなったのか、アダレードを出てゼナイドへと移動した。逃がしてなるものかとボニフェス山脈の山道という難路を踏破した。

 やって来たゼナイドは寒さ厳しく、異能を持つ上に好戦的な非人型異類が跋扈する厳しい環境の国だった。そこで黒い布を被った変な輩と出会ったり、翼の冒険者の姿を見つけていち早く接触できるように動いたりした。

 ようやく対峙した翼の冒険者は卑怯にも、非人型異類をけしかけてこちらが応戦している隙に逃げ出した。グリフォンに乗ってあちこち行くものだから、その足取りを追うのも一苦労なのだ。

 大陸西を南下したという情報を掴んで、海にまで出た。その少し前に出会った漂泊の薬師と意気投合し、ついには大陸を飛び出して南の大陸にまで移動した。

 そこで、地獄を見た。

 黒い肌をして裸足で腰に粗末な布を巻いた蛮族らが病でばたばたと倒れたのだ。

 薬師は懸命に救おうとした。彼らもそれを手伝った。

 でも、どんどん人が死んだ。少し前まで動いて喋っていた者が、物体に変じるのだ。意思は失われ、温かみも肌の弾力さえもなくなった。

 そして、食べるものすらも事欠いた。

 早くこの地獄から逃れたいと思っていた。

 そのころ、あいつがやって来た。

 翼の冒険者だ。

 自分たちが苦労して悲惨な思いをしていたのに、あいつは力がある幻獣たちに守られて、易々と蛮族らを救った。幻獣たちと金銭にあかせて、大量の物資をもちこんだのだから、簡単にやってのけることができたのだ。

 何故なんだ。

 ずるいじゃないか。

 あいつだけ、簡単に事を成して評価される。

 そんなの、全部幻獣たちの力のお陰じゃないか。

 自分たちはこれほど苦労をしているのに大した金銭、評価を受けず、あいつだけが多くを手にしている。

 そう思うと全てが馬鹿らしくなり、大陸西へ戻った。漂泊の薬師とも別れた。

 日々の糧を得るためにあくせくしていると、未曽有の事態を迎えた。流行り病に天変地異、凶作と続き、冒険者家業も討伐依頼を筆頭に途切れることなく舞い込み、でも、暮らしぶりは上向かなかった。非人型異類が強力で、頻繁に武器防具が駄目にされたことが大きい。

 そこへ、貴光教が発令した異類排除令だ。

 疲弊する大陸西にとどめとなった。

 一気に人々は暗い世相に引きずり込まれた。

 呑みこまれまいともがくうち、いつの間にか、貴光教の異類審問に手を貸していた。食べるためには仕方がない。他人を押しのけ、踏みつけなければ生きていけなかったのだ。

 あれよあれよという間に、貴光教総本山の薬師の助手となった。有体に言えば、高額の報酬に釣られたのだ。

 とんでもないことをやらされた。

 彼らは非人型異類の実験に協力させられたのだ。非人型異類に食べられることはなかったものの、その他のことは様々に被検体となって試された。隣り合わせの檻に入れられた時は生きた心地がしなかった。にやにやする薬師に健康状態を聞かれ心臓や肺の音、眼の下を確認された後、言われた。

 それでも、食事は供された。

「お前たちは非人型異類の体の一部を食べたんだ。ふん。異常は出なかったか。では、次はもっと違う部位を食べさせてやろう」

 途端に吐いた。女性だけでない。全員だ。

 ここへ来た直後は食べ物にありつけるなど、天国のようだと思っていた。なのに、腹に入れたものを戻してしまった。そうしようと思ったのではなく、勝手に逆流したのだ。

 僅かの間に彼らは疲弊した。無数の怪我を負った。

 そして、助け出された。

 翼の冒険者に。

 牢獄から出され、薬と食料をくれた。

「逃げるならお早めに。この階段を上ると中庭に出ます。あと、余計なお世話かもしれませんが薬をお渡ししておきますね」

「つ、翼の冒険者!」

 叫んだ切り、続かなかった。それ以上言う言葉が見つからなかった。翼の冒険者は一瞬足を止めたが、すぐに階段を上り始めた。

 這う這うの体でキヴィハルユから脱出した彼らは誰からともなく、アダレードに帰りたいと言い出した。

 一旦、故郷のことを思い返せば、郷愁は強力に彼らを捉えた。

 アダレードへは海を渡って行くことが出来るようになったと聞く。

 懐かしいあの地に戻るためならば頑張ることができた。途中、問題が起きた際、翼の冒険者と関わりのある者だと言うと上手くいくこともあった。お前たちみたいなのが翼の冒険者の縁者なものか、自分は幻獣のしもべ団団員と会ったことがあるが、お前たちみたいなのじゃなかったと言われることもあった。それでも、助けて貰えることもあったのだ。

 彼らは大陸西の南東の港町で討伐依頼を受け、船賃を貯め、ようやくアダレードにたどり着いた。

 でも、港町で女性の一人が倒れた。そのまま、あっさり逝ってしまった。もう少しなのに、と悔しかった。不甲斐なかった。リーダーがいたらこんなことにはならなかったのに、と思った。

 港町から内陸に向かう間、穏やかな村に僅かな間、滞在した。そこで残った女性が孕んでいることが分かった。魔法使いの男が父親で、二人でこの村に残って子供を育てていきたいという。

「私、小さいころはいつも兄さんに守って貰っていたの。貧乏でね。父親に客を取らされそうになったんだけれど、兄さんが逃してくれたの。今度は私の番。この子を守ってやるの。兄さんがしてくれたようにね」

「そういえば、兄を見つけるために大陸西に行くのに冒険者になったって言っていたなあ」

「うん、だからね。本当は少し、翼の冒険者に感謝していたんだ。大陸西に行こうなんて、言い出せなかったもの」

 熱血剣士は二人と別れて一人、トリスを目指す。

 自分は今まで何をやって来たのか。何のためにやって来たのか。つらつらと考えながら。

 自分はこの手に、何を掴むことができたのだろうか。




4章でニーナの村が「トマト村」ではなく、「リンゴ村」と称されるようになった所以です。ちなみに、その時点では9章ニーナのエピソードは考えていませんでした。

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