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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
555/630

15.希代の薬師たち

 

 流行り病に関する憶測は様々なものが駆け巡った。

 いくつかの例を挙げてみると、予防のためにパンにワインビネガーやバター、シナモンパウダーをつけて食べるというものだ。物資に乏しい中であるから、パンとバターだけでも良いとされた。バターは毒を防ぐと信じられていた。家族に感染者が出ると、アンゼリカや竜胆、鹿の子草の根を噛んでいると良いとされた。

 また、特効薬が手に入らない者のために、薬効は落ちるものの、ヘンルーダとニガヨモギを煎じ、酢に浸しておいたものを嗅ぎ薬として用いた。

 違う者は皮を剥いたヤマモモを乾燥させて粉末にしてエールやワインに混ぜて飲ませると良いと言った。

 他の者は身体から毒素を輩出すれば良いとして、瀉血や発汗、排便を推奨した。

 刻んだ玉ねぎとバター、パン種、ゼニアオイ、マツムシソウ、クローブを水で煮たものは湿布薬になるとも言われた。

 これらは全て民間療法であり、確固たる根拠や薬効が認められていなかった。

 しかし、困窮した者は薬を得ることはできず、それでも何とかしたい、猛威を振るう病から逃れたい一心で怪しげな処方箋に縋りついた。死は、真隣りにまでやって来ているのか、それともまだ先のことなのか全く不透明な最中、少しでも生存率を上げたくて必死だった。

 その気持ちが分かるだけに、カレンは突飛なやり様を頭ごなしに否定してかかることはできなかった。

 流行り病が終息し、異類排除令が撤回された今も、カレンは大陸西を漂泊した。様々に見聞きし、自分の浅はかさを思い知らされた。

 あんなに酷いことをされてもなお、人々は光を求めたのだ。本来の信仰とはそういうものなのだろう。

「いや、だってねえ。以前、この村に来てくれた光の聖教司様はとっても良くしてくれたんだよ」

「人間だけじゃなくて、家畜の具合も診てくれたんだ」

「無理に光の神を信仰しろとは言わなかったよなあ」

「心細くなった時に、私らの心に光の暖かさが照らしてくれますように、って祝福してくれたんだよ」

「何にせよ村の恩人だよ」

「まあ、でも、すごい美男だったが、ちょっと変わっていたよなあ」

「そうそう。祭壇を背負ってぴょんぴょん飛び跳ねて行っちまったよ」

 カレンはそういった噂を僻地で時折聞いた。それ以上に人々に膾炙かいしゃされたのは翼の冒険者だ。

「うちの村にも来たよ! グリフォンに乗ってさ! こうさあっと跳び上がってさ!」

「大きいし迫力があるし、おいそれと近づけなかったけれど、翼の冒険者には懐いていて、撫でて貰って気持ちよさそうに喉を鳴らしていたからさ。全然怖くはなかったよ。もちろん、触ろうなんて思いもしなかった」

「ここいらを荒らす魔獣を狩ってきてくれただけじゃなくて、みんなで食べようって。魔獣の肉なんてご馳走、金輪際食べることは出来ないね!」

「この村の名物の料理の仕方を教えてくれって言うからさあ、うちのカカアが張り切っちまって」

「野菜とかもいっぱい出してくれて、美味しかったよねえ」

「久々に腹いっぱい食えた」

「幻獣たちがね、楽器を演奏するんだよ! たまげたねえ」

「とっても楽しそうで、こっちもついつい手拍子したり、中には踊り出す者まで出てさ」

「農作物はうまく育たないのに貴族様が持って行っちまって、食べ物もなくて、流行り病の噂で震え上がっている時だったからな。とんでもなく力づけられたよ」

「天変地異もさ、神様のお怒りだって言うじゃないか。わたしらは知らず知らずのうちに何か悪いことをしたのかねえって思っていてさ。だって、生きているうちに、そりゃあ、ちょっとばかり意地の悪いこともやるじゃないか。ズルをしたりさ。それがいけなかったのかねえって」

「でも、そんな暗い気持ちを吹き飛ばしてくれたよ」

「薬や食べ物や木彫りの食器やらの日用品までくれたんだよ」

「くれた薬のよく効くこと! うちの子がずっと下痢していたのがぴたりと止んだよ」

「そんなにして貰う関わり合いはないんだって言ったらさ、余裕が出来た時に返してくれたら良いって言ってくれたんだ」

「あんなに強くて賢い幻獣たちもさ、翼の冒険者として色々してくれているんだ。俺たちがぼんやりしている訳にはいかないだろう?」

「そうそう。早く立て直して、借りをかえさなきゃなあ」

 怒涛のようにみなが口々に語った。

 世にも稀な高位幻獣を複数間近で目撃し、あまつさえ、彼らに助けて貰ったのだ。気持ちが高揚し、モチベーションが高い。

 病は気からと言うが、栄養を取り、気持ちをしっかり持てば、人間はある程度の力を発揮するのだ。

 翼の冒険者はことごとく、人間の力を引き出し、そうすることによって、より多くの者を救ったのだ。これではまるで文化の保護する神のようではないか。人が生み出す素晴らしいものを認め愛でる超越した存在だ。

 全く敵わない。

 しかし、カレンは彼我の差の大きさを感じても、腐ったりしなかった。

「カレンさんみたいな人もやって来て具合を見てくれるしさ。頑張らなきゃね」

「そうそう。せめて、自分たちの村のことはうまく回せるようにしなくちゃね」

 自分は自分のやれることをするだけだ。

 こうして、それなりに認められる。それなりに、救うことができるのだ。

 今は、少し自分自身を受け入れることができる。肩の力が抜け、ようやく上手く息を吸えるようになった心地がした。



 ロランとアリゼ、カレンといった希代の薬師たちは思想の違いから道を分かたれたものの、それぞれの行く先で、猛威を振るう病を制した。この時代、商人たちの活動が活発になり、巡礼者が増えた。農業のほかに職人や商人という職業の多様化により、農地に根差すことから離脱する者が増加した。それによって、病の拡大する速度も増した。時を同じくして、アリゼやカレン、ロランといった腕利きの薬師が続出したのは、まさしく天の采配ともいえた。



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