14.贖罪
「大聖教司様、学僧たちが」
「今行く」
礼拝堂に行けばロランを見出すことができると熟知している補佐が声を掛けて来た。名残惜しいが、やるべきことは多くある。
今また、新たな問題が浮上していた。
光の属性ではない者が頂点に立ったことから袂を分かった聖教司未満の者が、大陸西中を遍歴して回った。
聖職者の端くれ全てに品性が備わっているとは限らない。それどころか、各神殿の裁判権にのみ服するというその特権を良いことに、道を踏み外す事例が多かった。常に困窮し、若さによる色恋沙汰や喧嘩沙汰、飲酒にふけり、賭け事に溺れ、挙句の果てには盗みまで働いた。そして、その街にいづらくなれば再び放浪の旅に出る。
少し上向いた貴光教の評価を下げかねない、いや、今度はやはりその程度かとより一層軽蔑されかねない。ロランは唇を引き結んだ。ここが踏ん張りどころだ。
彼が出て行った後、あちこちでため息が起こりさざめきが波打った。
礼拝堂の奥の壁一面から差し込む陽光が金色の髪を輝かせ、整った白い相貌を神々しく照らしていた。
火中の栗を拾うことを厭わず大聖教司の位に就き、尽力するロランは、その見目麗しさも手伝って、人気は上々だった。
彼ならばこそ、と人々は苦境を慮り、力になろうとした。
放浪の薬師は、多くの者を助けてきたが、その分だけ、多くの者が助けようとした。そうされるだけのことを築き上げてきたのだ。
「悪しきものが感染すれば汚れるが、良きものが感染すれば、病気が治る。良きものに触れられれば、病気が治る」
そういった昔からの思い込みを嘲笑う「最先端の学問」は大陸西を席巻した流行り病に対して、研究を重ねた結果を報告した。
基本属性を司る水星と風星、火星の力が地上にまで及び、それによって大きな「合」が生じてしまったがために、流行り病を引き起こしたのだと言うのだ。この「合」の影響によって空気に深刻な腐敗が生じ、この腐敗した空気は肺に吸い込まれ、心臓にまで達し、そこにある魂そのものを腐敗させ、やがてその熱によって生命力が衰退させられたと纏められている。
大学の「最先端の学問」では、医学にも天文は大きく関わると見なされており、天空の闇に浮かぶ太陽といった上位属性の他、水、風、火、地といった基本属性と木、獣の根幹をなす星、その他の小さき星々の配置によって様々な影響を受けると信じられていた。
アリゼは情報を集め、流行り病は南の大陸に渡った船からもたらされたのではないかと仮説を立てていた。
大学が打ち出した説に右往左往する薬師たちに檄を飛ばし、罹病者の隔離と衛生及び栄養の向上を唱えた。流行り病は天変地異や凶作による食糧不足が助長させたのだ。だからこそ、翼の冒険者とその支援団体が各地に配った物資は得難いものだった。
流行り病は炎が燃え移る様に静かに、だが確実に広範囲に広がった。翼の冒険者らほどの豊かな物資、高い移動速度がなければ、より多くの命が失われていただろう。
彼らは流行り病や飢えからだけでなく、異類排除という貴光教がもたらした醜悪な非道からも多くの者たちを救った。
アリゼは元々は貴光教内部でも、黒の装束を纏って汚れ仕事に従事していた。
唯一の肉親である祖母を失い、寄る辺ないアリゼは黒の同志たちの誘いに乗った。八つ当たりの罵声をただ縮こまってやり過ごす毎日だった。だからこそ、自分の地位を確固たるものにしなければ、と思った。そうしなければ生きていけないと思った。
貴光教の「特別な薬」が人々にどんな作用をもたらすのか、わかっていた。
でも、作り続けるしかなかった。
本当にそうだったのだろうか?
祖母のように森の中で薬を作り生計を立てることができたでのはないか。
寂しさ、独りぼっちの恐怖を、何とかやり過ごすことができたのではないか。
生きるためと言いつつ、人を踏みつけにすることに手を貸した。
でも、誰もがあのハーフエルフのように自分の信念を貫いて生きることができるのではないのだ。
翼の冒険者のように、大空を軽やかに飛んでいくことなど、もっと難しい。
居場所が欲しかった。
君が必要だと言われたかった。
役に立ちたかった。
エディスで翼の冒険者と出会い、力を欲した。アリゼを支えてくれた彼に恩返しをしたいと思ったのだ。そう考えて行動することで、自分を守っていた、保っていたのだと思う。
力を付けるにつれ、薬草園で薬師として「特別な薬」を調合した。黒の同志となる以前に魔女として多くの薬を処方していた祖母と暮らして得た知識を総動員してその地位にまで上り詰めた。
そして、非人型異類の毒を使って新たな黒の同志の武器を作り出した。その功績が認められて貴光教本拠地の薬師にまで抜擢されたのだ。
薬草を育て、薬を調合するのは性に合っていた。
そうやって作り出したもので、どれだけの人間に影響を与えてきたことだろうか。
それがどういう使われ方をするか知っていたのだ。
力を得るために意に添わぬ者に身を任せもした。その得た力で何を成したか?
元同志として情報をもたらしたラウノにせがまれるままに薬を処方した。彼は赤い手袋を授与されたが、もはや着ける機会は永遠に失われた。
大聖教司たちが光の神から拒絶されて絶望する最中、その心の間隙を狙って封印状を突き付けた。彼らがそれまで行っていた非道を国王の名のもとに処罰するものだった。
これで翼の冒険者を阻む者はいなくなった。
ならば、自分も裁かれなければならない。
新たに大聖教司となったロランに自分の罪を告白したアリゼはだが、今もまだ薬師をしている。
「アリゼさん、私も同罪なのですよ。大聖教司様たちがされていたこと、いえ、貴光教自体の行いを口を拭っていました。学識の光が及ばない村に赴いてその知識を届けるというのは耳障りの良いことです。ですが、それに甘えて、非道の行いを見て見ぬふりをしてきました。その責任を取らなければならない。私たちはやり方を誤った。しかし、光はどうしたって人に必要なんです。厳しいことを言うようですが、これまでの行いを一瞬の死で終わらせるのではなく、残った生を掛けて償わなければならないのです」
混乱の最中、即座に心を決めて誰もが忌避する地位に就き、いわば、他者の責任をも背負ったロランの言葉はアリゼの心を打ちのめした。
「まあ、私もシアンさんの言葉に背中を押されたんですけれどね。良い言葉ですよね。「光はどうしたって人に必要だ」」
「はい」
自然と頷いていた。
荒れくるう状況の最中に決然と立ち、自分たちの行いへの謗りを受け止めつつも、光を欲する者たちのために尽力するロランを助けようと思った。人手の足りない今はアリゼのような者の力でも必要だ。
そうは思ったものの、まさか、イシドールやジェフたちと奔走することになろうとは予想だにしなかった。
「アリゼ、新しい薬草が搬入されてきたぞ。……お前、こんな所にいたのか」
「そうですよ。ここでやることがあってね」
「終わったのならさっさと次の仕事に取り掛かれ」
「いえ、それがまだ終わってませんので」
自ら立ち働くようになったイシドールが入室早々、ジェフと丁々発止とやり合う。
「アリゼさん、大聖教司様がお呼びです」
「今行きます」
ロランの補佐が顔を出し、正直、助かったという心境になる。イシドールもジェフも流石に、大聖教司には食って掛かれない。
補佐の後についてそそくさと部屋を出て扉を閉める。補佐が小声で言う。
「大聖教司様からのご伝言です。お食事がまだならご一緒しましょう。宜しければ、食堂へとのことです」
部屋を出てから伝言を伝えてくれた補佐に感謝しつつ、アリゼは食堂へ向かった。
ロランにこれほど目端の効く者が付いていてくれることがアリゼの唇を綻ばせた。
貴光教の関係者らは民を地を這う者たちと呼んだ。アリゼはいつの間にか、自分もまた、自分のことを「地を這うもの」だという意識があったことを理解する。
等身大でそれ以上でもそれ以下でもなく、自分を評価するのは難しい。ただ、日々こつこつと向上することの尊さを実感する。そこには地を這うなどという意識はないのだから。
忙しく立ち働く中、漂泊の薬師の噂を聞いた。
病を治すと謳った薬を否定し、大商人を敵に回したカレンの活躍を知り、アリゼはあの人は相変わらずね、と思う。変わらずに自分が矢面に立って、日々どこかで人々を救っているのだ。
自分もロランを支え、そうしていきたいと思う。
祖母が死に、貴光教の暗部に拾われ、出来損ないと蔑まれてきた。
力が欲しかった。
幻獣になりたかった。幻獣になって彼とともにただ、生きるために狩りをして音楽を楽しんで、旅をして色々見てまわる、そんな生活をしたかった。ステンドグラスから指す光の様に優しく多彩で見上げるばかりのものだった。
アリゼはロランの傍らで薬師を纏めながら時間を見つけては研究に勤しんだ。いつかこの研究成果が辺境の村々に届くことを祈りながら。
アリゼは多くの者に聖教司にと乞われたが生涯薬師として働いた。大聖教司の良きアドバイザーとして一目置かれた。
後に、翼の冒険者は何かの折に友人である貴光教の大聖教司から、アリゼは与えようとする地位をを蹴り生涯薬師として貴光教の特別な薬の後遺症に悩む人々に尽くすと言ったという話を聞き、彼女の波乱万丈であっただろうこれまでのことについて思いを馳せた。期せずして、翼の冒険者の心を動かすこととなった。




