13.光の新大聖教司
日輪のような金色の円環に白や銀の装飾をなされた天井は、まさしく天の陽光そのものだ。仕事に忙殺される隙間にできた寸暇に、ロランは金色の優美で上品な曲線や複雑な模様を天井画を持つ礼拝堂にやってきて目を瞑って祈りを捧げた。
突然現れた大聖教司の姿に、聖教司や信者たちはさざめいたが、やがてロランと同じくただ祈ることに集中した。
あんなことがあったのにも関わらず、数こそ減らしたものの、巡礼者は貴光教の総本山にやって来る。
農民や職人の多くはひと所に留まり、一生を終える。そのせいか、遍歴する商人や職人を羨む者が一定数以上いる。「ここではないどこか」「今とは違う何か」を常に人は求めるのだろうか。もっとと欲するのは悪いことではないが、今ある幸せに目を向けず、苦労にばかり気を取られるのは世の常だ。
巡礼は物質的な移動だけではなく、精神的な内面回帰が重要視される。日常を離れた精神が各聖地を巡ることで何を得るか。それは危険で辛い旅に出た当人だけが手に入れられるものだ。
異類排除令が終息以降、人口減に対応するため、六大属性の神殿が国に要請し、農業形態まで変え、農奴から小作農への切り替えが進み、農民の地位が向上することに繋がった。多くの農地が無料にもなり、小作農と労働者という新しい社会階層を誕生させることになった。
これは一つの宗教が弾圧に乗り出したこと、また、それを座視したも同然であった他の宗教の罪滅ぼしの出来事とも言えた。
清浄を掲げる宗教の総本山であるキヴィハルユは綺麗に整えられた街並みだ。そこでは疫病が流行らない。
信者の多くが神の加護があるからだと言っていたが、薬師として各地を巡ったロランからしてみれば、清潔であることが原因だと踏んでいる。
キヴィハルユは他の国の街と異なり、糞尿やゴミを排除すること神経質なほどである。これには水の魔法を使う者が安い給料で働かされる。
あの日、光の神は貴光教に背を向けた。
ロランは神に見放された宗教にしてはならぬと奮闘した。人々に説いて回った。自分たちに必要なのはただ心から神を愛することだけだと。見返りを要求せず、ただ、そうあるだけだと。
「いつか我らの心は神に届くだろう」
流浪の聖教司として、ろくな治療を受けることが出来ずにいる貧しい村に少しでも光の温かさを届けようと聖職に就いた。幼いロランを助けてくれた聖教司から教わった神が心の支えとなったからこそ、今までやってこれたのだ。
ロランはその生涯を捧げた仕事と、貴光教を立て直すことの択一を迫られた。迫られるというほどに生易しくない混沌の中で、咄嗟の判断とも言うべき瞬間瞬間に措置を要求された。迷う暇など与えられなかった。
「光はどうしたって人に必要だ」
友人がそう背中を押してくれたからこそ、放浪をやめる決心がついた。
貴光教がしたことの責任を取るために、キヴィハルユに留まることを選んだ。
自分のしてきたことの償いをするというアリゼを引き留め、貴光教の再建を手伝ってくれるよう説得し、イシドールやジェフたちと奔走する毎日だ。
無論、風の属性を持つロランが光の属性の宗教の頂点に立つのだ。反発の声は大きく上がった。
風の属性でも光を求めるのに変わりはないのだと説いて回った。光は人々にとってなくてはならないものだと実感しているとも。
全てが美しく完全無欠なものはない。それはもはや神の領域だ。人の身であるならば、欠陥を抱えて、それでも光を求め、その大切さを知り、人々に救済を施した。これほど見合う人間がいようか。
いつしかそんな声を聞くようになった。
それでもやはり、風の属性のロランがトップに立つことをよしとしない者は根強く残った。
その者たちのうち、聖教司はハルメトヤを離れ、他国の大都市の神殿で聖教司を務めたがった。念願かなっていざ他国の神殿に行ってみれば、周囲のよそよそしい態度の中、キヴィハルユにいたころには庇護下に遭ったのだと思い知らされる。
他方、聖教司未満である場合、キヴィハルユを離れ、学徒として都市へ散った。道を踏み外す者も多くいた。飢餓に手を焼きながらも、小銭が懐に入ると酒を飲み、女を知り、賭け事をした。酷い者は盗みを働くこともあった。その街に居辛くなれば巡礼と称して旅に出ることを繰り返した。
ロランはまた、アーロの研究について調べさせた。
非人型異類の異能を組み合わせ、新たな異能を発揮しないかという画期的なことを研究していた反面、被験は人にも及び、非人道的実験を行っていた。そして、多く集めて来た非人型異類を繁殖増加させ、大陸西に放っていたということが判明した。
黒の同志と称される暗部はこれらの討伐を依頼される。
新大聖教司自ら彼らの下に足を運んだ。黒の同志の今後の在り方を話し合い、できれば、黒装束を脱ぎ、労役係の一部署となり任務に当たって欲しいと依頼した。
他の者たちと同じく、防衛する力もまた貴光教を支える一部なのだと話した。
今まで汚れ仕事を強いられつつ、清浄な教義にはそぐわない者たちだと蔑まれていたのが、他の者たちと同じく貴光教に尽力すると認められた。
「貴方たちの為すことは全て私の責任のうちでもあります。労役係は神への祈りの時間を捻出するための雑事をシステマチックにするものです。貴方たちの任務もそうです。神殿に務める者たちがそれぞれ整備された業務を行うことによって、簡便化されています。労役係は組織の、ましてや上層部の好き勝手にできる手足ではない。光の神を愛する集団の役割分担に過ぎません。なので、貴方たちも任務の効率化を図り、なるべく礼拝の時間を取ってください。何も礼拝堂に行かなくても良いのです。どこにいても神を一心に思う。その時間を持つことが重要なのです」
ようやく貴光教から認められた彼らは、自分たちの神への祈りを推奨してくれた大聖教司に跪いた。自分たちの行いがその大聖教司の責になるというのであれば、常に正しくあろうと努めた。口先で褒めて良いように動かすのではなく、何を置いてもまずは神への祈りを勧められたことに感銘を受けた。
正しいと一口に言っても、以前の貴光教のように偏見に基づくものではいけない。
黒装束を脱いだ貴光教の労役係は高潔の騎士として称されることになる。
彼らに危難を助けられそう呼び始めた者たちは、賞賛の対象らが異類審問官として多くの無実の人間を審問へ送り込んだことを知らない。しかし、本人ならばこそ、自分の行いを知っている。事実からは逃れられない。
ロランはそれを分かっていて利用した。彼らは蔑まれながら命じられるままに動く心を持つことを許されない兵隊だった。これからは神の教えの下、その規範に沿って行動する人材に育てなければならない。先の騒動で多くの人材を失った。ロランが大聖教司となることで反目して出て行った者もいる。
人手が必要だった。
彼らは贖罪を胸に抱いて罪と向き合いながら、生きていかなければならない。それでも、罪を償う行動に従事するうちに美しい光景に出会い、楽しみを味わうこともあろう。死んでしまっては、その機会すら失われるのだ。そして、家族や親しい人を失った者たちは大きく深い喪失感を抱えて生きていかなければならない。
それをしたのは彼らなのだ。
キヴィハルユの黒の同志たちは大陸西の各支部に飛び、ロランの言葉を伝え、黒装束を脱ぎ、労役係の一部として務めるように説得した。
多くが賛同したが、一部で反発する者がいた。エディスの黒の同志たちの殆どがそうである。彼らの行方は杳として知られていない。
ハルメトヤ貴族たちは相次ぐ天変地異の中で広がった流行り病に、生き延びようと貴光教の高価な薬を贖い、多くの財産を失った。そのため、先祖伝来の家屋敷が抵当に入った者がいた。
ロランが大聖教司になる際、風の精霊の加護を受けていると告白したことによって、風の神殿を皮切りに、他の属性の神殿とも付き合いができた。何より、翼の冒険者が新しい光の神殿の大聖教司を何かと手伝ったことも大きかった。
光の神が翼の冒険者に恭しく接したのは、大勢の者が目撃している。しかし、それはあまり人の口に登ることはなかった。唯一絶対の神が跪くなどあってはならない。なにかの見間違いだ。彼らはそう思った。自分たちが見聞きしたことよりも、正しいことがあると思い込んだのだ。
集団で幻想魔法にでもかかった心地になっていた。
ある意味、正しかったのだが。
さて、翼の冒険者は音楽家として名を馳せた。
彼の音楽は確かに楽しさに溢れたものだった。物すごく上手いかというと、そうでもなく、どこの国でも一番手には他の名前が挙がるだろう。にもかかわらず、その音楽の力は遍く広まった。
彼は時折、楽器を換えて奏でた。弓を使う楽器と大きな黒い楽器で生み出す音楽は人の心を揺さぶり、凍った感情を解きほぐした。普段はリュートを弾いたため、広く知らしめたくはない理由があるのだろうと斟酌した周囲が黙っていた。彼の音楽の真価を知る者はことごとく口を噤んだ。救われた恩を仇で返すことはない。彼の音楽はその時その時、様々な場面で人の心に深く刻まれた。
それは記憶の中で響いた。沈黙の音楽だった。
その音楽が、彼の名を広めていった。真価を知る者はそれほど多くはない。




