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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第十章
552/630

12. 高潔の騎士

 

 村の周辺では広い牧草地があり、羊を飼っていた。羊は大切な財産だった。毛や肉、加工製品を生み出す。乳製品や革製品、羊毛の根元の油さえも利用できるのだ。

 凶作や天変地異はこの地方にも魔の手を伸ばした。いつも豊かな牧草地は赤茶け、羊の群れを分けて遠征する必要に駆られた。草だけでなく、樹皮や木の芽、花までも食べてなお、十分に肥えることができなかった。

 食糧難は羊だけにとどまらず、田畑の実りも減り、村人も飢えた。

 更には気温の上昇だ。この地方でこの時期にはついぞなく気温がうなぎ上りになった。

 羊は保温に優れた毛に覆われている。冷涼な場所を好むので、高温に弱った。

 栄養不足に気温の上昇は止めとなり、羊の多くを失った。

 冬を越し、春を迎え、夏の息吹を感じる頃にはようやく落ち着きを見せ始めていた。

 そんな折、非人型異類に襲われた。

 村から大分離れた場所へ足を踏み入れたのが拙かったのかもしれない。けれど、これ以上羊を飢えさせる訳にはいかなかった。そして、非人型異類に食い殺されるのも業腹だ。

「ピート、羊たちを先導しろ! 逃がすんだ!」

 非人型異類の異様な姿に尾を股の下に挟んで怯える牧羊犬を叱咤する。羊たちは悲鳴を上げながらも牧羊犬に従った。

「このっ! お前らなんかに! これ以上羊を失ってたまるか!」

 無我夢中で石や小枝を拾っては投げつけた。そんなものは何物でもないとばかりに速度を変えずゆるやかに迫って来る。

 先だって、甥が病で亡くなった。生意気なことばかりを言う可愛くないやつだったけれど、失えば辛かった。やせ細った体は病に打ち勝つことは出来なかった。村ではぽつぽつそんな者が出ていた。

 流行り病は終息したと聞いているが、ひと足遅れてこの村にやって来たのか、と村人たちは戦々恐々とした。

 互いにちょっと良いなと思い合っていた村の娘が違う村の者に輿入れすることになった。父親ほども年の離れたやもめで、少々の貯えがあるので、娘の家族がそれを目当てにした。娘が飢えずに済むようにという親心もあっただろうが。

 それらの鬱憤を籠めて石をぶつけた。

 最後尾の羊に取り付こうとしたのを、咄嗟に間に割って入る。

 そして、しまったと思った。

 羊は大切だ。

 しかし、自分の命に引き換えにできるものではない。

 怒りに頭が沸騰し、馬鹿なことをしでかした。

 くわ、と開いた口から黄色い粘液に濡れた大きな牙が見えた。吐き気を催す生臭い息が掛かる。

 と、鈍い音がした。

 気持ち悪く蠢いていた触手が力を失う。

「怪我はないか」

 間近で声を掛けられて驚いて顔を上げると、旅装の男が立っていた。見るからに大柄で鍛えられた体躯、その腕に剣を持っていた。力を籠めて、非人型異類から剣を引き抜いた。

 その時ようやく、彼が非人型異類を仕留めてくれたのだと知る。

「あ、ああ。た、助かったよ」

 喘ぎながらようよう礼を言う。

 そのままその場にへたり込んだが、息が整うと思い出すのは羊のことだ。

「ピートが村へ連れて行ってくれるから大丈夫か」

「羊か? 賢いものだな」

 呟きを拾った男が、襲われかけたことすらもはやなかったようにのんびりと歩いて行く羊たちの後姿に視線を移す。

「あんた、すごいな! 石をぶつけても小揺るぎもしなかった怪物を一発で刺し殺した!」

「最近、物騒だからな。鍛えているんだ」

 淡々と言う様も格好良い。

 羊という財産と自分の命を救ってくれた。大恩人である。

 否が応でも好意が高まる。

「なあ、旅人だろう? 村へ寄っていってくれよ。何もないけれどさ。少しくらいなら出せると思うぜ」

「何を?」

 問われ、声を潜めて言う。

「羊の乳さ」

「羊乳か。しかし、大事なものだろう?」

「うん。でも、あんたには助けられたしな。美味いぜ。味が濃い」

 税を支払うので、村人とてもおいそれと口にできない。それこそ、飢えるぎりぎりまで。

「俺だけじゃなく、羊自体を助けてくれたんだ」

 ならば、と男は非人型異類を袋に詰め、後を付いて来た。

 何とか粘って村人を説得し、コップに半分ほどの羊乳と干し肉を渡してやることが出来た。

「どこも食糧難なのに、済まないな」

 却って恐縮する風情なのも良い。

 腕力に任せて大したことないことをして恩を着せて集ろうというのでないところが気に入った。

 しかも、男は持って来た非人型異類を国に渡せば幾ばくかの金になるだろうと言ってくれたのだ。

「何なら、税金を支払う分に充てれば良い」

「良いのか? あんたの獲物なのに」

 冒険者などに取っては仕事の成果であると言える。

「ああ。腕には自信がある。見つけたら狩れば良いだけだ」

 ならば、この村を拠点にして倒してくれ、そちらも獲物が手に入る、こちらも安全が保障される、双方にとって良いことではないか、と村人が勝手なことを言うのにも頷いた。

 命を助けられたのだから、と村人に掛け合って、男の滞在中の食料は村で持つことを交渉した。お前はどちらの味方なんだと渋い顔をした村人たちも、非人型異類の他、魔獣を狩って来た男には感謝しきりだった。魔獣の肉を振舞ってくれたのだから、掌くらいいくらでも返そうものである。

「いやあ、本当にお強い!」

「太っ腹だ! 噂に聞くなんたら言う冒険者みたいだな」

 久々の肉は美味かった。滋養となって村人に活気をもたらした。

 初めは胡散臭いという気持ちを隠しもしなかった村人たちは男を敬うようになった。

 男は始終きまり悪げだった。

 そこで、ぴんときた。だから、羊の乳の時よろしく声を潜めた。

「なあ、あんたさ、もしかして、異類審問官から逃げて来たのか?」

「……っ!」

 男は目に見えて動揺した。常に冷静沈着な衣が脱がすことに成功し、得意な気分になるが、気の毒でもあった。すぐさま、知りうる情報を教えてやる。

「やっぱりそうかあ。いや、安心しな。異類なんたら令ってのは、なくなったんだってさ。何でも、翼の冒険者の活躍で貴光教は物すごく変わったらしいよ」

 懸命に情報の断片を集め、記憶を総ざらいする。

「審問官ってのがこの村には来たことがないけれど、南の村には来たらしいんだ。何人か連れて行かれて戻ってこなかったって。都会に行ってそのまま住みついちゃったんだろうなあ」

 良いよなあと言うと、男が身じろぎした。

「きっとさ、異能で何か仕事をさせられていたんだろうな。神殿や国のお偉いさんがすることは俺たちには良く分からないものだらけだからさあ」

 男を安心させるために、恐らく多額の報酬を貰って都会で華やかな暮らしをしているのだろうと話した。

 しかし、男は暗い表情のままだ。身を硬くしてどこか緊張しているようにも思える。

「それにしても、あんた、やっぱりそんなに強いのは異能持ちだからなんだな。ああ、いや、悪かった」

「……何故謝るんだ?」

 興奮して喋っていたのを謝罪で急停止すると、男がようやく口を開いた。低く迫力のあるものだった。

「うん、俺はさ、この村しか知らないし、他の村や街のことは噂を聞くくらいなんだ。だから、都会に憧れているところがあって。でも、あんたは、逃げて来たんだろう? じゃあ、良いことばかりじゃなかったんだよな。それを羨ましいみたいに言っちゃったからさ」

「でも、お前は最初に異類排除令が撤回されたから安心しろと言ってくれた。ここの村人だってそうだ。少ない食料を分けてくれる」

「そうだよ! もう大丈夫だよ。故郷へも戻れるんじゃないか?」

 ちゃんとこちらの気持ちを汲もうとしてくれる姿勢が嬉しい。だから、励ましたくなった。

「故郷、か。そうだな。でも、したことは消えない」

「うん?」

 男の言葉は不可解で首を傾げる。

「自分がしたことからは逃れられない。きちんと償わなければならないんだ」

 ごつい手を握り締める。力が籠められすぎて白くなる。

「何か悪いことをしたのか? でも、俺のことを助けてくれたじゃないか。今だって村のために戦ってくれている。あんたは良いやつだよ。悪いことをしたとしても、仕方なしにやったんだろう?」

 その時見た男の瞳にぞっとした。凄惨な光が宿っていた。知らず、一歩後退る。

 踵を返した男に、このまま村を出て行ってしまうのだと何故か分かった。

「あんたはそんだけ強くて魔獣や非人型異類を狩っているんだから、多くの人を助けているよ」

「それ以上に無辜むこの民を数多く惨たらしく殺めて来た」

 振り向かずに言う。

 無辜という言葉がよく分からなかった。それ以外の台詞の意味は分かったが、理解するのに時間が掛かった。

 そして、やはり男はそのまま村から姿を消した。

 強い守り手を失ったことに、村人たちからは惜しむ声が上がった。

 もし、男が村を出ればそんな発言があることを前もって想像していた。その時にはきっと何を勝手な、という憤りを感じるだろう思っていた。

 けれど、今は薄気味悪さが蟠っていた。

 人を大量に、残忍に殺したと言っていた。

 何故それを自分に話したのだろうか。

 そんな不可解さも日々の忙しなさに取り紛れて消えていった。

「貴光教の大聖教司様が派遣される騎士様が各地で魔獣や非人型異類の討伐をしてくださっているそうで。有難いことです。私のような行商人もこれで安心して街道を歩けると言いうものです」

 村にやって来た行商人が汗を拭き拭き言うのに、村人たちは大いに聴き入った。こうして訪れる商人からもたらされる情報は、外の世界を知る重要なよすがだ。

「助けられた村や街の者から高潔の騎士と呼ばれているそうですよ」

 行商人の言葉に、村人からそういえば、以前この村に滞在した剣士も強かった、もしや、身分を明かさなかったが、彼も貴光教の大聖教司が遣わされた騎士ではないかと口々に言い合った。

 その時、言い知れぬ気味の悪さを思い出した。

 あの男の言い残した言葉はどういう意味だったのだろう。



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