6.研鑽の成果
異類排除令は撤回され、貴光教は人事が刷新され、新しく運営されることになった。
だが、未だ問題が残っている。
『寄生虫は大きくは原虫類と蠕虫類の二つに分けられる。前者は単細胞で非常に小さく人間の肉眼では見えない。後者は体細胞生物だ』
シアンが風の精霊に寄生虫異類について尋ねると、ティオが身じろぎし、リムが不安げな表情を浮かべて飛び付いて来た。
貴光教の神殿の地下で出会った研究者は寄生虫異類の宿主となっていた。
眼球が飛び出した姿に衝撃を受け、シアンは強制ログアウトとなった。
翌日には彼はまだ生存していた。そして、不穏なことを言った後、亡くなった。
「あの研究者の中にいたのは寄生虫異類の一種だね?」
『そうだ。漂流してネーソスに引っかかってこの島にやって来たスタニックに寄生していた者の同族だ』
「あの研究者を操っていた寄生虫異類が言っていた同族というのはスタニックに寄生していたやつかな?」
『おそらくは。だが、休眠しているようで、感知できない』
「そうなんだ」
風の精霊が消息を掴めないのであれば、他のどの存在にも不可能であろう。
『ぼくやリムにとって大した害はなくても、シアンに害となることがある。シアンに害となるのであれば、許すつもりはない』
あの時、鸞が研究者に会いたいと願い出たのを受け入れたシアンが倒れた。リムが不安定になった。
ティオにとっては最も忌避すべき事柄だ。
外部寄生虫であるダニは約四千種類おり、多種類である理由は不明であるものの、あるダニは落ち葉や昆虫の死骸を分解して土に戻す役割を担う。
『この大地の生物は全てが無意味ではない』
全てが悪いというのではない。様々な役割を担う中で、組み合わせによっては悪い作用をもたらす者がいるというだけだ。立場が変われば役割を変える者もいるのだ。
「無意味な者はない、か。じゃあ、寄生虫異類はどんな役割を果たしているんだろうね」
『シェンシに聞いてみる?』
リムが肩の上で小首を傾げる。
「そうだね。寄生虫異類のことについて、ずっと研究をしてくれているものね」
鸞は樹の精霊の元にいるというので、移動する。
幻獣たちが枝に悠々に乗れるほどの巨木の根元に鸞と麒麟がいた。二頭の幻獣と話していた樹の精霊が風の精霊の姿を認めて軽く一礼する。樹の精霊は十代前半の少年の姿を取る風の精霊よりも幾つか年上の風貌をしている。六大属性の精霊の王には劣るが、彼もまた全ての植物を統べる精霊だ。
シアンたちから寄生虫異類の役割について言及された鸞は麒麟と顔を見合わせた。
『吾らもまた、界から知識を教授頂いていたのだ。それと関連するやもしれぬな』
「植物のことと?」
鸞は樹の精霊に自分たちに教えてくれたことをシアンたちにも伝えてくれと乞うた。
樹の精霊は悠久の時を生きるだけあって、気が長く、手間を惜しむことなく口を開いた。
『植物は根を張りひとところに留まっている種が多い。けれど、外敵に対する防衛措置を持つ者もいる。渋味や毒を生成するのがそれだね』
タンニンというポリフェノールは非常な渋味を持つ。葉や果実から捕食者を忌避させるように仕向けている。種子が成熟するまでは渋味を蓄える。渋い間は動物は食べようとはせず、果実が熟して熟れるころには、水溶性タンニンが水に溶けにくい高分子重合体に変わっていく。この甘くなった時に動物が捕食して種子を別の場所へ運んで播種する。
また、植物は進化の過程で神経麻痺を起こさせるほどの有毒な化学成分を作るまでに至った。
他にも、乾燥や紫外線からの防衛もある。ポリフェノールを作ることにより、乾燥への耐性を持ち、生物に有害な領域の紫外線を吸収して植物細胞を保護する。
『例えば、赤ジソは表層細胞でアントシアニンが有害な紫外線を吸収するんだ』
「そうやって身を守っているんだね」
『そういった成分が薬として用いられるというのだ』
なるほど、そこに繋がっていくのだなとシアンは頷いた。
鸞はこの島に来る前に薬を作成してきた。多くの薬草とその効能を知っていたが、それがどうやって生成されたのかということについて樹の精霊に教わった。ものすごい発見だ。
『植物が生成する防衛のための物質と薬が持つ性質が共通しているんだ』
『だから、植物は薬になるんだね!』
風の精霊の言葉にリムがぴっと片前脚を上げる。
樹の精霊が莞爾として頷く。
『そうだよ。その防衛物質によって、捕食者を寄せ付けないためにはその物質の成分が強くなくてはいけないんだ』
『動物の神経伝達を遮断して動かなくする、細胞の分裂や成長を阻害する、といった強い生物活性が必要となって来る。この強い生物活性が優れた薬効の要素のひとつでもある』
樹の精霊の言葉を風の精霊が補完する。難しかったようでリムが小首を傾げる。
『生物活性ってなあに?』
『生物に作用して何らかの生体反応を起こさせることだ』
『例えば、痛みを遮断したりすることであろう』
風の精霊の言葉を鸞が予測を立てる。鸞のような知恵者であっても、万物の真理はおいそれと咀嚼し自分のものにできるものではないのだ。
『捕食者に対抗するための防衛物質は、植物ごとに異なる物質であることが必要だ』
「ああ、もし、すべての植物が同じ防衛するための成分を作ったとしても、捕食者が耐性をつけたらそれまでだものね」
現実世界でもウイルスと薬のいたちごっこが繰り返されていた。
『そうだ。それがどんなに生物活性の強い成分であったとしても、一つだけの対象に耐性を獲得することは、それほど難しくないし、ある生物で偶然に獲得した耐性が遺伝子と共に他の生物に伝播して広まることも可能だ』
シアンには現実世界の知識があるが、鸞とてこの世界の諸書に通じている。懸命に、そして嬉々として、広がっていく情報を取り込もうとしていた。
リムはと言えば、分からなくなったのか、ティオの広い背中を高難度超高速もぐら叩きのもぐらよろしく行き来している。
ティオはと言えば、初手から理解しようとはせず、ただ、泰然とシアンを見守っていた。
麒麟はと言えば、口を挟まずに穏やかな表情でシアンらの会話に耳を傾けていた。
『となると、他者が真似することが出来ない独自の成分を作ることが肝要でしょうか』
『そうだ』
鸞の問いに風の精霊が頷く。
人間や企業などが社会競争の中で独自性を見出すのと同じことが植物の世界でも起きているということだろうか。
『そういった防衛物質の多様性は必然と言える。その寄生虫異類もまた、そういった生物の進化の過程でその特質を得たのかもしれないね』
『界、寄生虫異類を排除する成分を持つ植物を知っている?』
ティオがすると一歩前へ出た。鸞がはっと息を飲んだ。
鸞は研究を重ねて来た。風の精霊や樹の精霊を始めとする自分よりも膨大な知識や知恵を持つ者が近くにおり、教授を受けて来た。その際、直接問題の回答を得ようとはしなかった。材料について尋ねるだけで、それらを組み立てて仮説を得てそれらを実証していくことは自分の役割だと思っていた。シアンがそういうスタンスでいたからだ。そして、それは鸞の性にも合った。何でもかんでも他者に訊かずに集めた事柄を精査して新たな説を組み上げる。心躍る作業だった。
ティオはもはや十分にシアンも自分たちも力を尽くしたと見て取った。
双方の気持ちを汲んだ樹の精霊が静かに鸞に視線を向けた。ティオもそちらを向く。
『ジョチュウギクでしょうか』
樹の精霊は唇を綻ばせて頷いた。
鸞は胸に灯る温かい喜びを噛みしめた。
これは動物には無害だが、昆虫類にとっては有害である。特に双翅目と膜翅目に効き目があり、蚊の駆除に用いられてきた。そのことを何かの書によって目にしていたが、まさか寄生虫異類にも有効だとは思わなかった。ネーソスの甲羅に乗ってみなで遠出した際、水中の神殿の中で見つけた神秘書に記載されていた事柄と出会い、結合した。様々に試みて、一定の成果を得ている。これは鸞がそれまでに数多の書を読み、その内容を覚えていた博覧強記が発揮した成果である。
『シェンシ、やったね! 見つけたんだね!』
「ありがとう、シェンシ。今まで色々大変だったね」
『いや、確かに手間は多かったが、その過程も楽しめた。吾にとっても実りの多い研鑽であったよ』
麒麟とシアンが喜色を浮かべるのに、鸞も面映ゆそうにする。
鸞はそれ以外にも再生能力を持つ海の生物のことや、薬物依存症に効く植物の研究成果などをシアンに語った。
『黒い虫殺し、神の葉とも称される』
「ああ、それは貴光教の方々に渡したいね」
『毒を制するほどの力を持つだけあって、取り扱いが難しい』
今後も研究を重ねていくと言えば、シアンも協力を申し出た。
『シアンは体に良い植物を集めていたでしょう? 貴光教の人たちにも分けてあげようよ』
『吾らは闇の聖教司殿の見舞いに携える物品として、そういった体に良い植物を界から教わっていたのだよ』
『植物が内包する力は人の体を保ったり、生活活性を有していたりするからね』
麒麟と鸞の言葉を受けて樹の精霊が穏やかな瞳に老成した知性を滲ませる。
『アベラルドのお見舞い!』
リムがどんぐり眼になる。
『仮面の君も行く?』
『うん!』
麒麟の提案に笑顔で応じる。
『この樹のすぐ傍にもあるよ。ほら、これ。根が苦いものだね』
樹の精霊が大樹の傍に生えるぎざぎざの葉に青いコスモスのような花をつけた植物を指し示す。
『苦味は寝に含まれるインチビンによるものだな。利尿剤や健胃剤になる。全草を肝炎や黄疸の薬として用いることもある』
『姿かくしや鍵開けの効果があると言われているんだよ』
風の精霊が詳細を教えれば、樹の精霊が言い伝えを付け加える。
『な、何とも栄耀な』
「ふふ。英知も界も色んなことを知っているからね」
『シェンシにとっては夢のような時間』
珍しくティオが揶揄うが、鸞は真面目な顔つきで頷く。
『魔族にも分けてあげる?』
『そうだねえ。全部採ったら駄目だから少し残しておこう』
リムと麒麟は顔を突き合わせてああだこうだやっている。シアンはマジックバッグから籠を取り出して参戦する。
「これは昔からサラダとしても食べられたんだよ。こっちの若葉も香草だそうだよ」
シアンは常日頃から風の精霊や鸞の説明を受けることによって、動植物の知識を蓄積させ、よって、経験値を積み上げ、脳内アナウンスも頻繁に起こる。
その知識を披露してみれば、リムと麒麟がシアンの指し示す植物に鼻先を向け蠢かす。
『それはサポニン、タンニンを含み、発汗剤や利尿剤として用いられる』
『そちらは根には薬効はなくて、花の汁を絵画に利用しているね』
『狐顔に持って行こう!』
『似顔絵が得意なしもべ団の人だね』
樹の精霊の説明にリムがぱっと笑顔になり、麒麟が微笑む。
『シェンシも少し貰っておく?』
『そうだな』
写生を見せて貰ったとリムが嬉し気に話していたことを覚えていたティオが提案すると鸞もいそいそと採取に加わる。




