4.いっぱい遊んだ後は ~やっぱり理解していなかった/美味しければ良いよね~
樹の精霊が島の植物を掌握したことによって、セバスチャンの許可を得た上で、庭の迷路が不定期に様相を変ずるようになり、幻獣たちを楽しませた。散歩するだけでも楽しいし、かくれんぼをするのに刺激的だ。
『面白い!』
飛ばず、感知能力を押さえての鬼ごっこもしている。
沢山遊んだ後、ふと訪れる空白の時に空腹を感じる。すると、それを予知していたかのように厨房の方から良い匂いが漂ってくる。
引き寄せられて厨房の戸口に顔を覗かせ、料理をしていたシアンが幻獣トーテムポールに驚き笑う。
「みんな、お腹が空いたの? 今日はね、カラムさんたちから野菜を沢山貰ったから、ピーマンとしいたけの肉詰めを作ったんだよ。ひき肉にニンジンのみじん切りを混ぜてみたんだ」
わあ、と歓声が上がり、軽食を食べる。
『美味しい!』
咀嚼しながらユエが眼を見開く。
『肉汁がたっぷりにゃね』
『ふむ。肉の油を野菜が吸っているな』
カランと鸞が吟味する。
『ピーマンとシイタケを皿にした小さなハンバーグでござりますね!』
『皿まで美味しいハンバーグなのでござりまする』
『いくらでも入りまする』
ハンバーグ好きのわんわん三兄弟が新たな食べ方に喜ぶ。
『野菜にほんのり焦げ目がついているのが良いね』
『……』
『そうですね。肉だけでなく、野菜も香ばしい気がします』
シアンたちと付き合ううち、海の幸だけでなく、陸の幸の美味さにも目覚めたユルクとネーソスが言い、リリピピが賛同する。
『美味しいね!』
『流石はカラムが丹精しただけある』
『魔獣の肉に負けていないね』
シアンがログインしていても離れて幻獣たちと遊ぶようになったリムが丸い顔を更に膨らませ、ティオが頷き、九尾も同意する。
『ねえ、シアン、後でこれをもっと作ってくれる? リュヌたちにも持って行ってあげたいんだ』
麒麟が小首を傾げる。
リュヌ、モーント、セリニ、カマルという名がユエの同族たちで、ユエと同じくお手伝い妖精だ。ユエの要請を受け入れて島に移住する際、兎の姿を取っている。彼らは人間の家庭の家事を手伝うことで糧を得ていた。そのため、人には慣れているが、力のある幻獣たちが集っていることに恐れをなし、工房から滅多に出て来ることはない。たまに庭で散策していることもあり、そんな時は幻獣の方がそっと遠ざかるのだそうだ。
「うん、そうだね。沢山作ったから、彼らにも持って行こう」
『じゃあ、我が運んでくる!』
早速飛び出して行きかねない一角獣がついと顔を上げると、その額から真っすぐに長く伸びた角の切っ先も動く。パウダースノーを彷彿させる美しい粒子を散らす角だ。あまりに繊細な様子から、時折撫でさせて貰うが、その際には一角獣は目を細めてじっとしている。手触りは滑らかなのに、どこか極細の白銀の粒子が掌をちりちりとくすぐる感触を覚える。
『僭越ながら、既に渡してまいりました』
セバスチャンが胸に手を当て、恭しく一礼する。
『そうなんだ。ありがとう、セバスチャン』
『美味しいって言っていた?』
『はい。大変喜んでいました』
家令の言葉に麒麟と一角獣が顔を見合わせて微笑み合う。
「良かった。彼らも夢中になったら休憩を忘れるから」
『シェンシとユエと同じにゃね』
『む』
『シェンシはレンツが止めてくれるもの』
『ユエはカランでするね』
『うん』
カランが揶揄うと、鸞は鼻白むも、ユエはあっけらかんとしており、アインスの言葉にも平然と頷く。
『レンツ殿もカラン殿も優秀な助手ですものね』
『うむ。助手というよりも共同作成者だな』
リリピピに鸞は補佐ではなく同列なのだと言う。
『そうなの。きゅうちゃんも知恵を貸してくれるし、ユルクもネーソスも水中の生物に詳しいし、ベヘルツトと一緒に何でも採取してくれるの』
『では、みなで作り上げているということでござりまするな』
『主様が仰る役割分担でござりまする!』
ユエは皆のお陰だと言い、ウノとエークが顔を見合わせて頷き合う。
『物足りない』
『ティオ、もうちょっと食べたいの? ぼくのをあげようか?』
『ううん』
自分の皿を見下すティオにリムが言えば、首を振るも、ちらりと九尾の皿を見やる。
『あ、こ、これを食べますか?』
「ふふ。じゃあ、別のものも作ろうか。ティオも手伝ってくれる?」
『うん』
眼光に震え上がった九尾が皿を差し出し、シアンが苦笑して提案するのをティオはすんなり受け入れた。
『……』
「うん、じゃあ、今度はネーソスとユルクが獲ってきてくれた海の幸を使おうか」
珍しくネーソスがリクエストするのにシアンは頷いた。
『わあ、やったね、ネーソス』
『……』
ユルクがネーソスと顔を見合わせて笑い合う。
『生クリームも使って』
「うん? じゃあ、ムースを作ろうかな」
ティオのおねだりに、それならば、とフードプロセッサーを取り出す。
『魚介のムースですか。贅沢ですな』
「ふふ。ネーソスとユルクのお陰だね。魚介のムースはね、魚介と同じ分量の生クリームに卵白を入れるんだよ」
野菜の肉詰めを食べ終わった幻獣たちがシアンの言葉に耳を傾ける。この世界で長らく料理に携わってきたお陰で知識とスキルが増え、関連アナウンスが脳裏に流れることも多い。
「すり身に粘りが足りないと、生クリームや卵白のせいで柔らかくなりすぎるんだ。だから、すり身に粘りとコシが必要なんだよ」
そうすると成形しにくく、また、火を通してもだまを作って固まり、きめの細かいムースにはならない。
「だからね、このフードプロセッサーを使うんだよ」
『おお!』
『ユエが作った器具でござりまするな!』
『大容量用と少量用の二つ!』
「そうなんだ。今回は大きい方で作ろうね」
幻獣たち全員に行き渡るようにするのには小さいものでは何度も使用する必要がある。
「すり身に熱が加わると生クリームや卵白が入りにくくなったり、生クリームが分離しやすくなるんだ」
ユエが作ったフードプロセッサーは魔石を内蔵した魔道具でもある。取っ手と踏み台で力を加えることによって、魔石の魔力消費量を下げることもできる。使用時の発熱を下げる仕組みも内蔵されている。
『素晴らしい機能です!』
『えっへん!』
シアンの説明を聞いたわんわん三兄弟が誉めそやし、ユエが胸を張る。九尾からリム、リムからユエへと自慢げな仕草が伝播していった。こうやって幻獣たちは他の仲間たちの影響を受ける。
『ふむ。粗切りした身が細かくなるんだな』
「そうなんだ。さらにそのままフードプロセッサーにかけているとピュレ状になって、ある時点で粘りが出て来てひとかたまりになるんだよ」
『本当だ。どろっとしていたのが硬くなってきたね』
シアンの手元を鸞と麒麟が覗き込む。
「うん。このくらいになったら、生クリームや卵白を加えても水っぽくならないんだ」
『どうしてだろうね?』
リムが小首を傾げる。
『魚介の身をすりつぶすと、筋原繊維タンパク質のアクトミオシンが抽出される。これはひも状であるため、よく練り交ぜると互いに絡み合って網目状になり、練れば練るほど網目が細かく密になって、粘りと弾力が出て硬くなるんだ』
『なるほど』
『……カラン、分かった?』
風の精霊の説明に感心する鸞を横目にユエがカランに尋ねる。
『ざっくりとにゃら』
『ざっくりでも分かるとは流石はカラン殿です』
リリピピが違った風に感心する。
『……』
『まあ、確かに美味しければそれに越したことはないんだけれど』
説明が分からずとも美味しければ良いと言うネーソスにユルクが鎌首を傾ける。
『美味しくするために、シアンの教えてくれるようにすれば良い』
『ベヘルツトの言う通り。シアンはいつもぼくたちに美味しいものを食べさせてくれようとする』
『それを手伝うのもまた楽しいもの』
自分の言葉に重ねる九尾に、珍しく良いことを言うとティオが鼻を鳴らす。
『卵白や生クリームの水分や乳化した油分などは、網目の間に保持される。網目が密であるほど、卵白や生クリームは均一に分散した状態で少しずつ網目に取り込まれるので、安定に保持されて生地はかたさを保つ』
『ということは、網目が十分にできていない状態で、卵白や生クリームを加えると、網目に取り込まれないということですな』
『それで生地が柔らかくなりすぎてしまうのかにゃ』
風の精霊の言葉に鸞とカランが理解を示す。
『そうだ。ムースの生地に火を通すと、アクトミオシンでできた網目は熱によって変性する。網目が密であれば、水分などを抱えた状態で固まり、柔らかな弾力を持った舌触りになる』
疑問を呈したリムはといえば、小首を傾げたままである。九尾に、とにかく粘り気を出す前に水分や油分を足すと駄目なのだと聞いて、ぴっと片前脚を上げて元気よく是と答えた。
「後は魚介の鮮度かなあ。これは塩を加えるタイミングで調節するんだよ」
『塩を加えると、アクトミオシンが溶けだしやすくなり、網目構造がさらに密になる。そのため、より多くの卵白や生クリームを安定した形で取り込むことができるようになるんだ』
なるほど、脳裏に流れるアナウンスはそういう理屈に寄るものかとシアンは頷くも、手は止めない。
「寝かせるともっと弾力がでるというのは?」
『網目構造はさらに緻密になるからだね。これはすり身にする時にできた網目と網目の間に、新たに別の結合反応が起こるためで、これによって粘りと弾力が出てくる』
『待つの?』
「ううん。もう食べちゃおう。これでも十分だよ」
風の精霊の説明を受けてティオがそわそわするのに、シアンが笑う。
幻獣たちがわっと歓声を上げる。
風の精霊も魚介のムースを堪能した。
『ひらめにサーモンのムースなどなんて贅沢な』
『他にホタテ貝やエビもあったよ』
「こんなに沢山の種類のムースを食べられるなんて。ユルクとネーソスのお陰だね」
ユルクとネーソスは水の精霊の酒のつまみとして風の精霊に長期保存をして貰った。




