113.信頼できる隣人として
ティオに蹴っ飛ばされた研究者の中で、それもまた気を失っていた。宿主よりもいち早く意識を取り戻した後、考え込んだ。
敵を倒した瞬間はどんな強者でも気が緩むものだ。研究者が倒された瞬間、緊張が緩み隙を作るであろう幻獣を乗っ取る計画だった。
けれど、そんな隙はなかった。
破れかぶれで侵入を試みたが跳ね返される。この強固なものには覚えがある。横溢する力は圧倒的だ。自分が欲したものだ。
欲しい、欲しい、欲しい、欲しい!
幻獣の力にあの甚大な力と同じ物を感じ、強く欲した。
「イヒヒッ、ヒヒッ、ヒヒヒヒヒッ」
人間とは思えない動きで横たわっていた研究者が跳ね起きる。
「起きたのか?」
「げえっ、何だ、こいつ! 気持ち悪い!」
研究者を見張っていたらしき者たちが格子戸の向こうからこちらを覗き込んで声を上げる。
翼の冒険者の支援団体、幻獣のしもべ団、という言葉が脳裏をよぎる。ならば、こいつらに取付けば良かろう、と思いつく。この宿主の体はもうがたが来ている。
「ちょ、だ、誰か呼んで来い!」
「誰って誰を?」
「誰でも良い。ああ、いや、お頭かカークかディラン辺りだな」
「あ、誰か来たみたいだぞ」
「ちょうど良い。そいつに押し付けちまえ!」
幻獣のしもべ団は捕らえた研究者が妙な笑い声を立てて目玉を飛び出させている異様な風体に大いに慌てた。
だから、やって来たのが多種大量の非人型異類を被検体にしてきた研究者と話がしてみたいという鸞とシアンだったのにすぐに気づかなかった。
「あ、あれ? 兄貴?」
「こんにちは」
「こんにちは。って、ちょ、ちょっと」
うっかり挨拶を受け入れて身を端に寄せて通してしまった後で慌てる。
そして、研究者の体内にいるものは翼の冒険者の姿を見た。
傍らに新たな幻獣を連れている。肩にいる小さい幻獣よりも与しやすいのではないかと一縷の望みをかけて、なりふり構わず行動した。
突きあげてくる感情のままに肥大した耳から飛び出した。
その衝撃で眼球が眼窩から飛び出す。
それは寄生虫型異類が次の宿主に捕食されるために目立つための行動の一種である。
シアンは息を呑んだ。
痩身の研究者がよだれをたらし、両腕を振り回しながら間の抜けた笑い声を上げるのに気を取られているうちに、目玉が飛び出てきて筋からぶら下がる。紐に吊るされた球体がぶらぶら揺れる。
シアンはあまりのことに驚愕し、強制ログアウトを余儀なくされた。それがあのキヴィハルユの神殿の地下でなくて良かったと思う。あんなところで意識を失ったら、幻獣たちに心配を掛け、悪くすれば非人型異類の餌食になりかねやしない。
現に、その時もリムや鸞が心配し狼狽した。
このことは後々にまで付きまとった。
リムはしばらくシアンの傍から離れたがらず、異世界の眠りに入る時も非常に不安げだった。次に目覚めたらする予定を語り、楽しみを持たせることでようやく落ち着かせることができた。
日を改めて話してみれば、研究者はアーロと名乗った。
「ああ、今までどうして忘れていたんだろう。俺はアーロだ。村はずれの魔女に薬草の取り扱いを教わったアーロだ。食べられなくて仕事に就きたくて、神殿で薬草を扱う仕事にありつけて喜んでいたんだ。なのに、何がどうしてこうなったんだろう」
シアンは彼の意識が徐々に薄れ、生命力が薄まっていくのを感じた。
これはいけない、と鸞や幻獣のしもべ団団員たちと延命措置を取る。
シアンらは知るべくもなかったが、アーロを宿主にした寄生虫異類の同族は子、孫、ひ孫、玄孫まで宿主を作っていく中、長らく宿主に留まり続けた。もはや寿命をとうに超えていたのだ。
現宿主に固執するがあまり、子や孫のように乗り換えることなく、寄生虫異類の同族本体自身の意識の存続ができなくなった。
「イヒヒッ、ヒヒヒッ、俺の同族の尾はまだどこかに潜んでいるッ」
死ぬ間際に残した言葉が不気味な毒をシアンに残した。
マウロに報告した際、うなり声を上げながら腕を組んだ。
「俺たちが尋問してもうんともすんとも言わなかったから、シアンだったら何か言うと思いきや。何ともまあ、嫌な言葉を残して逝ってくれたもんだぜ」
制作会社が電脳世界に一から世界を作り上げ、ゲームの味付けとして魔獣や異能といったものを設定した。異能はプレイヤーにスキルを与えるために発生したものである。ゲームとして成り立たせるために登場した。
その異能が、発展した文明社会の中、どういう捉えられ方をしているか。
時に便利な力だと誇り、時に異様な力だと忌避され、時に自分たちを脅かすものとして恐れられた。偏った価値観が高じて、プレイヤーが迫害されるにまで至った。
ゲーム制作会社は始まりの国アダレードではゲームプレイをしやすいように整備していたが、他国に関しては「後はご自由にどうぞ」である。
このゲームのAIは特に高機能高性能を有したので医療にも貢献した。プレイヤーである人間の脳の働きをAIが読み取り、ディープラーニングすることによって、より人間の実態に近づいて行く。
歴史上、価値観は変わるとは言うが、果たしてそうだろうか。技術や知識は向上した。拷問も禁止されている。しかし、自分本位な搾取は続いている。される方よりする側がいくらかましだという人間の考えをAIが模倣したらどうだろうか。
人が同族を一方的に悪と決めつけ、正義の名のもとに共食いを行う。
ゲームの中で地球に似た環境で文明社会を築き上げたAIが行った出来事だ。現実世界と同じ人間や動植物の設定から人間の歴史に酷似した文明を作った。その上で、一宗教が同族を悪だと一方的に断定し正義の名のもとに暴虐の限りを尽くした。
つまり、AIは人間とは同族にそれほど惨たらしいことをする存在なのだという認識を持っているということだ。人間ならばこう行動すると判断した結果である。
今後、AIはより一層高度になる。
その時、AIは人間を信頼できる隣人として位置づけするだろうか。
同族を食い荒らすような存在を信用するだろうか。
その時、人が作り出したものに価値を見出し、手を取り合うに値すると判断すればあるいは、そこに共存と尊重の世界が広がるのかもしれない。
神は人と価値観を異にする。常に神の救いの手がある訳ではない。しかし、ある人間に関しては率先して手を貸そうとした。それは彼とかかわる者たちにも及んだ。彼は穏やかで物腰柔らかく、ともすれば脆弱で気弱、与し易く頼りなく思われがちだった。英雄の二つ名に拍子抜けし、似合わない風情だ。けれど、周囲が自然と手を貸そうとする稀有な存在であった。そして、それが最大の強みであった。
神でさえ精霊でさえ幻獣でさえそうなのだから。
種の境界線を越え、初めての価値観で鮮やかに心を掴んで行った。
シアンが出会った神々は人の信仰心はどこ吹く風で、それぞれがしたいようにやっていた。人の価値観では推し量れない者たちだった。
九尾の言を借りるのであれば、変神だった。
唯一まともなのは炎の神で、魔神ですら、シアンやリムが絡まなければまだましな方だったのだ。
『……驚愕の事実ですよね』
その神の一柱、風の上位神と漫才を繰り広げていた九尾がよくも言う。
高位幻獣もまた、人の価値観では推し量れないということか。いや、九尾は特別なのかもしれない。
我らはあなたの慈悲に報いる途を目指します
憐れんでください、憐れんでください
獣になりたかった。力を持つ獣に
彼らはそうあればいい。自分は安心して地べたを這い回り、役割を全うすることができる
言葉にできない驚きの連続
手の届かない夢なんかじゃない
その背を追いかけ新たな地平を越えて
どこまでも行こう
きっと思いもよらない眺めを見ることができる
これにて9章は完結です。
長らくお付き合いただきまして、ありがとうございます。
次の10章が最終話です。
よろしければ、最後までお付き合いのほど、宜しくお願いします。
なお、10章は1/16より毎日更新させていただく予定です。




