112.異類排除令、撤回
光の神は美しくも冷淡な声で貴光教の信徒たちを突き放した。
痴れ者どもよ、そちらの声に応じたのではない、勝手に信仰しているだけでお前たちを認めていない、今後光は届かぬ、と。
それは光の上位神の言葉を曲解し、自分たちに都合よく解釈して好き勝手してきた結果招いたことだ。
しかし、光はどうしたって人には必要だ。
今後、貴光教への弾劾の声が上がるだろう。光の神に反する宗教だと。今までの揺り返しのように、反動もまた大きいだろう。
ロランの予想は現実となる。
各地で暴力をやり過ごし、自分たちなりに立ち向かおうとした者たちは曖昧に濁すのではなく、大陸西に混乱をもたらした異類排除令を発令した貴光教に釈明と賠償を求めた。当然である。彼らは不当に故郷を追われ、傷つけられ、家族の命までも奪われたのだから。
ロランは不安な考えを打ち払うためにも広場に残った聖教司たちに指示を飛ばした。
そんなロランに声を掛けて来た者がいる。
「お疲れでしょう。これを食べて一息入れて下さい」
「シアンさん……」
翼の冒険者の噂は何度となく聞いていたが、実際会って話したのはレフ村での数回のみだ。しかし、薬や植物に造詣が深く、物腰柔らかで、何より、獰猛なグリフォンやドラゴンだと言われている小さな幻獣に言い聞かせることができる人物だ。
ロランもまた彼に好意を抱いていた。だから、つい心を許して、貴光教の聖教司になった理由を語った。
別れてなお、流行り病や凶作に喘ぐ者たちに物資を届けるのを目の当たりにし、彼の優しさに触れることができた。
同じ神殿内部の者たちよりよほど付き合いやすい。
固辞するロランに水の入った木製のコップを持たせる。中に入った陽光を弾く水を見て、ようやく喉の渇きを知る。勧められるままに飲むと体に染み入る。美味い。
喉を鳴らして飲み干したコップを受け取り、代わりにスープの深皿を渡してくれる。得も言われぬ香りに、礼を言って食べた。口にすれば空腹を思い出す。
きっと、翼の冒険者に物資を届けられた者たちはこんな風に感じていたのだろう。
何て温かくて有り難い。優しく、滋養溢れ、生きてというエールを受け取る。勇気づけられる。
一歩足を踏み出す力を貰う。
「シアンさん、私は必ず上を目指します。そして、異類排除令を撤回させます」
「ああ、それは良いですね。先ほど、残った大聖教司のお二人はハルメトヤ国王に逮捕連行されていたので、ロランさんがまとめて下さったら安心です」
シアンが期せずして落とした爆弾の餌食となった。
食事の手を止めてまじまじと穏やかな顔を見つめる。
当の本人はどれだけのことを言ったのか自覚はない様子だ。
「……それは一大事ですね」
「はい」
そうとしか言い様のない仕儀だったが、その情報をもたらしたシアンはあっさり頷く。
彼は翼の冒険者だった。傍目には軽やかに、その実、勁くしなやかに空を行く。人の身では長く留まることができない大空をグリフォンに乗って自在に翔る。自分の足で中空を歩むことすらできる。あの高高度を長時間飛ぶことに耐え得る胆力の持ち主だった。
「僕も微力ながら、手助けをさせて貰います。光はどうしたって人に必要なものなのだから」
シアンはエルッカに呼び出されて初めてキヴィハルユを目指した際、多くの巡礼者たちを見かけた。安全な住処を出て、長い月日を掛けて自分の足で歩く。街道のない山道や荒地を、盗賊や非人型異類、魔獣の危険と背中合わせになりながら、聖典を諳んじながら進む。
己が信ずる神を讃えながら旅をしながら宇宙の真理に到達するのだ。
彼らから光を奪うことがあってはならない。
やり方を間違えなければ良いのだ、光を信奉する宗教は必要なのだと微笑むのに、思わずロランは涙を零した。
自分を、自分たち家族を救ってくれたのは光を崇める者たちだった。彼らは自分たちだけでなく、多くの者を救い、心の支えとなって来た。
なのに、どこでどう間違え、こんなに無辜の者たちを傷つけるようになったのか。それも圧倒的な暴力で有無を言わさず。
そんななれの果ての宗教でも、やり方を間違えただけで、必要だと言ってくれた。そう言ったのが他の者だったらこれほどまでに心に響かなかっただろう。けれど、翼の冒険者は今まで貴光教が虐げた者たちを救おうと尽力してきた。
その彼に認められ、存続を望まれた。
彼は強いて言わなかったけれど、償いは必要だ。
大聖教司は捕らえられた。裁判に掛けられれば恐らく戻ってくることはないだろう。大聖教司不在のままでは物事は滞りなく進むのは難しいだろう。
「シアンさん、私はこれから他の聖教司たちに掛け合いますが、大聖教司の位に就こうと思います。それから、新しい貴光教を一から作り上げようと思います。光の神がおっしゃったように、ただ光の神を愛する宗教を」
翼の冒険者はロランならばと請け合ってくれた。
何よりの言葉だった。
オルヴォは教えてくれた。
為政者は腹の中はどうでも表面は穏やかに攻撃的ではなく、でも、侮られないように振る舞う必要がある。今までのようにただ放浪した先々で薬を煎じるのとは全く違う世界だ。しかし、やらなければならない。
光を望む者たちに、差し伸べる手があるということを常に示していきたい。
同じ神殿内で、切羽詰まった者はどう出るか分からない。
手綱を緩めず、常に途切れることなく、柔軟にしなやかに、時に強く時に柔らかく、緩急つけた対応が求められる。
後に、ロランは空席の大聖教司の座に就いた。
火中の栗を拾うのを誰もが忌避する中、光属性を有しない者がその座に就くという異例の事態であった。しかし、翼の冒険者と以前から交流があり、援助を惜しまないと明言したことから、反対する者は出なかった。
ロランが大聖教司になることは各地の村々で歓迎された。街の神殿の聖教司たちも新しい大聖教司がその任に就くまでに行ってきた数々を話してやると、人々は聴き入り感じ入ったという。
その後、異類排除令の爪痕を消し、新たな貴い光を信奉するための宗教へと変遷するために一歩踏み出した。
どんなものでも変容するためには相当なエネルギーを必要とする。その荒波に乗り出した尊敬すべき友人を、翼の冒険者は陰ながら手を貸し応援した。
新任の貴光教大聖教司によって、異類排除令は撤回された。
貴光教総本山の神殿を擁するハルメトヤ国都キヴィハルユに突如現れた非人型異類の大軍を翼の冒険者ならびにその支援団体、果ては魔族の国王率いる精鋭部隊が排除した。そのことに関して多大なる深謝を表明し、これまでの非道を謝罪した。インカンデラ国王はこれを受け入れた。被害に対する賠償については今後徐々に決めていくこととなる。
シアンは神殿や幻獣のしもべ団や商人たちに異類排除令の撤回を喧伝して貰った。
翼の冒険者としては人もその他種族も意思疎通ができるのであればなるべく手を取り合っていきたいと。光は人の世になくてはならないものだ。光を慕う者たちがやり方を間違っただけで、光を慕うことに何ら瑕疵はないと。
常に幻獣と共に在り音楽や料理をして過ごした翼の冒険者ならばこその言葉だとすんなり受け入れられた。それは村を荒らす魔獣を軽々と狩り、その肉を惜しみなく提供し共に味わい、音楽を楽しんだことがある人々にとって、彼らの力は奪う力ではなく、分け与え共感するための力だった。翼の冒険者の有り様そのものを表す言葉だったので、あの者ならばそう言うだろうとみなが納得した。
そして、賛同した。
凶作と異常気象に飢え、流行り病で苦しんでいた時、広く助けようと手を差し伸べてくれたのは他でもない翼の冒険者だった。
もちろん、全ての者を救うことはできなかった。けれど、みなが奪い合う中、譲ってくれる者、しかも殆ど何の利害関係もない者がしてくれたことだ。
どれだけ有り難く嬉しく心温まったことか。それは立ち込める暗雲に差した美しい一筋の光だった。
彼が言うのなら耳を傾けよう。良いことなので極力そうしよう。
そう考える者が徐々に増えて行った。




