111.人の成し得る奇跡 ~狐、瀕死/シアンのために/軽やかに~
来た道を戻り、階段の下にやって来て、台車を下から支え持とうとすると、そんな必要はないとばかりに段差が見る間に滑らかな斜面へと変化する。
ティオが踏む踏板はそのままで、台車の車輪が接触した部分のみ変じている。通ったらすぐに段差に戻る。
ティオとリムは平然と受け入れ、シアンは九尾と顔を見合わせた。
「……大地の精霊、ありがとう」
とりあえず、礼を述べて置いた。
中庭に出るとシアンは大きく息をついた。
風の精霊が清浄な空気で満たしてくれ、暗がりも光の精霊と闇の精霊のお陰で視界がきいた。しかし、あの陰惨な空間で過ごした時間は少なからずシアンに精神的疲労をもたらした。
陽の下に出てきて、こういった時に光の有難みを感じる。やはり、人にとって光はなくてはならないものだと思う。やり方さえ間違えなければ良いのだ。
『騒がしいね』
『何だかいっぱい動き回って話し合っているみたい』
『どれどれ、きゅうちゃんもちと感知能力を使ってみましょうかね。……ふむ。どうやら、残った二人の大聖教司は国王の命令によって逮捕されて連れて行かれたようですよ』
「そうなんだ。じゃあ、これで本当に終わったんだね」
言いつつ、シアンが終息を実感したのは、神殿のことはハルメトヤ国王に任せておけば良いという九尾の言を受け入れて、広場に戻ってからだ。
非人型異類の姿はなく、手当と炊き出しが行われていた。
バーベキューコンロで大鍋が煮込まれ、鉄板で肉を焼いている。
長机に出来上がった大鍋と焼肉が山積みされた大皿が並べられ、そこに長蛇の列ができている。
カランとユエが料理をし、ユルクとネーソスが水魔法を操って使用済みの食器を洗い、リリピピとわんわん三兄弟が列に並び順番を守るように促している。
鸞と麒麟は負傷者の処置を行い、一角獣は幻獣たちの間をうろついて警護に当たっている。
それはあの南の大陸で流行り病に倒れる村人たちにそうしたのと同じ光景だった。
苦しむ者の手当てをし、空腹な者には食料を分け与えた。
魔族や異能保持者だけでなく、キヴィハルユの市民にも分け隔てなく振る舞われていた。
幻獣たちが取り扱うのは水の精霊が保証してくれる美味しい水だ。それだけでミネラルが豊富な滋養あふれる代物だ。大鍋のスープはとても美味しいだろう。
焼肉は幻獣たちが狩る強い魔獣の美味い肉だ。
『シアンだ!』
『お帰りなさい』
『負傷はしておられませんでしょうや?』
『お疲れ様です』
空から舞い降りたグリフォンを幻獣たちがわっと取り囲む。
ティオの背から降りて銘々の顔を見る。元気いっぱいで安心する。
「ただいま。みんなは食事を配っていたんだね」
『お腹が空いていると暗い考えになってしまうにゃよ』
『怪我もまずは栄養を取ることが重要だ』
「みゅ!」
拷問を受けた者たちはろくな食事を与えられていなかったため、薄いスープを飲ませてやろうと温めていたところ、非人型異類が討伐されて人心地ついたハルメトヤ国民の中から金銭を払うから自分たちにも食事を分けて欲しいという者が現れたのだそうだ。
そこでユエが物資調達の一環として準備していた食器や長机、その他諸々の器材を取り出した。
できた料理は幻獣のしもべ団が椀や深皿によそって渡してやっている。随分手馴れている。
途中で幻獣のしもべ団が、食器洗いを交代し、ネーソスが甲羅の上に子供らを乗せ、広場を一巡りし始めた。ユルクは子供らの滑り台になっている。リリピピは歌を歌いながら広場を飛び回る。
子供たちの笑いはしゃぐ声に小鳥の高く澄んだ歌声が唱和し、温かく美味しい食事を口にした者たちはようやく笑顔を取り戻した。
『わあ、楽しそう!』
『随分好き勝手やってますねえ』
『シアンも少し休憩すると良いよ』
マイペースな幻獣たちに、シアンは噴出した。好き勝手やっていたのは九尾である。
「良いな。とても良い。君たちと共になら、縦横無尽にどこにだって行ける。見たことのない景色を見ることができるね」
シアンの破願を目にした幻獣たちは顔を見合わせて笑い合う。
『みんなでまた遠出しよう!』
リムがぴっと片前足を高く掲げる。
麒麟が九尾に事の次第を尋ね、九尾は広場に残った幻獣たちに自分の活躍を語った。
『これぞ、肉を切られて骨をも断たれる!』
狐、瀕死である。
話に聞き入るわんわん三兄弟が非人型異類の奇妙な異能に震えあがり、カランが顔をしかめる。
鸞はティオから土産の非人型異類の再生能力について聞き目を輝かせ、ユエが自分の道具作りの素材としても分けて欲しいとせがむ。
シアンが一角獣に幻獣たちの護衛の礼を言うと、嬉しげに鼻を鳴らしながら蹄で地面を掻いた。
捕まえた研究者はマウロに引き渡した。
幻獣のしもべ団の頭領は随分インカンデラ国王と打ち解けた様子で、研究者の尋問には魔族と共同で当たるという。
幻獣のしもべ団団員もまた共闘するうちに魔族と打ち解けていた。アーウェルのスリングショットや補助魔法の巧みさを魔族が褒め、アーウェルは魔族の攻撃魔法の技術力の高さに感心した。
ディランとリベカはインカンデラに入国したことがあり、とても活気のある良い国だと言うと、また来てほしいと握手を求められた。
イレルミは魔族に囲まれ、自然と身につけた剣技に魔法を絡めた魔技一体の術を称賛されていた。
「魔力も剣技も自在に操る」
「身体能力と魔力とが見事に融合している」
「入神の技とはまさにこのこと」
「ああ、そういえば、イレルミさんは風の上位神にどこか似ていますね」
まさしく風のように何者に囚われることなく自由で勁い。シアンは魔族たちの言葉にふと心に浮かんだことをそのまま口にした。
「「「おお!」」」
シアンが風の上位神と会ったことがあることや、イレルミが神、それも上位神と似ているということに感嘆の声が上がる。
「あー、やっぱり人間の範疇を超えているってことだな」
「その人外が元勇者、現怪物に特訓されてめきめき腕を伸ばしているって」
「どこまで強くなるのか、ある意味怖いもの見たさがあるっていうか」
幻獣のしもべ団団員がひそひそ囁き合う。
当の本人イレルミは自分の力は翼の冒険者の役に立つためにあるから、幻獣のしもべ団の一員であることに何ら変わりないと気負わずに言う。
『ふむ、なるほど。できる者ができることをする。吾らと変わらんな』
『シアンのために?』
『シアンのために!』
幻獣たちは相変わらずだった。
シアンのために可愛いを研究し、自分たちができることをし、楽しいことを分かち合って心躍らせて眩しい途を行く。そして、彼らは見たことのない光景を眺めるのだ。どこまで軽やかに飛んでいく。新しい世界へと。
この日、貴光教総本山キヴィハルユにて起きた出来事は大陸西に広く伝えられた。
貴光教は大々的に死の祭りの喧伝を行い、諸外国の王侯貴族を大使として招いた。
その噂を聞いた者ののうち、異類審問で家族を失った者があまりのことに、貴光教巡礼者を装って広場へ乗り込み、声を上げようとした。
大聖教司が一堂に会するのであれば手っ取り早いと考えた。命を賭した反論だった。
彼らはそこで見た。
空から歩いて下りて来る翼の冒険者を。
異様で甚大な力を持つ非人型異類が大挙し人を襲い、それを阻止する幻獣たちを。その強さに驚き感謝した。
招かれた王侯貴族は自国へ戻り、一連の出来事を語った。翼の冒険者と幻獣たちの強さは当代随一であること、その彼らが貴光教のやり様は間違ってはいるものの、光を崇めることは個々の自由であること、光の重要性は人の行動いかんに関わらないことを話したという。
彼らの言を世迷い事だと耳を貸さない者にも根気強く語ったのは、ひとえに神の降臨を目の当たりにしたことが確固たる自信となったからだ。あれほど美しい輝きであればこそ、人は尊崇を抱くのだと。
翼の冒険者が多くの者を救ったと聞いても、行動するのが遅いと言う者がいた。
それだけの力、財があるなら、困窮した者を助けるべきだという意見は少なからずあった。
力も財も本人のものである。第三者がその使いように口を挟む権利はない。
それどころか、自分は安全な所にいて何もせず、傍観を決め込んでいる。仮に自身が弱者救済を行っていたとしても、他者のやりようを批判しても良いのだろうか。
翻って、制御できない強い力を使うとは性根が定まっていないという者もいた。
取捨選択は本人のものである。
誰しも行動すれば多かれ少なかれ周囲に影響を及ぼす。
突然の暴力に竦むのは当然のことである。身を縮めてやり過ごそうとしてもついて回る。
ならば、どうするか。
セレスタンといった石工、染色工、その他職人が懸命に働いて成り立つ暮らしがあった。
スルヤのような世界の粋を感じるために隔離された環境で祈りを捧げる者たちがいた。
アビトワ家のごとく代々続く家を守ろうとする人間たちがいた。
商人たちが、村人たちが、それぞれの暮らしを必死に生きていた。そういった自覚もなく、俯瞰することなく、生活圏から逸脱することなく、ただ、どうすればより良くなるかを考えて少しずつ発展させながら生きていた。
みな、懸命だった。
天変地異に流行り病、非人型異類の跋扈に疲弊していた。
幻獣たちは凄かった。
どんな事態をも、身を縮めてやり過ごすことなくいられるのだろう。自分の力で切り開いて行くことが出来るのだろう。
それが何とも羨ましかった。
けれど、翼の冒険者は人の身だった。
そして、何ら関わりのない自分たちを救おうと様々に手を尽くしてくれた。その翼の冒険者は異能持ちで、そのせいで異類排除令の対象となっているという。一度は自分が攻撃対象になったにもかかわらず、他の者を助けようと尽力した。
自分たちはどうなのか。
無力だからと言って、助けを待っているだけで良いのか。困っている時に助けてくれた人が攻撃されているのを漫然と眺めていいのか。
突出した力を持つ者を延頸挙踵しているだけで良いのか。
無気力だった人々が立ち上がった。
不穏な情勢の中、インカンデラやゼナイド、サルマン、クリエンサーリ、アルムフェルト、ニカを擁するガルシン国をはじめとする国々では国民が声を上げた。
翼の冒険者と称される高位幻獣たちの強さを知っていたからこそ、貴光教や異類審問官が恐ろしかったが、もっと力のある者がいると思えた。
その力ある者たちは彼らに何かを強要したり彼らを否定することはなかった。逆に彼らの営みに興味を持ち、共に楽しんだ。だからこそ、自分たちは自分たちの営みを大事にして良いのだと思えた。それを強い芯として、立ち上がることが出来たのだ。
翼の冒険者はきっかけにすぎず、彼ら自身が力を奮い立たせて立ち上がった。
百年河清の姿勢を捨て、一つひとつは小さな力であっても、ぽつぽつと点在し、それが寄り集まり大きなうねりとなった。
彼らはまだ気概を失ってはいなかった。
そして、それは寄生虫異類に対抗し得るものだった。
「翼の冒険者は王侯貴族ではなく、一般の人たちの支持を得た。庶民の味方である」
過去、寄生虫異類に操られた者も負の感情ばかりに囚われていたのではない。もう少し生活を良くしよう、環境を良くしようと願ったのだ。誰もが持つ欲望だ。それが行き過ぎると偏る。その偏りに付け込んだのだ。
自分の足で立ち、手探りで進む方向を見つける。
そうやって、毎日小さな積み重ねを行い、文明を築く。
それこそが、人の成し得る奇跡だった。




