110.片耳が大きい薬師2 ~生存本能/威を借る狐/そんな風に言っちゃダメ!/狐遣い~
グロい表現があります。ご注意ください。
「ふん。安っぽい人道主義かね。そんなものは科学を停滞させるだけだ」
言いながら、ネズミを餌にした非人型異類が収められた檻の入り口を大きく開けた。
「ちょっと食べたら空腹を思い出したらしい」
そういう時ってあるよね、と言いながらいやらしく笑う。自分は入り口とは逆方向にいるので安全を確信しているのであろう。
ティオが滑らかかつ緩急ついた動きで首を差し伸べそちらを見やる。途端に落花生の殻に似た非人型異類が気圧されたようにじりじりと後退する。自分が入っていた鉄の檻の中に一旦入りかけ、思い直したかのように出て来てぐるりと回り込み、研究者の方へ向かおうとした。
その姿を見て慌てて隣の檻に被せた布を剥す。
「わ、わ、わ、く、来るな、来るな!」
慌てているせいか、中々開錠できずにいる。
『ああ、でも、それは悪手でしょうな』
「良し、開いた! さあ、お前も行け!」
研究者はもう一つの檻の入り口を大きく開き、鉄格子を軽く蹴って外へ出ることを促した。
のっそりと出て来たのは大きなカタツムリのような形をしていた。
体の下部から粘液を放出し、その上を滑るようにして移動する。直線の移動が素早い。
粘液が流れ出て行くのに目を奪われていると、今度は投網のように粘液のマントを投げかけた。その先には落花生型の非人型異類がいる。
『まあ、そうなりますわなあ、こっちにはティオさんがいるんです』
ティオの睥睨に近寄ることすらせず、異類同士の共食いを始めた。
「あ、こ、こら、そっちじゃない! あっちのデカブツの方が食べでがあるのに!」
腕を伸ばしてティオの方を指させば、その身振りに気をそそられて非人型異類二体が研究者の方を向く。
「ひっ」
要らぬ注意を引いてしまえば、今度は自分が餌と認識されると悟った研究者はそっと後退する。
細い体つきは食べでがないと思ったのか、はたまた折角攻撃したのだからと思ったのか、もしくは攻撃されて業腹だったのか、非人型異類たちは身体をぶつけ合い、相互に食らいつこうとした。落花生型の非人型異類が管状の紐の先を相手の体に埋め込もうとし、カタツムリ型の非人型異類は今度は酸の液を噴射する。鋏付きの口で掘削し、柔らかい肌を刻み溶かし啜ろうとする。
「そ、そうだ。これがあった」
非人型異類同士が互いに食らい合っている間、薄暗い中、がちゃがちゃと何かを探す。
『緊迫しているんだかコントをしているんだか』
つい先ほど厳粛な儀式をぶち壊しにした九尾が呆れて言う。エルッカがこの場面に居合わせ、この発言を聞いたら、切歯扼腕すること請け合いである。
「良し! これで大丈夫だ」
引っ張り出した袋に入っていた粉末状のものを全身に振りかける。
「ふふん。これはな、非人型異類が嫌う成分だ。これで私だけは無事だ!」
シアンが半ば呆然と事の成り行きを眺めていると、研究者が胸を張る。
『きゅふふん、こっちはティオさんがついているんです! 嫌いな成分と本能を揺るがす恐怖、どっちが強烈か比べてみようではありませんか!』
対抗してこちらも胸を張る九尾は、まさしくグリフォンの威を借る狐である。
「きゅうちゃん、挑発に乗らないの」
『はーい』
烈しくやり合う二頭の非人型異類を余所に、ティオが一歩足を前に出す。
『シアン、あの人間を捕まえる?』
「ひいっ」
ティオの言葉を拾うことは出来ないにしろ、鋭い眼光にすくみ上る。
慌てて木箱を開け、中に何らかの液体をぶちまけた。
「こ、これでどうだ!」
中は空かと思った矢先、液体の養分を摂取したものがみるみるうちに膨れ上がる。
乾燥して縮んでいた非人型異類が水分と養分を得て、復活した。
半円筒のものがいくつか連なった装甲で背を覆っている。四対の脚で這いつくばる。背中の装甲の縁から二対ずつ生やした触角が蠢き、下向きの顔近くにも触角が二対伸びている。脚にはするどい四本のかぎづめが生えている。口には内側にカーブしたトゲのようなものが二対ついている。
「これはな、代謝をほぼ止めて乾眠する究極の生命体だ! 高温や圧力にも耐性を持つ」
のそのそと這いだしたものにティオはするりと近づき、ひと蹴りした。
轟音を立てて非人型異類の体が半ば岩壁に埋まる。
時間が止まった。
誰も身動きしない。食い合っていた非人型異類たちですら、一時停止する。
埋まった岩壁からぱらぱらと小石が転がり落ちてきて、ようやく時は動き出す。
「っ‼」
『流石は一撃必殺!』
岩壁の外に出ていた脚は力なく痙攣し、徐々に緩慢になり、停止した。どれほどの高い体制をもってしても、物理的に体を潰されては生きてはいられない。
「つ、次はこれだ!」
頭は扇のような矢印の形をしていて、両目がついている。蛇のような細長い体をしている。
「強靭な再生力を持つのだ! 攻撃されても生き残り、最後に止めを刺すのはこいつだ!」
『再生能力!』
それまでさほど注意を払っていなかったリムが男の言葉の一点に気をそそられる。新しく現れた非人型異類に近づき、試しに少しばかり爪を振るってみる。
『面白―い!』
縦に裂くとどんどん目が増えていく。裂ける度に頭を作るようだ。細く細くなりながらも、目が二つずつ増え続ける。細長い胴体に更に細い胴体が扇状に広がる。甲から十数本指が生えているような全体像だ。
「リ、リム! 駄目だよ!」
『これ、持って帰ってシェンシに研究して貰うの! 海の珍しいのの、再生能力の研究をしているって言っていたもの!』
『えー、気持ち悪いよ』
『ちょっとくらい変な形をしていても、気持ち悪いなんて言っちゃダメなんだよ!』
『変な形にしたのはリムじゃない』
強力な耐性を持つ非人型異類はグリフォンに一撃で伸され、強靭な再生力を持つ非人型異類は小さな幻獣に遊ばれ、もう一頭の幻獣と一緒にきゅあきゅあきゅっきゅしている。
「くっ、こうなったら!」
『まだ出るんですかあ』
『わあ、次は何だろうね!』
『シェンシの研究材料になれば良いね』
九尾が半ば呆れ、リムやティオは期待している様子に、シアンは苦笑する他ない。
次に男が出してきたのは紗のかかった鳥かごのような姿をしていた。中空を漂う様はさながらクラゲのようだ。動くたびに紗が揺らめき、透明に近い体は蝋燭の灯りを浴びて幻想的ですらある。
と、食い合っていた落花生型とカタツムリ型の非人型異類のうち、生き残って青息吐息の落花生型の方にふわりと覆いかぶさった。
途端、細長い瓜状の体に七色の光の縦筋が走る。体の縁もうっすら光り、縦筋は赤オレンジ青緑紫と部分部分に色とりどりに輝く。
落花生型の非人型異類を飲み込んだ分だけ体が膨れ上がる。生きたまま溶解される、その透けた体の向こうの生き地獄がまざまざと見える。
『うわあ、これはまた』
九尾が震え上がる。
シアンもすくみ上った。
『あ、逃げた!』
リムの言葉に呪縛が解けたような気分になる。シアンは次々現れる非人型異類の異様な異能に毒気に当てられていたのだ。
『追いかける?』
ティオの問いかけに、ようやく研究者が逃げ出したのだと知る。
『なるほど。気持ち悪いのに注目を集めて置いて逃亡を図ったのですな』
『もう、きゅうちゃんは! また気持ち悪いなんて言って!』
研究者は行き掛けの駄賃とばかりに非人型異類をもう一体放って行く。
足止めにされた非人型異類はこれもまた異様な姿を持っていた。丸い盤の縁に並んだ五、六本の腕が伸び、それぞれ二つに枝分かれし、さらに枝分かれしたそれぞれがまた二つに枝分かれし、その先は先端がシダ植物の様に内巻きになっている。
『これも気持ち悪い!』
『あ、また!』
確かに見た目が不気味な非人型異類ばかり出て来るが、もはや九尾はぷりぷり怒るリムを面白がってわざとそう言っているとしか思えない。
『リム、放っておこう』
ティオが嘴を差し出し、への字口を急角度にしたリムが小さな前足できゅっと掴む。あやすように揺すってやれば、リムが両前足の指を広げて掴んだままうふふと笑う。
研究者は期せずして、幻獣たちの気を逸らし、足止めすることに成功した。
シアンはマイペースな幻獣たちに苦笑しつつ、懐からスリングショットを取り出して弾を打つ。
部屋を出ようとしていた研究者の背中を強打し、濁った悲鳴を上げてうつ伏せに倒れた。
「あ、熱い! 痛い! 辛い!」
ハバネロ弾が足止めに役立った。
近づいて行くと、涙と鼻水と涎を垂らしながらもがき苦しんでいた研究者が荒い息の中、言った。
「こ、これは普段は人里離れた場所で自給自足でひっそり棲むやつだ。驚異の再生力を持ち、頭をちぎられても十日で復活する。ど、どうだ。すごいだろう。欲しければやるぞ? だから、見逃してくれ」
手近な檻に入っている非人型異類を指し示して見せる。
シアンは何とも言えない気分になる。
『わあ、これも驚異の再生力だって!』
「身体全体から正体不明の怪しい燐光を発したりもする。通常一歩をも外へ出ないのに、繁殖期にのみ、一斉に適齢期のものが飛び出し、大勢で狂ったように獲物を狩り食い散らす。体から発する美しい燐光におびき寄せられて近寄ってきた獲物を屠り尽くす」
この期に及んでではあったが、流石に研究者だけあって、研究対象について詳しい。
『おお、何と珍妙な』
幻獣たちが興味津々である。
『これもシェンシへの土産にしよう』
生物はマジックバッグに入れることが出来ない。
そこでティオは手加減を駆使して研究者を気絶させ、九尾に縄で拘束するよう指示した。その後、再生能力を持つという非人型異類を土産にするために箱詰めさせた。
『あれだけ必死に逃げようとしていたのに、ティオさんに掛かれば一撃。手加減済み。というか、狐遣いが荒いですね!』
『何か言った?』
『いえ、独り言です!』
シアンはふと島の南東に位置する大陸の砂漠や火山のことを思い出した。強力な魔獣や神獣が出現して襲ってきたが、幻獣たちにとっては他の幻獣への土産だった。
箱の中身は大切な土産だからとリムが抱え上げた。研究者の方は縄の端を嘴に掴んだティオがそのまま引きずって行こうとするのをシアンが止める。
「それじゃあ、怪我をしてしまうよ」
シアンが負ぶおうとすると幻獣たちが止める。結局、リムと九尾が即席の台車を作り、ティオが曳いていくことになった。
研究者はシアンの行く手を阻もうとするならば、アンデッドを配置すべきだった。
生前のことをどうしても考えてしまって、幻獣たちの攻撃を止め、迂回しようとしただろう。もしくは、九尾の浄化の炎で冥府への道行きを頼んだだろう。時間稼ぎとしては十分である。
やり方さえ間違えなければ、目的は果たせるのだが、他者の価値観を知ろうとしなければうまくいかないものだ。




