109.片耳が大きい薬師1
グロい表現があります。ご注意ください。
ティオはひとっ飛びで神殿へ舞い降りた。
大陸を東西に隔てる山脈を超えたのに比べれば一跳躍、一羽ばたき程度のものだ。
いつぞや、貴光教の大聖教司に呼び出されイレーヌたちのことを聞いた時にやって来た以来だ。あれは春のことだった。今は夏を迎えようとしている。
あの時は失意の最中で逃げ出した。
その時に飛び立った中庭に降り立つ。
みな、広場に出払っているのか、人の気配はない。余花が忘れ物のように開いているだけだ。
ティオが瞬時に作り出した地下への階段は流石に塞がれていた。
シアンは記憶を辿り、地面に口を開けた場所へ手を触れる。
「大地の精霊。僕は非人型異類を沢山送り出した者のところへ行きたいんだ」
すると、ぽこりと土が盛り上がる。
シアンの手が触れたところから向こう側へ掛けて伝播していく。
小さい地響きをたてて土が四角く切り取られる。すう、と下へ飲み込まれる。
黒々と地面は口を開ける。
ティオが悠々と通れる幅がある地下への階段が出来上がった。
「ありがとう」
シアンは掌で地面を軽く叩く。
『まあ、当然、シアンちゃんもティオと同じことが出来ますよねえ』
九尾が両前脚の胸の前で組んで二度三度頷く。
ティオが先に立って一行は地下へと降りた。
氷室のように地の下は涼しい。広場の喧騒と対極にある世界だ。
一行は灯りがなくとも視界が利く。
大地の精霊が通してくれた地下への階段は滑らかに研磨され十分に踏み面の幅があり、蹴上の高さも均等で高過ぎず、シアンが歩くに負担がない。
通路も整備されており、高さも幅も十分とられ、何なら、ティオの隣を歩くことが出来る。
「空気も変な臭いがしないな。ありがとう、英知」
『どういたしまして』
ふ、と清涼な風が頬をよぎる。
シアンが言わずとも、過ごすのに無理のない環境を整えてくれる。
意識を凝らすと複数の非人型異類の気配を感じ取る。その傍らに人の気配もあった。
通路はそちらへ伸びている。
そうして、何にも阻まれずにシアンたちは行き止まりに着いた。この岩壁の向こうに目指す先がある。
シアンは深呼吸した。
『シアン?』
「ううん、何でもないよ。さあ、行こうか」
いつもの口調だった。そうやってアダレードを出発した。
新しい世界へ。
未知の扉を開くのは心躍る。
けれど、今垣間見ようとするのは心重いことだろう。
それは貴光教が施してきた拷問とはまた別の意味で凄惨で陰惨なのだろう。
覚悟を決めて、岩壁に手を付けた。
「大地の精霊。ここを通してくれる?」
シアンの目の前は開けた。
そこには眩しい途ではなく、淀み濁った空間が広がっていた。
空気が籠っているからそうなのかと思ったが、生臭さと糞尿の臭いや食べ物が腐った臭いに鉄さびの臭いが混じる。
蝋燭の炎が揺らめく薄暗い部屋だった。半ば洞窟と合体したそこは人の手によって削り取られた部屋だった。部屋から溢れた荷物が洞窟に侵食しているところを見ると、手狭になったから拡張したようだ。
リムがシアンの肩から飛び出し、興味深そうにあちこち覗き込む。
いつも通りの様子にその胆力に舌を巻く。
シアンなどは部屋の向こう、扉を開けっぱなしにした先からやって来る者の気配を読み取り、心臓が飛び出しそうになっているのに。
「……っ! だ、誰だっ!」
抱えていたものを驚いて取り落とす。重い音がして着地し、半回転する。
「ここにいた非人型異類を放ったんですね?」
シアンは一歩前へ出た。ティオの前足と同じ線上に立つ。
ティオもリムも警戒しているものの、緊張はしていない様子だ。
前へ出たことで、シアンは自分の顔が蠟燭の光に照らされるのを感じた。光源は小さいけれど、この暗がりの中では眩しいくらいだろう。
「そ、そうか! お前が翼の冒険者だな? どこから入って来たんだ。通路は閉じたはずだ」
現れたのは痩身で顔色の悪い男だ。一見して目を引かれるほど片耳だけが大きい。何かをつけているのかと思ったほどだ。
「グ、グリフォンが通って来れるような通路はないのにどうやって!」
『我が道を行くティオならば、道がなければ作ってしまうのですよ。今回はシアンちゃんが作りましたが』
シアンの足元で鳴き声を上げる九尾に男はひっと息を飲む。
リムは男が取り落とした物を眺める。
『植木鉢?』
『普通の植物じゃなさそうだね』
「あっ、こらっ、触るんじゃない。それはようやく株分けできたんだぞ!」
リムが長い首を差し伸べ鼻を蠢かすのに、男が慌てて拾い上げようとしたが、重くて持ち上がらない。
長い茎の先に楕円形を縦半分に折ったような形のものがついている。それは閉じると瞼から伸びるまつげのような長く鋭い棘に覆われている。閉じるとその棘ががっきと噛み合い、開けにくくなる構造のようだ。
落ちた衝撃にも負けずに閉じられている。その隙間から何かの液が垂れた。粘性の高いとろりとしたものに血肉が混じる。ぬるりと隙間から大きな肉片が落ちる。シアンは薄暗い通路を歩いているうちに高めていた感知能力でもって、それが生物の内臓の一部だと知る。
「あーあ、せっかく食事中だったのに、餌が垂れて出ちゃったじゃないか! ほら!」
『食獣植物じゃないですか!』
ボニフェス山脈を越えた際に自身も食獣植物の餌食になる寸前だった九尾が一歩後退る。あれから食獣植物に嫌悪感を抱いている様子だ。
気持ちは分かる。
食物連鎖や弱肉強食とはいえ、消化されている最中の一部を見るのは気持ちが良いものではない。
「これは餌を食べ終わるには一週間以上かかるんだ。その間、餌となる動物は生きながら溶かされる。一旦閉じると中々開かないんだけれど、ほら、隙間がかなり空いているから、消化される過程を観察することが出来るんだ」
学者なのか、自分が研究することを滔々と語る。聞き手は興味を持つのは当然という風情だ。
『うわあ。何てことを』
九尾が心底嫌そうに言う。
鳴き声にすらその気持ちが籠り、植木鉢の無事を確認していた男が顔を上げる。
「うん? そっちの幻獣は興味があるのかな? じゃあ、こっちのも見せてあげよう」
さっと布を取り去ると、金属の頑丈な檻があった。
鉄格子の中には巨大な落花生の殻の形をしたものがあった。動くので生物だと分かる。
突然灯りの最中に出され、眩しそうに体を捻る。
落花生の殻の先端から細長い紐状のものが伸び、先には二つに開かれた葉にも見え、錨のようにも見えるものがついている。紐は細長い筒状に丸められているが、接合してはおらず、切れ込みが端から端まで入っている。
「そら、見ていてごらん」
言って、男は近くの袋を無造作に掴んで縛めていた紐の結び目を緩め、檻の中に押し込んだ。
地面に放り出された袋は、衝撃に抗議するように中で何かが動く。もぞりと袋の口から出て来たのはネズミだった。
檻の中の先住民は素早い動作で紐の先端をネズミに突き刺した。
先端で捕えられた獲物の血肉が紐上の筒の中を通って吸い上げられる。その過程で消化液が噴出し、どろどろに肉が溶解されていく様が、隙間から垣間見える。
「ほら、これも良く見えるだろう?」
グロテスクな様子を舌なめずりせんばかりの様子で目をぎらつかせながら眺める。異様な光景だった。
「きゅっ!」
九尾が悲鳴を上げてシアンの足にしがみつく。
ティオは平然と立っている。
リムは小首を傾げている。野生の中、餌を捕食するのは普通のことだ。
「ここのものたちは常に腹をすかしていてね。ちょっと集め過ぎたから、自分たちで餌を取って来て貰おうと思ったのさ。ちょうど近くに大勢が集まると聞いたからね」
それで広場に非人型異類を放ったのか、とシアンは苦く思う。彼は人間の姿をしているが、同族を研究対象の餌としか思っていない。
「それでもまだここに残っているものもあるんだよ。折角来てくれたんだ。今度は君たちが彼らの餌になってくれ」
丁度良いとばかりに両腕を広げる。
「どうして非人型異類をこれほど集めたんですか?」
「集めた? いいや、違う。色んな非人型異類の部位を繋ぎ合わせて新たな非人型異類を作り出したんだ!」
「っ‼」
シアンの脳裏には執拗にティオの翼を要求したアダレードの研究者の姿が過る。動物の首を人間の首と挿げ替えることによって、高度知能と強靭な肉体を持つ新たな生物を生み出そうとしていた。
懸命に記憶を辿る。
あの男は何と言っていたか。
何故グリフォンの翼を必要としたか。
魔力の高い幻獣の部位を使うためだ。
それで何かを作り出すと言っていたのではないか。
「異類を作り出す?」
「そうだ、その通り! 現に成功した!」
あの男は魔力の高い幻獣を使うと言っていたが、この研究者は複数の非人型異類を使ったという。
「それは神秘書か何かに記載してあったのですか?」
「神秘書? そんなものはない! 私が考え出したのだ! 私が!」
「いつから? どうやってその着想を得たのですか?」
「いつ? 考え付いたのはそうだな、ええと、……あれ?」
重ねて問うシアンに研究者の勢いが萎む。
マティアスも非人型異類を操ろうとしていた。
この符号は何を意味するのであろうか。
「広場に送り出したもの、全てあなたがつぎはぎしたのですか?」
「い、いや、成功したのは二、三体で……。っ!」
考え込んでいる隙に尋ねるとうっかり本当のことを答えてしまい、慌てて口を噤む。
『ふむ。成功率はまだ高くないということですね。だからこそ、あれほどの分量、種類を取り揃えたのでしょうが』
それでも、複数体成功しているのだ。
どの種類のどの部位を結合させれば良いかなど、研究することは膨大だろう。だからこそ、手あたり次第集めた非人型異類の餌にまで気が回らず、手っ取り早く解消しようとしたのかもしれない。放っておけば飢餓で死んでしまうか凶暴になり、手が付けられなくなる。
「だからといって、無関係の力のない人を……」
餌にする、とは口に出すことが出来ずにシアンは歯がみする。
「これも研鑽のためだ。いわば、人類の英知の礎となるのだよ!」
自身の研究を誇示するかのように哄笑する姿に頭に血が上る。
「英知は理性を伴うがこそだ!」
珍しく声を荒げるのに、幻獣たちの方が強く反応する。
ティオがじり、と足を半歩踏み出す。シアンの激昂により、相手を倒すべき敵と見做した。
リムは非人型異類やあちこちに置かれた器材などに興味津々であったが、慌てて戻って来てシアンの様子を窺う。
九尾はぽん、とシアンのブーツの甲に片前足を乗せる。
シアンは息を整え、ティオの背を撫で、もう片方の手でリムの後頭部をくすぐり、九尾に微笑みかける。
大丈夫だという気持ちは伝わったようで、張り詰めた空気は弛緩する。
自由を愛する万物を知る精霊が研鑽する英知が、鸞が知識欲だけでなく他者のために積み重ねる英知が、汚されるような気がして瞬時に頭が煮えたのだ。
しかし、シアンは冷静であらねばならない。
自分の言動は幻獣たちに強く影響する。特に緊迫した状況であれば、取り返しのつかないことに繋がりかねない。
力は常に諸刃の剣である。




