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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
532/630

106.切り札

 

 それは輝かしい光景だった。

 アリゼは神殿が擁する塔の高い位置の窓から広場の光景を眺めていた。

 涙が出た。

 自分はこの光景を見たかったのだ。

 アリゼの方が高い位置にいるけれど、いつだって、彼らを見上げて来た。彼らは常に天高く自由に飛び回っていてほしい。地を這いながら彷徨う者の指針となった。

 アリゼは手に入れた切り札を握り締める。

 手強いオルヴォとヒューゴの二人をどう切り崩すかが難問だった。それが期せずして意外な結末を迎えた。後二人。追い詰められている彼らにこれを突きつけてやるのだ。

 必ず彼の役に立って見せる。

 大きく一つ息を吸うと背筋を伸ばして階段を下りた。

 エルッカとヨキアムは必ず、神殿に逃げ込んでくるだろう。

 彼らが最も権勢をふるうことが出来る場所はここだからだ。

 貴光教を国教とするハルメトヤ王は大聖教司の暴走を真っ向から止めることはできなかった。だからこそ、アリゼが封印状を迫った時に発行したのだ。消極的ながらも、自分は果たすべき義務を果たしたのだと言い逃れするために。つまり、国王の目には貴光教が破滅への道をひた走っているように見えた。それを止めることが出来ず、でも、対策を講じた体裁をと取っておきたかった。

 国王の元愛人イヴォンヌは貴光教が売り出した特効薬を手に入れたと言っていたが、結局流行り病に罹患し、その自慢の美貌をただれさせ、呪詛を呟きながら死亡した。そのころには貴族の妻の座も国王の愛も宮廷での地位も全てを失っており、葬儀はひっそりしたものだったそうだ。

「その前に手に入れることが出来て良かった」

 アリゼは大聖教司を追い落とすために封印状を手に入れる必要があった。

 それは貴光教の本拠地において宗主を追い落とすほどには効力は持たなかったが、追い詰められたらどうだろう。権威を取り払われ、その座にふさわしくない存在だと明るみに出れば。

 かなり分の悪い賭けではあったが、アリゼは勝った。

 神殿の正面扉を開けて騒々しい音を立てながら、大陸でも二人となった貴光教の大聖教司らが転がるようにして入って来る。衣服は乱れ、威厳など欠片もない。

 扉の内側は安全とばかりにへたり込んで荒い息を吐く。

 アリゼは静かに前に出て、手にした紙を突きつけた。

「何事だ?」

 ようやく自分たちの痴態に思い至ったように立ち上がって取り繕う。

 アリゼは無言で静かに彼らを見つめた。

 そこでようやく自分たちに向けられた紙をまじまじと見る。

「封印状⁈」

 一方は脱力してその場に再びへたり込み、もう一方は薄笑いを浮かべて突っ立っていた。

 封印状とは国王から私人への命令書だ。あて名が空白のまま発行される場合が多かった。つまり、それを貰ったものは好きに誰かに命令することができる、ということだ。

 そして、そこには大聖教司の名が連なっていた。悪逆非道の限りを尽くし、臣民を死に至らしめた大罪をもって逮捕拘束し刑罰を与えると記されていた。

 いかな国王が発行する封印状であろうと、神々のしもべたる聖教司には効力は及ばない。

 アリゼは切り札を手に入れてなお、それが弱いものだと知っていた。

 しかし、仕える神から背を向けられた今であれば。

 絶好の好機だった。

「き、貴様のような者がどうやってそれを手に入れた!」

「連れていけ」

 喚くエルッカに構わずアリゼは言い放つ。

 黒ローブが衣擦れの音も密やかに暴れるエルッカをものもとせずに両腕を二人がかりで掴んで引きずっていく。ヨキアムもまた腕を取られたが、こちらはにやにや音を出さずに笑いながら大人しくついて行った。

 その姿をアリゼは見ていなかった。室内に柔らかい光を差し入れる窓を眺めていた。そうしていると、音楽が聞こえる気がした。彼が奏でるあの優しい穏やかにたゆたう音楽が。

 それだけが彼女を人間の範疇に留まらせるよすがだった。

 彼らはどこまでも軽く飛んで行く。種の境界も、価値観の線引きも、簡単に乗り越えていく。心躍らせて初めての視点を、新しい世界を求めて眩しい途を悠々と飛んで行く。

 眩しかった。

 羨ましかった。

 けれど、それで良かった。彼らはそうであってほしい。どこまでも、いつまでも力強く高く軽々と超えていく。自分は安心して地べたを這い回り、微力を尽くそうと思う。自分の信じるものを全うするために。

 今まで、目的を果たすために「特別な薬」を作ってきた。

 アリゼはこの後、生涯薬師として薬物依存となった者たちの症状を緩解させる薬を作り続けた。



 ヨキアムの侍従は主人とは付き合いが長く、彼が何をしているか薄々気づいていた。だが、自分に対するぞんざいなことに辟易していた。余禄を貰っているものの、それをしっかり貯めていたので、そろそろ見切りをつけて離れようとしていた矢先、暗部に捕まった。それまでのヨキアムの行いを洗いざらい告白する。

 その他、混乱の神殿に乗じてため込んだ富を抱えて逃げ出す者は少なくなく、それを暗部が捕縛した人数も多かった。



 シアンは人との価値観では推し量れない幻獣や精霊と心を交わし、時に諫めることすらした。少し人とは違う考え方をするので、ずれていると言われる。穏やかでのんびりともおっとりとものほほんとも言われる。

 でも、嫌なことは嫌だし、怒らない訳でもない。

 現に、以前、狂った研究者が研究材料としてティオの翼を要求した際、激怒した。

 ティオがどれだけ飛翔することを当たり前のこととして、誇りに思っているか。シアンを乗せるのは自分だと心に決め、精霊の加護を得て高高度を行けるようになったことを喜んでいたことか。高度からの急降下による狩りにも用いられる。

 その翼を、片翼がないくらいなんだと言われた。

 死ねと言っているのと一緒だ。

 シアンも音楽を奪われたら、死ねと言われるのと同じだった。

 取り戻した後だから怒るだけで済んだ。

 失意のどん底で言われたら、どうなったか分からない。敵う敵わないの発想すらなく、NPCパーティたちに飛びかかっていただろう。その口を塞ごうとしただろう。

 天変地異、流行り病、凶作、強力な魔獣や非人型異類、この世界は脅威に溢れており、神への縋る気持ちも分かる。人々の信仰心はいわば翼と同じだ。それがなくては自由に振舞うことが出来ない。あちこちへ移動することが出来ない。

 この世界に来て初めて出会った幻獣は九尾だ。初めから意思疎通ができた。だから、幻獣で高位存在はそういうものなのだと認識していた。

 その後に出会いティオと名付けたグリフォンもまたすぐに言葉を交わすようになった。以来、この世界にある時は常にティオと一緒だった。離れていることはほんの僅かな間だけだ。彼の傍にいれば何の心配もない。窮屈であるはずの人間社会でその規範を守って傍にいてくれる得難い存在だ。

 シアンが広く受け入れられたのは、力こそすべての考えが根底にある世界で、力がない料理人兼音楽家が力ある幻獣に守られ、強大な力を発揮して見せたからだ。それは幻獣たちの威を借りているという者もいた。だが、高度知能を持つ幻獣だ。その意志でシアンと行動を共にしている。そして、幻獣たちの声を拾えないため、人が意思疎通をするのはシアンの方だ。そうして接していくうちにその穏やかでしなやかな靭さに触れた。また、人々の心の支えともなった神殿、聖教司たちがシアンに恭しく、非常に好意的だったこともあった。

 力がない者が悠々と世界を旅してまわる。穏やかな物腰で高圧的でないところが受け入れやすく、また、幻獣たちがにらみを利かせていたので下に見られることはなかった。少し考えれば、知能を持つ幻獣たちが自分の意志で付き添っていることが分かる。反発する者はどこにでもいるが、全てを従わせられはしないし、シアンはそうしようとは思わない。

 他者を尊重することで、商人たちと交流を深め、助力を得ることができた。

 それらは雪だるま式に増えて行き、多くの協力者を増やした。

 神をも跪かせる力ある高位幻獣が音楽を奏でた。

 曲が終わると、広場は歓呼の声で覆われた。

 麒麟は楽器を口から外すと、アベラルドの方へ顔を向ける。

 魔族の男に助け起こされ、ようよう上半身を上げている。暴行の跡を色濃く残しながら、気力で凛としたいつもの雰囲気を保っていた。近づきすぎた死から遠ざかりつつあるのを、麒麟は感知して安堵した。鸞の薬のお陰か、大分顔色が良くなっている。

 幻獣たちとする音楽をアベラルドにも聴いて欲しいと思った。

 その願いは今まさに叶った。

 アベラルドを助けることが出来、音楽も聴いて貰えた。

 自分は本当に仲間に恵まれている。

 だから、他の幻獣たちが困った時は助けになろうと思う。

 麒麟がアベラルドに微笑みかけると、殴られた顔が痛むだろうに、笑顔を返してくる。

 間に合って良かった。

 二人目の人間の友人を助けることが出来て、この世全てに感謝を捧げた。



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