105.巨星落つ ~マイペース、シアンペース~
広場は大混乱の様相を呈した。
信仰する神が自分たちを見放し、大衆の面前で黒い怪しい姿の者に大聖教司が殺害される。
その事実に集まった者たちは騒然とした。
エルッカやヨキアムは光の神に見放され、すでに精神的許容量を超え、ぼんやりと眺めているだけだったが、同輩が暴力を受け死に至ったのに、我先に逃げ出した。
素早く動いたのは幻獣のしもべ団だ。
マウロがヒューゴを拘束する。普段であればそれほど簡単に捕まってはくれないだろう男は舞台に仰向けになる。
シアンはオルヴォに駆け寄り、懸命に治療しようとした。
立ちすくんでいた貴光教の幹部たちの中からようやく我に返ったロランが進み出る。オルヴォの手を取って懸命に声を掛ける。
「しっかり! 死んでは駄目です!」
「貴方はここに必要な人間だ」
「生きて。この宗教の行く末を見届けて下さい」
ロランのどの言葉が響いたのか、オルヴォは唇に笑みを刻みながら逝った。
陰に日向に貴光教を動かした巨星が落ちた。
ロランには悲しみに浸っている余裕は与えられなかった。
その場の混乱を収めるために尽力した。あちこちに指示を飛ばし、朗々たる声で広場に集まった者たちに落ち着くように語り掛ける。
密偵集団の幻獣のしもべ団をして情報をやすやすと抜かせなかった手強い敵、オルヴォの死はマウロに衝撃をもたらした。貴光教にありながら、傑物であり、幾度も幻獣のしもべ団の行く手を塞ぎ、煮え湯を飲まされてきた。あのイレルミでさえ、おいそれと調べることが出来なかった人物だ。
そのオルヴォの手足となったヒューゴはオルヴォの死に気を取られたマウロの隙をついて拘束から抜け出て逃げ出した。
「あっ!」
思わず声が漏れるがもう遅い。
つい先ほどまで自分で自分を鞭打っていたとは思えないほどの素早さで黒い裾を翻して駆けていく。
マウロはイレルミに追うように指示を出そうかと思ったが、今度はシアンが幻獣たちに提案することに気を取られた。
自分の迂闊さを後々苦く思い出すこととなる。
「リム、音楽をしよう」
シアンは南の大陸のことを思い出す。流行り病で疲弊していた者たちにシアン自身は何も出来ないと思っていた。けれど、カランが言った。シアンは何も出来ないのではない、自分やわんわん三兄弟にできることを教えてくれたのだと。シアンは幻獣たちから色んなことを教わり、また、シアンも幻獣たちに様々に教えていたのだ。
そして、暗澹たる最中にいる者たちに出来るだけの治療や物資を行き渡らせた後、音楽を奏でた。
音楽を聴くことにより、脳内に麻薬成分が作り出される。その快感の一種により、ひと時、痛みや辛さを忘れることができた。
「キュア?」
「ティオも一緒に」
「キュィ!」
シアンはマジックバッグからタンバリンを取り出してリムに渡してやり、自身はバイオリンを構えた。
マウロはこういう時にこういうことができるのは、シアンの胆力ゆえんであると思う。そして、その音楽は多くの者の心を動かす。
広場にバイオリンの旋律、ティオの太鼓、リムのタンバリンと歌声が響く。
リムの心の奥からの楽しい!は伝染する。そうして、きらきらした輝きは癒しの力となって、辺りに散らばって行った。
自分たちが信仰する神に背を向けられ、神殿の幹部たちが痴態を見せた上、そのトップの一人が殺害された。広場に集まったハルメトヤ国民はあまりの出来事に疲れ果てて忘我の境地にあった。
彼らは美しく弾む旋律を聞いた。
明るく弾み優しく癒す、まさしく光と闇の属性ならではの音だった。
わんわん三兄弟がこっそり楽器を取り出した。三匹にそれぞれ与えられた愛器である。そっと撫でていると、リムが間近に飛んで来て、一緒に音楽をしようと誘う。
こっそりわんわんのつもりがはっと視線を上げれば、シアンも笑って頷く。その傍らでティオが重々しく首肯する。
いそいそとシアンたちに近づいて楽器に口をつける。
他の幻獣たちも顔を見合わせておもむろに楽器を取り出す。
時折飛び跳ねたり音を外したり、長すぎたり短すぎたり、不格好な旋律になったりもした。美しく整った音楽ではなかった。幻獣たちにもそれは分かっていた。
けれど、それ以上に楽しかった。
心の奥から楽しい!があふれ出て来た。
力み過ぎたアインスが力の限り息を吹き込み、前のめりになって尻が持ち上がり、尾が高く上がる。
それを見たシアンは思わずため息交じりに笑う。
リムとティオと顔を見合わせて微笑み合う。
あ、外した。
やりすぎ。
そういう間が出来た時にシアンが笑い、その柔らかな感情をリムとティオと共有した。その気持ちは幻獣たちに伝播し、楽しすぎるのだから仕方がないね、本当に楽しいものね、という許容に染まって行く。
九尾は出会ったばかりの時にシアンに楽しまなければ損と言った。
折角生きているのだから、この世界を存分に楽しもう。
それは幻獣たちの指針でもあった。
広場に集まった人々は稀な輝きを始めとする世界の力の粋を纏ったその人が奏でる音楽に酔いしれた。その調べは確かに人々に届き、深く遠い癒しをもたらした。
死への旅路へと既に立ったオルヴォはその美しい音楽を聴くことはなかった。それは幸いだった。なぜなら、オルヴォは性質上、死に際に美しい音楽で見送られるのを嫌っただろうからだ。死とは無であるべきだという考えの持ち主だった。
オルヴォは虐げられてきた。親であるはずの人間は自分に向けてしたことを妹にもしようとした。だから、殺害した。それだけだ。
翼の冒険者は嫌なことをされたら嫌だと言った。しかし、だからといって必要以上に痛めつけてやろうとは思わないと言った。
何を馬鹿なことを。反撃しなければ相手に好き放題される。そして、中途半端な反撃は相手から恨まれ、後になって闇討ちされるだけだ。
なのに、自分を否定して見せた。
呆気ないほど簡単に言い捨てた。
お前の生涯はそんなものなのだと。
父親殺しをしてみせたけれど、そんなことが許されることなどないのだと軽く言い放ったのだ。
もちろん、シアンにそんな意思はない。けれど、オルヴォにとってそういった意味に等しいことだった。
そんなつもりはなくても人を傷つけたり否定することはある。
オルヴォはシアンと顔を合わせ言葉を交わし、気に入った。だからこそ、許せなかった。無関心な人間に言われるよりも好きな人間に拒絶の言葉を突きつけられる方が一層振れ幅が大きい。
だから、執拗に翼の冒険者を引きずり降ろそうとした。
しかし、翼の冒険者はその二つ名の通り、自由な翼でもってして悠々と大空を行った。阻むことができる者はなく、軽々と境界を越えて行く。




