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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第二章
53/630

6.手数  ~一度は言ってみたい言葉2~

 


 風の精霊の先導に従ってティオは街道を逸れ、小高い丘を越えて飛ぶ。山の麓に湯気が立つのが見える。

「あれかな?」

『そうだよ』

 期待に声を上げれば、すかさず風の精霊の答えが返ってきた。

ティオの力強い飛翔で湯気の出所はすぐに目視できるようになった。

 岩に囲まれた水面から湯気が立っている。露天風呂だ。周囲に人気がないのが幸いだ。現実世界では猿が入浴することがあるが、こちらの世界でもそうだろうか。幻獣、特にグリフォンのような高位幻獣が入浴していたら、驚くのではないだろうか。

『白いもくもくだね!』

 リムが歓声を上げる。

『気温もこの周辺だけ高くなっている気がする』

 ティオは周囲を観察する。

 温泉から連想する火薬や卵が腐った臭いはしない。和食に用いる出汁の臭いがかすかにする。昼食を摂ったばかりで空腹という訳でもないのに、と首を捻りつつ、湯の様子を確認する。

「綺麗だ」

『人の手が入っていなさそうなのに、入浴しやすそうです』

 思わず呟いたシアンの言葉に九尾が同意する。

 リムは早速桶をマジックバッグから取り出して、ティオの体にかける。

 シアンは石鹸やタオルを取り出し、泡立てる。

 ティオは大人しくされるがままになっている。

 九尾もシアンがまんべんなく塗り付けていく石鹸液と泡を、胴を中心に毛をもむようにして洗う。

 シアンは顔や首の部分を優しく洗う。

 リムが背や逆の横腹の部分を飛び回りながら洗っていく。


『痒いところはございませんか~』

『ティオ、どこか痒いの?』

『ううん、大丈夫だよ』

 九尾の言葉にリムが反応し、ティオが否定する。

「きゅうちゃん、もしかして、それも一度は言ってみたい台詞なの?」

『そうです! 二つ目を言えました!』

 どんな状況でもマイペースな狐である。

 ティオに足を上げてもらって爪の間も綺麗に洗う。

『ティオのしっぽ~』

 楽し気にリムが節をつけて言いながら獅子の尾を洗う。

「さあ、流そうか」

『私がやるよ』

 三人がかりで洗い上げた後、風の精霊が満々と湛えられた湯を中空に引き上げる。

 咄嗟に、シアンはその場を大きく退いた。

 暖かい湯のシャワーが降り注ぐ。ティオへ向けてだが、その巨躯に浴びせかけると湯が跳ね飛ぶ。

『面白―い!』

 リムが笑いながら言うが、余波を受けて白い毛並みをべったり貼りつかせた九尾が無言でシアンを見た。

「ごめんね、一人だけ逃げて。でも、服が濡れると乾かすのは大変だし」

『それこそ、風の精霊と光の精霊に頼めば済むことじゃないですか?』

「それもそうだね。じゃあ、ついでに服も洗濯しておこうかな」

 気が収まらなかったのか、つかつかと四つ足で歩いてきた九尾がシアンのすぐ傍でその身を震わせ、雫を取り払った。

『これで手打ちにしてあげます』 

 結構なしぶきを浴びたシアンは苦笑するしかなかった。


 濡れた服を洗った後、ひとしきり互いの体の洗いっこをした。

 リムの体を洗ってやると、シアンの髪をリムが洗いたがったのだ。

 九尾はシアンの背中をタオルでこすってくれたので、シアンも交代して背中をこすってやった。九尾の頭もリムが洗った。

 それをティオが湯に浸かりながら目を細めて眺めていた。ややとろみのある湯に、まさしく蕩けそうな表情で入っている。長時間寒い中をシアンと九尾を背に乗せて飛行した疲れを癒してくれると良い。

 三人が湯に入ると、横寝したティオが自分の腹に背を預けるよう言い、背もたれになってくれた。リムは犬かきをしてすいすい行ったり来たりを繰り返している。水中でも左右に尾が揺れている。黒い翼を時折動かして緩やかな水流を作っている。

 九尾は頭の上に畳んだタオルを置いてシアンと並んでティオの腹に背を預けている。やや丈が足りないので魔力を用いてか湯の上から顔を出す形で浮かんでいる。

 タオルを頭に置くなど、どこから覚えてくるのか。尋ねると、とんでもない答えが返って来そうで聞くことができなかった。



『スリングショット?』

 並んで湯に浸かりながら、シアンの提案を鸚鵡返しに繰り返す九尾に頷く。

「僕は料理人で魔法が使えないと思われているから、手軽な武器を持とうと思うんだ。魔法がほぼ効かないのは大きなアドバンテージでも、それでは目立つので時間稼ぎする方法はないかな、と思って」

 ふむ、ともったいぶった声を発し、両前足で顔をこする九尾は実に人間らしい仕草をする。

『それは先ほどの狩りでのことが気に掛かっているんですか? 確かに、この先、色んな国を旅するのであれば、手数が多いに越したことはないでしょうが』

 正確に以前から気にしていたことを指摘する九尾に苦笑する。

「それで考えたんだけれど、スリングショットなんかはどうかな。ただ、構造がいまいちよくわからないんだよね」

 音楽や料理ならともかく、現実世界の武器を持ち込むのはためらいがある。

『スリングショットは要はカタパルト、投石器を小さくしたようなものですよ。この世界にも、大昔からあります』

 九尾は世事に長けているのではないかと思っての相談だったが、正解のようだ。風の精霊も詳しいが、九尾はまた違った方向で、人間の機微やシアンの思惑を思わぬところから汲み取ってくれる。

「あ、そっか。そうだよね。でも、改良する技術はさすがにないのかな?」

 現実世界にはない魔獣の素材などがこの世界にはある。そこに期待したい。

『いえいえ、クロスボウがあるくらいですよ。スリングショットくらい!』

「クロスボウは強力だよね。弓矢よりは練習すれば打てそうだし。飛ばす矢の矢尻を改良すれば……でも、強力な武器すぎるかな」

『確かに、クロスボウは強力な武器なだけあって、警戒されます。スリングショットの方が油断を誘える可能性が高いですね』


 九尾は人間の機微に詳しい。時折、AIであることを忘れてしまう。それに人工知能であっても、個性と知性、学習能力があって意識疎通ができるのだ。その個を尊重したいし、厚意で色々助けてもらっているのだから、感謝の念を抱かずにいるのは難しい。

『風を支配できるのなら、空気を用いた銃はどうですか? この世界の銃は射程距離や弾道の安定、つまり命中率の悪さや再装填に時間がかかることから、あまり強力な武器とは言えません。ですが、その諸問題をシアンちゃんなら難なくクリアできますよ』

 暴発の危険性もないでしょうし、という九尾にシアンは首を横に振る。

「それこそ、下手に注目されちゃうよ」

『ですよね』

 九尾が言うには、この世界では魔法と異能があるためか、銃というものはさほど発達していない。そのうち、プレイヤーメイドの銃が出回りそうではある。


『スリングショットって何?』

 うっとり目を瞑っていたティオが会話に耳を傾けていたのか、首を差し伸べて尋ねる。

「こういう形をしたものに糸をつけて石や硬い木の実を飛ばすんだよ」

 言いながら、水面にYの字を書いて見せる。

「この下の部分を持ってね、二つに分かれている両端に糸をつけて引き延ばしてその真ん中に小石を置いて、それを飛ばすんだよ」

 こちらも話し込むシアンと九尾の様子を気にしていたリムが飛び立ち、枝分かれしたちょうどY字型に見える枝を拾って持ってくる。

『これ?』

「そうそう、こんな感じのものだよ」

『ぼくたちが魔獣と戦っている最中でも、シアンのことは精霊たちが守ってくれるよ』

 ティオが不思議そうに言う。

「うん、そうだね。でも、他の人の目には不自然に映るかな、と思って。ほら、料理人はろくに攻撃魔法を使えないでしょう? だから、本来、魔法が使えないのに使ったら不審に思われるし。昼間みたいにティオやリムと離れている間に不意打ちされた時には精霊たちに助けてもらうことになるからね」

 ティオもシアンが咄嗟に魔法を使えなくても大丈夫という意味で言った。シアンは精霊たちが行使した魔力が及ぼす現象を魔法だと周囲が受け止めること、その原因を自分だと思われると厄介だと思っていた。

 普段から戦闘しないシアンとしてはティオが言う通り、咄嗟に魔法を使うことができないと予測している。

 なお、「精霊が行使した魔力が及ぼす現象」つまり竜巻や地割れや稲妻、暗黒世界といった諸々の事象をシアン本人も作り出せるとは露ほども思っていない。


『だから、この飛び道具で攻撃する風を装って、精霊に反撃してもらうんだね!』

 ティオが合点がいったとばかりに表情を明るくする。

「すごいな、ティオ、よくわかったね。その通りなんだよ」

『強い力を使いこなせるようになるまではその道具を使うの?』

「うん、それもあるよ。投げつけるのはね、小石じゃなくて、木の実なんだ。中身をくりぬいて、その中にハバネロの粉末を丸く固めたものを入れるんだよ」

「ピィッ!」

「キュアッ!」

 ティオとリムが揃って悲鳴じみた鳴き声を上げる。

 彼らはその威力を知っていた。

『ハバネロ! すっごく辛いやつだ!』

『舌も喉も痛くて熱くなっちゃう!』

 揃ってうえーという擬音が聞こえてきそうなほど顔をしかめる。

「はは、そうなんだよ。顔にぶつけられたら、大変なことになっちゃいそうでしょう?」

「キュィ!」

「キュア!」

 揃って頷く。

「そうなると、もう、僕を襲ってこようなんてしている場合じゃないものね」

『そっか、その間にぼくかリムが戦闘を終えて、助けに行くことができるね』

 口々に言う幻獣たちに首肯する。

「そう、ハバネロ玉で逃げてくれればいいんだけれど、却って逆上させる可能性もあるからなあ。でも時間稼ぎくらいにはなると思うんだよ。仮に、怒って襲ってこられて、ティオとリムが間に合わなかったその時は精霊に助けてもらえばいいしね。魔獣が急に倒れても、投げつけたハバネロが体内に入って気を失ったとかなんとか言い逃れはできるだろうから」

『シアンちゃんはスリングショットを打つだけでいいんですよ。後は風の精霊王が命中率、射程距離、固定性を向上してくれます』

 九尾が思いもよらぬ補足をし、ティオとリムがまた頷いた。

「えっと、スリングショットの練習をしようとは思っていたんだ」

 言いつつも、確かに風の精霊に助けてもらった方が良さそうだと思う。そうすると、飛距離も命中力もとんでもない代物になるがシアンは気づいていない。

『それはいいと思いますよ。咄嗟に慌てて打てないよりは、身体に覚え込ませると良いです。どういう動作でスリングショットと弾を取り出して打つか。とにかくシアンちゃんは打ちさえすればそれでいいのですが、さすがに全く見当違いの方向へ打ち飛ばしてしまっては方向修正したとしても、第三者の目を胡麻化すのは難しいですからね』

 あり得そうなことで、シアンは神妙に同意した。


『まずは材料を集めて試作品を作ってからですね』

「よくしなるなら、竿の部分は竹でもいいかな、と思っているんだ。乾かすのは英知にやってもらえるし」

『弓の材料になる竹は天日干しするそうですが』

「じゃあ、稀輝にも頼もうかな」

『まさかの精霊王の夢の競演!』

 気軽に言うシアンに九尾が混ぜっ返す。

「そうだった、あまり精霊王どうしで協力し合わないんだよね」

『強大な力が合わさると、どんな反応が起こることかわかりませんからねえ。本人でさえ止めることができない事象が発生するかもしれないから、自粛しているのでしょう』

「ええ?! じゃあ、これからも頼まないようにしないと」

 まだその力の重みを理解していないシアンは、九尾の言葉に仰天する。

『そこは大丈夫でしょう。というか、あいつばっかり頼って、とか自分も頼ってほしいとかの方向に行きそうですが』

「自分も頼ってという風になることはあるけれど、あいつばかり、というのはないなあ。第一、僕、弱すぎて皆に助けられているよ。もちろん、きゅうちゃんやティオ、リムにもね」

 言って、傍らのティオの頭を撫で、もう片方の手で湯に浮くリムの頭を撫でる。

『いえいえ。しかし、そうですなあ。そうやって皆ころっころに転がされているんでしょうなあ』

 後半ほとんどは口の中でもごもご独りごちたので、シアンの耳には届かなかった。ティオとリムの耳には届いたが、前者はどうでもいいことと気にしなかったし、後者は皆で転がるのは楽しそうという風にしか捉えなかった。

『とにかく、世界に類を及ぼすほどのことではありませんし、今後も大ごとにならないよう、微調整していくでしょう。風の精霊王は特にそういったことに詳しいですし、応用力がありそうです』

 風の精霊に全幅の信頼を置くシアンは九尾の言葉に頷いた。

「問題は紐の部分なんだ。材料はどうなるんだろう。カタパルトや弓の弦で代用できるかな? 英知、知っている?」

 パチンコにはゴムを用いるが、この世界にあるだろうか。もしなければ、第一発見者となり、新しい材質を持ち込むのははばかられる。

『カタパルトの紐は羊毛や麻の繊維を編んだものや皮革や布などが用いられる。弓の弦はからむしや麻などから得た繊維を束ねて作っているね。その国によって様々だ。魔獣や異類から採れる素材で伸縮性のあるものが手に入るよ』

 打てば響くとはよく言ったもので、風の精霊は尋ねればすぐさま欲しい情報を伝えてくれる。

「そうなんだ。ありがとう」

『シアンちゃんは強い魔法よりも凄まじいものを手に入れましたな』

 二人のやりとりを目を細めて眺めていた九尾が静かな調子で言う。

「うん、僕もそう思うよ。でも、自分で気づいて色々調べていけることはそうしようと思う。そうじゃないと、英知も楽しくないものね。英知もどんどん研鑽を積むことができるように、色々試してみたいな」

『山中の今は調べようがありませんからな。ま、スリングショットの材料を聞くくらい、詳しい人に教えてもらったら良いのですよ』

 九尾の気負いのない言葉にシアンは同意した。



 ティオの巨躯を乾かすのは大変だ。当の本人は、身体を揺すって水気を切り、自然に乾くのを待つのでも一向にかまわないという。しかし、気化熱で体温が奪われ、体調が悪くなることを心配したシアンが風の精霊と光の精霊に依頼して乾かしてもらった。シアンの髪もリムも短時間で乾く。九尾も上目遣いで節をつけて「お願い」と言うのに、苦笑しつつ、精霊たちに依頼する。

『シアンちゃん、この経口補水液も十分に美味しいのですが、やはり、風呂上りはフルーツ牛乳かコーヒー牛乳がベストマッチだと思います』

「コーヒーって、きゅうちゃん、どこでそんな知識を仕入れたの?」

 風呂上りに衣服を整え、水分補給をしていると九尾が提案してくるのに、シアンは呆れた。

『それは企業秘密です!』

「きゅうちゃん、企業じゃないでしょう?」

 それとも可愛い狐教は法人化するのだろうか。

『そうでした。でも、格好良い狐というのはミステリアスなもの。何かしら秘密を抱えているのですよ』

 分かるような分からないような、煙に巻かれた気持ちになる。

 そうして入浴を済ませた一行は再びゼナイド国の玄関口の街コラを目指した。




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