91.賢くて器用な猫さん2
翼の冒険者が村にやって来たことからはしゃいだ子供が柵を掴んで揺らして歓声を上げる。あっちへちょこまかこっちへちょこまかする子供に親は一々付き添ったりはしない。村の内部でなら適当に遊ばせておくが、その柵は古くなっていることを知らなかった。柵で遊ぶ子供は軋みを上げることから予想をつけるほどには分別はついていなかった。
遠慮なく力任せに引くと甲高い音を立てて柵の接合部がばらける。子供は反動で倒れ込みそうになる。そこにはばらけたことによって尖った木片が散らばっていた。
村では流行り病に罹病したのではないかと思われる患者がいたので、カランが様子を見がてら薬を携えて赴いた。
村内部でも団員に付き添われていたが、それよりもカランは素早かった。
今にも倒れ込もうとする子供に飛びつくようにして木片から遠ざける。
驚いて泣き出した子供にもう大丈夫だと言いつつ、涙を拭ってやると目を見開いた。
そこから止めどなく涙が零れるのに、カランは困って距離を取った。
子供が自分を見て泣くのに、やはり恐ろしいのかと現実を突き付けられた気持ちになる。
『お、俺は怖くないにゃよ』
「違うの。猫さん、怪我をしているの。痛い痛いなの」
しゃくりあげながら、カランの方こそ怪我をしていて見ているだけで痛いという。言われてみれば、庇った時に木片で傷を負ったらしく、血が出ていた。小さいもので、放っておいてもすぐに止まるだろう。
「大丈夫にゃよ。俺は強いのにゃ。このくらいの傷は何ともないのにゃよ」
「ほんとう?」
大きな瞳に涙をいっぱいためながら真っすぐに見てくる幼い少女に、思わずカランはその頭に前足を置いて撫でた。
「えへへ」
子供が笑うとぽろりと大粒の涙が零れ落ちる。
「おお、猫さんだって怪我をしているのに、強いなあ」
子供の親が駆け付けて来て、カランに幾度も礼を言って頭を下げた後、子供に感心したように言う。
「私だって我慢できるもん!」
すると、負けん気で涙をこらえる。
「猫さん、流行り病じゃないかってのはこっちの家の人でね。見てくれんかね。熱が高くてねえ」
『え……』
直接自分に呼び掛けられるなど思いもよらなかったカランはぽかんと口を開ける。突っ立ったままのカランの前足を無造作に掴んで、少女が言う。
「猫さん、呼んでいるよ。いこ!」
普通の対応だった。
カランがずっと望んでいたものだった。
「えへへ。猫さん、おてて、ふわふわだね!」
カランの前足を掴んで、少女は笑いながら見つめてくる。後ろ足立ちしたカランとそう身長は変わらない。
「いいなあ。じゃあ、俺はこっちの手!」
「だめよ! 猫さんはそっちの手にぶっしを持っているんだからね!」
カランが物資を届けに来たというので、薬を持っていたのをそうだと思い込んだのだろう。間違っていないが、発音が怪しい。
「自分ばっかりずるいぞ!」
『順番にゃよ。ケンカしちゃだめなのにゃ。交代するのにゃよ』
「そうだぞ、お前ら、猫さんの言う事を聞けよ」
一連の出来事を見ていた村の大人たちが笑う。
驚いたことに、後から割り込んできてカランと手を繋ごうとしたのはカランを胡散臭そうに見て付き纏っていた子供だ。子供らしい転換の早さで、村の少女を救ったことからカランへの認識を改めた様子だ。
いつかこうなると良いなと夢想したことが叶った。生きていれば、形を違えど望みが叶うことがある。ならば、何としてでも多くの者たちを生き延びさせたいと思った。
南の大陸で賢者と称された猫の姿の幻獣は大陸西の一部でもとても賢くて器用な猫さんとして親しまれた。
それは村から出た時に起きた。
「下がって」
イレルミがカランに向けて言う。
カランと幻獣のしもべ団は物資を配り終えて島へ戻る途中だった。配布は転移陣がないような小さな村を中心にいくつか回った。中にはやはり二足歩行する大きな猫の姿を気味悪がられることはあったけれど、子供たちに島で教わった遊びを教えてやると喜ばれ、逆に彼らの遊びを教えてくれた。島の幻獣たちに教えてやろうと思ったので、カランは真剣に遊びに取り組んだ。その姿勢を見てとった子供たちが仲間のように扱ってくれたので、大人の方もほだされた。カランが薄いスープをふうふう息を吹きかけて冷まして飲むのを、やはり猫舌なのかと笑うほどにまでになった。
「殺意がある者がやって来るから、カランさんを守っていて」
言いつつ、イレルミは街道のやって来た方向へするすると戻った。
左右の遠くに林が見え、遠くにうっすら山が見えるだだっ広い場所だった。
「俺たちを追って来たのかな」
「ということは黒いのか」
幻獣のしもべ団たちも慣れたものでカランとカークを囲み、武器を構えつつ、周囲に注意を払う。
と、黒い布が視界に入ったかと思うと見る間に近づいて来る。
「数が多いな」
「奴ら、なりふり構わず俺たちを殺しにかかっていますね」
カークの呟きに他の団員が答える。
黒ローブたちは前へ出るイレルミとその背後で幻獣を守る団員とを見て取り、二手に分かれようとした。が、それは叶わなかった。その手法を取るならばもっと手前で行うべきだった。
前へ出たイレルミがそうさせなかったのだ。
水を切り雲を掴むように自分に向かって来る者たちを容易に切り伏せると、他の団員たちの下へ向かおうとした黒ローブに進んでいく。黒ローブも応じて体勢を変えようとしたが遅かった。土台、自分に向かってきた者を片付けて回り込もうとする者に簡単に届くとは思わない。
「な、何だ⁈ 妖しい術か?」
「もしや、異能か?」
あまりの剣技に妖術ではないかと怪しみ、慌てふためく隙を逃すはずもない。
『そうなのかにゃ?』
「いえ、正法の剣技ですよ。あいつら、一度イレルミを退けているので調子づいていたんです」
うろたえて声を上げる黒ローブたちは普段、無言で不気味であるとさえ聞く。その彼らの呟きを拾ってカランが首を傾げると、カークが苦々し気に言う。
「その前にこてんぱんにやられていたってのになあ」
「今は元勇者にしごかれているから、更に強くなったって言っていたよ」
「うわあ、あれ以上か?」
「ディランやリベカですら、俺、敵わないのに」
「そのディランがイレルミはもう人間の範疇を超えているって言っていた」
「「うへえ」」
揃って首を竦める。
『いつも余裕があって良いにゃね』
「騒がしくて済みません」
カランに謝りつつ、カークが団員たちに睨みを効かせる。
『硬くなるよりは良いにゃよ』
「カランさんは話が分かるな!」
「フォローが上手いよな!」
「あはは。みんな、すっかりカランさんのファンだな」
へらりと笑いながらイレルミが戻って来る。
「何か分かったか」
「うん。方々で俺たちの動向を探っていて幻獣がいるから捕まえようとしたんだって」
早々に黒ローブを戦闘不能に陥らせ、口を割らせたイレルミが聞き出して来た内容に、幻獣のしもべ団たちが憤る。
『俺が弱いから手数を掛けたにゃね』
幻獣のしもべ団でも最大戦力を投入したのだと知り、カランが面々を見渡す。
「何言ってんの。村人たち、喜んでたでしょう?」
「俺たちじゃあ、あんなにテンション上げることはできないよ」
「いいなあ、俺もカランさんと手を繋いでみたかった!」
「ってか、お前、手を繋ぐ順番に並ぼうとしてカークに叩かれていたよな」
「まあ、みんなこんな感じだから、カランさんと出かけることが出来て役得だったんじゃないかな」
『お役に立てたなら良かったにゃよ』
ああだこうだ言い合う団員をイレルミが指し示すのに、カランは頷いておいた。




