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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
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88.反撃の狼煙5(魔族の意地)

 

 高貴な者は美食、特に肉を好む。したがって、恰幅の良い体格は富の象徴である。

 けれど、丸く突き出た腹が今は見る影もなく萎んでいた。

 ゼナイドでも有数の貴族だったバルニエール伯爵はそんなことに気を回す心的余裕はなく、室内を歩き回る。

「少し落ち着かれてはどうかな。そら、これは南国地方から手に入れた酒です。どうです? 一杯やりましょうや」

 したり顔のベフロワ子爵がグラスを差し出すのに、苛立つ心が一層ささくれ立つが、思い直す。このご時世、遠方の酒など滅多に手が入らない。金満家が金に飽かせて手に入れたのだろう。酒に罪はない。味が分かる者が賞味してこそだ。

 それでも、乱暴にグラスを受け取ってお前とは馴れ合うつもりはないという意志表示をする。

 瞬間、ベフロワ子爵は鼻に皺を寄せたが、何事もなかったように表情を取り繕う。

 バルニエール伯爵は心の中で鼻を鳴らしながら酒を飲んだ。

 ゼナイド王宮内でも彼ら二人の不仲は周知のことだった。

 それが密室で二人きりでいるのは人を待っているからだ。

 ゼナイド王室は大きな方向転換を迎えていた。

 北方に位置しながら富める大国であり、大陸西でも重要な役割を担ってきた。周辺諸国からも盟主国として一目も二目も置かれてきた。

 そんな歴史誇るゼナイドの貴族としてバルニエール伯爵は権勢を誇って来た。新興貴族であるベフロワなど、本来は声を掛けることすら躊躇うはずだった。

 しかし、その栄華は一人の冒険者によって脆くも崩れさった。

 エディスの英雄ともてはやされる翼の冒険者によって、ゼナイド王室の闇が暴かれた。王室は高位幻獣を捕らえ、その魔力によって国を豊かにしていたのだという。単なるうわさ程度で済めば国を挙げてかん口令を敷けば済んだ。しかし、天帝宮が出張って来たのだ。六大属性の神とは別の、人の治世の是非を問うまさしく雲上の存在に、人の身としては膝をつかざるを得なかった。

 天帝宮によって事実は詳らかにされ、ゼナイドの失態は広く喧伝された。

 歴史ある強国は屋台骨にひびが入り、沈没しかけの船から鼠が逃れ出るように、多くの貴族たちが王宮から去った。領地に籠る者、他国へ亡命する者、様々だ。

 中には、眼前のベフロワ子爵のようにこの機を逃さじと新国王にすり寄る者がいた。

 嘆かわしいことである。

 バルニエール伯爵のように趨勢を見極め、必要に応じて陛下に諫言してこその忠臣だ。

 にもかかわらず、新国王はベフロワ子爵はもちろん、バルニエール伯爵の言葉にも耳を貸さなかった。前者は当然のことだが、後者は一体全体、どういったことか。

 全くもって度し難い。

 新国王は前国王とは縁の薄かった貴族たちを厚遇した。若者にありがちな旧勢力を一新させようという考えからだろう。それまで貢献した者を手厚く遇することこそが成功への鍵だというのに、物の道理を弁えていない。

 バルニエール伯爵は己もまた王宮を去るか、新国王派の末席に連なるか迫られることとなった。どちらも旨味が薄く、手詰まりを実感せずにいられなかったころ、接触してくる者がいた。その者たちは黒い布を頭からすっぽり被り、通常であればそんな得体の知れない者の言葉には耳も課さずに護衛を呼んだだろう。

 しかし、その者は翼の冒険者の悪辣さを語り、そも、今のゼナイドの窮状は彼らに起因すると語った。

 然り、と頷かざるを得なかった。

 宮中のパワーゲームを掻い潜って来たバルニエール伯爵は彼らの思惑をも掴んでいた。彼らは異類審問官だ。彼らの仲間は先だってゼナイド国都の麗しきエディスへ無理やり押し入ろうとし、件の翼の冒険者の一員であるという一角獣に捕らえられたと聞く。そこへ駆けつけた新国王はその威に打たれ、翼の冒険者とその支援団体と足並みを揃えて異類審問官を拒否していく方針を打ち立てた。

 そんなことはおくびにも出さずに、バルニエール伯爵に耳触りの良いことだけを語るのは、貴光教に有利に働かそうという腹積もりなのだろう。

 よかろう。

 ならば、その思惑に乗ってやろうではないか。

 こちらを都合よく動かそうと思っているのだろうが、こちらが相手を利用してやろう。

 そんなことをつらつら考えているバルニエールをベフロワは冷めた目で観察していた。

 大分待たされたゼナイドの貴族たちの下にようやく現れた黒ローブはエディスに住む魔族に圧力を掛けるように指示した。

 バルニエールは下賤の者の挙動に逐一構っていられないと難色を示したが、ベフロワが手を組むのであれば相手の要求を呑むのも当然と頷いたため、協力をせざるを得なかった。

 結論から言うと、彼らの思惑は上手くいかなかった。二人の貴族、エディス支部の黒ローブともにエディスの気概に追いやられ、ゼナイドを去ることとなる。



「見事に客が来ないな」

 掃除していた手を止めて息子のルドルフォがため息をつく。

 巷では流行り病や天変地異、凶作によって流通が滞っている。しかし、同じ魔族のディーノや花帯の君を介して知遇を得ているディルス商会、幻獣のしもべ団から物品を得ているジャンの店は商品が豊富に取り揃えられている。この通りに並ぶ店でも一二を争うものだと胸を張れる。

 ゼナイドは異類審問官を拒否し、更には一角獣がその美しい威容を見せつけた一件から、一層国王は励んでいる。魔族だからといって差別されることはなかった。しかし、居心地の悪さはある。どうしても、一見して魔族だと分かる外見から、注目を浴びるのだ。

 逃げたくはなかった。もっと苛酷な状況で戦っている同胞がいる。そして、ここでしっかりと根を張っていつもの通りの生活をすることで、魔族の気概を見せつけ、他者の目からもしっかりやっているのだと知らしめたかった。

「俺、妙な噂を聞いたんだけれど」

「噂? 最近そういうのが多いが、惑わされるなよ」

「ああ、うん。言い方が悪かったな。エクトルさんのところで教えてもらったんだよ」

 ルドルフォがいうには、どうも貴族が魔族に圧力を掛けているというのだ。

「何でまた? ゼナイド国王は異類排除令を退けられた」

「そうなんだよ。ゼナイドの方針に反することだ。だから、そんなことを言われても積極的に従う者はいない。ただ、妙なことに巻き込まれないようにって、魔族も遠巻きにされている」

 だからこそ閑古鳥が鳴いているのだとルドルフォは肩を竦めた。

 ジャンは息子の言葉には答えなかった。客が顔をのぞかせたのだ。

「いらっしゃい」

「ディルス商会からここは品ぞろえが良いと聞いたんだがね」

 おずおずと言う男に、ジャンはエクトルの厚意を噛みしめる。

「うちは色々伝手があってね。ゆっくり見て行ってください」

 ルドルフォが如才なくそう言い、素早く掃除道具を片付ける。が、すぐに戻って来た。その手にはまだ掃除道具が握られている。

「お、親父」

 言った切り、言葉が続かない。

「どうしたんだ?」

 ジャンの言葉も途切れた。

 戸口から鋭くも美しい銀光を発する角が見えた。するすると長い角が全貌を表し、一角獣が顔をのぞかせた。

『こんにちは。魔獣の素材の買い取りをしてほしい』

「い、いらっしゃいませ!」

 一角獣は店の中に入ったものの、隅で佇んだ。

「当店は買取りを行っていますよ。品を拝見してもよろしいでしょうか?」

『でも、他にお客さんがいるんでしょう? 我はちゃんと順番を待つよ』

 そうだった。

 ジャンは接客中だったことを忘れていた。

 見やれば、当の客本人も呆然と一角獣を凝視していた。

「そうでしたな。お待たせしました、お客様」

「えっ、い、いやいや、そ、そう、俺はまだ店内の品を見ていたいから、そちらからどうぞ」

 そういうことならば、と一角獣はマジックバッグから魔獣の角を取り出した。

『九尾がこの店でも素材の買取りをしてくれるって言っていたんだ。以前、シアンたちが狩ったヒュドラの素材も買い取ったんでしょう?』

「さようでございますとも。良い取引をさせていただきました」

 ヒュドラのような貴重な素材を得るまたとない機会だったというと、一角獣は嬉しそうに床を蹄で掻いた。

「しかし、一角獣様はエディスの冒険者ギルドで冒険者登録をされていると聞いています。そちらで討伐した非人型異類や魔獣の買い取りもできますよ」

 うちに来てくれるのは嬉しいが、というルドルフォに一角獣が視線を向ける。白銀の長いまつげに縁どられた理知的な瞳に、息子が息を飲むのが分かる。

『我はベヘルツトという名前だよ』

「「「ベヘルツト様」」」

 居合わせた者たちが同音で繰り返す。

『そう。シアンがつけてくれたんだよ。勇敢な、という意味なんだって』

「おお、まさしく、名は体を表すですな」

「本当ですねえ」

 思わず言うジャンに、客も何度も頷く。

『この魔獣はね、倒した時に角が折れたんだ。いつもは冒険者ギルドに討伐した報告をしたら、素材はそのまま持って帰るんだけれど、角は売ってそのお金で島のみんなにお土産を買おうと思って』

 聞けば、一角獣は討伐した魔獣や非人型異類の素材を持ち帰っているのだという。島の幻獣が使用するからだ。

「でも、そのお金はベヘルツト様が力を振るわれて得たものなのでは?」

『そうなんだけれど、島では出来る者が出来ることをするんだ。だから、我のものだけでなく、みんなのものなんだよ』

 ただ、たまには島の幻獣たちにエディスの特産品を買って帰ってやりたいのだという一角獣に居合わせた店主店員客は感銘を受けた。

 一角獣は折角だからシアンがよく訪れる商店、つまりジャンの店にも寄ってみようと思ったのだと言う。

「お、親父、俺、ちょっと行って、ベヘルツト様の買い物に付き合って来るわ」

「おう、行ってこい」

 自分独りでも買い物はできるとやや不満気に鼻息を漏らす一角獣に、そうではなく、エディスの美味を紹介したいのだと返すと、素直に受け入れ礼を言う。

 ルドルフォはそれだけでなく、花帯の君や黒白の獣の君、グリフォンと並ぶほど、今やエディスで好まれる一角獣の買い物が邪魔されないようにするつもりだった。

 幻獣たちから話を聞いたという屋台をルドルフォが案内した。そうした翼の冒険者と魔族の姿はエディスの街の人たちの記憶に刻まれた。

 一角獣は様々におまけを貰い、エディス周辺の治安を維持してくれている礼を述べられ、嬉しそうであった。

 しばらく後に、店にやって来た花帯の君が礼を言い、店主と店員は恐縮しきりだった。

 エディスの憧れの幻獣、一角獣がやって来る店ということで閑古鳥はどこへやら、ジャン親子のよろず屋は繁盛した。国王も足を運んだという。



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