85.反撃の狼煙2(頼りになる男)
とある国で魔族の裕福な商人が一家惨殺された。事件発生当初、殺人犯を逮捕するどころか捜査すらされなかった。流石に周囲の者たちはこういった非道を看過していて良いものなのかと眉をひそめた。周囲の声を受け、重い腰を上げた当局は下働きの下女の死体がないのを発見した。
下女が犯人一味で、情報収集及び引き込み役だったのかという疑惑が持ち上がる。調査で彼女は数年前から商人の下で働いていたことが判明している。
しかし、この推定押し入り強盗は急ぎのもので、入念な下拵えをしていた手口ではない。
では、下女はどうにか犯人の凶行から逃げだすことに成功したのではないかという意見が出た。
そうなれば、何らかの目撃情報が手に入るかもしれない。
そういった情報を掴んできた幻獣のしもべ団は、すわ、貴光教の非道の証言者となると色めきだった。
「探せ!」
花散らしの雨は冷たく、季節は一つ逆行したかのようだった。足元から冷えが立ち上ってくる。こんな日には暖かい部屋で煮込み料理に酒といきたいところだが、それは事件解決の後の楽しみに取っておく。
マウロはアーウェルやディラン、リベカ、ダリウスといった密偵の腕利きの他、異能保持者までを投入し、本拠地ではカークが集まる情報を精査している。グラエムもやる気を見せたが、片腕を失ったというだけでなく、元々それほど密偵技術は高くない。双子の片割れは館と本拠地を毎日のように往復している。わんわん三兄弟の水克服の特訓に付き合わされたり、鸞やユエから物資を受け取り本拠地へ運び入れるなどして、中々に忙しい。たまに骸骨の元勇者に捕まって特訓に持ち込まれる。フィオンが得物とするブーメランを見て使って見せろと狩りに引っ張って行かれたことが事の発端だ。イレルミやディラン、リベカは修業を一旦中止したため、暇になって矛先が向いたらしい。
ダリウスは足音をそぼ降る雨に紛れさせたつもりだったが、声を掛ける前にアーウェルは振り向いた。
「お疲れ。ちゃんと飯を食ってきたか?」
「ああ。眠くならない程度にね」
「こんな寒い日にひもじくてはまともに体が動かないからなあ」
どうやらアーウェル一人で、交代要員は一足先に戻ったらしい。
「遅くなったかな」
「いや、さっき戻らせたばかり。寒いからもよおしたんだよ」
マウロは決して一人になるなと厳命し、二人以上の組を徹底させていた。
それにしても、アーウェルと組むことなど最近では珍しい。手前味噌だが、ダリウスは密偵技術に一定の評価を得ている。だからこそ、団員随一の技術を持つアーウェルと組むには過剰戦力であり、有能な技能者がだぶつくのだ。
アーウェルは特に気配を変えないまま、いつの間にか手にしていたスリングショットで弾を無造作に放った。狙いを定めたり溜めを作らない、流れるような動作だった。
「ぎゃっ」
「な、何だ⁈ ぐあ、い、痛い」
アーウェルは闇の向こうが見えるように迷いなく歩き始めた。ダリウスも続く。
「あれ、痛いとか熱いとか思うらしいね」
「実際は辛過ぎて、なんだろう?」
アーウェルが放ったのはハバネロ弾だろう。シアンが使っているものと同じやつだ。
「あまり辛過ぎると会話ができないからな。調節しているんだけれど、こういうのって受ける側の個体差が結構あるみたいでさ」
それでも、戦意喪失させるには十分に役に立つ。
泥濘の中でのたうち回る男たちに近づきながら、ダリウスはさてどうやって口を割らせようかと考えた。
アーウェルとダリウスは捕らえた者たちから話を聞き出すために連れて行こうとした。そのつもりだった。ロープで後ろ手に縛ろうとした際、突然の睡魔に襲われ、両者ともに気を失う。
完全に意識を手放す寸前、「すごい威力だな」「貴光教の薬師たちは優秀だ」という言葉を耳が拾う。こちらに意識がないと思ってのことか、それとも生きて返す気はないのか、気が緩んだ上での仕儀か。どちらにせよ、不用意に有益な情報を漏らすなどプロの仕事ではない。話すなら自分たちのようにどうでも良い内容に留めておくべきだ。
次に意識を取り戻した時に、予想通り縛められていた。殺すのならば眠らせる必要はない。わざわざ捕まえたということは情報を抜かれて人質にされるか、何なら洗脳されて逆スパイか刺客として送り込むつもりか。
「でも、俺らシェンシさんに言われて洗脳避けと非人型異類避けの薬を飲んでいるからなあ」
「上手く洗脳された振りをしないと痛めつけるだけ痛めつけられてうっかり殺されかねないな」
「お、ダリウス、起きたのか」
「ああ。二人一緒にしておくなんて、随分侮られたものだなあ」
「だな!」
ダリウスはのんびり言い、アーウェルは肩を竦めて笑う。捕獲され拘束されているにもかかわらず、呑気なものだった。
「あいつら、素人丸出しだな。短剣は取られたけれど、その他の装備には全く手を付けていない」
「スリングショットを奪われずに済んだのか?」
「ああ。これを取り上げたとしたら、厄介だったな」
取り戻すまでは逃げるつもりはないのだろうとダリウスは考える。固執するアーウェルの考えは危険だが、分からないでもない。武力を持たなくて悩んでいた時にシアンが譲ってくれた逸品だ。弾の中身のことで鸞に相談に乗って貰ったりして改良し、今では機先を制するどころか、立派に相手を無力化することに成功している。
何より、シアンと同じものを持っているというのも嬉しいのだろう。双子がわんわん三兄弟から立て籠もり事件において、シアンがスリングショットで活躍した話を聞き、それらを幻獣のしもべ団に話し、みなで盛り上がったことは記憶に新しい。その双子は片割れを失った。
なお、魔族がシアンにと渡した物をアーウェルは譲り受けた。スリングショットも神器である。知らぬが仏である。
アーウェルとダリウスはブーツのかかとに仕込んだ鋭い金属の切っ先を出し、戒めるロープを切る。不自然な体勢で拘束を外す訓練を受けていた。
「鉄の手錠や足枷は別の奴に使っていて足りなかったのかな」
金属の戒めも外す訓練を受けているが、ロープよりも手強い。
「それか、侮られているか、わざと泳がせてどこへ逃げるか突き止める気でいるか。何にせよ、ちょっとこの鉄格子は開きそうにないな」
アーウェルはダリウスに返しながら鉄格子を丹念に観察するが、こちらは簡単に開かなさそうだ。
部屋を一通り調べたものの、ここを出る手がかりは見つからない。地下なのか薄暗く、廊下の向こうに光源があるのが分かるのみだ。寝台もイスもないむき出しの石床と壁があるだけだった。
「拷問はごめんこうむりたいな」
「あー、俺、幻獣のしもべ団や翼の冒険者のことを聞かれたら、幻獣のことを延々喋ってしまいそう」
壁に背を預けて座ったダリウスに倣って腰を下ろしたアーウェルが呑気に笑う。
「それは幻獣たちの特性を掴まれることになりやしないかな」
「そんなん、特性を掴んでもどうこうできるものじゃないよ、あの強さは」
「それもそうか」
いつもと変わらぬ調子で話す二人は鉄格子が開いた瞬間が勝負だと考え、体力温存をし、長期戦に備える構えだった。しかし、その予想は裏切られることになる。
「お、流石は密偵集団。拘束は自分らでどうにかしたか」
異類審問官や護衛官、はたまた黒ローブが現れるかと思いきや、全く別の者がやって来た。聞き覚えのある声の主は鉄格子の鍵を開けてくれた。
「あんた、なんで……」
「話は後だ。ここを出るぞ」
一流の密偵は補助魔法で灯りを用いずに暗がりの中を活動することが出来る。
乏しい廊下の灯りだけで自在に動く男は、以前幻獣のしもべ団にいたオージアスだった。




