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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第九章
510/630

84.反撃の狼煙1(ナタのレジス)

 

 シアンが沈み込んでいる間も刻一刻と情勢は変化した。

 対処すべく幻獣のしもべ団は奔走する。

 ちょっとしたいざこざで相手を恨みに思い、密告して審問官に引き渡してやると言いながら家から引きずり出して打ち据える。仲良く接していた近所の者たちが巻き込まれたくないと目を逸らす。

 そんな目も当てられないような事態にこのままではいけないと気概を奮い立たせる者たちもいた。

 異類審問官が入国するのに抵抗したものの、様々な事情から受け入れざるを得なくなったサルマン国は審問官への制限をいくつも設けた。そのため、他国よりも随分審問官の活動はおとなしい。

 そのサルマンででも、異類排除令に乗っかって好き勝手する者は少なからずいたのも事実だ。

 有事には普段見えないものが浮き彫りになる。

 奮闘して異類審問官を寄せ付けない隣国ゼナイドにほど近いナタではサルマンの監視の目も厳しく、審問官も幅を利かせることができず、慎重に行動していた。

 ナタに潜入中のレジスは工房やよく行く店で異類審問官を毅然とはねつけ、権高く連行をほのめかすとサルマンやゼナイドの情勢を語ってやった。

「あんたが下手を打つと、結果次第じゃあ、折角のサルマンの入国許可も取り下げられるかもしれないな」

 唇を舐めながら言うレジスを審問官は真っ赤な顔を膨らませて睨みつけた。

 一介の町民に言い負かされるのは腹に据えかねるが、確かに自分の行いでサルマンの条件が厳しくなったらどんな責めを受けるるだろう。

 損得勘定が働いて、何とか堪えきって踵を返して足音も高く歩いて行く。感情のままに振る舞うことを許されてきたから、それが正論であっても反論されるのは面白くない。感情を押さえつけるのにも苦労するのだ。

「おお、レジス。お前、すごいな!」

 事の次第に口を挟めずにはらはらと見守っていた周囲の人間が、審問官が行ってしまった後、どっと沸く。

「よくぞ言ってくれた!」

「いやあ、久々にスカっとしたねえ」

「中々のもんじゃないか」

 褒めてくれるが、これらの知識は時折やり取りする幻獣のしもべ団の書簡の中に書かれていたことだ。ただ、そういう目で見てみると、勢い腹が座った態度で事に臨める。つい先ほど審問官を追い払ったように。

「あいつら、実はたいしたことはないのか?」

 常日頃から勝手に押しかけて来て大きな顔をする審問官を苦々しく思っていた者たちからそんな意見も出た。

「そういうんじゃないよ。ただ、サルマンは他よりも睨みが利いているってことさ」

 ただし、侮るのは上手くない。理性の箍が外れやすい審問官は敵地にあって緊張を強いられることで更に不安定になっている。下手に突くと揚げ足を取られかねない。

 レジスは街の者たちが先走らないように手綱を引く。

「よく分からないが、まあ、そういうことなんだろう」

 腕組みして首を傾げながらも適当に流そうとする。

 それでも理解の及ばないことについて、レジスが訳の分からないことを言うからだと決めつけないだけ、評価されているのだと思う。

 レジスは偏狭なナタで地道に暮らし、馴染むことを心掛けていた。それが実を結び始めていた。

「サルマンは異類審問官を受け入れた。そういうことにしておきながら、多くの条件をつけたんだ。だから、好き勝手できないのさ。現地の審問官の行動一つで、サルマンが更に条件を上乗せしてくるか、最悪は異類審問官の入国自体を拒否する一手にされかねないからな。連中の中でも頭が働くやつは注意深くならざるを得ないのさ」

「なるほどなあ」

 適当に流そうと思った街の者がレジスのかみ砕いた説明に合点がいったと頷く。

 周囲の者もようやく理解することが出来たとすっきりした表情になる。

「だからさ、俺たちはそこを逆手に取るんだ」

 わざと声を潜めてやる。

「なんだあ」

 居丈高でいけ好かない審問官を追い返したレジスが事の次第のからくりを語り、意味深な風情を出すのに、気をそそられずにはいられない様子だ。

「よしよし、そういうことはうちで話し合おうじゃないか。どこに人の耳があるかわからんからな」

 集まった者の中の一人が周囲を見渡しながらレジスや他の者の肩に腕を回し、自宅へと誘う。乗り気になる街の者たちに、損得勘定に重きを置くナタの街の者たちの興味を引いたことにレジスは手ごたえを感じる。同時に、これからが正念場だと気持ちを引き締める。

 レジスの緊張を他所に、ナタの者たちも自分たちの生活に大きな影響を与える審問官の動向には興味津々で多くの者が集まった。

 居間のようなしゃれた部屋はないからと食堂に招じ入れられる。それでもレジスは椅子に座らせて貰えるだけましだった。食堂から人が溢れ、廊下を挟んだ隣の部屋にも詰め込まれたのだから。

 レジスは幾度も繰り返し読んだ報告書の内容を思い返して口を開いた。

 サルマン国がのっぴきならない事情から異類審問官を受け入れたものの、あれだけの条件をつけるのは気持ちよく入国を許可したのではないのだと話すと、ナタの街の者たちは自国の王の心意気に感心する。

「隣国のゼナイドは頑張っているのに、うちの国もとうとう受け入れたかと思っていたんだが、そういう訳でもなかったんだなあ」

「そうだと思うよ。だって、あの無理難題を押し通す貴光教にあれだけの条件をつきつけ、全部ではないとしても相当数を飲ませたんだ。サルマンはしたたかだ。それに、国民の事を考えていると思うな」

 やはり自国の上がしっかりしていると誇らしい気持ちになるのだろう。幾人かが嬉しげな表情を浮かべる。

「それに、ひそかにゼナイドとも連携を取っているって噂だぜ」

 レジスが言うと色めき立つ。

「ゼナイドってあれだろう? 先だって、許可していないのに勝手に国都に入り込んだ異類審問官や護衛官を、翼の冒険者が排除したっていう」

「そうそう! グリフォンやドラゴンだけじゃなくて、一角獣や白狐が現れたって。とんでもなく美しい威容だったって!」

「一角獣も白狐もゼナイドと因縁があったって聞くじゃないか。それが助けてくれるなんて、流石は翼の冒険者、懐深いもんさねえ」

 ナタで情報への報酬に太っ腹に大きな肉の塊を渡し、サルマンの国都でも立て籠もり事件を無血スピード解決した翼の冒険者は人気が高い。流行り病や天変地異、凶作に喘ぐ大陸西で国土の境界線を越え、あちこちで物資を配ったという噂も聞こえてくる。国によっては勝手な真似をと難色を示す場合もあるが、翼があるので国土を易々と超えてしまうのだと言われると、すんなり納得してしまうのだ。翼の冒険者一行に飛行する幻獣が複数含まれることも大きい。

「その翼の冒険者の支援団体が異能保持者を新天地へ逃しているらしいぜ」

「へえ!」

「本当に情け深いねえ!」

 街の者の感嘆にレジスは緩む頬を引き締める。

 数多ある噂から鑑みるに翼の冒険者は異類排除令に賛同していないというのを街の者たちも感じ取っているらしい。

 流石は情報すら売り物にする街だ。他者に対する関心は高い。

 損得勘定に長けた彼らは対価なく善行を行う翼の冒険者に好意的だった。これが人間であれば話は別だ。どれほどの武力知勇を持っていても信用せず、猜疑心を抱いただろう。しかし、翼の冒険者は地味な人間の他は高位幻獣たちで構成されている。特にグリフォンやドラゴンといった滅多にお目にかかることのないわりに知名度の高い幻獣が含まれている。最近では一角獣や白狐といった者も加わった。あまりにも隔絶した存在であるからこそ、素直に憧憬の念を抱くことができた。

「俺たちも何かできないかな」

 レジスの言葉に、翼の冒険者の噂話に高揚していた者たちが同意する。

「でも、何ができる?」

「小さいことからこつこつと、ってね。例えば、さっき言っていた異類審問官の失点を積み上げて行って、サルマンが有利になるようにしようじゃないか」

「お、それならできそうだな」

「さっき言っていた逆手に取るってのはそういうことか!」

 レジスが言うと、途端に集まった者たちの顔が明るくなる。

「あ、俺、今度隣街へ行くから、知り合いに話しておこうかな」

「いいな。ナタだけだったら捨て置かれるが、他の街や村でも起きたら、言い逃れはできないからな」

「そう。しかも、小さいことだから、現場現場の異類審問官もいちいち咎めだてしにくいってのがポイントさ!」

「ほうほう」

「レジス、お前、本当に頭が良いな!」

 褒められるのに謙遜して見せるも、この絵を描いたのは幻獣のしもべ団の首脳陣だから筋道だっているのは当然のことだなと内心思う。

 争い事に慣れていない者たちにいきなり自分たちの生活が脅かされているから武器を取って立ち上がれと言ってもしり込みするのは当たり前だ。そのくらいなら関係のない他人を売って口を拭って後ろめたい気持ちを抱きつつも、仕方がなかったんだと自分に言い聞かせて安穏とした生活を続けることを選ぶだろう、というのはマウロの言だ。

「でもな、連中が面白く思っていないのも事実なんだ。要は持って行きようさ。彼らのやりやすいところから着手させて、成功体験を積ませる。そこには翼の冒険者っていう指標がある」

「そうですね。翼の冒険者ならどんな武力も敵わないだろうと思わせることができるんだ」「彼らが胸のすくことをしているんだから、自分たちだって、と思う。そこへ、そうハードルが高くないことを示してやって、包囲網を広げていこうってことですね」

 マウロの言葉にディランとカークが首肯する。

「連中には自発的に発言させろよ。うまく誘導してやれ。翼の冒険者に憧憬を抱いているんだったら、方向性は定まっている。きっかけを与えてやれば徐々に広めていってくれるさ」

 マウロたちが言っていたことがまさしく目の前で繰り広げられていた。

 マウロたちはこうも言っていた。

 誰しも臆病で自分が可愛い。けれど、正しいことをなそうという気持ちがないでもない。方向性を提示し、契機を与え、時に軌道修正してやることで、大きなうねりを作りだすことができるかもしれない。それは翼の冒険者という少数精鋭の者では作り得ない勢力となる。

「貴光教のやつらの目を覚まさせてやるには、それが必要なのさ」

 多くの者が彼らの身勝手な要求を退けることが必要だ。

 お前たちは善ではなく正義でもないということを突きつけることが必要だ。少なくとも一定数の人間がそう思っているのだと。



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