79. 燦たる双星は一つになってもなお
翼の冒険者が貴光教神殿へ乗り込んできて言い掛かりをつけたので正論で論破し、追い返したという噂が出回った。出処は貴光教である。
この勢いを得て一層異類排除に力を入れた。異類審問は猖獗を極めた。
強制した密告が猜疑を生みだした。貴光教一般信者と異能保持者の間に深く大きい溝ができた。自分たちが非難されないために他者を密告した。
そうして逮捕された者たちは拷問され、処刑された。
審問官も拷問係も自分がどれだけのことをしたか、自覚が薄い者が多い。
貴光教は血に酔っていた。
もはや手段と目的が乖離していた。そこには神への愛などなかった。盲目的に機械的に行う。全ては作業だった。そしてそれは加速度的に激化していく。
貴光教は神の代弁者と代行者を自認していた。
ゴスタやヘイニ、アンセルムといった審問官はごく普通の人間だった。長所もあれば短所もある愛すべき者だった。
しかし、その普通の人間が非道の数々を行った。それが神の御心に適うと信じていた。
中には、この機に乗じて自分の地位を上げたり財を成したり、利益を掠め取ろうという者もいた。彼らは自分と周囲の者以外がどうなろうと知ったことではなかった。どれほどの苦痛を受ける者がいても、所詮は他人事だった。
薬師長であるイルタマルも同じだった。
イルタマルは異類排除令が発令する前から大聖教司ヨキアムの下で魔族に拷問を施していた。半ば趣味嗜好を兼ねていた。魔族は美しい容姿の者が多い。女性に対しては嫉妬の鞭をぶつけ、男性に対しては性的虐待をした。贅を凝らした酒食で我慢を知らない丸々とした体は驚くほど活動的に動いた。
ヨキアムは美しいものを痛めつけることを好んでいたが、そんな歪んだ思想とは一線を画す。異類審問は誰もが持つ普通の欲望を素直に吐き出すことが出来る良い場だったのだ。貴光教としては魔族の性根を叩き直すのを推奨している。実に合理的ではないか。
これはいわば愛の鞭だ。
イルタマルは母親だった。子がいたのだ。残念ながら、ちょっとした不注意で亡くなってしまったが、イルタマルの心の中でいつまでも生きている。
その証拠に、耳を澄ませばいつだって声が聞こえる。
「ママー?」
「はいはい。ママは今忙しいの! お仕事を頑張らなくちゃね」
子供のためにも頑張らなければならない。
母親であるイルタマルが失った子を躾ける代わりに魔族の矯正のために愛の鞭を振るう。我が心根の何と美しいことか。
しかし、ねじくれた魔族は中々イルタマルの愛情を理解しようとしない。度し難い者たちだ。
今もまた、拘束され散々躾けられているのに反抗的な目で睨みつけてくる。
「ママー、あの人怖い」
「よし、分かった! ママがやっつけてあげるからね!」
イルタマルは思い込みが激しく、自分本位で、気に入らなければ周囲を巻き込んで話を大きくしたり捻じ曲げ、自分の正当性を主張した。相手が話すのに被せ、その主張が通らないようにした。
自分は正当で、自分が標準なのだから。自分が感じる者が全てなのだから。
だから、居ないはずの子供の声が聞こえたり姿が見えても、それは普通のことなのだった。子を失った母ならばままあることだし、愛情ゆえのことだ。可哀相で健気な自分がすることは常に正しく、他の者は感じ入り気遣って然るべきだ。
精神に異常をきたしたからそれほどまでの非道を行えたのか、出世のために大聖教司の拷問に付き合っていたから精神に異常をきたしたのか定かではないが、いずれにせよ、その被害を受ける者にとってはたまったものではなかった。
ラウノは実力以上の力を得るために薬を頼った。
アリゼという有能な薬師と既知を得たこともあった。見習であるものの有能であり、別の支部で薬作成に携わった経験を持ち、栄達によって権力を持ちつつあるイシドールにより、すぐに薬師に引き上げられ、ロランとの繋がりによって大聖教司オルヴォの庇護下の研究に携わる。時間と素材、薬作成をしていても咎められることのない環境を持つアリゼだった。まさしく薬を貰い受けるに適した人材だった。
エイナルが亡くなったことを悼んでいる様子で、ラウノの身を案じつつもしつこく要求すれば結局は作ってくれる。
アリゼの優しい気持ちにつけ込んでいることへの罪悪感を持ったものの、どうしても必要だった。
白い手袋は手に入れた。
しかし、まだ足りない。
赤い手袋に至るまでは全く足りない。
ラウノは進まなければならなかった。
エイナルは目指したくともできないのだ。
ラウノに託したのだから、それを叶えてやりたかった。
力が欲しかった。
あのグリフォンのような。
二度も間近で対峙し、恐れと同時に憧れを抱いた。
あの肌に静電気が起きるような威圧感、理知的かつ全てを見抜いていそうな炯眼、しなやかで力強い四肢、何より、どこまでも高く高く飛翔する翼、その全てが羨ましかった。
ラウノは地を這いずり回りながら、努力を積み上げるしかない。
「やっぱり休んでいた方が良いんじゃないか?」
「毒が抜けたばかりだろう?」
「人手が足りないと言っても、出て行くことはないんだぞ?」
全く足りていないのに、届かないのに、休んでいる時間が惜しい。
「非人型異類討伐か。こんなの、ワイバーンを二人で狩るのよりよほど楽じゃないか。なあ、エイナル」
ラウノはその日、キヴィハルユ近郊を荒らす非人型異類の屍を築き上げ、その上で死亡した。薬漬けで体が持たなかった。
殉職後、赤い手袋を拝領した。
心から願ったものが手に入ったのである。
燦たる双星は一つになってもなお、輝き続けた。
二つ星だったことを証明して見せるために、二つ分の輝きを欲した。
そのために応分の要求をなされた。
ラウノは命を燃やし続け、エイナルの願いを叶えたのだ。




