78.名も無き刺客
中庭に口を開けた穴は通気口だったようで、ティオが通るには狭かった。
「リムと一緒に行って来るよ。ティオはここで誰か来ないか見張っておいてくれる?」
これにはティオは頷かなかった。
『道がないなら作れば良い』
「え?」
どういう意味だと尋ねる間もなく、ティオが地面を軽く叩く。
途端に穴は大きく広がり、歩きやすいように階段状にさえ変化していた。
「ああ、これ、見たことがあるな」
以前、島で地下貯蔵庫を作った時と同じである。
『行こう』
「うん」
至れり尽くせりなのは有難いが、相変わらずすごいものである。
ティオが作った地下への階段を下りると、鉄格子に縫い留められた部屋が幾つか並んでいるのが分かった。空気の動きや臭いなどで闖入者を察知したのか、中に収められた動物が騒ぐ。
「な、何なの。今度は一体何なのよ!」
「もう嫌だ。帰りたい」
「……」
「みんな、もう少しだ。もう少しの我慢だ」
人の声もした。聞き覚えがある。
ここに動物や人が閉じ込められているのに、あの非人型異類が外へ出たのは鉄格子の間をすり抜けることが出来なかったからだろう。中の動物を捕獲する戒めが今回は彼らの命を救った。非人型異類としてはそこに餌があるのに食べられず、腹立たしい思いをした。だから、窓の向こうに餌を見つけて飛び込んで行ったのかもしれない。
『あれだね。扉を開けようか?』
「出来るの?」
鍵を壊すのかと思いきや、鉄格子の間に両前足の爪を入れ、ぐいと力任せに横に引いた。熱せられた飴細工のようにくんにゃりと曲がる。
ティオは説明する間すら惜しいとばかりに、中へ長い首を差し入れ、嘴で中にいる者の衣服を挟んで引きずり出した。
「きゃあ!」
「ぎゃっ」
「な、何なのよ⁈」
「ぐおっ」
ティオにかかると全てが簡単に進むなと妙な感心をしつつ、久々に見るNPCパーティを観察する。薄汚れ、切り傷や擦り傷をあちこちに作り、唇の端が血で滲み、顔を腫らしている者もいる。特に、剣士は腕が変な風に曲がっていた。
「逃げるならお早めに。この階段を上ると中庭に出ます。あと、余計なお世話かもしれませんが薬をお渡ししておきますね」
言いつつ、マジックバッグから薬と食料を取り出して床に置き、そっとその場を離れた。
「つ、翼の冒険者!」
叫んだ切り、続かなかった。シアンは一瞬足を止めたが、すぐに階段を上り始めた。今までのような呪詛は追いかけてこなかった。
NPCパーティは常にシアンに突きつけた。
翼の冒険者などと御大層な二つ名を得ているが、お前は正しいのかと。
ともすれば、シアンにきたす空洞の虚栄、慢心に対しての刺客となったのだ。
苦言は薬なり。それが忠からくるものでなくとも、薬となり得る。
苦々しいものから目を逸らさないでいたからこそ、シアンは力を持ちつつも、自分の行いは大きく歪んでしまってはいやしないかと常に考えることができたというのもある。
全てが悪い訳でも良い訳でもない。
色んな要素が絡み合って世界は成り立っている。
それを無暗に気に入らないから、嫌だからと排除してしまっては、畢竟、貴光教と同じ考えに至るのかもしれない。
シアンは今更ながらにNPCパーティメンバーの名を知らないことに気づいた。
中庭に出ると、九尾が出迎えてくれた。
『黒いのが出てこないうちに逃げましょうかね』
のんびりした物言いではあるものの、シアンの感知能力にも引っかかるものがあった。
結構なスピードで迫って来る者がいた。
ヒューゴはイレルミと再戦して下すことを目標としていた。
だから、翼の冒険者は幻獣が問題であるだけで、翼の冒険者本人はどうということのない無防備な人間だと思っていた。ヒューゴに掛かれば大抵の人間が隙だらけだ。
エルッカが翼の冒険者を呼びつけたのを知っていたので、事前に地下の研究者が飼っている非人型異類を使って足止めするよう部下に命じていた。
三番隊きっての遣い手であるラウノを配置する徹底ぶりだった。自身はオルヴォの傍に控えていた。
そこへ、エルッカの私室から出て逃亡を図ったと部下が慌ててふためいて報告した際、驚きを禁じ得なかった。全くそんな気配を読み取ることができなかったのだ。同じ神殿敷地内のことであるのだから、いかようにも即座に対処できると思っていた予想を大きく裏切られる。
急いでオルヴォの警護に複数の部下を配置させ現場へ駆けつけると、グリフォンの背に乗る翼の冒険者を見つけた。中庭の窓ガラスが割られ廊下の絨毯は汚れ半ばから千切られ、そこに黒の同志の一人が倒れていた。
瞬時に状況を見て取り、すかさず飛び道具を投げようとしたその時、彼がこちらを向いた。
グリフォンの鋭い炯眼とは違う、何か侵しがたいものを感じた。同時に、体が全く動かないのを知る。
ヒューゴは一時我を忘れた。
イレルミと対戦した時であっても、体は思うように動いた。その予測よりもイレルミが上を行っただけだ。
汗がこめかみから頬、顎を伝う。
手足を動かそうにも反応しないということへの得体の知れない恐怖を感じた。
数瞬はそれが翼の冒険者の視線による影響だとは思わなかった。
もしや、と考えた時には、グリフォンは飛び上がっていた。
シアンはティオの背の上で口数が少なく、幻獣たちに心配された。
帰島後、洞窟へ行った。
シアンたちが来たことに気づいた小さなスケルトンが駆け寄って来る。
両膝を地面について、そっと抱きしめた。
こんなに小さかっただろうか。
こんなに小さかったのに、懸命に生きようと、生かそうとしていたのに、駄目だった。
死してなお、この世に留まった。
母親と兄は残らなかったのに、独り、取り残された。
この世に心残りがあったのだろう。
体が弱くてできないことも沢山あっただろう。
スケルトンを抱きしめたまま、シアンは泣いた。
理不尽ではないか。あれほど懸命に生きていたのに。あれほど丈夫に生んでやれなかった子を懸命に生かそうとしていたのに。あれほど自身も小さくても弟を気遣っていたのに。
生きて幸せに過ごしてほしかったのはシアンの勝手な考えだ。
けれど、イレーヌ親子はシアンの理想だった。理想の家族像だった。
あの美しい光景がこの世界のどこかにあるからこそ、頑張ろうと思えた。
あの光景を守ることに繋がるからこそ、物資を流通しようと思った。
シアンが流した物資が巡り巡ってあの親子の下に届くと良いと思った。
それが失われた。
シアンが知らないうちに、理想は崩壊していた。




