77.共食い ~死亡フラグ2~
グロい表現があります。ご注意ください。
シアンは九尾に導かれ急かされるままに足を動かした。
気持ちは全くついて行かない。自分がぼんやりしていたら、幻獣たちも留まり、結果、危険に晒すということだけが彼を動かした。
ティオがエルッカの続き部屋に控えさせていた黒ローブはティオが全員気絶させた。
廊下の先の暗がりからぬるりと黒ローブが滑り出て来る。
『む、やるな、こやつ!』
九尾が足を止め、代わりにティオがシアンの脇をすり抜けて前へ出る。九尾はすかさず後ろにつく。リムはシアンの肩の上で興味深そうにあちこちを見渡している。
一方、黒ローブ、ラウノは再びグリフォンと対峙し、恐怖に心が塗りつぶされるのを感じていた。喚き出しそうなのを剣の柄を握り締めることで堪える。
そんな巨躯がすぐ傍にいたら気づくものだが、今の今まで気が付かなかった。
侵入者を捕えるよう命じられたラウノは駆けつけてみれば、グリフォンを目撃したのだ。
その威圧感に総毛立つ。地面が揺れているような気がする。
と、激しい音がして、廊下の窓が突き破られ、何かが飛び込んできた。
大聖教司の私室がある廊下には贅沢にもガラスを用いた窓が並び、目いっぱい光を採り入れている。その高価な窓ガラスを破ってラウノとグリフォンの間に奇妙な形をした生物が躍っている。
細長い体長に輪っか状の筋が尾まで続き、その上を二本の線が走る模様がついている。頭部分にイソギンチャクのような触手が生えている。触手は無数の棘に覆われている。
「非人型異類かな?」
『棘にも胴体にも毒素があり、誤って触れると大変なことになる』
風の精霊の忠告にシアンは後退るが、ティオは悠然と佇んだままだ。
幸い、動作が鈍い。
「ティオ、逃げよう」
言って、シアンは後ろを向く。こちらの廊下の先は行き止まりだ。
『こういう場所では隠し通路とか地下室とかありそうなんですけれどねえ』
『あっちに行く?』
リムが割られた窓の方に身を乗り出す。
ゆっくりした動きから一転、非人型異類は鎌首をもたげて激しく身もだえし、狂ったように頭を打ち振り、そこから飛沫や棘を飛ばす。すかさず黒ローブは高く跳躍する。だが、初撃の後も間断なく四方八方へ散る毒液を含んだ棘を受け、どうと倒れた。
「ティオ!」
慌てず騒がず、しかし素早く鷲の前脚を出し、たんと軽く床を叩く。と、みるみるうちに床がせりあがって来る。絨毯を引きちぎり、大地の属性である岩が壁となる。非人型異類が放出する毒素を阻む。それが分かるのか、突如現れた壁に体をびちびちと打ち付ける音がする。
割れた窓から這いずって再び何かが顔を出す。細い管状の体に体節が幾つも輪を作っている。色合いは紺と黄の二色で目を引く。
ぬ、とこちらに顔を向けるが、ティオが顔を向けると慌てて体を引っ込め、壁の向こう側へとゆるゆる移動していく。
粘液を纏ったものが絡まり合い激しく打ち合う音がする。
『ふむ。同士討ちですかね? 今のうちに逃げちゃいましょう』
シアンも賛成だ。ただ、大きな問題がある。
「ええと、あの窓の向こうから?」
『大丈夫、もう何も出てこないよ』
ティオの言葉に安心しつつもシアンも感知能力を使う。腕を差し伸べるように意識を伸ばすとするすると加速度をつけて廊下の向こう側の様子が分かる。中庭に繋がっているようだ。その片隅にぽっかり穴が開いていて、そこから非人型異類が出て来たのが分かる。彼らが地面を這って来た残滓すら感知することができた。水が全てを飲み込み流れ込むように離れた事象を感知していく。
「……待って、下に、地下室のようなところに、いる」
『誰がですか?』
シアンの呟きに九尾が尋ねる。
「トリスやエディスで出会ったあの冒険者パーティだよ。……ティオの翼を要求した」
『ああ、あの。捕まっているんでしょうかね?』
九尾は返しながらも、流石のシアンも彼らには思うところがあるのだろうと思う。これまで散々つき纏い、シアンを糾弾してきた。
「うん、そうみたい」
『……わかるんですか?』
あっさり是と答えるシアンに九尾は驚く。
「うん、彼らの会話からしたら、そうみたいだよ」
『いやはや、やればできるとは良く言いますが、シアンちゃんは使えば誰よりも大きな力を持つのですねえ』
「僕が研鑽を積んで手に入れたものじゃないけれどね」
感知することに集中していたシアンは苦笑する。集中が途切れたことで感知能力のどこまでも伸びていく水もふ、と消えてしまう。精霊たちの助力のお陰だというのに、便利なものだから使い過ぎてしまった。
『助けるんですか?』
「そうしたい」
捕まったとしても、自分たちでどうにかするものだし、シアンも追われている身だ。他人のことを心配する余裕はない。けれど、ここ最近、死を身近にしすぎた。死体を見過ぎた。
このまま行ってしまった後で彼らの死を知ったら悔やむだろう。
ティオがすかさず、窓枠に残ったガラスを嘴で叩き落とし、向こう側へ行く。続いたシアンは何となく振り向き、そうした自分を呪った。
窓からは壁の向こうの出来事が見えた。
大きな管が管を飲み込んでいた。内側の管はのたうち回りながらも徐々に力尽きて行くのが分かる。非人型異類が非人型異類を飲み込んでいた。
同士討ちだ。胃から酸っぱいものがせりあがって来る。強制ログアウトしそうな光景である。
『ここはきゅうちゃんに任せて先に行け!』
『じゃあ、遠慮なく』
九尾の言を受け、ティオが淡々と進む。
『えっ、そこは一緒にとか言わないの?』
『シアン、行こう』
「え、う、うん。僕たちは地下室の鍵を開けて彼らの手錠を外したらすぐに戻って来るから。きゅうちゃん、気を付けてね!」
ティオに急かされてシアン一行は行ってしまった。いわゆるお約束を言ってみたかっただけの九尾はがっくりうなだれて消沈する。
食欲旺盛なのか、食事を終えてなお、後ろから襲い掛かろうとする非人型異類に九尾が振り向かずに言う。
『もうちょっと脱力に浸らせてほしいの。邪魔しないで』
音もなく広がった青い狐火に焼かれる。のたうち回りながら炎から逃れようとするが高温の炎に消し炭となった。
後にはぽつんと佇む白い獣が両前足で上体を支えて腰を下ろす。
『ふう、虚しい』
非人型異類二頭が食らい合い、片方が勝利して負けた方を食らう。
まさしく、共食いではないか。
非人型異類の種類の違いほどに、貴光教と魔族との違いはあるのだろうか。彼らもまた、共食いを行っているのだ。一方的に悪と決めつけた上で。
『やれ、人とはかくも罪深い』
彼は人の世の治世の是非を告げる幻獣だった。今まで幾度も人の世の醜さも温かさも見て来た。時に小さき声は打ち捨てられた。力ない者が集まっても、圧倒的な武力の前では水の中の紙だった。
しかし、それらの思いを汲み取り突きつけて見せることができる者がいればどうか。
世のどれほどの権力や武力をも軽々と乗り越え、種の違いすら飛び越えていく者がいたらどうか。
『だとしても、全ての者が納得のいく結果など、ありはせぬ』
人はどうしたって自分の思い通りにならねば心的抑圧を感じるのだから。




