76.理想の崩壊
シアンはしょうがなしにノッカーを鳴らすと中から応じる声がする。特に幻獣たちが警戒している風ではなかったので扉を開けた。
室内には華美な装飾が施された家具が鎮座していた。
カーテンや絨毯は厚手で白を基調に金糸銀糸で細かい文様が縫い取られている。触れれば怪我しそうなほど緻密な装飾のある燭台に蝋燭が据えられている。窓からの採光がふんだんにあるためか、今は火を点していない。
「お主が翼の冒険者か?」
一人掛けの椅子に座り背中を背もたれに預けたままシアンを見上げてくる。
「はい。シアンと言います。入室しても?」
「許可する」
シアンが一旦戸口から身を引くと、するりとティオが滑り込む。
「な、な、グリフォンを連れて来たのか!」
「はい。幻獣を含めた名称ですので」
激昂する初老の男はえらの張った鼻の大きい顔をしていた。頬がこけ、目の下に隈があるので不健康そうだが、大声を出すことから元気がない訳でもない様子だ。
「ところで、その翼の冒険者を呼ばれたのは貴方でしょうか?」
「そうだ」
シアンに続き、九尾も入室するのを苦々しい表情で見やりながら頷く。
「お名前を窺っても?」
「ふん、大聖教司の名前も知らぬとは」
シアンは驚いた。地位の高い者だろうとは思っていたが、まさか、貴光教のトップが面談するとは予想だにしなかった。以前会ったオルヴォといい、意外と気軽に人と会うのだろうか。
「私はエルッカだ。貴光教大聖教司の三人のうちの一人だ。安心しなさい。人払いをしてあるから、余計なことを聞かれることはない」
『隣の部屋に黒いのがいっぱいいるよ』
誰がいるのか分かるのか、とティオの言に感心する。大方、衣擦れの音から察知したのだろう。
「だから、お主にも一人で来てほしかったものだがな」
何かとちょっかいをかけてくる者たちの本拠地に乗り込むのに、無手単独で来る訳がなかろうとシアンはその言葉には取り合わなかった。
シアンは現実世界ではトップレベルの音楽家だ。その分、負の感情を向けられることも多い。自衛するのは常態ではあるが、向けられる悪感情にいちいち過剰反応してはやっていけられなかった。つまりはある意味鈍感力を磨かれていたのだ。
それがこの場合、裏目に出た。黒ローブに散々悪感情を向けられても、そういうこともあるかな、くらいに受け止めていたのである。
無論、親しく交流していたニーナから受けたことには衝撃を受けた。
けれど、悪意を持って何かを為そうという相手は、一定の手ごたえを得るまでは嫌がらせを繰り返す。何なら、エスカレートする。
「魔族の種族病のこととイレーヌさん一家のことでお話があると伺いました」
本題を済ませてしまおうと口火を切った。あまり長居したい場所ではないし、シアンにも現実世界の生理現象という制限がある。
「ああ、そうだ。翼の冒険者は知っているか。貴光教は異類排除の一環として民の安全を守るためにアンデッド討伐を行うことに着手した。これはいずれ各国が行わなければならんことだ。しかし、相次ぐ凶作、流行り病、非人型異類の跋扈によりどこも疲弊著しい。そこでよ、我らが乗り出したのだ」
エルッカは一人座ったまま、大仰な身振り手振りで話し始めた。
椅子を勧められず、シアンは立ったまま聞くことになる。逃亡のことを考えると身動きしやすくて良いという程度にしか思わなかった。
「不浄の亡者どもを調伏し人々の安心を確保する大切なお役目だ。つい先だって、我らが貴光教の聖教司たちが遥々出向いた先にもアンデッドが大量にいた」
単に自分たちの業績をひけらかしたいだけではあるまいに、とシアンは彼の言わんとすることを掴みかねて当惑していた。
「どこだったと思う?」
意味深長にエルッカが言葉を切る。にやにや笑いながら見上げてくるのに、一抹の不安を感じる。
彼はアンデッドが多くいたと言っていた。
「翼の冒険者は訪れたことがあるかな。そこは水と大地の織りなす自然の脅威、大瀑布だったのだよ」
シアンの脳裏に元勇者や小さいスケルトンを始めとする多くのアンデッドがいた洞窟の光景が浮かぶ。
「我ら聖教司は苦労して彼らを妄執から解き放ち、いと高き場所へと送ってやった。それに抵抗せんとする者たちとせめぎあいもあり、こちらも中々の痛手を負った。しかし、勇敢かつ敬虔な彼らはやってのけたのだ。大量のアンデッドたちを調伏せしめた!」
『いやはや、タッチの差で保護することが出来て良かったですなあ』
九尾の言う通り、貴光教の斥候が大瀑布の洞窟でアンデッドを見つけ、その報告を受けて向かわせた討伐隊の聖教司らが到着する前にミシェレたちを移動させることができたのだろう。
『いなくなったから自分たちの功績にしたのでしょう。こちらとしても、あの洞窟はもぬけの殻だと喧伝するのにちょうど良いですな』
「そうなんですね」
言いつつ頷いて見せたのは九尾の言を肯定する意味合いもあった。
「翼の冒険者としてはさぞ悔しかろう。しかし、我らほどの働きが出来なくとも仕方がないことだ」
「悔しいと言うと?」
何故そこでシアンが悔しがるのかが分からなくてつい尋ねてしまった。
「不浄の物を調伏するのは力ある者としては当然の務め。翼の冒険者には今までも貴光教に先んじて手柄を奪われたが、今回ばかりは遅かったな」
「あ、いえ、特にアンデッド討伐をしようとは思っていなかったので」
「何だと⁈」
シアンがアンデッドを不浄の者とし、必ず排除するという考えを持たないことを知ったエルッカは何という無知、何という神をも恐れぬ所業なのだと憤慨した。そして、シアンに格の違いを見せつけようとしていたことから一転、掌を返す。
「それ見ろ。お前は正義ではない。光の神とは相反する存在だ。そんな者が民にもてはやされているとは」
それを言いたくてシアンを呼んだのだろう。何故、嫌がらせをしてくるのかを聞こうとしたが、問う前に応えてくれた。翼の冒険者が気に食わないのだと。
シアンは別段驚かなかった。気に入らないから嫌がらせをする人間は一定数いるものだと知っていた。
その平然としたシアンの姿に、エルッカは躍起になった。
そして、言い放った。彼の言葉の刃はようやく翼の冒険者に届く。
「ふん、お前の親しくしていた家族は死んだ。その下の息子がアンデッドとなった。いわば邪道に陥っていたのよ。貴光教がそれを正道に戻してやったのだ」
シアンは最初、エルッカが何を言っているのか分からなかった。
「僕が親しくしていた家族とは?」
ディーノはまだ死んでいないはずだ。魔族の家族と言えば、ジャン親子のことだろうか。それとも、エクトル親子のことを言っているのだろうか。
「先にお主も口にしたではないか。イレーヌとかいう者とその子らよ。彼らはあの大瀑布付近で盗賊に襲われて絶命した。下の子供がアンデッドとなって洞窟をさ迷っていた。何と業の深いことよ」
「そんな、そんなはずは……」
「信じないのか? 大聖教司であるこのエルッカが行った光魔法によって詳らかになったわ」
それがエルッカが魔法によって知り得た情報だった。
誰でも出来るものではない。神の声を聞き、世界の真理に触れることができる稀有な魔法だ。
そしてそれはエルッカの予想以上の打撃を翼の冒険者に与えたのだった。
「英知、本当なの?」
シアンは躊躇わずに風の精霊に尋ねた。返ってきた答えは無情なものだった。
『ああ、その通りだ』
シアンは上手く息を吸うことが出来なくて喘いだ。自分が立っているのか座ってるのか、はたまた寝ているのかさえ分からない。
何かエルッカが言っているようだが、聞こえても内容を理解できない。
「魔族、魔族の種族病の薬については?」
戦慄く唇を懸命に動かし、声を絞り出す。
「はっ、薄汚い佞悪どもについてなど知らぬわ! おぞましい!」
ここにもなかった。魔族の種族病の薬の手掛かりはなかった。
イレーヌ親子は死んでいた。ディーノも死ぬかもしれない。
眩暈がしてシアンは一歩二歩、後じさった。
『いけません、シアンちゃんを連れ出しましょう。聞くべきことは全て聞きました』
九尾がシアンに取り付き、ティオとリムに言う。
リムが小さく鳴きながらシアンを心配そうに見つめる。
ティオが殿に付き、エルッカを睨みつけると怯んだように口を噤む。その隙に九尾はもはや取り繕う必要はなしとばかりに二足歩行で扉の取っ手に前足を掛けて開く。シアンを廊下に押しやり自分も部屋を出た。
「おい! 勝手に行くな! まだ話は終わっておらん! 者ども、出会え! 出会え! 翼の冒険者を捕えよ!」
エルッカは敬虔なだけに行き過ぎた言動をする人間だ。
今まで翼の冒険者が評価されてきたことから、アンデッドの討伐という手柄を自慢し、格の違いを見せつけ、今後は大きな態度を取らないように釘をさすつもりで呼びつけた。実際会って話を聞いてみれば、不浄の者を積極的に討伐しない不信心者ということが分かった。
翼の冒険者は正義ではない。やはり、自分たちが正しく、彼の間違いを正してやる必要があるのだ。
そう糾弾してやれば、青白い顔をして動揺して逃げ出した。
エルッカの怒りはまだ収まっていない。それを受け止めず逃げるなど言語道断である。捕まえて厳しく説教してやらなければならない。そうしてやることが翼の冒険者のためになるのだ。
エルッカは自分がどれほどの打撃を翼の冒険者に与えたのか理解しないまま苛々と床を踏み鳴らした。




