75.虎穴に入らずんば
ティオの飛行は素晴らしかった。
実に、クリエンサーリを出て半日足らずでハルメトヤの国都キヴィハルユへ到着した。
特徴的なのは壁の高さで、今まで見て来たどの国よりも高い。
そこから飛び出す尖塔の先に陽光を受けて燦然と輝く貴石がある。
足下には綺麗に整地された街並みが見えた。路地も家も定規で測ったように並んでいる。
『わあ、真っすぐ!』
『本当。家の大きさも一緒だね』
『ここまで整然としていると狂気じみた執念を感じますなあ』
九尾の言をあながち間違ったように思えなく、シアンはティオの背をそっと撫でる。
「ティオ、お疲れ様。大丈夫?」
『大丈夫だよ』
あれほどの距離を短時間で飛びきった。当の本人はシアンに撫でられて機嫌良さそうに喉を鳴らしている。
『一応、門を潜って見ますか?』
「そうだね。直接神殿に降り立つ訳にはいかないものね」
鬼が出るか蛇が出るかの心境で門衛に冒険者証を見せ、貴光教から召喚された旨を告げる。
シアンを頭からつま先まで眺め、グリフォンらの幻獣をじろじろ見つめつつ、入市登録施設の場所を指し示した。
そこでもシアン一行は注目を浴びた。
「神殿より伺っていますが、国境の街からは連絡が来ていません。そちらで入国審査を受けられなかったのですか?」
担当者に胡散臭そうに見られ、グリフォンに乗ってハルメトヤのどの街にも寄らなかったのだと告げると絶句された。
国境は空を超え、道中は野宿することで街に寄らなかったのかと一人合点しているが、実際はそれほどの距離を半日かからず走破した。
「今までそういった事例はなかったものですから致し方ありませんが、今後は国境を超える際には必ず関所がある街で入国審査を行ってください」
『やれ、人が作った理など幻獣には関わり合いのないこと。しかし、人の社会に足を踏み入れるのであれば、その理を守らねばなりませんなあ』
そうでなければ、力ある者はルールを無視して当然ということになる。シアンが幻獣たちに伝えて来たことが覆る。
そこでシアンは疑問に思った。
黒ローブたちは入国の審査を受けているのだろうかと。黒装束を脱いで登録し、門を潜るのだろうか。彼らは異類審問官と護衛官の入国自体を拒否したゼナイドの国都に現れている。ならば、優秀な身体能力を駆使して潜り込んだということだろう。
そんな無法者を使って我を通そうとする神殿にこそ指導して欲しいものだと内心苦笑する。
入市審査施設は巡礼者で賑わっており、処理を済ませるのに時間を要した。
門衛から通達が行ったのだろう、施設から出たシアンを聖教司が待ち構えていた。
周囲の者たちの囁きから見習なのだと知る。総本山の神殿勤めをしていると、見習でも注目されるのだなと明後日なことを考えた。
「貴方はご高名な翼の冒険者ではありませんか。ぜひ、我が神殿にもお出で下さいませ」
『シアン、呼ばれたんじゃないの?』
『呼びつけたのではなく、翼の冒険者の方からやって来たという形にしたいみたいだね』
リムが小首を傾げ、九尾が四つん這いで見習を見上げながら目を眇めた。
幻獣たちが鳴き声を上げるのに、見習は半歩後退る。
『敵意はないみたいだね』
ティオの言葉にただ言い含められて使いに出されただけなのだろうと微かに頷いて見せる。
「そうですね。キヴィハルユに来たからには貴光教の神殿に詣でなければならないでしょう。案内していただけますか?」
シアンが同意し、見習は安堵の息を吐く。幻獣たちをちらちら見て彼らからなるべく距離を取ろうとする。九尾がわざと近寄って行くとひっと息を飲んでいた。
苦笑しつつ九尾と見習との間を位置取りながら、折角なのだから道中に貴光教について聞いた。
「総本山だけあって、美しくも荘厳な神殿です。働くみな様も熱心です。大勢の者がおりますので、日常の雑務をする者など担当が細かく決まっているのです」
誇らしげに語る姿に、所属する者の中には純粋に修行に励む者もいるのだなと、どこか安心する。
光の神を崇める自分たちの宗教が素晴らしいものだと思っている。他の価値観を持つ者を否定して排除しようとし、抵抗されればより強固に力に訴える頑迷さがあった。素晴らしいものだから広く伝えたいという気持ちは分かる。それと強要するのとは全く別のことなのだ。それを理解しない者は多い。
見習は神殿を指さして自慢げな表情をする。
空から見た建物は地上から見上げると威圧感が増した。仰ぎ見るとせりあがって来るかのような高さ、厚みを持つ。細緻な彫刻が施され厳かな表情を見せる。
数段階段が続く先にアーチ状の入り口が三つ並んでいる。
見習はそちらに行かずに、横手の人目につかなさそうな扉を開けてシアン一行を招じ入れた。
「どうぞ。幻獣様たちは厩舎へ案内します」
扉の先はむき出しの地面が続き、神殿の壁と外壁とに挟まれた通路となっていた。
「いいえ。僕たちは幻獣を含めての翼の冒険者です。翼の冒険者を呼びつけたのであれば、幻獣もそうなのだということです。貴方は言いつけを守らなかったことになりますよ」
逡巡を見せたが、ティオの滑らかな首の動きに肩を激しく跳ね上げる。
「そ、そういうことでしたら」
外壁側に木々が並び、木陰を作っている。
『一見、木の枝に取り付いて侵入できそうですが、阻害魔法が掛けられていますね』
『でも、ぼく、すり抜けられるよ?』
『掛かっている魔法よりもリムの隠ぺいの方が優っているからだね』
ついに貴光教総本山の敷地に足を踏み入れたというのに、幻獣たちは普段通りだ。
「緑が多いのですね」
「はい。手入れも大変ですが、貴光教では広大な薬草園を持つのです。植物の育生に関してはお手の物ですよ」
信じる宗教が為すことに、心から肯定的であるのが微笑ましい。
「そうなんですね。修行を頑張ってください。そして、多くの方に光の素晴らしさを伝えて下さい」
神殿側の壁の木の扉が開き、聖教司の服装をした者が姿を現したので、シアンは案内してくれた見習に別れを告げる。
「はい。翼の冒険者もご壮健で」
「よくぞいらっしゃいました。グリフォンたちは……」
表面上はにこやかに出迎えた聖教司に見習に話したのと同じ内容を告げると渋々内部へ入れてくれた。
ただし、建物内は綺麗に清掃しているのだから足を拭いて入るようにと眉を顰めた。シアンは大人しくティオや九尾の足を拭きながら、彼らに詳細な事情が伝わっていないことと叱責を受けることを恐れているのだなと考えた。怒りを買うくらいなら少々の無理を通す方が良いと考えていることがありありと見て取れる。
一般参拝者とは別の入り口から通されたことからも、人目に触れぬように指示があったことは感じていた。見習から案内を引き継いだ聖教司に連れられて薄暗い廊下を進む間、誰ともすれ違わなかった。
幾度か角を曲がるうち、廊下に絨毯が敷かれたエリアに入る。壁に並ぶ扉にも装飾が施されている。
「こちらです。くれぐれも粗相のないように」
「どなたのお部屋なのですか?」
うかつにも貴光教の誰に呼び出されたのか分からないままだったのだ。
相当上の人間だろうなという見当だけはつけていた。
「中に入られれば分かります。私はこれで」
言って、足早に立ち去った。




